第三章 「彼と彼の場所」


 プールの中でコウの体に触る。
もちろんプライベートなヤツでだ。
ホテルにたくさんある広いプールにももちろん泳ぎに行ったんだけど、あっちだとコウは注目の的になってしまうので、そんな事は出来ない。
一緒に写真を撮ってくれ、何て言う女の子の集団にも取り囲まれたりして、コウは何だかわたわたしていた。
しかし心の中ではあからさまに戸惑っているのに、表面上はどこからどう見てもすましたクールビューティーなんだからイヤになっちゃうよな。

「コウってさ、女の子の頼みは断らないよな」
「そうだろうか…?」
「そうだよ。男には平気でダメだとか言うくせに」
その顔で冷たく『ダメだ』って言われると、結構うっ、とくるんだぜ。
コウは眉を寄せて上を向いた。
あっ、何か考え込んでやがる。
そうだったっけ? とか思ってるんだぜ、絶対。
そうなんだってばさ。
女の子の頼みを断らない男って、普通は下心ありありなんだぜ。
(気弱なタイプもいるけどな)
でもコウはその綺麗な顔は全然崩さない。
(下心無いんだから当たり前か)
だからプレイボーイみたいに見えるんだろっ?
そんでもって男に対してはマジでプレイボーイなんだから
(しかも本人あまり自覚無し! よくない。絶対よくないっ)
オレはさっさとホテルのプールからは撤退する事にした。


「部屋のプールだとジュースが頼めない」
とかぬかしやがるコウのために、ジュースもサーブしましたよ、オレ。
ああ、コウって結構ワガママだよな、オレってとっても健気。
なーんて思ってしまう今日この頃だったりする。
プールの中からジューススタンドにフルーツジュースを頼む事に味を占めたらしいコウは、オレの持ってきたパパイヤのジュースを部屋のプールで美味しそうにすすった。
サーブしたんだから、コウだってお返ししろよな。
文句なんか言わせないもんね。
思いっきりコウの体をあちこち触り倒す。
触り魔復活だ。

なんかコウの奴、ホントに昨日まで背中痛いとか言ってたくせに、あっと言う間に一皮むけて白い体に戻ってしまった。
なんだかあっけにとられちゃったよ、オレ。
もっとも日焼けの皮がむけるのが珍しかったらしくて、昨夜はそれに夢中で、エッチする約束をすっかり忘れてしまったらしい。
いや、オレは助かったけどね。
その前やりすぎたってーの。
これでまた今晩もとことんイかせるまでやれっていわれたら、そ、それは勘弁だったような気がしないでもないもんな。
だいたいいつもオレの方が欲求不満になってるんだけど、でも、やりすぎもよくありません。ふう…。
(パートナーだからって、そんなにしょっちゅうエッチが出来る訳じゃないんだぜ。仕事激務だし、部屋の壁薄いし。
そんで、オレの方が若いから、先にやりたくなっちゃうんだよね。
出来ない日が続くと勤務中でもコウのケツ見てぐらぐらきたりしてます、ハイ。
でもそれはコウには内緒 (* ̄ - ̄)b シィ〜)


「香澄くすぐったい。ジュースがこぼれる」
プールの中でオレに触られながら、コウが笑った。
「そのジュースを持ってきたのはオレだろ。ずっと触れなかったんだから、触らせろ」
もう殆どチカン状態。
くすくす笑うコウを、逃げられないように後ろから押さえつけて体中触る。
なめらかで手に吸い付くような白い肌。
た、たまりません。

「香澄、プールの中はイヤだぞ」
突然コウが言った。
いやあ、オレのモノがあからさまに当たるもんね。
突然でもないか。
「え? そ、そうなの? 風呂の中はオッケーだったじゃん」
「風呂は流せるじゃないか。ここで香澄としたら、もう泳げない」
「プールだって排水してると思うけど」
「水が入るのもイヤだ」

入るってどこに…。あっ、そか。失礼しました。
オレが挿れてる所にね…なるほど。

「それだと風呂ではお湯が入ってたのか…」
しみじみ呟くオレに、コウは呆れたようにプールサイドに顔を伏せた。
「それに日が当たるこんな所じゃ、いくら日焼け止めを塗っててもよくないような気がするな」
「そうだなー、それはそうかも」
何を真面目に説得されてるんだよ、オレ。
なんて思ったりしたけど、コウの言う事がいちいちもっともなんで、ついついオレは律儀に頷いてしまう。
オレって理詰めの説明に、もしかして弱い?

