妖の刀2

早朝の公園で、十数人の作業服を着た人々が簡単な舞台を設置している。
遠くから、それを眺めながら香澄が呟いた。

「こんなことでいいのかなあ」
「香澄には、何か納得できないことでもあるんですか?」
「コウは、いいと思ってるの?」
「今回の作戦に、何か問題があるなら早目に言ってください」
香澄は苛立ったように、寝ぐせのついた髪をかきむしった。
「作戦自体には問題はないと思うんだけどさ。警察官でもないのに、全部あのおじいさんが決めちゃうなんておかしいんじゃないかな」
「あの人は今でも、ここの警察署の顧問のようなものですから、問題ないと思いますよ」
「なんか納得いかないなあ」
「香澄、そんなことより、ちゃんと見ていてください」
「うん、わかってる。コウの晴れ舞台だもんな。あっ、ビデオカメラ持ってくればよかった」
いつも無表情な黒羽が、わずかに顔をしかめた。
「そういうことじゃなくて、怪しい人物がどこから現れるかを、ちゃんと見ていてください」
「ああ、うん、わかってるって」

犯人あるいは犯人グループが狙っているのが妖刀に限られているなら、そして先日盗んだ村正だけで満足していないとしたら。
所在を突き止めることが難しい妖刀が、簡単に手に入るチャンスを見逃すはずがない。
そう踏んで、計画したおとり作戦なのだった。

黒羽が袴に着替えて戻ってくる。
「コウ、和服も似合うね」
実際、黒羽高には何を着せても似合わないということはない。
正月に袴姿のコウに欲情して更衣室で事に及んでしまったときのことを思い出して、香澄の表情がにやけていた。
自分が振袖を着たことは香澄の記憶からは抹消されている。
仕事のあとの宴会で余興にやった、振袖姿のコウの帯をクルクル解いてア〜レ〜ってのもよかったなあ。
なんてことを考えている香澄の近くにいつのまにか老人が立っている。

「おふたりさん、おはよう」
「うっわ〜、びっくりした」
音もなく背後に忍び寄られた香澄はびっくりして飛び上がったが、黒羽は気づいていたようだ。
「おはようございます」
「準備は、できたかな」
老人も今日は和服姿で袴をはいている。
香澄だけが普段と変わらないスーツ姿のままだ。
ほかにも、数十人の警察官が一般市民のふりをして公園中に散らばっている。

舞台が作られて、観客になりすました警察官が待ち構えている。
大刀を手にした黒羽が、いっそうキリッとした表情になった。
「香澄、これを持っていてください」
「うん、わかった」
香澄は小刀を受け取るとそれを胸に抱えた。
予想していたよりもずしりと重い。
これが八犬伝に登場した妖刀なのかどうかはともかく、本物の日本刀なのは間違いなかった。
「コウ、気をつけて」
「ちゃんと見ていてください、香澄」
「大丈夫、オレもちゃんと見張ってるし、公園中警察官だらけだから心配ないよ」
「そうじゃなくて、僕のことを見ていてください」
「う、うん……」
コウってば、こんなときに色っぽい目つきすんなよ。
香澄がドキドキしている隣りで、老人も黒羽の妖艶なまなざしに心臓を射抜かれていた。

老人が朗々と詠ずる詩吟に合わせて、黒羽が剣舞を披露する。
「コウに、こんな特技があったなんて知らなかった」
オレってば、まだまだコウのことを何にも知らないんだよな。
それにしても、カッコイイ。
黒羽高は、オレのヒーローだもんな。
おっと、見惚れてる場合じゃなかった。不審なヤツがどこから現れるかわからないんだから、ちゃんと見張ってなくっちゃ。
小刀を胸に抱えた香澄は公園をぐるりと見渡した。
「今のところは、何にもないな」
このまま、無事に終わってしまっては困るのだった。
犯人をおびき寄せて捕まえるために、こんなことをしているんだから。
黒羽の勇姿を眺めながら、油断なく周囲に視線を配っている香澄は、やっぱりビデオカメラ持ってくればよかった、と思っていた。

