Rose Sunset

 

  今日は疲れたな…。

香澄はふうっとひとつ大きく息を吐いて、自分の席から立ち上がった。
今は誰とも会いたくない。
独りでぼんやりできそうなところを探してうろうろしているうちに、署の非常階段の踊り場に行き着いた。
手すりにもたれて、どこを見るでもなく夕方の街を眺める。
「あちっ」
先ほど自販機で買ったコーヒーは、値段のわりに律儀に熱かったようで、香澄の舌を焼いた。

熱い。熱さを感じる。オレは今生きている。

当たり前だ。
だって、あの銃は発射されなかった。
引き金が引かれる前に、コウがあいつを撃ったから。
だから、オレは無傷でぴんぴんしてる。
けど…。

自分に銃口が向けられるってことは、そいつの殺意を正面から浴びるってことだ。
あいつはオレを殺すつもりだった。
それをモロに感じた。
「そーいう、プレッシャーっての? に、まだまだ慣れないんだよなあ」
軽い口調でつぶやいてはみたものの、場数を踏めば慣れるのかというと、それもなんだか難しそうで、さらにげんなりしてしまうのだった。

「ちょっと弱音吐きたい気分、かも…」

香澄の独り言は、誰に聞かれることもなく、階段の下に落ちていった。


どれくらいそうやってぼんやりしていただろうか。
いつの間にか、空がすっかり赤く染まっていた。

「こういうの、ここでも夕焼けって言うのかな」
そろそろ部署に戻ろうと、すっかり冷えてしまったコーヒーを飲み干していると、階下から誰かが昇ってくる足音が聞こえた。
と、すぐに見慣れた長身が姿を現す。

「コウじゃん。どうしたの? 外階段から上がってきて」
「香澄。ここに居たのか。探した」
コウは香澄のいる踊り場まで昇ってきて、横に立った。
「もう課のみんなには、香澄は帰宅したと報告してしまったから、香澄がよければ、このままこの階段から出てしまわないか? それとも、もう少しここに居るのか?」
「いや、オレも戻ろうと思ってたとこ。帰ってもいいんなら帰る」
「そうか」
コウはくるりと向きを変えて階段を下りはじめた。

コウって、後ろ頭の形も綺麗だよなあ、と思いながら香澄はその後ろに続く。
「なあ、なんでオレがここに居るって判ったわけ?」
「香澄が階段に出たのは見ていた。僕は香澄がそのまま帰ってしまったと思っていたけれど、寮に帰ったら姿が見えなかったから。もう一度戻ってみたら、ここに居た」
一度家に帰ったのに、わざわざまた探しに来てくれたんだ、と思うと、香澄は少し感動する。

「コウ、ありがとな」
香澄が礼を言うと、案の定、コウは『何が?』といったふうに振り返った。

そのニュートラルな表情がすごく綺麗で。
吸い込まれるように唇を重ねていた。


…あ、なんか今の角度、すごく良くない?


香澄からキスするときは、いつも伸び上がっていたのに、今日はとても自然だ。
コウの唇がすぐ下にある。
階段で一段上にいると、コウよりほんのちょっとだけ背が高くなるのだ。
香澄は楽しくなって、もう一度コウに口付けた。
香澄が笑っているのを唇の形で察知したのか、コウも事情が呑み込めないながらも、つられて少し微笑んでいる。

3回目はちょっと本格的なキスを仕掛けてみた。
香澄の視界の端で、コウが階段から落ちないように、ぐっと手すりを握り締めるのが見えた。

思う存分キスを堪能したら、さっきまでのどんよりした気分もすっかり浮上していた。

そうだよな。銃撃戦に慣れようが慣れまいが、コウに弱ってるところなんて絶対見られたくないぜ。



「コウ、なんか食って帰ろうぜ。気分いいから今日はオレがおごっちゃう」
「それはありがたいが…香澄は早めに部屋に帰らないと」
「なんで?」
「桜庭さんが、今日香澄が提出せずに帰った書類、明日の朝イチで耳を揃えて出せ、と言っていた」
「うえ、マジでえ? なんだよ、盛り上がってきたとこだったのにさあ。ま、いっか。コウ、手伝ってくれるんだろ?」
「そうだな」
「そうこなくちゃ。あーあ、なんか急に腹減ってきちゃったなあ」

階段を下りきったところで香澄がコウを追い越す。
手の中にあった紙コップをくしゃりと潰すと、階段脇のゴミ箱へ放り込んだ。
ナイッシュッ!
と小さくガッツポーズをする香澄の後ろをコウがついていく。



砂城の『夕焼け』は、今はずいぶん控えめになっていて、薄紫色の空に、ひとつ、ふたつと、星が投影され始めているところだった。


END