「だから水からあがって、パラソルの下でしよう」
「へっ? あ、ああ。する事には賛成なのか」
「したかったんじゃないのか?」
コウにきょとんとした顔をされてしまった。
「あっ、もちろんしたいっ。したいよ」
なんだかコウらしくなく長々と喋ってるんで、今はダメ、って言われてるのかと思っちゃったよ。
オレは即座にプールから上がったが、コウはまるで焦らすように、しばらくプールの中で美味しそうにジュースをすすっていた。

  

香澄に『イヤだ』と言う。
自分の好きな事を優先させて、少しの間彼をじらす。
それは今までしたことのない事だった。
なんとなく気分がいい。
黒羽の中にホッとするような、暖かい感覚が広がる。
今まで誰に対しても、自分の気持ちをこれほど素直に出せた事はなかった。
特に否定の言葉は絶対に言えなかった。
それは長い間かけて刷り込まれた恐怖の感情だったから。

僕は冬馬には一言も嫌だとは言えなかった。
冬馬は気まぐれで、ほんの少しでも意にそぐわないと、あっさりと手を離して行ってしまう男だった。
僕はそれが怖くてたまらなかった。
彼しかいないのに、彼が全てなのに、少しでも彼の前で否定の言葉を言ったら即座に捨てられてしまいそうな気がする。
そんな風に僕がしがみついてくるのを、冬馬はきっと楽しんでいたのだろう。
自分が好きなように出来る玩具に、僕を仕立てるために。

だから今、僕は甘えているのだった。
どんな時でも僕を愛してくれるだろう男に、僕は甘えているんだ。

香澄は大丈夫。
どんなに僕が嫌だと言っても、一度や二度拒否しても、彼は僕を嫌いにならない。
僕を否定したり、置いていったりしない。
先に行ったように見えても、かならずまた振り向いて、笑って、自分の名前を呼んでくれる。
そう信じていられるから。

「ちょっとコウ、オレをその気にさせたんなら、早く来いよ。でないともう一度プールに入って、コウが嫌だって言ったってヤっちゃうぞ」
香澄がパラソルの下、ビーチシートに座り、隣をポンポン叩いて僕を呼ぶ。
「ここ、ここ。早く早く」

そう、そこは僕の場所だ。
すぐに座らなくても、その場所は空いている。

僕のために…。

それは素晴らしい気分だった。

 シートにコウを寝かせて上から覆い被さる。
目を瞑って、恋人のキス。
うん、やっぱり上に乗られるより、オレはこっちの方がいいな。
キスしながらコウが腕を背中に廻してくる。

天然なのか策略なのか。
自覚しているのかいないのか、シートの上のコウは、どうにかなりそうな程色っぽかった。
コウとセックスしたい。
すっごく好きだから。
コウもオレとしたいんだよね。
したいからエッチする。
男同士ってそういう時は楽だ。
ごちゃごちゃ手続きなんかいらない。
したいからする。体が求めてるから。
男の体は正直で、したいかどうか、感じてるのかどうかすぐに解る。
オレは早くコウの声が聞きたくて、ちょっとせっかちにその部分に手を伸ばした。

「ああっ…」
期待通り、コウの声が甘く響く。
ううん、もういくら声を出して貰っても構いません。
ここにはオレ達しかいないもんね。

南国の空。
パラソルの下。
コウの白い身体。

はああ…。野望一つ達成だぜ。
もっと早くこうなっている筈だったんだけどな。
でも順番なんか関係ないさ。
色々アクシデントも楽しいし。
ホント、リゾートに来てよかった。
ラブラブ計画着実に進行中…。


 一戦交えた後、なぜか気がつくとオレはコウの肩をマッサージする事になってしまった。
狭いシートの上で、妙な体勢で事に及んだから、首を違えた気がする、なんてコウが言いだしたからだ。

「そんじゃ、マッサージ呼ぼうぜ。そういやまだマッサージは体験してなかったよな。リゾートに来たんだから、一度くらい経験しないと」
オレは何ていい考え♪ って思ったのに、コウに首を振られた。
「なんとなく、好きじゃないな。知らない他人に体を触られるんだろう?」
むむむ。
ちょっと待てよコウ、それってあんたの言うセリフですか?
言っちゃ何だけど、オレ以外の他人にすっごく無防備にたくさん体を触らせてる気がするんですけど。
しかも普通マッサージとかじゃ絶対触らないような、こう、奥の奥の方まで。
オレがそれを知らないとでも?
2人の平和のために黙ってるんだぜ。
それとも、肩はダメでもナニは触られてもいいんかい!

