薬のケースを差し出しながら黒羽は思う。
最初から、そう思っていた。
どこが似ていて、どこが違うのだろう。
華奢で女性っぽい容姿は、全然似ていない。
涼一は、もっと男らしかった。背も高かったし、声もずっと低かった。
それに、記憶の中にある涼一は、もっと若かった。…おそらくは今も。
「塗ってくれないか」
どす黒い記憶の淵を覗き込みそうになっていた黒羽を、葵の言葉が引き戻した。
薬を受け取ろうとはせずに、脚を黒羽の前に晒している。
「自分でやると、どうも上手く塗れないんだよな」
ぶつぶつ言いながら脚を捻っている姿を見たら、気が抜けた。
「どの位塗れば良いんですか」
「ただの消炎剤だから。適当で良いよ。あんまり多いとべたつくけど」
剥き出しの葵の脚を取る。
ほっそりしているが、骨張ってはいない。あまり筋肉のつかない性質たちなのだろう。体毛も、男にしては薄い。
上半身は、Yシャツを着たまま。上質の、柔らかそうなのに張りのある素材だ。薄いラベンダーのピンストライプが、よく似合っている。
緩められたネクタイが下がっている。
こうしてみると、さほど女っぽいという印象はない。ソファに着いた手の細く長い指も、そこから繋がる腕のライン、しっかりした肩まで、ちゃんと男の身体だった。
黒羽は、上がりかけた鼓動を無視して、わずかに腫れて見える傷跡に薬を塗る。

触ると痛むのか、葵は顔を顰めた。
「ジャンクにやられた傷は、治りにくいんだってね」
「そういう話も聞きます」
「傷の奥にね、ジャンクの欠片が残ってるんだ。あの時君が吹っ飛ばしたジャンクの」
黒羽は顔を上げる。葵の表情は、測りがたい。もっとも黒羽は人の感情をおしはかること全般が苦手だ。
「怪我した時、そう言われた。ごく小さい欠片だから、放って置いても大丈夫だろうって。今はね、ほとんど無い」
どういう意味だろうか。
「子供の頃」
いきなり話が飛ぶ。黒羽には付いていけない。
「海で水母に刺されたことがある。水母って、知ってるか?」
答えが欲しかったわけではないらしい。黒羽の返答を待たずに、葵は続けた。
「赤いみみず腫れが出来て、半年以上ちくちく痛んだ。刺胞細胞っていう棘みたいなものが、皮膚の中に残るんだ。でも、いつのまにか無くなってた。それと同じようなものらしい。身体に分解吸収されるんだ」
そうなのか。
ジャンクに喰いつかれて生き延びた者はほとんどいない。
彼は幸運だったのだ。
大抵ジャンクは脚や触手のようなもので攻撃してくる。大型のジャンクならば喰いつかれた瞬間に身体が半分無くなっている。
あのジャンクはごく小型のものだった。
だから蹴飛ばした時に折れた歯(歯なのか?)が脚の中に残ったのだろう。
脚を食いちぎられもせずにいることは、奇跡に近かった。
ここに。
ジャンクの欠片が。
傷をさする掌から、熱が伝わってくるような気がする。脈動する交感シンパシー
それに呼応して、黒羽の中で湧きあがってくるものがある。
その意外な衝動に黒羽は驚いた。
男にとっては馴染み深い感覚。

僕はこの人に欲情しているのか?


ふと顔を上げると、葵の視線とぶつかった。
じっと黒羽を見詰めている。
見抜かれたろうか。
この、押さえようもなく身体の中心を支配する欲望を。
笑われるか。
あざけられるか。
厭だ、嫌いだと言いながらその相手に欲情している僕を。
黒羽は動けなくなった。
だが葵は笑うこともなく、黒羽を見詰めたままゆっくりと顔を寄せてきた。
軽く触れ合う唇。
脚と同じように、熱い。
小さく舌を出して、ちろちろと黒羽の唇を舐める。
ぞくぞくする。
いつのまにか、葵の手が黒羽の脚を捉えている。
その中心へむかって、静かに指をすべらせる。
欲情の証に触れられて、黒羽はまた身体を強張らせた。
その身体を、素早く葵の腕が抱き締める。逃がさないというように。思いがけず、力強い腕。
そのまま深く、唇を合わせてきた。
葵の欲情が、脚に触れる。
ようやく、黒羽の身体から力が抜けた。
ゆっくりと腕が上がって葵の背を抱く。