そろそろ黒羽の華麗な剣舞も終わってしまう。
このまま、何事も起こらないのでは、この作戦は失敗だ。
黒羽の意外な特技も、さすがに一曲だけだった。

そういえば、この公園は、コウと初めてデートした思い出の場所だったんだよな。
あのときはさんざんな目に合って、二度と思い出したくないくらいだけど。
二人で食べた屋台のラーメンはうまかったなあ。
ラーメンのことなんか考えたら腹が減ってるのに気づいちゃったよ。

関係ないことを頭に思い浮かべながら公園内を見回していた香澄は、黒羽の背後の植え込みが不審に動くのに気づいた。
なにをするヒマもないくらいの速さで、一人の男が飛び出してくる。

「あっ、コウ、後ろ」
香澄が叫ぶのと同時に、黒羽は剣舞の続きのように華麗な動作で振り返った。
手には真剣が握られているが、いつものように銃を携帯してはいない。
ところが近づいてきた男が手にしている武器も日本刀だった。

抜き身の刀を青眼に構えた黒羽に対して、男は腰の刀を抜かずに無造作に近づいてくる。
「あやつ、できるな」
「えっ?」
香澄が振り向くと、さっきまで詩吟を詠っていた老人が鋭い目つきで男を睨んでいる。

普通に歩いているように見える男の速度は驚くほど速く、あっという間に黒羽との距離を縮めていた。
「まずい!」
「えっ?」
男は足を止めずに腰を低くして刀を抜いた。
抜きざまに真横に払った刀で黒羽の足を狙い、そのまま低い姿勢で横に移動した。
黒羽の袴がばっさり斬られている。
直前で男の動きに気づいた黒羽がとっさに身を引いたので、斬られたのが袴だけですんだのだ。
男は相変わらず低い姿勢のまま、今度は突きを狙っていた。

「このままだと、負ける」
「ええーっ!」
コウが負けるなんて、そんなことあるはずがない。
香澄は小刀を握りしめて唇を強く噛みしめた。
「あっ!」
黒羽の斬られた袴が足元に垂れ下がって、動きを鈍らせているのだ。
本当にこのままだとコウが斬られてしまう。
そう思ったとたんに、香澄は走り出していた。

男が手にした刀の先が、黒羽の下半身を突こうとしている。
なんとか体勢を立て直した黒羽が、大刀小篠でそれを受けようとしていた。

間に合ってくれ。
香澄は走りながら小刀の鞘を抜き捨て、両手で柄を握りしめて、男の背中に切りかかっていった。
子供のチャンバラごっこのようにメチャクチャなやり方だったが、香澄が持っているのはただの日本刀ではなかった。







「香澄、大丈夫か?」
それはオレがコウに言おうと思ってたセリフじゃんか。
初めて人を斬ったショックで香澄はボーッとしてしまっていた。

「白鳥くん、だめじゃないの。狙撃班の邪魔をしたのわかってる?」
「すみませんでしたぁ!」
「まったく、君は黒羽くんのことになると……」
「なんですか?」
「もう、いいわ、今日中に始末書を出しなさい」
香澄が去って行くと、桜庭は深い溜息を吐き出した。
桜庭は、香澄には殉職してもらいたくないと強く思っている。
香澄と組むようになって、ようやく戻ってきた黒羽の笑顔を再び消したくないのだった。

 

 

頭をかかえて始末書と格闘している香澄のそばに黒羽がやってくる。
「どうだ、書けたか?」
「ああ、もうっ、なんて書いたらいいんだか、さっぱりわからないよ」
「香澄は、始末書なんか書き慣れてるだろう」
「コウまで、嫌味かよ」
「嫌味?」
あっ、そうか。コウが嫌味なんか言うわけなかったんだ。
そのまんま、思ってることを言っただけなんだろうな。だけどそれが嫌味になってるんだってば。
香澄は正直すぎる恋人を少しだけ恨めしく思った。