「コウの基準ってよく解んねえ」
心の中でぶーぶー言いながらも、結局オレが肩を揉むハメになってしまった。
「はーい、お客さん、この辺はいかがですかー?」
なーんて聞きながら。
だっていくらそう思っても、まさかコウに指突きつけて
『他の奴とセックスしてるくせに、触られるくらいいいじゃないか』
とか言えるわけがない。
それって自爆。
はああ。身体を触らせたくないんなら、もっと徹底して触らせないでほしいよ。
オレだけにしてくれよ。そうすりゃー、いくらでもサービスしちゃうよ、オレ。
オレの気持ちをどこまで解っているんだか(絶対解ってないって!)マッサージされながら、コウはオレの顔を見上げて、にっこり笑った。

ううう、可愛い。
7つも年上の男に可愛いって何だよ、ホント。
でもその笑いに誤魔化されちゃうオレもオレだけどな。


「何でため息をついているんだ、香澄?」
「べっつにー」
「…マッサージ頼みたかったのか?」
「うーん、うんまあー…」
「香澄だけ頼もうか。僕はいいから」
「もういいよ」
おっ、少し拗ねた言い方になってしまった。
オレってば、結構マッサージされたかったのか?

「香澄がして貰いたいのはただのマッサージか?」
突然コウがオレの手の下で変な事を聞いてきた。
「ただのって何だよ?」
「こういうのなら僕にも出来るが…」
コウの手がいきなり伸びてくる。
うひー。オイルでヌルヌルの手がオレのあそこに…。
「そ、それって、えっとー…。性感マッサージってヤツ?」
「したい?」
上目遣いにコウが聞いてくる。
オレはこくこく頷いてしまった。
そりゃーしたい、したいけどっ。でも、コウってそういうのも出来るわけ?
風俗やってた訳でもあるまいしーっ。

いやもう、くらくら来ちゃうね。
コウって一体、どれくらい色んな事経験済みなのさ。
もうまいりました。オレの降参…って最初から場数で勝てる筈はないのであった。トホホ…。
そしてオレはまた、新しい体験をしてしまった。
体中オイルでヌルヌル。
背中をマッサージされて、腰を揉まれて、で…当然あそこもコウの指のお世話に…。

はああ…。
いやぁ〜。ホント。リゾートに来てよかった…。
予期せぬリゾートエロエロ計画勝手に進行中。

 

 

 ビーチシートを2つあわせて、蒼い空とパラソルの下でゴロゴロ寝る。
もちろんナニした後だし、誰もいないんで、オレ達は素っ裸だ。
コウがふっと言い出した。
「最後の夜の食事だけど、香澄」
「なに?」
最後だなんて、今言わないで欲しいよなあ。
もう休みが終わっちゃうのかと思うと、ちょっと寂しいじゃん。
でも明後日の昼にはホテルを出なくちゃならないわけだから、考えてみたら、ホント明日が最後の夜なんだよな。
ううーん、もう一週間くらいいたい気分。
でもあと一週間なんていたら、のんびりに慣れちゃって、仕事に戻るの嫌になっちゃうかもしれないよな。
それとも逆に、退屈で早く仕事したいと思うんだろうか?
まあ休みって『あともうちょっと欲しかったのに〜』って所で終わりになるのが、一番いいのかもしれない。

「うん、ディナーでも頼む? 個室サービスつき」
「個室でサービスはもう受けたじゃないか」
あ、そういえばそうでした。
しかもオレ達の予算じゃ考えられないくらい豪華なヤツ。
ううむ。困ったぞ。
やっぱり最後の夜ってそれなりに演出したいじゃん。
オレってそういうのに拘るほうなんだよね。
とすると、あのディナーに勝てるくらい印象的な食事って…。
これは、けっこう難題かもしれないぞ。

思わず考え込むオレに、コウは言った。
「最後の日は、材料を買って2人で料理して食べないか?」
「料理? 料理ってオレ達で?」
想像もしなかった事を突然言われて、オレは目を丸くする。
コウは頷いた。
「ここキッチンもついてるし。見たら包丁もフライ返しもあった」
「…コウ、料理できるの?」
おそるおそる聞くと、今度は首を傾げやがった。
「魚はまあ、そのまま焼けばいいだろうし、野菜をちぎればサラダに、なるんじゃないのかな」
だ、大丈夫かよ、その程度のスキルで。
それとなーく、不安なんですけど。

