そして、黒羽と香澄



「香澄」
黒羽は隣室のドアを睨んだまま突っ立っている白鳥に手を伸ばす。
「怒ってる?」
「え?」
白鳥が、素頓狂な声を出して振り返った。
「なんで? なんでオレが」
「だって…」
と言いかけて黒羽は詰る。
別にあの社長と何をしたわけでもない。抱えたり抱き上げたりはしたけど、手を握ってもいないし、もちろんエッチなことなんか、これっぱかりもしてない。(キスされたことはこの際すっかり頭から抜け落ちている黒羽である。もっともキスは白鳥もされていたから、お互い様といえなくもない)
なのに後ろめたいのは何故だろう。
あの人と秘密を共有したから。
今でも涼一を好きなんだろうと言われた。
否定出来なかった。
口では否定したけれど、ずっとそんなこと思いもしなかったけれど、否定出来なかった。
好きかどうかはわからない。
でも、囚われていることは確かだ。
忘れられない。ひとときも。
今でも自分の心の中で一番大きなウェイトを占めている。

冬馬、涼一。

ごめん。
香澄。
たぶん香澄だって、薄々気づいてる。
でも何も言わない。
言わないでくれる。
それがいいことなのか、黒羽にはわからなかった。
居心地が良かったのは確かだ。
だが、こうやって心の底の願望を他人に暴露あばかれてみて、ようやくわかることもあるのだ。
そう。
逃げていては何も解決しない。
ずっと、そのことから目を外らし続けてきた。
涼一を憎いと思い、捜し続けてきた7年間。
だが、捉まえてどうするのか、考えた事もなかった。
ただひたすら、探し続けることだけが目的のようになっていた。
本当は見つけだすのが怖かったのかもしれない。
考えることが怖かった。他人とかかわることも、避け続けてきた。
踏み込まれることが怖かったから。これ以上傷つくことも、誰かを傷つけることにも耐えられなかったから。


全ての変化は『外』からやって来た。
香澄と、あの人と。
止まっていた時間が軋みをあげて動き出す。
だがその問いを香澄に言われたのでなかったことは、実は黒羽にとって幸いだった。
もしそうだったら、恐慌パニックに陥っていたろう。
冬馬か自分かどちらかを選べと言われていたら。
それを言ったのは、香澄ではなかった。
香澄自身にしてみれば、その質問は怖くてとても口に出来無いものだった、というのが実情だったりしたのだが、そんな事訊かなくてもいつかきっと黒羽を自分だけのものにしてみせる、というのも彼の遠大な計画だった。
そのことは、黒羽に安心を与えた。
はっきり自覚出来てはいなかったけれど、社長の問いに応えられたのは香澄がいればこそだった。

冬馬涼一を狩り出せ
と、彼は言ったのだ。
打って出ろと。しかも猶予はない。
一人では、とても怖くて返答することは出来無かったろう。
言われなくても解っている。だが行動することは…。
冬馬を捉まえて、彼を前にして、僕はどうするというのか。
黒羽には、何もかもいまいちよくわかってはいなかったが、わからないまま心に拡がる不安を追い払おうとするように白鳥に縋り付いた。



「何、なに? どうしたのさ、コウ」
「しよう、香澄」
「えっっっ」
「あの人も言ってた。ここでしろって」
「だっ、だけどっ」
黒羽の唇が迫ってくる。
「仕事中…」
白鳥の抵抗なんか、キス一つで簡単に封じられる。
甘くて 熱いキス。
つい数時間前、死と絶望の淵にいたのだ。
このまま永久に会えないかもしれない。それが現実の恐怖だった時間。
思い出すと、身体が熱くなる。
奇跡のようにお互いの手に戻ってきた恋人。

香澄がいればいい。
香澄だけいればいい。

それは唯のすり替えでしかない。
でも、今の黒羽にとってそれが唯一確かなものだった。
会いたかった。
二度と会えないのかもしれないと思ったら。
その気持ちに虚言はない。
あそこで会いたかったのは香澄で、涼一じゃない。

互いの服を脱がせ合い、互いの身体を確かめ合う。
どこにも怪我はない。
恐ろしく幸運だったのだ。
変動に巻き込まれて戻って来られただけでも。
(そもそもそんなものに巻き込まれること自体、超が付くほどの不運ではあるのだが)


