End Of The Spiral

-螺旋の終点-


「すげぇぜ、これ」
「おおーっ」
「前田の胸も、こんくらいあるんじゃねえ?」
「いえてるー」
放課後の教室。
部屋の隅に集まった少年たちが覗き込んでいるのは、誰かが持ってきたエロ本だ。
兄か父のものだろうか。いわゆる裏本と呼ばれるたぐいの、無修正版だ。
黒羽 高は、その輪から少しはずれたところに立っていた。
「ほら、黒羽も来いよ。すげぇぜ、これ」
「うん」
近寄って、覗き込む。
本当は、あんまりこういうものは見たくない。
みんな喜んでいるみたいだけど、何が楽しいのか、黒羽には理解できない。
あからさまなセックスシーンはまだしも、女性器のアップは、はっきり言って気持ちが悪かった。

女の子は、好きだ。
乱暴で考えなしでガキっぽい同年代の少年たちに比べて、綺麗で大人っぽい女の子たちの方が黒羽には好ましく思えた。
塀にミカンを投げつけたり、窓から友達の筆箱の中身を投げ捨てたりする遊びは、少しもおもしろくなかった。
そのくらいなら女の子たちに混じってなわとびや鉄棒をしていた方が楽しかったし、女の子たちも黒羽には親切だった。
黒羽は見た目のかわいい子だった。性格も素直でまじめだったから、女子の人気は高かったのだ。
でも、憬れたり、良いな、と思ったりするのは、たいてい男だった。
おバカそうな女性アイドルより、実力のある男性ミュージシャンの方がかっこいい。
それは全然変じゃない、と黒羽は思う。
そんな話が合うのも、女の子の方が多かった。
だから勢い女の子と話すことも多くなる。
黒羽は、男の子たちのグループからはいつも一寸はずれていた。
それでも、すらりと背が高く成績もよくて運動もできた彼は、「女っぽい」というよりは「女たらし」として同級生の間では認識されていた。
黒羽自身には、そんな自覚は全くなかったのだが。

女の子は、好きだ。
最近は胸のふっくらした子も多くなって、それは触ってみたいと思う。きっと、気持ちいいだろう。
でも、その女の子の脚の間にあの気味悪いものがあることは、あまり考えたくない。

そのころまだ黒羽は、それが単に自分がまだ子供でちょっと潔癖なせいなのだと思っていたのだった。


「付き合ってください」
目の前で、俯いて震えている少女を見ながら、黒羽は困惑していた。
いきなりそんな選択を押しつけられても、困る。
断ればこの子は傷つくだろうし、かといって気軽にオーケーできるものでもない。
「ごめん。少し、考えさせて」
精一杯の断りだった。

「ふーん。で、コウはその子が嫌いなの?」
自分で持ってきたシュークリームをぱくつきながら冬馬涼一が訊く。
冬馬は黒羽が中学に入ってから、時々勉強を見てくれた。  
気まぐれにやってきては教えてくれるだけなので、家庭教師とはいいかねたが、黒羽は結構頼りにしていた。
冬馬の教え方はすごくわかりやすい。
頭がよくて、かっこよくて、何でもできるお兄さん。家はスカイにあって、お金持ちらしい。
両親の研究を手伝っているようだけれど、どういう人なのか、よくは知らない。
だが数年前から時折姿を見せる彼に、黒羽は密かに憧れていた。
両親は研究で忙しく、留守がちだ。
兄弟のない黒羽にとって、両親に次いで身近な人間といえば、冬馬涼一だった。

「べつに… 嫌いじゃないけど」
「じゃ、いいじゃない。付き合っちゃえば」
「でも…」
黒羽は言い淀む。
「何? なにか不都合があるのかい。他に好きな子がいるとか」

どきん
 
驚いた。
なんだろう、今の。

他に、
好きな子が。
  
好きな子なんか、いないのに

好きな子。

よくわからなくなる。
今、なにか解りかけたのに。

「だって、そんなに好きでもないのに、付き合っていいのかな」
「せっかく向こうから言ってきたんだろ。そりゃ、付き合わなきゃ損じゃないか」
笑って言う。
冬馬がどういう意味で「付き合う」って言っているのか、さすがに鈍い黒羽にも解る。
だってこの頃クラスでも「体験」の話題は花盛りだったから。
そう。
付き合うってことは、もちろんセックスまで射程に入れるってことだ。もう、中学生なんだから。
「何事も経験さ」
そう言って、冬馬は黒羽の頬を軽くはたいた。
 
結局、その子と付き合うことはなかった。
それだけでなく、ほかの子と付き合うこともなかった。
それからしばらくして黒羽は両親を失い、孤児となって施設にはいることになったからだ。
学校も移った。
生活の全てが、今までとは変わってしまった。
両親の悲惨な死は、もともとあまり外向的とは言えなかった黒羽の性格をますます陰鬱にした。
彼はそのショックから長い間立ち直ることができなかった。
アンダーでは、このての事故は決して少なくない。
子供だけが残されることも、珍しいことではない。
だから子供に対するケアは、外に比べたら格段によかった。
施設も充実している。望むなら、大学までの教育も保証される。養子縁組も、用意される。
親を失ったのは、黒羽だけではない。
ここにいる多くの子供たちが同じようにして両親を亡くしている。
悲しみが自分だけのものだと思うことは、傲慢だ。
解ってはいても、辛さが減る訳じゃない。
与えられた小さな個室のベッドで、黒羽は眠れぬ夜を過ごした。
何もかもなくなってしまった。
父も、母も、家も。
ただ一つ、
幸せだった過去に繋がるもの。
それは、今までと変わらず時折姿を見せる冬馬涼一だった。