「昨日行った店に色々調味料もあったな。醤油もあった。明日買ってこよう」
オレの心配をよそに、コウはそう言って満足げに頷いた。
よく見てる事で。
しかしオレなんか屋台の美味そうなご飯と、みやげ物にしか目がいってなかったのに、コウはそんなものチェックしてたのか。
もしかして、昨日からご飯作る事考えてたのかな?
それとも単に注意力があってよく記憶してるだけ?


        


 そういう訳で、次の日オレ達は再び街中に買い物に出ることになった。
昨日の兄ちゃんとは、さすがに今日は会わなかった。
そう言えば海里も見ないよな。
ま、そりゃそうか。
いくら同じ国にいるからって、普通そうそう会わないって。
ホテルで会ったのは、ホントものすごい偶然だったに違いない。
偶然は一回で充分だ。


「なんか見た事もない魚がいっぱいある」
「そうなのか? そういえば僕が見る魚は切り身が多いから形はよく解らないな」
「ホントに大丈夫なのかよ、コウ〜〜」
「大丈夫なんじゃないかな。…たぶん」
多分って。えーと。
まあオレは美味しいものはそりゃ食いたいけど、食や味に関してうるさい方じゃないんで、何とか料理になってりゃ食うけどな。
それに考えてみたら、コウの手作りか〜。
コウは綺麗だけど、女と間違う綺麗さではないので、女の子だったら即期待しちゃう『手作り料理』なるものも、どっか人事だと思ってきたんだけどね。
こんな所で実現するとは。
へへへ。けっこう嬉しいかも…。

しかし女の子って言うと手作り料理を期待しちゃう気持ち、ってーのも、男の無意識のセクハラなのかなあ…。
そうは思うけど、男だったらなんとなく期待してるよな。
手作りのチョコとかクッキーとか、手料理とか手編みのマフラーとか。
(マフラーは食えねえじゃん)
まあ、えへへ。
作ってくれるのは嬉しいけど、無くてもオレは別に全然構わないけどね。

なーんて事を考えてフェミニストを気取る白鳥であったが、今度の場合、黒羽だけが作るのではなく『自分も料理するのだ』と言う事は、すぱっと頭から飛ばしていたりした。
(男とはそんなものである)

 

 

 

特別な日常−そして「夢」


「この魚なら、そのまま焼けるだろう」
…はっ。
気がつくとコウが勝手に色々食材を選んでいるじゃねえか。
一人だけに選ばせとくとヤバイかも。
いや、オレが加わってもたいした違いはないかもしれないけどさ。
い、一応なっ。

「肉、肉も買おうぜ、何でもいいからさ」
肉なら胡椒と塩で炒めれば、魚より食えるモノになるんじゃねえの?
「いいよ、肉のコーナーはあっち」
通りすがりに野菜のコーナーでも色々と物色する。
「何がサラダになるんだろう…」
「こ、これはまた、よく解らないものがたくさん…。南国野菜なのか?」
コウが首を傾げるのも当然なくらい、見慣れぬ野菜がオレ達の前に展開されている。

「これは果物かな、野菜かな?」
「コウ、ヤバイ橋を渡るのはよそう。こっちはどう見てもトマトだ。トマトだったらサラダの材料だろ?」
オレは隣にあった、妙にでかい枝つきトマトを籠の中に押し込む。
「この辺の野菜も、茹でれば食べられるだろう」
「コウってば、聞いてる〜? スキル低いのに冒険はやめようってば〜」
「冒険じゃない。逆だ。考えてみたら、よく解らない生野菜を、そのままサラダにするのはよくないと思ったんだ。虫が付いているかもしれないし。火を通した方が安全だろ?」
「虫ーっ!?」
オレは思わず手に取ったトマトを放り出しそうになった。
「トマトも火を通すか?」
「い、いやその…」
「焼きトマトもありか」
ああっ。勝手に納得して次のコーナーへ行っちゃうしーっ。
何だかコウって、思ったより大胆だよな。思い切りもいいし。
こういうのって経験無かったから、今まで解らなかったぜ。