「香澄、助けてくれて、ありがとう」
「なんで? オレなんかが出て行かなくたって、ちゃんと狙撃班が犯人を撃ってたよ」
むしろ、オレが出て行ったのがまずかったから、こうやって始末書を書かされてるんじゃないか。
「それでも、僕は、香澄が助けに来てくれたことがうれしかった」
「コウ……」
「早く、帰ろう」
「うん」
でも、その前に、始末書をなんとか書き上げないと。

黒羽と香澄は、独身寮の広い大浴場にふたりきりだった。

「逮捕した犯人は、ディープで浮浪者を斬り殺した男だったんだよね」
「本人は、ジャンクだと思って斬ったと言っている」
「公園の植え込みに隠れてた中年男のほうは、なにかしゃべったのかな?」
「組織の下っ端らしくて、重要な情報は初めから知らさせてなかったようだ」
「組織?」
香澄が始末書と格闘しているあいだに、黒羽は南署で犯人の取調べに立ち会っていた。

「不法サルベージで荒稼ぎしているグループのひとつが、あの男を雇ったことまではわかっている」
「勝手に使役品を掘り出して売り飛ばしてるようなやつらが、どうして日本刀を盗んだりするんだろう。売るためじゃなさそうだし」
「香澄が斬ったあの男は外から来たらしい。剣の腕前はたいしたものだが、アンダーのことについては、ほとんどなにも知らないに等しい。金で雇われたというのは嘘ではないようだ」
「うーん」
広々とした浴槽にふたりきりでいるのに、香澄の頭はまだ事件のことでいっぱいだった。

「この話は、単なる噂にすぎないから他言しないように言われたんだが……」
「コウ、なにか聞いてるの?」
「不法サルベージをしてる連中のあいだで噂されているらしいんだが、ある種の刃物でジャンクを切ると、使役品として使えるようになるとか」
「まさか、ジャンクを切るなんてできっこないよ。切る前に食われちゃうだろ」
「だから今まで、誰も試したことがなかったんだろうな」
くれぐれも他言しないように黒羽に念を押されてうなずいた香澄は、まだなにか釈然としない顔つきをしていた。
 
「うーん、なにかが引っかかるんだよなあ」
湯舟の中で、さかんに唸っている香澄の背後で黒羽が顔を赤らめた。
「香澄、ごめん」
「えっ、なにが?」
「いや、その、僕のものが、香澄の背中に……」
「コウ、したいの?」
「香澄が、いやじゃなければ」
「オレはいつでもオッケーだけど、部屋に戻ってからにしような」

独身寮の部屋では回りを気にしてしなくてはならないが、いつ誰が入ってくるかわからない大浴場よりは数倍マシだった。

「コウ、この傷、昼間斬られたのか?」
「そんなの、たいしたことない」
「ちゃんと消毒した?」
「もう、血も止まってるし、大丈夫だろう」
「動物は、こうやって、舐めて傷を治すんだよ」
「あ……」
黒羽の太腿に赤くて細い線が描かれたようにある。
すっかりかさぶたになって乾いている傷は、消毒する必要もなかった。
ましてや、舐める必要なんかどこにもないのだが……。

「あっ……香澄……」
「コウ……」
黒羽の白くて滑らかな肌は、舐めても触っても、肌と肌を擦り合わせても気持ちいい。
この感触を味わったことのある男が、自分以外に山ほどいることを思うと嫉妬にかられる香澄だったが、黒羽は相変わらずそんなことは全く気にせず、香澄の前で色っぽい姿を晒していた。
「香澄……いいっ……」
黒羽のモノに舌を這わせながら、香澄は考えていた。
これこそ、本物の妖刀だよな。
この艶、いい角度の反り……。んー、まさしく妖刀だ。すべての男がとりこになる。
だけど、オレのが大きいもんね。
「あぁ……香澄……もっと……」

待てよ、なんかへんだなあ。
昼間のことが妙に気にかかるんだよ。
「香澄、なにを考え込んでいるんだ?」
「あっ、ごめん」
一度にふたつのことをやるのが苦手な香澄は、考えているうちにすっかり口がお留守になっていたのだった。