コウの白い肌。
あの社長も色白だったけど、コウの方がもっと白い。
背が高くて結構肩幅とかもあってそれなりに体重もあるんだけど、繊細な感じがするのはこの肌のせいだ。
太陽に当たったことのほとんど無い肌。
白い胸に小さなピンクの乳首。
しゃぶり付いて、吸い上げる。
「ん、ぁ」
コウは声もあの人より低い。
ついつい、比べてしまっている。
別にあの人がいいってわけじゃない。
コウ以外の男と寝るなんて、まっぴらゴメンだ。
けど、ああいう風に自分より華奢で軽そうな恋人だったらいいな、と、どうしても思ってしまうのだ。
白鳥はもともとゲイじゃない。
男の男らしさみたいなものに欲望を感じるなんてのは、はっきり言ってよくわからない。
でもコウはどっから見たって男だ。
その問題は考え出すと混乱するので、なるべく避けて通ることにしている。
結局のところ白鳥のコンプレックスは、自分より背の高い女を恋人にした男と大差ないのだが、相手が男だということが問題をややフクザツにしているのだった。

自分と同じコウの男の証を口に含む。
こんな事に欲情するなんて、思ってもみなかった。
ポスターをオカズにしていた時だって、ほとんど顔しか見てなかった。
身体なんか、ましてや男の部分なんか、想像外だった。
だけど、オレの口の中でコウのが固くなるのが、嬉しい。コウの身体が応えてくることに、煽られる。オレってすっかりホモかも。
それでもいい。
コウが好きだ。
コウの身体が好きだ。
男の身体は正直だから、一緒に感じ合えてることがわかるのもいい。
知ってしまったら、知らなかった頃には戻れない。
男同士だって、セックス出来ること。
身体も心も恋人になれるって事。
普通の夫婦と変わらないくらい、いや、それ以上に強く結び付き合えるって事。

あの二人、いいな。
ちょっぴり、そう思った。
オレたちよりずっと長い時間を共有してきた恋人同士。ああいう風になれたらいい。十年後も、二十年後も一緒にいたい。

黒羽のそれを含みながら、白鳥は考えていた。
どうしよう。
もちろんこんな場所でこんな時(一応勤務中だ)にこんな行為に及ぶとは考えてもいなかったから、そのための準備なんかしてきてない。
有り体に言えばジェルとかオイルとか持ってきてないのだ。
白鳥としては別に挿れることに拘らなくても、ただ二人で気持ちよくなれればそれで良かったりするのだが、どうも黒羽は納得しない。それも、特に挿れられるのが好き、というわけではなく、そうしないと白鳥がつまらないだろうと思っている節がある。
いくら口で言っても納得しないし。
やっちゃったほうが早いし楽なので、最近は説得しようというのは諦めた。
だけど。
うーーん。何か使えるものがないかな。
さりげなく辺りを見回した白鳥の目に、テーブルの上に載ったまぎれもないジェルの容器が飛び込んできた。

ナニナニ?
いつからあったのさ、これ。
なんでこんなとこに。
はっ、と思い当たる。
あの人たちだ。
どっちが置いていったのかは知らないけど、つーか、たぶん社長の方だと思うけど、用意のいいことで。
『ヤれっていったからには、このくらいは協力しなくちゃね』
声まで聞こえてきそうだ。ありがたくて涙が出ちゃうよ。
まあいいや。
使わせて頂きましょう。
きっと高級品だよ。


とろりと濃い液体を掌にとる。微かに良い香りがする。嗅いだことの無い香り。
自分のものにたっぷり塗りつけて、黒羽のそこにも滴らす。指で拡げて奥まで濡らして。
それだけでコウの口から甘い吐息が漏れる。
「コウ…」
ゆっくりと身体を進める。挿れては引き、また少し進む。
「香澄、もっと」
「だめ」
じれったがってコウが縋り付こうとするのを押しとどめて、ことさらにゆっくりそこを味わう。
入り口の、きつい部分。
気持ちいい。
すごくいい。このジェル。今まで使ったのと全然違う。
「あ、ぁ、香澄っ」
コウも感じてるみたいだ。いつもより熱い。
温感タイプとか、そういうのなのかな。
以前貰ったエッチな店のカタログが頭に浮かぶ。
「もっと、香澄、奥までッ」
承知いたしましたッ。
思い切り突き上げる。