結局オレは通りすがりに見つけたソースと、焼きソバの麺をひっ掴んで籠に押し込んだ。
焼きソバだったらオレ作った事あるもんな。
高校の文化祭の時だけど。
どうしても食えるモノが出来なかった場合の、一種の保険だ。
野菜と肉と一緒に炒めれば、焼きソバだったら何とかなるだろ?
おお、そうか、だったらマヨネーズも買っとくか。

そんな事を思いながら色々材料を選んでいると、何だか不思議な気分だった。
何て言うのかなあ、ええと。

すごく日常。
なのに今まで経験した事がなかった日常。
そんな感じ。

オレは甘やかされて育ったから、買いだしっていったら、部活の合宿の時に野郎同士でスーパー行ったり、文化祭の時に何か仕入れに行った経験しかない。
そういうのも楽しかったけど、これは、なんか、ううん、すごく…。
どこか甘酸っぱい気分がする。
へ、変な言い方かなあ…。
だけど、そうだな。

恋人とはデートしに行ったりするだろ?
映画見たり、遊園地に行ったりしてさ。それで食事する。もちろん外で。
そういうのって楽しいけどよそ行きじゃん。
それがさあ、かなり仲良くなって、一緒に家に行ったりして。
そんで、これから彼女が料理を作るんで、一緒に買い物に出かけるんだ。
あれこれ好きなものを選んで、つい余計なものも買い込んじゃったりして…。
そ、そんな感じの気分?

少しだけ日常で、少しだけ特別。

そうか。
コウはきっと、だから料理作ろうって言ったんだ。
こんな風な時間を過ごすために。



「トマトの皮って剥くもんだろう?」
「剥かねえよ。そのままざくざく切って出すの。んで、ドレッシングかける」
「ドレッシング…買ってない」
「ああっ! いや待て、マヨネーズがある。あれでオッケーじゃん?」
「マヨネーズに胡椒入れて辛くしよう」
「だからっ。コウってどうしてそう冒険したいわけーっ?」
「けっこう美味しいぞ」
「ん? あ、ホント?」
コウの指についたマヨネーズを舐めてみる。
うん、まあ…。悪くないかな。

なんとなく、すっかり料理を『作ってもらう』様なつもりになっていた白鳥は、黒羽から当たり前のように包丁を渡されて、目を丸くした。
「え? オレも作るの?」
「そう言っただろう」
「そ、そうだっけ?」
「最後の日は、材料を買って2人で料理して食べないか? これが正確な言葉だが」
ああ、そう。そうですか(涙)
コウの記憶なら確かだろうぜ。そう言えばそう聞いたような気もするよ。
でもオレ、リンゴの皮も剥いた事無いぜ。
「で、何をどうすればいいの?」
「トマトの皮を剥いてくれ」
「トマトの皮っ!?」

と、いう訳で最初の会話に戻るわけだ。
「僕がいた施設では剥いてたぞ」
「オレん家じゃ剥いたりしなかったよ」
「剥かないと歯触りが悪いだろう?」
「あの、ぷつっとくる感触がいいんじゃないか。大体いくらなんでもプチトマトの皮は剥かないだろう?」
「プチトマトって…」
「トマトの小さいヤツ。サラダとかに入ってるだろ、時々」
「食べた事が無い」
「マジかよ〜」
いやあ、何かもう色々とカルチャーショック。
関西が薄味とか、味噌が地方によって色々あるとか、そんな事くらいならオレも知ってたけど、まさかこんな些細な事で食い違いが出てくるなんて思わなかったよ。
ご家庭によって、ホント食事の作法って違うんだな。

「施設には子供だけじゃなくて、年よりもいたんじゃないの?」
「ああ、一緒の場所じゃなかったけど。どうしてそんな事が解るんだ?」
「いやあ、食事を作る場所が一緒だったら、老人用に消化にいいようにって、全部皮を剥いてたんじゃないのかなあって思ってさ。まあ、オレの推理」
「…そうかもしれないなあ。考えた事もなかった。しかし本当にトマトの皮って、普通は剥かないものなのか?」
「知らない。だんだんオレも自信が無くなってきたよ。何が普通なのやら。
でも、西署のランチBセットについてくるトマトは皮なんか剥いてないぜ。それは確か」
「そうか。帰ったら食べてみよう」
「うん、そうしよ♪」