『別に不自然じゃない。僕はゲイで、この人もゲイだ。一つ部屋にずっといたら、こんなことになることもある…。男と女だったら、よくある話じゃないか』

らしからぬ理屈を付けて、黒羽は言い訳を考える。
誰に対する言い訳かは、とりあえず置いておくとしてだ。


 葵の方はすっかりその気だ。
こんな若くて可愛い子とやったことなんかない。
ラッキー♪ くらいのものである。
顔だけ見てれば、女に見えないこともない。
俺より背が高いとしても、俺より肩幅が広いとしても、まあ、顔だけなら女の子にも見える。
それは葵のこだわりだ。
黒羽はすっかり勘違いしていたが、葵はもともとゲイではない。
男の恋人がいてそれは、説得力のないことだったが、実際のところ葵は男を抱きたいと思ったことは一度もなかった。
どうしてもタチをやらなければならない時は、目を瞑って『これは女だ』と心に言い聞かせる。そうでないと、役に立たなかったのだ。
だから、やや自嘲気味に葵は自分はゲイではないと思っていた。
売春は、別にゲイでなくたって出来る。
それだけのことだ。
その上葵はずっと女性を警戒していた。
へたに付き合って結婚しろなどと言われたら困る。
子供でも出来たら、なお困る。
もともと危ない橋は叩きもしないタイプの性格だったのだ。
高校時代の痛恨の失敗が、そんな性格にヒビを入れた。その瑕を、葵はずっと引きずっている。どうにも彼の行動がちぐはぐなのはそのせいだったのだが、そんなことはもちろん黒羽にはわからない。
しかも葵の高校時代といったら四半世紀も前のことだ。
そんな大昔のことなんか、黒羽のタイムスケールにはない。
単純に、男の恋人がいるのだからゲイなのだろうと思っただけだ。
相手がゲイで、こうしてアプローチをかけてくるとすれば話は簡単だ。
こちらがその気になるかならないか。
黒羽から見れば、社長は大人の男だった。

逆に葵から見れば、黒羽はなりは大きくても中味は世間知らずの子供だ。
本物のガキンチョである相棒の方がまだしも世間ズレしている。
結局、精神年齢というやつは実年齢にも経験にも比例するものじゃないんだなあ、と思う。
自分だって。
もういい年なのに、ちゃんとした大人になれたか、というとどうも怪しい。
ただ昔と違って人を頼ることが出来るようになった。
どうせ人は一人では生きられない。
だったら、自分の足りない部分は誰かに補って貰えばいいじゃないか。
そう思えるようになっただけは、大人になれたのだと思う。
君は、まだまだだよね。
君にそれを教えてくれる人間はもう君の側にいるから、俺はそれについては心配してない。
そうだな。
俺はちょっとだけ、君を娯しませてあげられると思う。
君は楽しいセックスって、したこと無いだろ。
君が冬馬涼一にされてたことを、俺は知ってる。
あの男はサイテーのサディストで嘘つきだ。
俺の最初の男もサドだったけど、少なくとも嘘つきでも犯罪者でもなかった。
俺は君よりは運がよかったってわけだ。
まあ、もし俺が君の立場だったとしても、冬馬涼一といい仲にはならなかったろう。あの男と俺は似すぎている。

葵はキスしたまま黒羽の股間をまさぐった。
しっかり勃ち上がった男の証。
器用にベルトを緩め、下着の中に手を滑り込ませる。
びくん、と反応する身体を片腕で抱き締めて、動きを封じる。
抵抗する気はないのだから、無意識に逃げようとするのをかわしていくだけで良い。