「ああああっ」
うひゃ。
あの社長に負けてないよ。
さっきあれだけ聞こえたんだから、こっちのもまる聞こえのはずだ。
聞かれている、と思うと、なんかちょっと燃えるかも。
知らないヤツなら嫌だが、さっきは当てつけられたんだから、お返しだい。
あの社長や秘書がコウの声を聞いて興奮しちゃったりするかと思うと、気分いい。
「コウ、いい?」
「イイよ、香澄。すごくいい…。身体の奥が…ああ、ぁ」
たまんねー。このぬるぬる感。
コウの奥が締め付けてくるのがリアルにわかる。
入り口だけじゃなく、奥の方がうねるように動く。すごい。
「コウ、あっ」
あややや。
イッちゃったよ。キスしようと思ったのに。
と思ったらコウの方も身体を痙攣させるみたいに仰けぞらして達した。
うわあ。
オレ、コウのに触ってないのに。これって、トコロテンてやつ?
余計な知識だけはインプットされている白鳥だ。
達った後もコウの中がオレを締め付けてひくひくしてる。
オレの方も、思わず声が出ちゃうよ。
コウの背を、ぎゅうっと抱き締める。
密着したオレたちの腹の間で、コウのがまた堅くなるのがわかる。もちろんオレのも。
オレは小刻みに腰を動かして、コウの中を抉る。
コウの喘ぎがまた一段と高くなる。
どうしよう。
なんか、めちゃめちゃイイ。

 

 

「あいつ、昔のおまえに似てるな」
隣の音に聞き耳を立てながら、葵が言う。
「オレはもう少し余裕があったぞ」
「嘘吐け。でも、俺ああいうの好きだったな。ひたむきに愛されてるって感じがさ」
「今でも十分ひたむきに愛しちゃってるじゃないか」
柳の手が葵の背を這い回る。
「ふふ」
「もう絶対一人でどっか行くな」
抱き締めて、身体の熱さを確かめる。
「別に行きたくていったわけじゃない」
「あんなとこへ行こうなんて言うからだ。二度とごめんだからな。寿命が縮む」
「でも面白かったぜ。あの子、黒羽高。すごかったぞ、お前にも見せたい。かっこよかった」
「オレは心配で死にそーだったてのに、お気楽なヤツだ」
「それなりの成果はあったじゃないか」
「何がだ。オレに判るように説明しろよ」
キスを繰り返しながら、あまり色っぽくない話をする二人だ。

「あの子に冬馬涼一を狩ってもらう」
「…冬馬涼一。あの変な男か。気味悪いヤツだったよな。しかもあの冬馬グループの御曹司ときた」
「あいつは危険だ」
柳が黙る。
冬馬涼一。あの男は人殺しだ。そして、化け物だ。それは最悪の組み合わせだ。ホラー映画の世界じゃないか。
できれば関わり合いになりたくない。そんな奴のいる世界には行きたくない。
葵があいつにあまり関心を示さなかったのは幸いだと思っていた。だが、実際はそうじゃなかったのか。
「あいつを始末するのは、並大抵の事じゃないだろう」
障害は排除する。葵がそうと決めたなら、それは必ず実行される。そして相手が善良な市民でないなら、合法的な手段は必要ない。
だが。
「確かにあの子の言う通りだ。俺には冬馬涼一は排除できない。このままではね。勝算のない戦いはしたくない。だからあいつに対抗できるだけのコマが欲しかった」
「それが、あの子だと?」
「あの二人、だよ」
葵は笑う。満足げな微笑み。雀を捉まえた猫みたいだ。
「二人で一人前だ」
「そうだな。一人はあまりに危険だ。もう一人は、はっきり言ってまだ半人前だ」
「一人前、はちょっと違うかな。二人で三人前くらいかも」
「もっとだろ」
そう言って柳はまた黙った。