なんか隣同士でぎこちなく作業をしてると、会話が弾むなあ。
こんなにコウが喋るなんて、ちょっとビックリだぜ。
仕事してる時はコウが先輩で、集中しちゃってるから、こんな風にだべったりしないし。
エッチしてる時は、当然こんな話なんてしないもんな。

何だか嬉しい発見だった。



 バターで魚を焼いて、トマトを添える(トマトは皮付き)
適当に茹でた野菜にマヨネーズをかける。
スーパーで見つけたスープの素に牛乳を入れて増やす。
高校時代の事を思い出しながら、オレが焼きソバを作る。
買ってきたフルーツを洗って切って、皿に盛りつける。

「ううん。なんとなーく、料理っぽい感じなものが出来たかなあ…」
「フルーツはいいが、すごい匂いだな、ドリアン」
「ううむ…。ドリアンだけ食事が終わるまでベランダに出しておくか?」
甘い物好きなコウのためにフルーツもたくさん買ったんだよね。
(自分用には、酒をちょっと)
噂のドリアンもためしに買ってみたんだけど、けっこう臭う。
「まあ、デザートは後、とりあえず乾杯しよーぜ」
オレ達はなんとか見かけは料理らしく盛られたものをテーブルに並べて、席に着いた。
「酒はあんまり…」
なーんて言うコウのグラスにも、ワインを注いでしまう。
「いいから、乾杯だけ。なっ」
「じゃあ少しだけ」
「よーし、では、最後の夜に」

グラスを合わせて乾杯する。
酒に弱いコウは、舐めるように口に含むが、オレは一気に呷ってしまう。
ううーん。久しぶりなアルコールの味。
いいよね。恋人と2人で向かい合って乾杯なんて。
洒落たレストランじゃなくて、目の前に並ぶのがちょっと珍妙な雰囲気のする料理でも、それでもオレはとっても嬉しかった。
酒に酔ってもいないのにコウの顔も微妙に赤い。
(いくらコウでもさっき飲んだ一口くらいじゃ酔ったりはしないよな)

「思ったより美味しい」
「どれどれ?」
魚のバター焼きにフォークをつける。
「おお、確かに。悪くないかも」
「これは何の魚だろう?」
「解んねえ。ちょっと骨が多いかなぁ」
「香澄の焼きソバも美味しいよ」
「コウの好きなエビを買うの忘れたな、そう言えば」
「エビは…どう調理していいか解らないから」
「そうだよなー。小さいエビなら炒めればいいのかなー?」
「そのうち、ちゃんと料理の本でも買ってみよう」
「へえ、何さいきなり」
白鳥の不思議そうな顔に、黒羽は微かに微笑んでみせた。


うん…。
こうやって暮らすんだ、いつか。
いつか、香澄と2人で。

香澄がくれた約束。
叶わなくても、もしもその日が来なくても、でもそれまでは夢見ていたい、遠い約束。

明日を信じたい。
本当はまだ怖いけど、それでも明日がくると思いたい。
一緒の家に住んで、一緒に起きて、一緒にご飯を食べる。
今みたいに。
今よりもっと自然に。

休みなんて取りたくない。
ずっとそう思っていた。
仕事を休みたくなかったのは、自分を必要としてくれる場所を、一瞬でも失いたくなかったからだ。
だから休む事は怖かった。
けれど、いつかこんな風に香澄といられるなら、休むのもいいかもしれない。
目の前に並ぶ、2人で作ったぎこちない料理。
形は悪いし、味はまだまだだけど。
でもこれは、未来の夢の先取りだから。
いつかこうして暮らすんだと香澄が見せてくれた甘い夢だから。

だから、時間があったら、また来よう。
夢の先取りを、ほんの少しだけまた見に来よう。


そんな夢を信じられる自分が、黒羽はとても不思議だった。


     


 気がついたら、あんなに楽しみにしていたお休みは幻のように過ぎ去り、再びオレ達は日本に帰ってきた。

「明日っからもう仕事かー、あーあ」
だけどオレは真っ黒に焼けてお帰りだってーのに、コウは白いまま。
はっきり言って、全然別の所に行ったとしか思えません、な状態。
まあその、一緒に行くって言った訳じゃないし、パートナーが休暇を取った時は、もう一人も休んでいい事になってたんで、別に怪しまれる事はないんだけどね。

大体男2人で旅行なんて言ったら、むなしいとか、現地で女を引っかけてたんだろうとか、なに言われるか解ったもんじゃないしな。
(ラブラブだったなんて噂は、もっと立てられたくない)
オレのもくろみを知ってるのは、桜庭さんと、どこで聞いたのやら海里の野郎だけだ。

の、筈だった。


「上手くいったの? リゾートラブラブ作戦」
「桜庭さん、どうして作戦名まで知ってるんですかっ?」
「ホントにそういう名前つけてたの? ちょっとベタすぎない?」
「うっ。ほっといてくださいよ…」
「一部女の子達が騒いでいたからさあ…」
「へっ…!?」
一瞬オレは目が点に…。
女の子達って、ナニ?