 これでも男の端くれだ。いくら自分より体格の良い相手とはいえ、本気で抵抗する気のないものを押さえ込むくらいはなんでもない。
そんな行為も実は初めてで、葵は興奮する。
いつも求められるばかりで、追う立場になったことなんか無い。
そういう欲求は、仕事の上でしか満たされない。
だから葵は仕事に対して貪慾だった。必要だと思ったものを手に入れる時は、容赦無しだ。そして葵が狙って、彼の手に入らなかったものはない。そういうことにかけて、葵は抜群に優秀だった。その意志の強さも。
今日は珍しくも、その能力がセックスに向けて全開されているのだった。
ここへ来た当初は別にそれが目的というわけではなかったから、これは多分になり行きだった。けれど、始めてしまったら失敗は出来ない。
それにこの子とよりお近づきになるのは、悪いことじゃない。
俺があの男に対して絶対の優位に立っているのは、この一点だけなんだから。
そして、それだけで十二分だ。
この子たちを押さえてさえおけば、俺の勝ちは間違いない。

ああ。なんていい気分。
あの男の悔しがる顔が目に浮かぶ。
今、この子を腕に抱いてるのは、俺なんだぜ。
おまえがまだこの子に未練があることだって、俺はわかってる。この子を手にしていたことがあるなら、そう簡単に諦めたり出来ないだろうさ。
こんなに綺麗で魅力的で、腕が立って、おまけに深情けだ。
まあその深情けの部分を引き受ける気はさらさら無いけどな。
だから気楽だ。
優しく黒羽のそれを掌で包む。
気持ちよくしてやるから。俺に任せて。
静かに愛撫を加えながら、もう一度唇を貪る。
良いなあ。綺麗な子って。ホントに女を抱いてるみたいな気になる。
俺がタチってわけだ。

愛撫の手を休めないまま、服を脱がせる。
だてに長年ウリセンをやってきたわけじゃない。そういうテクニックは、ばっちりだ。
サービスされるのが好きな客っていうのも結構いる。
それに男を抱くことに慣れていない客が相手の場合は、常に葵がリードを取る。それと気づかせぬ位さりげなくだ。男のプライドを擽りながら自分のペースでコトを進める。
それに比べれば今のこの状況はずっと簡単だ。
この子はリードされることに慣れている。そういうセックスが、ホントは好きだろ。
でも、それは意外になかなか手に入らない。
俺だって。
柳がそうなってくれるまで、ずいぶん時間がかかった。
たまにバイの客で上手い奴に当たると、嬉しかった。ネコの時はリードされる方が自分の快感に素直になれる。
それにしたって、俺の客は身元も人格もしっかりした男だけだ。
(セックスの趣味までは、実際やってみるまで解らないけどな)
一見いちげんの客は絶対取らないし、紹介があって、その後きっちり調査して、合格でなきゃ相手にはしない。
俺は危ない橋を渡れるほど気楽な立場じゃなかったからだ。
だけど君はもっと自暴自棄なセックスをしてたろ。
ゲイの男相手の、行きずりのセックス。
自分の身体も心も、痛めつけるようなセックス。
そんなんじゃあ、とても心から娯しむことなんかできはしない。
そして、あの恋人はまだまだ発展途上だ。



 すっかり素裸に剥いて、ソファに押し倒す。
唇、耳、首筋、とキスを繰り返して、薄赤い乳首を舐める。
『唇と同じ色だ』
血の気がないように見えるくらい白い肌に咲いた、小さな花めいたポイント。
『これがほんとの白雪姫、だな』
雪の肌。黒曜石の髪。血の唇。
「んっ、ふ」
微かに身を捩るのを押さえつけて、ゆっくりと舌をすべらせていく。
勃ち上がって震えているモノの、根本にそっと口づける。
「あっ」
びくん、と黒羽の身体が跳ね上がった。
感じやすいね。
舌の先で擽るように愛撫を繰り返す。
葵の目の前で、ぐんと質量を増すそれ。大きさは並みだけど、奇麗な形だ。
これにだって、個性がある。嫌というほどたくさんのそれを見てきた葵には、形の良し悪しも一家言あるのだ。←馬鹿(笑)
それ自体にはなかなか触れずに、周辺に愛撫を与え続ける。
もちろん後も触ってやらない。
もどかしい快感に、黒羽が耐えきれなくなるまで。
目の前で震えるモノから、透明な雫が流れ出す。
葵は微笑んでようやくそれを舐め取った。
「あ、ああっ」
「気持ちいい? もっと舐めて欲しい?」
そっとそこを握り込んで、耳元に囁く。
「言って」
「舐めて…欲しい」
「ふふ。いい子だ」
ゆっくりと口に含む。ずっと奥まで。
いろいろな男たちから、『上手い』『最高だ』と言われ続けたやり方で、黒羽のモノを味わう。
それは、あっ気なくはじけて葵の中に果てた。
『うーん。やっぱり若いなあ』
心の中でクスクス笑う。
オヤジばっかり相手にしているから、新鮮だ。
昔の柳みたいだ、と思う。あいつも最初の頃はよくあっという間に達ってたよな。
果てた後も力を失わないそれを咥えたまま、葵は傍らに放り出されている消炎剤のチューブを手に取る。
『あんまり使うと感度が悪くなるかな』
少しだけ指先にとって、黒羽の後に押し当てる。
小さく指を動かしながら、第一関節の辺りまで埋め込む。
「んっ、ぁあ」
艶っぽい声だなあ。
指に吸い付くようなそこの感触を楽しみながら、また堅くなってくるモノを舌で愛撫する。


