「サイト」をどう捉えるか

「ネットとサイトと子供たち」について掲示板で色々書いた後に、続けてその流れから書かれたやり取りです。
今でも、ネットマナーについて様々言われていますが、ネットはまだ新しい世界なので、マナーについても、それぞれの人によって、色々な言い分があるようです。
ここでは特に「サイト」というものについて、中心に語ってます。
ちなみに、2004年6月時点では、まだブログはあまり幅をきかせていなかったので、ブログについては無視した形になっています。

 

【sek】2004/06/04(金) 05:46:38

『思ったのですが』

ネットに関しての玲沙さまの書き込みを読んで、少し思ったことがありましたので書き込ませていただきました。
HPって地面に棒っきれで書いたり、ビニールシートの上でやるままごとの「おうち」に似ていませんか?
「ここが玄関で、ここが部屋で、でる時はここからしかだめだよ」みたいな。
そこでままごとしたりして遊んでいる仲間はそのルールを守るけど、それを知らない人はそのルール関係なく横切ったり、線をけしちゃったりしてしまうことってありますよね。
今のネットの状況は、HPの作り手がその線でかかれた「おうち」を本当の「家」だと思い込んでいたり、ままごと遊びのルールを知らないまま「おうち」を横切っていることに気づかない人が多い事から生まれてしまっているのではないかと思います。
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【史都玲沙】2004/06/04(金) 12:29:35

sekさま、どうもです。(^.^) 書き込みありがとうございます。
実は私は、ままごとだろうと何だろうと、サイトを「家」と考えること自体が違うと思っています。
あえてたとえるなら、サイトは「本」じゃないかと。
本は今まで、作家やプロの人しか人前に発表出来ませんでしたが、今は素人だろうとおじいさんだろうと小学生だろうと、誰でも世界に向かって本を発表している状態になっている。
サイトを作るとは、そんな感じではないかと思っています。
(そりゃ同人誌もありますけど。でも金がかかるし売りに行かなくては読んでもらえないから、やはり人を選ぶ。小学生には無理ですし)

何故、家ではなく本だと思うかというと、家はやはりどれだけままごとだろうと、基本的に閉じている存在だからです。
しかしWEBは開いているのが基本です。そうでなければ意味がない。
あらゆる人があらゆる場所から自由にアクセス出来る。
閉じた空間だとか、壁を主張する方が、WEBの基本から外れています。
閉じた空間の家が造りたいなら、自分のパソコン内だけでやるべきなのです。

本は一応表紙があり、目次があり、順番に章なんかあったりしますが、読者は別にどこから読んでもまったくかまいません。
表紙をまず眺めろとか、目次を読んでからここを読めとか、そんな事を押しつける人は、どこかヘンです。
最初から読もうかな、という人もいるでしょうし、欲しい情報だけ求めて、途中から読んで途中でやめたりもするでしょう。
それもまったくノープロブレムです。
サイトに発表されているものは、落書きでも単なる日記でも、全てその人自身ではありません。単なる作品です。
だからどこから読もうとどこでやめようと、読者の自由。

ただ、本と違うのは、作品と同時に、その場所でおつきあいも出来てしまうという所です。
おつきあいとは、本で言うならファンレターを出すとか文通するに近い。
これは本を読む行為とはまったく違う行為です。
この二つは区別をつけなくてはいけないと思ってます。
本はどこから読んでも、読み捨てても、別にOKですが、つきあいだったら相手の意向を尊重しなくてはならないわけです。
それはリアルでのおつきあいと一緒です。
本に対応することと、その人自身に対応すること。
この二つを、サイトという世界においては、たくさんの人が混同しているような気がしています。
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【史都玲沙】2004/06/04(金)

『続き』

サイトオーナーは、ここで発表しているものは単なる本なのだから、読者がどこから読み始めようと、通り過ぎようと、そんな事は向こうの勝手で、別にあなた自身が軽んじられているわけではないという事を解っておくべきでしょう。
サイトを訪ねる人は、単に情報を読むだけなら、どこから入ってどこに抜けようと、別に気にすることはありません。
サイトオーナーが何かルールを設けていたとしても、そんなものに従う必要はありません。
本をどこからどう読もうと、そんな事を人に指図されるなんて、何かヘンだからです。

ただし、オーナーとおつきあいをしたいなら、オーナーの意図を無視してはいけません。
何故なら仲が悪くなるから。

人とつき合いたいけど嫌われたい。そんな人は滅多にいないと思います。
トップから入ってね、などというルールを設けている人に、わざわざ
「私いつも日記から入っているんですよ」
と言う人は、困った訪問者です。
別に日記から入っててもいいから、わざわざそれを嫌っているオーナーに言うな。
(私は言われてもまったく構いません。むしろ、そこが人気なのか、とか解って興味深い)

ただあれですね。
サイトは確かに本ですが、すごくパーソナルな本には間違いがないので、サイトオーナーが嫌になったらさっさと無くなっちゃう、かなり儚い本ではあります。
というわけで、ずっとサイトに残って欲しいな、と思ったら、無記名でもちょこっと感想を書いたり、せめて一回くらいカウンターを廻したりするのが、長く存続させるコツかもしれません。(笑)
別にルールじゃないんで、したくなかったらしなくてもいいんですけどね。