「交通課の…一部の娘達が、あんた達怪しいって」
「げげげ〜っ!!」
桜庭はチラリと白鳥の顔を見る。
「そんなに心配する事ないんじゃない? あの子達も単なるお楽しみみたいだから。うちってパートナー制取ってるじゃない。だから勝手にカップリングするコ達がいるのよねぇ〜」
「カップリングって?」
「うん。今までウチの一押しは、佐々木くんと篠原くんの組み合わせ。篠原くんがすっきり系のいい男だからね。そりゃー綺麗で言ったら黒羽くんに勝てる子はいないけど、でもあの子ずっとシングルだったじゃない。だから佐々×篠」
「ちっと待ってくださいよ。間に入っているバッテンは何ですか?」←なぜ解る!?
「気にしない気にしない」
「するって! んで、その流れで行くと、今の一押しはオレとコウってわけですか」
「そーいうこと」
「世も末だ…」
「あんた達本物だからいいじゃない」

「……ちょっと聞きたいんすけど」
「何よ、その上目遣い」
「どっちの名前が先に来てるんです? オレとコウ」
「…………………………」
「黙らないでください、桜庭さんっ」
「白鳥くんそう言えば、オタクな女の子ちゃんの友達がいたんだっけね…」
今にも吹き出しそうになりながら口を塞ぐ桜庭に、なおもすがりついて白鳥は聞き出そうとする。
「ちょっと、どっちが『受』ってセッティングになってるんですってばーっ!」
「どうせファンタジーなんだから、どうでもいいじゃない。どうしてそういう事気にするの」
「男のこだわりってヤツです」
「じゃあ黒羽くんはどうなるの? あの子も男でしょっ」
逃げる桜庭に追う白鳥。
黒羽が気付いてきょとんとした顔を向けた。

「おみやげ気に入りませんか?」
「はあ? 何の話?」
「いや、追いかけ回しているから何かあったのかと。あ、でも気に入らなかったら桜庭さんが香澄を追っている筈ですよね。それじゃ違うか」
「それがね、キミと白鳥くんの、どっちがう…」
「桜庭さんっ! しーっしーっ」
白鳥が真っ赤になって怒鳴る。
黒羽はじろりと睨んだ。
「僕には秘密か。それじゃ、こっちも秘密だ」
「えっ? コウ何? 何かあるの?」
「秘密だ」
「えええ〜っ。機嫌直してくれよー」
今度は白鳥が黒羽を追いかけ回すはめになった。

 半分物置になっている突き当たりの部屋に、二人して入る。
「コウ意地悪しないでさ」
「香澄が教えてくれたらな」
「うっ。わ、解ったよー。大したことじゃないんだ。なんかな、オレとコウが交通課の女の子達の間で、想像上のカップルになってるんだって」
「ふうん、で?」
「でって、驚かないのか?」
「いや、前にそんな話を聞いた事があるような…佐々×篠だっけ?」
「よ…世も末だ…」
「単なる遊びだろう? それが秘密か」
「それで、オレとコウのどっちが受になってるのか、その…」
「受って、ネコの事か」
「そうだよ」
「香澄、そうか。自分がネコだって噂されているのが嫌なのか」
「されてんのか!? マジで?」

ちくしょーっ。予感的中。
どーせオレとコウじゃコウの方が背が高いようーっ。

殆ど涙目になったオレに、コウは顔を寄せてきた。
うっ…。署内で? でもオレ…。
もちろんキスは拒まなかった。
ううむ、やっぱりこれはそのうち、バレちゃうような気がするよなぁー…。
「んで、コウの方は何?」
「海里から本が来た」
「あっ、あの本? なんだ秘密ってそれか。旅行特集とか言ってたよな。コウの写真が載ってる筈のヤツだろ」
「まだ封は開けてないんだが」
「見せて見せて」
オレはコウから郵便小包の袋を取り上げ、バリバリと封を破って中身を取りだした。