 黒羽は初めて味わうその感覚に振り回されている。
多分この人はすごく上手いんだと思う。
それに、こんなふうに扱われたことは今までなかった。まるで壊れ物みたいに、優しく、そうっと。気持ちいいところだけを触れてくる。
自分は、荒っぽいセックスが好きなんだと思っていた。激しく責められるのが悦い。
ずっとそう思っていた。
だから相手になった男たちにもそういうのを求めたし、香澄に対してもそう接してきた。
だけど、この気持ちよさはなんだろう。
まだ指しか入っていないのに、ものすごく興奮する。身体全部を支配されているみたいに感じる。融けていきそうだ。
あんな細い指だけで、こんなに乱れることが出来るなんて。
ゆっくり内部を探りながら入り込んでくる指の感触。
唇と舌で、痛いほど勃ち上がったものに与えられる愛撫。
その指が探り当てた箇所をいきなり強く抉った。
「ああぁっ」
跳ね上がる身体と同時に飛び散った飛沫が、葵の顔を濡らした。

「おやおや」
笑いを含んだ声が降ってくる。
息を弾ませながら目を開くと、黒羽の放ったものに汚れた社長の顔が目の前にあった。
彼は片方の手で相変わらず黒羽の内部を擽りながら、自由になる方の手で顔に付いたそれをすくい取った。
そのまま指を舐める。
「ふふ。ちょっとだけ、甘い」
一方的に翻弄されて、あっという間に二回もイカされてしまった。←しかも顔射(笑)
みっともない、恥ずかしい、という気持ちが、ちらりと心の底をよぎったけれど、社長の顔を見ていたらどうでもいいような気がしてきた。
「気持ちいい?」
「いい… あぁ」
「良い声だね。もっと啼いて」


こんなセックスもあったのか。
黒羽は霞む頭で考える。
こんなの、初めてだ。←そりゃ百合だからね(笑)
ただひたすら、気持ちいい。
そして気持ちいいセックスをすることに、罪悪感がない。
それは、ちょっとだけ香澄に悪いような気もするけれど、でも香澄と僕はべつに結婚しているわけでもないし、そういう約束をしたわけでもない。そんなふうに一人の人間に依存してしまうのは、嫌だ。
たとえ相手が香澄でも、それは怖い。
だから他の男とセックスしたって、心さえ惹かれなければいい。
僕は男で男はセックスが好きなものなんだから、仕方ない。したい時にはしたいんだ。ここには香澄はいないし。
ただのセックス。
身体だけの楽しみだ。
そんなふうに自分を納得させる。
この男に何かを期待することなんか無いから、気楽だ。
だから気持ちいいんだ。
それだけのことだ。

黒羽の単純な言い訳とは裏腹に、実はその本心はもう少しフクザツだ。
黒羽はずっと、セックスすること自体に対して屈折した嫌悪感を持っていた。
それは、『自分はゲイだ』というあまり嬉しくない認識から始まって、冬馬涼一との痛い恋愛。
『好きだと思っていたのは、僕だけだった。僕には人に好かれる価値はない』
悪夢のような終局を迎えた初めての恋は、黒羽のセックスにも当然のごとく影を落としていた。
しかも、その冬馬涼一は黒羽をいたぶって遊ぶ猫のようなセックスを好んだ。
心の底ではそれを嫌悪しながら拒否することが出来なかったことで、黒羽は二重に傷付いた。
自分を痛めつけ、貶めるようなセックスしか出来なくなった。

