もう一つの結末


最高のハロウィーンだった。
イベントで賑わうテーマパークと、ホテルの窓から見える観覧車のイルミネーションと、手を伸ばせばすぐ抱きあえる、とびっきり美人の恋人。

ホントに最高だった。

オレがあの仮面のことを思い出すまでは。


「あ…そういやアレ出すの忘れてた」
香澄は突っ伏していた枕から体を起こすと、自分の荷物をごそごそ探った。
黒羽はまだ荒い息をつきながら、その様子をぼんやりと見ている。
白い背中がイルミネーションを受けて、ブルーから薄いグリーンへと色を変えていく。
「あった、これこれ。せっかく買ったんだから使おうぜ」
香澄が取り出したのは、今日二人が東京ドリームパークに入ったときに買った『真実の仮面』だった。

「コウ、本当にして欲しいことだけ言って」
香澄の手が黒羽の腰のあたりを撫でた。
黒羽の唇から小さな吐息が漏れる。
銀の仮面をつけたのは顔の半分くらいなのに、たったそれだけで表情のほとんどは隠されてしまう。

まるで目隠しをしてるみたいだな。でもコウはこっちがしてるコトが見えてないわけじゃないんだ。
…ゾクゾクする。
「こっちからじゃよく見えないからさ…言って」

黒羽はそれを聞いて、少し不思議に思う。
本当にして欲しいこと?
そんなの仮面なんかつけなくてもベッドではいつも言っている。
良い、とか、もっと、とか、欲しい、とか。
違うんだろうか、香澄が僕にこの仮面をつけて言わせたいことは。
香澄の手が黒羽の勃ち上がったものに絡みつく。
「ん…っ、香澄…」
たまらず喘ぐ。
『本当にして欲しいことだけ』と香澄は言った。

本当にして欲しいこと…。

本当は、して欲しいことをわざわざ言わなくても、香澄の愛撫はそれだけで十分感じる。
香澄を煽るような大きな喘ぎ声や、露骨な要求も、ひとつもなくたって、すごく気持ちいい。
(香澄、『真実の仮面』のせいで、告白することがなくなってしまった)

…結局、押さえ切れなかった声と、香澄の名前を呼んでばかりで終わった。

 

 

「なんか…いつもより慎ましいっていうか、そんな感じだったよなあ。意外ー」
そういうのも新鮮でいいよな、と言いながら、香澄が黒羽と向かい合うように潜り込んできた。
「あ、仮面はまだ付けといて。…コウ、どうだった? 良かった?」
黒羽は、銀の仮面を付けたまま頷く。
「オレも。あー、今日のデートは大成功だったな。コウ、いろいろ付き合ってくれて、サンキュ」
「いや、香澄とこういうところに来られて、僕も楽しかった」
本当に楽しかった。
一人では絶対に行かないところに、香澄が連れ出してくれる。
「また休みが取れたら、どっか行こうな」
「ああ、香澄と一緒に行くんだったら面白そうだ」
「ホント? オレが恋人で良かった?」
その言い方に噴出しながら、また頷く。
「じゃあさ、コウ、オレのこと愛してる?」

――それは、まだ解らない。それがどういうことなのかも。

香澄は、僕がそのまま愛していると返したら、おそらく満足するのだろう。
きっととても喜んで、あの笑顔を見せて、抱きしめてくれる。
でも、仮面はまだ付けているし……。

不意に目の回りが開放されて、仮面が外されたのが分かった。
額の汗が空気に触れて、一瞬ひやりとしたかと思うと、頭をグイ、と抱き込まれる。
香澄の鎖骨を頬に感じた。

「あんたが、そういうトコ、妙に真面目なんだってこと、忘れてた」

ちょっと浮かれてて、と小さくつぶやく香澄の声が、彼の胸からダイレクトに聞こえる。
しばらくそのまま強く抱きしめられていた。


どのくらい時間が経ったのか、ふと香澄の腕の力が緩んだ。
静かな寝息が聞こえる。
黒羽が辺りに目をやると、もう夜半を過ぎているからか、部屋中に乱反射していたイルミネーションの明かりが消え失せていて、香澄の表情をうかがうことができなかった。

…香澄、あのまま眠ってしまった?
僕は、何の応えも返すことができなかった。

黒羽はそっと香澄の体に腕を回す。
こうしていると、香澄と離れがたい気持ちを強く感じる。
愛しているかどうかは即答できなかったけれど、この気持ちを、正直に言えばよかった。
ごめん、香澄…。

黒羽がしばらくしょんぼりしていると、腕の中の香澄の体がぴく、と動いた。
続いて、くっくっと小さく笑う声が聞こえる。
「…香澄?起きたのか?」
香澄の顔を闇に慣れた目が捉える。
香澄は少しぼんやりとしていて、
「あ、コウ。ごめん、ちょっと寝てた…」
そう言ってまたクスクス笑う。
「今さ、オレ夢みてたんだよ。江戸時代の色街みたいなとこで、オレはその廓に売られてきたばっかなの。そんで客の取り方を先輩の女郎? が教えてくれるんだけどさ、それがコウなわけ」
「なんだ、それは」
「でさ、やっぱりそこでもオレはコウに一目惚れするんだけど、コトが終わったらコウがすげえ怖いカオして、これからお前も客を取るだろうが、最初の時の屈辱を忘れるな、みたいな事を言うんだよ。
屈辱も何も、オレは惚れちゃってるわけだからさ、絶対忘れないぜ〜ってこぶし握り締めてんの」
香澄はそこで同じように、ぐっと手のひらを握ってみせた。

なんという設定。それにしても…屈辱?
「ひょっとして、僕がやる方、だったのか?」
「みたいよ」
「夢の中の話とはいえ、僕は大丈夫だったんだろうか、その…」
「ヘーキだって。やろうがやられようが、相手がコウなら全然オッケー、問題ないね。きっと最高に良かったに決まってる」
(…って、でかい口叩けるのも、夢の話だからという事は、コウには内緒だ)

その時、ドリームパークにまだ残っていた照明も全て落とされて、部屋はさらに暗くなった。

「コウ、もうそろそろ寝ようぜ」
「そうだな」
今寝たらさっきの続き見たりして。
香澄が笑いながら毛布に潜り込む。

ほんのかすかな非常灯の明かりが、逆光で香澄を形作る。
黒羽は、「おやすみ」を言った後も、しばらく香澄の輪郭を眺めていた。

END