 「………」

コウとオレは同時に沈黙する。
だって、だってその本は…。
「ええと」
「これってちょっと、コウっ」
「通販オンリーの本だって言ってたな」
「そういう本かよ、畜生! か、海里のヤツ次にあったら覚えてろ〜っ!」
そう、その本には、こう書いてあったのだ。

ハードゲイ雑誌Secret Guy 
特集:『海外で男の子と遊ぶためのベストポイント50』
『旅先で見つけたチンピク度200パーセントの美青年激写』

ぐはあっ!
何がチンピク度200%だ、くそ野郎。
そんなとこにコウの写真載せるなぁぁぁーっ!!

そりゃまあ裸じゃない。裸の写真じゃないよ。
でもでも、でたらめなインタビュー記事まで載せやがってーっ。
『フェラチオがとっても得意です』だとーーーっ。
…これだけは本当だって事が、涙でちゃうぜ。
だ、だけど、これ見てたくさんの男共がオナニーしくさるのかと思うと…。
海里のヤツ許せねえーーーっ(涙)

「まあ、載ってしまったものは仕方がない。こんな本だし、通販オンリーだって言うから大丈夫だろう」
自分から撮っていいと言いだしたもんだから、コウは強く言えないようだった。
だけど誰かにバレるとか、そういう問題じゃなくてね、オレは他の男共にね、コウの写真をオカズにされるのかと思うと、それが嫌なんだよう〜。
くそっ、畜生。オレ達の楽しいリゾートの思い出を汚しやがって。

海里のちょっと勝ち誇った顔が、目に浮かぶようだった。


「コウっ!」
「なんだ?」
オレの剣幕に少々驚いたようにコウは目を見開く。
「また絶対近いうちに旅行に行こう」
「あ、ああ。でも休み、そんなにとれないと思うが…」
「取れなくても行くっ。絶対行ってやる。今度こそ誰にも邪魔されない所に、二人っきりだ!」
「わ、解った」
オレの迫力に押されるように、コウがこくりと頷いた。
よっしゃ、じゃあついでだ。

「そんでもって今晩写真撮らせろ、コウ」
「えええ?」
「オレのオカズになるような、エロいやつ」
「待て、ちょっと待て香澄。それは一体なんの話だ」
「うるせーっ。オレもオカズが欲しいんだよっ。他の奴にどうせやられちゃうんだ。だったらオレだって!」
「言ってる事がよく解らないぞ、香澄」

オレはそのまんまコウを部屋のソファーに押し倒した。
「香澄、だめだ。勤務中」
「しねえよ、キスだけ」
「鍵かけてない…」
オレは構わずコウの柔らかい唇を貪る。
うん、絶対そのうちバレる。こんな事してちゃあねえ。
いや、もちろん勤務中にしょっちゅうこんな事してる訳じゃないぜ。
普段はしてない。エッチだってタマにしかできないんだ。
してないけど…。
でも、ほんのちょっぴり、まだリゾートの気分がオレの中に残っているようだった。

二人っきり。
星空。耳の奥でずっと響く波の音。
南の暖かい溢れるような太陽の光。
何もかも人工物で出来た砂城とは、まったく違う世界。

だけど、オレはこの街が好きだ。
ちっと守るのに大変な街だけど、でもここがオレ達の場所だった。

海は、たまに行くからいいんだ。
毎日見てたら、最高に綺麗な海でも、それが当たり前だもんな。
今度はどんな海に行こうか、そう考えながら日々過ごすのが楽しいんだ。


目を開いてコウが立ちあがる。
「仕事だ、香澄」
うん、仕事しよう。
休みは終わりだ。自分が必要とされている場所へ帰ろう。
大変で、せわしなくて、しんどくて、全然二人きりになれない日常へ。
オレはちょっとコウに言いかけて、そして口をつぐんだ。
うん、この言葉は次の休みまで大切に取っておこう。
休みが取れたら、コウに言うんだ。そしたらどんな顔をするだろう?
それともオレにも同じ事を言ってくれるかな?
たいした言葉じゃない。
でもホントだ。

もしも不安なら、オレが言ってやるよ。
いつだってオレはコウが必要なんだって。
今も、これから先も、どんな瞬間でも。

想像の中のコウは笑っていた。
次の休みを、本当にオレは待ち遠しく思った。


END