そんな事情も、葵にはよくわかる。
似たような体験をしてきたから、心情的にも理解出来る。
君の内部のその空白を埋めてやれるのはあの可愛い恋人だけだろう。
でも、俺にも出来ることがあるよ。
君の傷を舐めてやることだ。
傷の痛みが少しは和らぐ。
セックスは気持ちよくて楽しいものだと、教えてあげるよ。
男同士のセックスは、なにも生まない。ただ、快楽を共有するだけの行為だ。
それだけだからこそ、いいんだよ。

葵の気持ちは、黒羽にも伝わる。
意識されなくても、身体で理解出来るのだ。

もどかしいくらい優しい行為。
なのに、信じられないくらい気持ちいい。
指の細い繊細な手が、身体を這い回り乳首をつまみ上げる。二度目を達った後もすぐまた勢いを取り戻したそれにしなやかに絡みつき、黒羽自身も知らなかったいいところを探り当てる。
その間も身体に潜り込んだ方の指は緩やかに動き続けて、また黒羽を追い上げていく。
それでもさすがに二度達った後だ。
気づいてみれば、ただ一方的に愛撫されているだけだ。
黒羽はようやく腕を上げて葵の身体を抱き寄せた。
身体を起こして、唇を合わせる。
貪るような口付け。
この気持ちはなんだろう。
『好きだ』とは思わない。
涼一に対して抱いていた気持ちとも、香澄に対して持っている感情とも、全然違う。
つい二日前まで、好意すら抱いていなかった相手だ。
さすがに今は『嫌なヤツだ』とは思っていない。思っていたら、セックスなんかしない。
だけど、自分がただの好意以上のものをこの男に対して抱いているとも思えない。
それだけでもセックスする事くらい出来る。
けれどこれは、『行きずりの男としたセックス』とは天と地ほどもかけ離れている。
気持ちが伴わなくても、身体は快感を得る事が出来るのだと、黒羽は初めて知った。
『とりあえずの満足』と、『快感』とはまったく別のものである事も。
むしろ今回は身体に心が付いてくる、という状態だった。
黒羽の身体を慈しみ、これだけの快楽を与えてくれた相手に対して、好意以上のものが芽生えたのだ。
黒羽は今まで、他人にこんなに優しく扱ってもらった事がなかった。
たかがセックスとはいえ、優しくするためには黒羽に対して優位に立つ事が必要だった。
そして不幸にして、今まで黒羽に対して絶対の優位に立てた男は冬馬涼一しかいなかった。 
またそれは、彼の相手が常に男だったから起きた事でもあった。女を相手にしていたら、おそらく別の展開があったのだろう。
けれど黒羽は男が好きだというよりも、女性に性的興味を抱けないタイプだった。
女性は好きだ。
でもセックスの対象としては欲情しない。
葵とのセックスは、黒羽が初めて経験する女とのセックスに近かった。
優しげで華奢な容姿。
その外見を裏切らない繊細な愛撫。
包容力があり、経験豊富でセックスの上手い年上の女性。
黒羽は葵に口付けながら、女を抱いているような気がした。


 口付けをずらしていって、今度は葵のモノを黒羽が口に含む。
黒羽の口内でそれが一段と体積を増す。
「あぁ」
秘やかな吐息が、葵の口から洩れる。
これを悦んでもらえていると思うと、嬉しかった。
嬉しいと思うと、より愛撫に熱が入った。
幾らも経たないうちに、葵のそれが黒羽の口内に濫れてきた。
「…上手いなあ、君は…」
わずかに息を弾ませて、葵が顔を寄せてきた。
ゆっくりと、キスを交わす。
「すごく良かったよ」
にっこり笑った顔が綺麗だ。上気した頬、わずかに浮いた汗が光る。
確かに男の身体だ。目の前には黒羽の欲情をそそる男の証。
なのに、どうして女みたいだと思うんだろう。

黒羽にとってこのセックスは、初めての体験だった。
満ちたりた気持ち、とでもいうのだろうか。
互いに満足を与えあって、そのことに満たされる。
黒羽は今まで、『欲しい』と思うセックスしかした事がなかった。
彼は男なのだし、まだ若かったし、それは当然の事でもあったのだが、『行きずりの男たち』はともかくも、現在恋人である香澄とも、かつて恋人だった――だと思っていた――涼一とも、そういうセックスしかしたことがなかったのだ。

