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  私は以前、コンビニで売っている描き下ろしコミックをよく描いていたのですが。 
そこで描いたマンガは、基本的には「企画もの」でした。 
怪しげな「UFO」や「オーパーツ」「人類滅亡系」もの。 
ベストセラー本に便乗した「ダヴィンチの聖杯」や「フリーメイソン」などの陰謀もの。などなどです。
 
で、私が参加した企画本ですが。 
基本的にアニメみたいにキャラ設定と原作があってですね。 
同じキャラを使って、原作に沿って違う漫画家が連作していく、という形式でした。 
だいたい、5〜6人くらいの漫画家が、キャラ設定表を見ながらマンガを描くわけですが。 
アニメみたいに絵柄の統一はしないので、同じキャラでも、まったく違う絵になります。 
髪型とか、服装とか、基本特徴は一緒だけど、漫画家はそれぞれ自分の絵柄で描くわけです。
 
そういった企画コンビニコミックが、何冊も出版されたのですが。 
それらの中でも、特に「ダ・ヴィンチの聖杯」は売れたらしく、ネットのあちこちで取上げられてレビューされていました。 
で、ですね。そこに必ず書いてある言葉がありましてね。 
それは、こんな感じの感想。  
「同じキャラなのに、絵柄が違いすぎて、とまどう」
 
多少は言い回しは違うのですが、どーもかなりの人が、そこに引っかかる模様。 
アメコミ形式で描かれていると思えばいいのだ、みたいに書いていた人もいましたが。 
しかし私は、同じキャラを違う絵で描かれても、まったく違和感がなかったんですね。 
えー? なんでそんなことが気になるんだろう、と逆に不思議な気分。
 
 
というか、あれ? 
私、絵柄がまったく違うキャラを同じキャラとして認識することに慣れてないか? 
そんなの普通じゃん、とどこかで思っている気がする。 
そんなの普通で、あまり当たり前だったので、ネットで指摘されることによって初めて、そうなのか、違和感あるものなのか、と気がつく始末。 
何故だろう? 
とあらためて首を捻ったところ、あっさり思いあたりました。
 
そーだよ、慣れてるはずですよ。 
私が何年、二次創作の同人誌に関わり続けてきたと思っているのだ。(現在進行形) 
C翼なんか、絵柄の統一なんてありえなかったよ。 
もう、キラッキラの絵で日向や翼が描かれているのを読んだすぐ次に、青年誌風のリアルタイプの絵で描かれた若島津や岬を見て、さらにショタっ子バリバリな新田瞬とかも普通に読んでました。 
そしてもちろんあれだけ違う絵を、まったく戸惑うこともなく全部、 
「これは日向」とか「これは翼」とかちゃんと識別して、意識も努力もせずに読んできたわけです。 
それこそマジで、どれだけ絵が違ってもです。 
当時はゲストをたくさん呼んで作る本が多かったので。(今で言うアンソロジー本みたいな感じ?)異なる絵の日向が、幾つも同じ本に載っているわけですが。 
この人の描く日向と、こっちの人が描く日向は絵が違うから違和感を感じる、なんて思わない。 
それが普通で当たり前。  
今でも、書店で売ったりしている二次創作のアンソロジー本って、そうですよね。 
あまりにそれが普通の状態だったため、同じキャラだけど絵柄が違う、という事を当たり前のように受け取っていたのでした。
 
 
う〜む……。 
違和感を感じる人は、二次創作とはあまり縁のない人なのかしら? 
それとも、オリジナルでそういうことをやることに違和感を感じるのでしょうか? 
その辺はよく解りませんが、自分の環境を考えるに、もしかしてそういう違和感は、自分が所属してきた文化の違いから来ているのだろうか? 
などと、考察…までは難しそうですが、少し考えてしまいました。
 
 
 人間の認識ってのは面白くてですね。 
たとえば、マンガについて「同じキャラなのに、絵柄が違いすぎて、とまどう」 
と書いた人達も 
『グレートデンとチワワは、形や大きさが違いすぎて、同じ犬だと認識できない』 
とは言わないですよね。 
これ、どこかで読んだのですが。 
すごく小さい幼児であっても、グレートデンとチワワを同じ犬だと認識しているんだそうです。 
大きさが似ているからといって、チワワと猫は一緒にしない。 
ワンワンとニャンコは区別する。 
あれだけ見た目が違っても、犬は犬だと認識している。
 
なんかすげーよ、人間の認識。不思議ですよね、ホントに。 
人の認識は、見た目の形だけに囚われるものではないらしいです。 
だとしたら、認識ってどこから来ているんでしょうね。 
脳は何をもって、これとこれは同じ、こっちとは違う、と区別しているんでしょうか。
 
 
C翼の場合は、私は基本的には髪型で見ていたような気がします。 
マンガのキャラですから、見た目だけじゃなくてしゃべり方とか状況とか、それら全部を一瞬で把握して、これは翼、こっちは若林、と瞬時に見分けていたんでしょうけど。 
しかし…犬はよく解らないな〜。あらためてどこで区別つけているのかと問われたら。 
でも普通は、犬の方が当たり前のように、どれだけ形が違っていても、同じ犬だって解るんですよね。 
キャラには「違和感を感じる」人でも。  
この辺は、脳のどこが作用して区別しているのかって話になるので、素人の私には何も書けませんが。 
でも、犬が認識できるのだから、大抵の人はキャラくらい、あっという間にどれだけ絵が違っても見分けることが出来るようになる気がします。 
やっぱり、訓練とか所属してきた文化の違いかなあ。 
でも、最近は商業誌でも、同じブラックジャックを違う漫画家さんに描かせるとか、同じアトムを違う絵柄で色々な人が寄せ描きするとか、そういう企画がありますしね。 
でも、二次創作の世界ほどは、そういうの無いから、 
「そんなの普通で当たり前」 
の領域に行くことは難しいかもしれないですけど。
 
 
 二次創作の世界を知っていると、まったく違う絵にも関わらず、当たり前のようにキャラが区別できる、というスキルが磨かれるようです。 
つまり、こういう感じだな。
  
マンガを読んでいるとですね、絵をちらっと見るだけで、あ、●●先生の絵だ、などと区別できるようになっていきますが。 
(マンガを読み慣れていない人は、どのマンガも同じ絵に見えたりするらしいです) 
同人誌で二次創作の世界に関わっているとですね、更に脳が凄いことをやり出すんです。 
漫画家さんの絵を見分ける能力と同時に、違う絵なのに同じキャラだと認識できる能力が、同時に備わってくるのです。 
すごい高度な認識力が身についていくんですよ!
 
そう考えると、なんかすごいですよね、同人世界。 
あっという間に、すごい認識力が身につき、高度なステージにたどり着ける修行の場!! 
な〜んて宗教みたいに書くと、本気にする人がでてきそうだな。 
本気にされると困るので。 
どこがどう凄いのか、上手く説明できないけど。でも凄いんです! 
すごい「認識力」で見分けるんですよ!! 
……たぶん。 
程度にしておきましょうか。よく解らないけど。(笑)
 
END 
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