「どうしてこんなことになったの」
みどり先生というまだ若い保母は、黒羽たち五人の少年たちを前に問いかけた。
五人は、服はぼろぼろ、あちこち痣やひっかき傷だらけという有様で、一見してひどい喧嘩をしたのだろうと誰にでも察しがついた。
おまけに部屋の中も荒れ放題だ。
重傷者が出なくて、何よりだった。
心の中でそっと胸をなで下ろしながら、みどり先生は厳しい声で問いかける。
「誰が始めたの」
「僕です」
一歩前へ出たのは、意外にも一番物静かな少年だった。
「コウくん? あなたが? いったい何故?」
少年は口をつぐむ。
決して喋らない、といわんばかりに。
他の少年たちは、こそこそと目線を交わし合って、やっぱり口を開こうとはしなかった。
ふう。
どうやらもめ事の原因は、この子たちの微妙なプライドに関わることらしい。
これ以上深入りするのは避けた方が良さそうね。
みどり先生はこのまま子供たちを解散させることにしよう、と思った。
だがその時に、嬉しくない邪魔が入った。
「がつん、と言ってやらなきゃダメですよ、みどり先生」
最近入ってきた保父だった。
子供には怖い父親が必要だ、とか何とか、なにか勘違いしている男だった。
みどり先生は密かに溜め息をついたが、子供たちは俄にざわついた。
「何が原因だ。言ってみろ。言えないようなことなのか」
今にも殴りかかりそうだ。
止めなくては、とみどり先生が立ち上がろうとした時、一人の少年が叫んだ。
「黒羽はホモだって、増田が言ったんだ」
「オレじゃねえ、吉武のヤツが言ってたんだ。あの、いつも来る兄ちゃんと怪しいって」
「だって、階段のとこで抱き合ってたんだ。オレ、見たんだから」

「違う!」

言うなり少年に掴みかかった黒羽を保父が押さえる。
「涼一は、そんなんじゃないっ。ちくしょうっ」
むちゃくちゃに腕を振り回して暴れた黒羽は、保父に殴られて部屋を連れ出された。

抱き合っていたのは、本当だ。
寂しくて、「帰らないで」と言って涼一の腕を掴んだ。
涼一は、僕を抱き寄せて頭を撫でてくれた。
少し、泣いてしまった。

もしかしたら、僕は本当にホモなのかもしれない。
だって、みんなが見て喜んでいるエロ本を見ても楽しくない。
前は子供だったからと思っていたけど、違うような気がする。
女の子とセックスするってことが、現実のことに思えない。

それに。

それに僕は涼一が好きだ。

どんな女の子よりも。

誰といるより、涼一といるのが嬉しい。
涼一のことを考えると、どきどきする。

きっと、僕は涼一が好きなんだ。

でも、そんなことは考えちゃいけない。
僕がホモなのは仕方ないけど、涼一は違う。
涼一のことをそんなふうに言うのは、許せない。
涼一は、僕を慰めてくれただけなんだから。

涼一にそんな気持ちを悟られちゃいけない。きっと、気持ち悪いって思われる。
そうじゃなくても、涼一に迷惑をかける。そんなふうには、絶対思われたくない。
 
黒羽の想いは心の底に秘められて、誰にも語られることはなかった。
冬馬以外にはうちとけず、誰に対しても壁をつくって、黒羽は施設での四年間を過ごした。
四年間、セックスに興味を持つこともほとんど無かった。
女の子を好きになることもなかったけれど、冬馬以外の男に惹かれることもなかった。
それでも時折冬馬の夢を見て夢精すると、ひどい罪悪感に捕らわれた。
まるで修行僧のように、黒羽は性的なことを遠ざけて18まで暮らしたのだった。


18の誕生日。
涼一の後を追って警察に入った僕に、涼一はご褒美をくれると言った。
そんなことを言われたのは初めてだったから、黒羽は緊張した。
連れて行かれたのはスカイのホテルで、豪華な食事をご馳走してもらったけれど、ほとんど味なんかわからなかった。
進められるままにワインを飲んで、すっかり酔ってしまった。
そして。
そのままホテルの一室で、涼一は僕を抱いた。
「ご褒美だよ」
と言いながら。
嬉しかった。
それはひどく辛い行為だったけれど、黒羽は幸せだった。
ずっと好きだった涼一。
叶わない想いだと思っていた。
一方的な、自分だけの感情だと。
ホモなんて穢い。
みんなから後ろ指を指されるような事だ。バカにされて、蔑まれる。
誰に言われても構わない。
でも、涼一にそう思われるのだけは嫌だった。
なのに。
涼一は僕を嫌わなかった。
気持ち悪いとも、厭らしいとも言わずに、受け入れてくれた。
応えてもらえるなんて、考えもしなかった。
すごく、
嬉しかった。

けれど、
この日から黒羽の不安な日々が始まったのだ。
気まぐれで、決して自分を見せない冬馬の背中をひたすら追い続ける日々。
 
僕は涼一を愛してる。
 
それだけが、黒羽の中で唯一、信じられる確かなものだった日々が。

END