涼一が欲しかった。彼の心が見えなければ、尚更に。
香澄が欲しかったから、彼と寝た。

香澄とのセックスは、互いに求め合う行為だ。香澄は自分を欲してくれる。同じ男であるが故に、その欲望はわかりやすい。
けれど、この人はそうじゃない。
この人は僕を欲しがってはいない。
それは不思議な感触だった。
でも、心地良い。
これは、香澄とする行為とは全然別物だ。
そう思う気持ちが、疚しさを押し隠した。



「さて」
葵はぼんやりと自分の顔を見詰めている黒羽の身体を放した。
穏やかな表情をしていると、優しくて人が良くておとなしい子に見える。多分、それがこの子の本当の姿だ。とろいくらいにのんびりした性格――だったのだろう。本来は。
無愛想でクールな外見は、この子にとって不幸だった過去が作り上げた鎧だ。
けれど、それもまたまぎれもなく彼の一部であり、彼の魅力の一つだった。

葵は思い出す。
あの穴蔵の底で見た黒羽の姿を。
あの時、銃を構えて立った彼が、どんなに言いようもなく魅惑的だったことか。
地の底で、たった一つ輝く、星のようだった。

もう一度、あの光を見たいと思う。
けれど多分もう、見る機会はないだろう。
いや。
あったら困る。
俺はそうそう危険に身をさらせるほどお気楽な立場じゃないし、そんな場所に居合わせるわけにはいかない。
ちょっとばかり残念だけど、それは今日のこの顔を見た事で埋め合わせよう。
こっちの顔なら、もうしばらくは楽しめそうだ。
冬馬涼一の件が片付いて、あのドリーマーくんが名実ともに君のパートナーになるまでは。

そう。
もちろん葵はこの一回限りで黒羽を手放す気なんか無かった。
せっかく手に入れたんだ。
俺だって少しは娯しませてもらわなくちゃ。
なんたって、俺がタチだし。←こだわる(笑)
今日はこのくらいで切り上げるけど、この次は…などと不埒な計画を立てている。
企画計画段取りは、葵の仕事だ。
そしてこの狼に狙われたら、世間知らずの赤ずきんちゃんは抵抗のしようもない。
葵は心の中で忍び笑う。
白雪姫だと思ってたけど、中味は赤ずきんちゃんかな。
だけど俺は冬馬涼一よりはもう少し利口な狼だから、赤ずきんちゃんを全部喰っちゃうような事はしないよ。
ほんのちょっぴり摘まみ食いさせてもらうだけだ。
ドリーマーな猟師に腹を割かれて石を詰め込まれるなんて、まっぴらだからな。

きっと冬馬涼一は、君が怖かったんだ。君に囚われる事が。
バカだよね。
人は一人では生きられない。
他人に頼る事、他人を必要とする事は、恥ずかしい事でも弱い事でもない。
俺は俺自身が生き延びるために君を必要としている。
俺だけじゃない。
この街に住む人々も、君を必要としている。
そこにあるのは、信頼だ。君と、君の仕事に対する信頼。
冬馬涼一が決して手に入れる事が出来なかったもの。支配する事や所有する事では、得る事の出来ないもの。分かち合う事でしか得られないもの。
だからこれは、信頼の証だ。
葵はもう一度黒羽にキスする。優しく、そうっと。
俺は、他の誰かよりも、ほんの少しだけ余分に君を必要としている。君を信頼している。
これは、そういうキスだ。