「こんなときに、なんだけどさあ、どうしても昼間のことが気になってしかたないんだよ」
「なにが、そんなに気になるんだ?」
セックスを中断してまで、考えなくちゃならないことなのか?
香澄に黒羽の視線が冷たく突き刺さってくる。

「あの犯人を斬ったときのことだけど」
香澄が振り下ろした刀が、犯人の背中をバッサリと斬っていたのだ。
傷は浅くて致命傷になるようなものではなかったが、初めて日本刀を持ったシロウトがやったにしては鮮やか過ぎる刀傷だった。
「竹刀を振ったこともない人間があんなに見事に人を斬れるもんなのかなあ」
「だけど、香澄がやったことには間違いない」
「そうなんだけどさあ、なんかヘンなんだよね」
「変?」
「なんだか、刀が勝手にやったっていうか……。もちろん、コウを助けなくちゃと思って飛び出していったんだけどさ。そのときのオレは刀で斬ろうとは思ってなかったはずなんだよね」
「そうなのか?」
「うん、気がついたら、斬ったあとだった」

今度は黒羽のほうが真剣な表情になって考え込んでしまった。
「コウ、寒くない?」
「ウーン……」
「布団に入ったほうがいいよ」
「ウーン……」
冷えてきた黒羽の身体を自分の体温で温めながら、こんな話題を持ち出したことを香澄は後悔した。
なにも今言わなくてもよかったんだよな。
しちゃってから言えばよかった。
大事なことを考えないでいるようなところのある黒羽だが、いったん考え始めたらとことん突き詰める面もある。

「コウ、あのさあ……」
「香澄、わかったぞ!」
「えっ、なにが?」
「僕が剣舞に使ったのは大刀の小篠、香澄に預けておいたのは小刀の落ち葉。二本で一対の雪篠という名刀だ」
「それは知ってるけど」
「二本のうち、妖刀と言われていたのは、実は小刀の落ち葉のほうだという話を聞いたことがある」
「ええーっ!」
テレビ人形劇の里見八犬伝を毎週欠かさず観ていた香澄も、さすがにそんなことまでは知らなかった。

「落ち葉とは、まるで木から葉が落ちるように切れ味がいいから名付けられたとも言われている。そして、あの小刀は、歴史上で何人もの人の命を奪っているんだ」
「それって、まさに妖刀……」
刀の持つ妖しい力に操られたのかと思うと、今更ながら背筋にゾクッと寒気が走る香澄だった。
「これで、香澄の疑問は解けたわけだから」
「あ、うん……」
さあ、続きをやろう。と言われても、すぐにはそんな気になれそうもなかった。

「香澄……」
さっきの体勢に戻った黒羽が、妖しい目つきで香澄を誘う。
すぐに香澄の身体は、その気になった。
「あっ……香澄……かすみ……」
香澄が目の前の妖刀を口に含むと、黒羽は仰け反って身悶えた。

まるで木から葉が落ちるように切れ味がいい。
大きいほうじゃなくて、小刀のほうが本物の妖刀だった。
自分の意思ではなく、それに操られて斬ってしまった。
違う、これは刀の話だ。
オレは、妖刀に操られているわけじゃない。
自分の意思で、ここにきた。
コウに会うために、自分でこのアンダーに戻ってきたんだ。
コウを好きなのも、コウを抱きたいのも、全部自分の本当の気持ちなんだ。

「コウ、好きだよ」
「香澄、僕も、香澄が好きだ」
黒羽の中に身体を沈めながら、香澄は思った。
コウが妖刀でも、なんでも、オレはコウが好きなんだ。
この気持ちだけは、絶対に本物だ。

コウ、愛してるよ。
いつか必ず、コウがオレのことだけを考えるようにしてみせるからな。

「香澄……香澄……」
「コウ……」
白い肌に玉の汗をかいた黒羽が、香澄の身体の下で大きく仰け反る。
「香澄……ああーっ!」
黒羽の妖刀から溢れる雫で、自分の手を濡らした香澄もまた黒羽の奥深くに溢れるほどの精を放った。