(ちなみに、素材サイトの場合、素材を「利用」する時は、きっちりオーナーの意向を汲んで、注意書きに従う必要があります。
なぜなら、「利用」するのは「おつきあい」だから。
ただ素材を「眺める」だけなら、注意書きを読む必要はまったくありません。
眺めるだけなら、本を読むのと一緒なので。
その二つを混同している人が多いような気がしている私です)

長くなりましたが、私はそんな感じかなあ、などと思っております。(^.^)
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【史都玲沙】2004/06/04(金) 18:38:14

『しかし気付いた(遅い…)』

サイトは家ではない、と主張する私のサイトのタイトルは
「史都玲沙の部屋」
なにごと?(笑)
いやあ、単純にタイトル考えるのが面倒くさかったって言うか。もともと同人屋なんで、ペンネームで検索かけて来てもらえた方がいいよね(サークル名は何度か変わっているのでダメ)と思っただけなんですけどね。
というわけで、部屋とついてはいますが、ここは部屋でもなんでもありません。
「史都玲沙の部屋」というタイトルの本だと思ってください。(^_^;
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【HA】2004/06/10(木) 19:23:46

確かにサイトは家というよりは本だと、私も思います。
本気で視聴制限をかけるなら、有料サイトのようにするしかないでしょう。
ネットという図書館に置かれた、膨大な量の本。
この図書館は公営ではないので、いかがわしいものやら困ったものやら、玉石混淆、いろんな本が読めるというわけです。
いったん図書館に本を置いたら、「勝手に読まないでよね」という主張は通りません。
コピーされたりするのも、リスクのうちです。
実際図書館だって、個人使用のコピーは認めていますよね。
さすがにそのコピーで商売されたら、何とかしなくてはなりませんが。
その時は法律も味方してくれます。
著作権法というのはまず、「海賊版を防ぐ」ための法律だからです。
話が激しくずれましたが、ワールドワイドに向けて情報を発信するWEBというものは、そういう性質のものだと、私も考えています。
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【sek】2004/06/18(金) 03:31:16

玲沙さんやHAさんのおっしゃているように、確かにサイトは『家』ではなくて『本』ですね。
自分は『ホームページ』という言葉から『家』をイメージしていたようです。
ただ、この『家』というイメージというのをもっている人は多いのではないないかと考えました。
だから思い込みで突き進んじゃったり、手綱をつけないで離しちゃうのではないかなぁと思います。




実は前回の「ネットとサイトと子供たち」の会話から、直接つながっているやり取りなのですが、趣旨が変わってきているので、これだけで独立させてみました。
サイトをどういうイメージで捉えるか。
私は「本」と書きましたが、もちろんそれが正しいと思っているわけではありません。
自分がサイトを運営する上で、本が一番イメージに近いかな〜、と思って書きました。
勝手に読んでくれて構わんよ、という感じ。
感想もらえたら、とっても嬉しいけど、それは交流の分野に入るので(ファンレターもらったようなもの)またステージが違うイメージです。

ただ、「本」というのは、「家」よりは近いのではないかと思っています。
しかし、sekさんが最後に書かれたように、「ホームページ」という名称から、「家」を連想する人が多い、というのは確かなようです。
でも、結構そのイメージって、弊害多いですよね。
なにせ「家」は基本が閉じているし、個人の場所だし、パーソナルな空間です。 だから、つい自分だけの場所なつもりになっちゃって
誰でも読めるWEB日記なのに、激しいグチや悪口を書いちゃったり、やばい噂を書き込んだり。そういう人も出てきちゃうわけで。
世界中の人が読める環境にあるのだとか、意識していない人も多い。

最近は、mixiとかで、ヤバイ書き込みをしたあげく、コメント欄が炎上する事もよくあるようです。
どーも、mixiは閉じているから…とか、似たような事を考えている人もいるようで。
いやあ、あんな招待してもらったら誰でも入って色々回れるようなところ、どこが閉じていると思えるんだか、サッパリ解りません。
でもきっと、ホームページは「家」だから、パーソナルな場所なのよ、と思っている人と、思考は近いのではないかと思います。
結局ですね、確かにちょっとした壁くらいは立てられるかもしれませんが(mixiみたいな感じで)一度web上に解き放ったら、「ないしょ」はきかないという事です。
色々な人が雑多にいる「外」なんですよね、やっぱり。
サイトはそこで、オープン状態で本を広げているだけだし、日記は大声で意見を言い放っている状態です。
(しかも実際言い放っているのとは違い、ずっと残る)

遠く海外にいる人の意見も、ここに座ったままで聞くことができる、というのがwebのいい所だと私は思っています。
今までだったら、ここで呟いているだけの「私の意見」を、世界中に向けて発信できるところが、webのいいところだと思ってます。
パーソナルな場所じゃなく「外」
こう思っていた方が、気構えも出来るし、楽しく色々やれるんじゃないかなあ、と思うのですが、どうでしょうね。

END