 長いキスが終わると、葵は立ち上がって寝室の方へ歩き出した。
「君はそっちのバスルームを使ってくれ」
そのままドアの向こうに消える。
黒羽はまだしばらくぼうっとその後ろ姿を見詰めていた。
結局、出し合っただけで終わりだった。
もちろんすごく良かったし、男同士なんだからそれで満足でもあったけれど、なんだかほんの少しあの人に借りが出来たような気が黒羽はしていた。
いわれのない感情だとはわかるのだが、どうにも割り切れない。
黒羽は、これまたあまり自覚はなかったが、何事にも融通の利かない律儀な性格だったのだ。
ようやく立ち上がってシャワーを使う。
熱い湯に打たれているうちに、どうやらペースが取り戻せてきた。
いつのまにかあの人の雰囲気に呑まれていたのだ。
しゃんとしろ。
自分に活を入れる。
仕事中じゃないか。
あれは少なくとも仕事のうちに入っていない。
『それとも入っていたのか?』
そこはかとない疑問がよぎる。
VIPに対してそういう類いの接待が用意される事は、珍しいことじゃない。(のだと思う。実際にはそんなケースに接する事はあまり、というか全く無かったのだから、想像に過ぎないのだが)
もしかして自分はそういう意図もあってここに配属されたのかもしれない。あの社長がゲイだという事は公然の秘密なのだ。
けれどそう思っても不思議と不愉快ではなかった。
どちらにせよ、この行為は合意の上だったのだし、自分だって娯しんだ。
それはそれでいい。
後は残りの期間きっちり任務をこなすだけだ。

黒羽はその結論に満足した。

 

 

「おまえな」
葵の投げ捨てた上衣を拾い上げてハンガーに掛けながら、柳はため息半分に話しかける。
「火遊びもいい加減にしておけよ」
「遊びじゃないさ」
「本気だとでもいうのかよ」
まさかとは思いながらも、柳としては聞き捨てならない言葉だ。
「なわけないだろう。あんなおっかない子を本気で相手に出来るもんか」
ちっとも怖がっているようには見えないが。
「いいんだよ。本気は一人だけでたくさん。俺も、あの子もね」
言いながら柳の首に腕を回してくる。
「しようぜ。おまえが欲しい。三日も離れてたら身体が疼いちゃってさあ」
擦りつけられる股間に、欲望の徴しが堅く触れる。
重ねられる唇の熱さだけが、真実だ。
柳はもう一つ吐きたいため息を呑み込んで、葵のキスに応えた。

 

 「ちぇーーーっっ」
黒羽の恋人の方は大むくれだ。
別々に行動していた間の彼の任務は、会議場から一キロも離れた地点の交通整理だったというのだから、互いに顔も見かけなかったのも無理はない。
「サイテーだぜ」
その上、黒羽は黙っているけれどあの社長となにやらあった事は絶対確かだ。
恋する男の直感って奴だ。と白鳥は思う。
だって、行く前とは雰囲気が違う。
ほんの少しだけ、ソフトな感じになった。
その証拠に、いつもはあまり話しかけてこない同僚の刑事たちが黒羽に冗談なんか言ってる。

コウにとって悪いことじゃない。
そう思う一方で、ムカつく事は確かだ。
自分の力が及ばないというのが一つ。
でも、コウが他の人間と親しくすることを、自分は本当はそれほど望んでいない、という事がもっと重い。
ちくしょう。
そんな事、気づきたくなかった。
オレってそんなワガママな奴だったのか。
葵が聞いたら声をたてて笑いそうな事を白鳥は思う。
『それも狙いの一つだよ』
恋する男はワガママで独占欲の強いものだ。ましてや白鳥はまだ若い。
若くて一途でドリーマーな男。
『素適だね』
葵は本心からそう思うが、白鳥にしてみればバカにされているような気がする。
結局、自分でも子供っぽいとわかっていながらむくれるしかないのだった。

だけどそれにもいいところはあった。
白鳥のゴキゲンが悪い事だけは察した黒羽が、積極的にスキンシップを図ってきたからだ。
なし崩しにセックスにもつれ込みながら、なんとなくこのまま許しちゃうんだろうな、と思う。
あの社長は気に入らないが、素性のしれない男たちとセックスされるよりはましだ。
それに今日の黒羽はずいぶん感度がいい。
「香澄…香澄」
耳元で囁く声の甘さが、白鳥を誘う。
白い腕と脚が絡みついてくる。
た、たまんない…。

『葵が愛してるのはオレだけだ。だから無駄な心配するな』
そう、電話口で言ってたあのおっさんのセリフを、いつかオレも言えるようになりたい。
いや、絶対言ってやる。
コウにも言わせてやる。愛しているのはオレだけだって。
いつになるかは…そりゃ解らないけどさ。

白鳥も形に出来ないもやもやを呑み込んで、ただ黒羽の身体に溺れていったのだった。
 

葵とコウの初めて物語 完(笑)