あからさまな喘ぎ声が聞こえてくる。
「お盛んなことで。しかしあの子がちゃんと押さえといてくれないと、やばいぜ。
あの黒羽高って男は、…一種の化け物だ」
高度に訓練された、最高の人殺し機械マシーン
あいつはいつでも機会さえあれば、そうなれる素質がある。その時ヤツの殺意がどちらを向いているかと言うことは、正直考えたくない。
「扱いを間違えると、大変じゃすまないぜ」
「大丈夫。俺の目に狂いはないよ。あのボクちゃんは結構いけてるって。それに」
葵は小さな受像機のスイッチを入れる。
「何やってんだよ、やめとけ。ここでそれを使うのは」
「ちょっとだけ。ほら、よく見える」
そこに映し出されたのは、まぎれもなく隣の部屋。只今コトの真っ最中の二人だ。
「ふふ、ほらほら。この子結構、アレ巨きいだろ」
「馬鹿」
呆れて開いた口がふさがらない。
エッチなオヤジだぜ、それじゃ。
「覗きはやめろ、エロオヤジ」
受像機を取上げる。
「誰がオヤジだ。おまえだって興奮してるくせに」
葵が指先で柳のそこをつつく。
「う」
実はわずかに見えた黒羽の身体に、くらっときたりした柳だった。
ベッドの中じゃ、おっそろしく色っぽいな。
別の意味でも危ない危ない。
だけど仕方ないだろ。エッチなシーンを見れば勃つ。それが男ってもんだ。
「しよーぜ。俺達も」
葵はそれを見透かしたように言う。
「おまえ、熱あるんだぞ」
「熱くて、いいぜ」
「馬鹿」
「社長に向かってバカバカ言うな」
言いながら柳を引き寄せ、熱い唇を重ねる。
「本当にあそこから還ってこられたんだって、確かめたい」 
「葵…」
「おまえの身体で、俺に教えて」
 


結局、何回イッたんだか覚えてない。
あのジェル、絶対ヤバイもんが入ってたと思う。
でも、すごくよかったけど…
バスタブの中にぐったり身体を沈めている黒羽の背を優しく流しながら、白鳥は思う。
コウも良かったみたいだ。
こんなに達ったの初めてだもんな。
だけど勤務中にこんなコトしてていいんだろうか。
今更ながら、心の底で心配する。
そう思う一方で、これはきっと必然だったんだとも思う。
あの人のお膳立てだけど、あの人にもそうする理由があったわけで、これはギブアンドテイク(ちょっと違う)だよな。
オレたちは乗るしかなかったんだ。
先のことを考えると、不安を隠しきれない。
だからせめて今だけでも。
いや、そうじゃない。

二人でいることが、不安をはらってくれる。
二人でいれば、毅くなれる。

何度も言われたじゃないか。
オレが、コウを護るんだ。
そうしろって、あの人たちは言ってくれた。
思えばそう言われたのは二度目だ。
まだ来たばかりの時桜庭さんに言われた。
コウの身体も心も引き受けろって。
これが、そういうことだ。
白鳥の心の中で、何かが少しだけ変わる。
一つステップを上がった。
なんだかそんな気がするのだった。

 

 

会議が終わって砂城を引き上げる社長たちを、スカイまで送る。
別れ際、社長はまた白鳥を抱き寄せて唇に軽くキスした。
「こら」
柳は葵の手を引き、黒羽は白鳥の腕を掴んだ。
「まったくもー、おまえってやつは」
ぶつくさ言う秘書に引きずられて、手を振りながら疫病神は帰っていった。
「すごい人だったなー。いろんな意味で」
「何これ」
黒羽が白鳥のポケットに手を入れる。
「げっ」
それは、白日の下に晒すのはいささかためらわれる例のジェル。さっき抱き寄せられた時に突っ込まれたに違いない。
慌ててポケットに戻す。
どうしよう。
困って黒羽を見るが、知らん顔だ。
何も見なかった、と態度が言っている。 
どうしたらいいんだろうか。
っていったって、もう返すわけにも行かないし。
黙って貰っておけばいいのかな。

でも。

これって、贈収賄になるんだろうか。
澄ました顔の黒羽の横で、しょーもないことに頭を悩ませる白鳥だった。

end