過去−dark past−



「僕はあんたが彼を、あの男を見かけたって言うから、ホテルまできたんだが」
服を脱ぎかけた手を止めて、黒羽は目を細めて男を見つめる。
その目が男をひどく煽っている事に、黒羽自身は気付いていなかった。

「まあそう言うなよ」
ベッドの上の男は既に全裸で、舌なめずりをしながら、黒羽の白い身体を舐めるように見回した。
すでに股間のものは勃ちあがっている。
「知らないと言うのなら、帰る」
「そりゃないんじゃないか? ここまで来てよ。知らないとは言ってないよ。あんたの男の事だろ?」
男は唇にいやらしい笑いを浮かべた。

「よかったなあ、あんたの身体。女なんか目じゃねえよ」
黒羽は意味ありげに男の顔を見上げた。
唇が微かに開き、紅い舌が覗く。
「いいなあ、その瞳。前は俺の事なんか見なかったろ」
「あんたのペニスには、ホクロがある」
「ナニは見てたって言うのか、それはまた。すきもんだったな、あんた」
男は言いながら腕を伸ばして、黒羽の身体を抱き寄せる。
手を伸ばして形のいい尻を探った。
「ん…」
黒羽の唇から、微かに声が漏れる。

「綺麗だな、ホント、あんた綺麗だ」
男の指が、黒羽の後ろを探った。
指の先が入り口を見つけて、中に潜り込む。
「…ここも、狭くて熱くて」
「あの男の情報が本当にあるなら」
黒羽は喘ぎながら男に向かって言った。
「あるなら?」
「なんでもやる」
「ホントかよ」
男の目は欲情にぎらついた。
「あの時、あの男にあんたがしたみたいに、俺にもするっていうのか?」
あの時がいつなのか、自分がその時にどんな事をしたのか、黒羽は覚えていなかった。

ただ一つ解る事は、目の前のこいつが『彼』を追うために必要な情報を持っているらしい、という事だ。

きっと、どうしようもない事をしたのだろう。
黒羽は自分の体から目が離せないでいる男を、静かに見下ろす。
『彼』が要求する事は、いつでもひどく屈辱的で恥ずかしい事だったから。
あの頃は、それに応える事が愛だと思っていた。
今は、愛などというものの意味は手の中から消えてしまった。
だから、何をやってもいい。
この汚い身体に相応しい事をやればいいんだ。

「極上の味だったぜ。忘れ…られねえ。あんただって身体が疼くんだろ? 男欲しいんだろ? ここがさ」
黒羽は殆ど無表情だったが、男の執拗な愛撫に、勝手に声は口から漏れ出ていた。
そんな自分を嫌悪しながら、それでもこの声が男を悦ばせている事を感じる。
黒羽は手を伸ばして、男の身体をまさぐった。
男の顔が喜びに輝く。
「そ、その気になったのか?」
黒羽は黙って男の足元に跪き、既に勃ちあがっている男のものに舌を這わせた。
うっ…と小さく男は呻き、それから獣じみた息を吐き始める。

「あの男の事なら、ほ、ホントに知ってるぜ。本当だ。見かけたんだ。この、先でさ。だから、なあ。続きはやってからだ、いいだろ? なあ」
「嘘だったら、二度と会わない」
「嘘じゃねえよ。そんな事言うなよ」
黒羽は小さく頷いて、男のものを呑み込んでいった。
微かな唸り声と共に、ソレが喉の奥で硬く大きくそそり立っていく。
黒羽は嫌悪感で、一瞬吐きそうになった。

「あの男は、そりゃいい男かもしれないけどよ、オレの方がナニがでかいぜ。な? 良い思いをさせてやるよ。ホントだぜ」



男が身体の中に入ってきた時も、声は勝手に出た。
「いい…。あ…。すごく、いい」
男は声に煽られるように、夢中で黒羽の上で動く。
「…あっ。あぁ…」
「いいぜ、その顔、その、声…」
ひどく、男の顔は嬉しそうだった。
黒羽の身体は、男に姦されるたびに敏感に反応する。
その感度の良さに、男は夢中になってしゃぶりついた。

だが、身体とは別に黒羽の心は固く閉ざされていた。
快楽を感じる身体と、冷たく冷える心。
『彼』以外の誰かとセックスする時は、そうなるのが常だった。
身体はセックスの刺戟を求めて反応するのに、心はまったく付いていかない。
どこかに分離され、閉じこめられ、置き去りにされる。

だが、それを取り戻してくれた『彼』は、もういなかった。

「ああ、ああ。すげえいいぜ、あんた」
男は唸りながら、黒羽に覆い被さって腰を振る。
「すげえ。熱くて、キツくて。絡みついてくる…うわっ」
動きが早くなったかと思った瞬間、あっさりと男は黒羽の中で果てた。
ゼイゼイ息を切らせながら、黒羽の上に倒れ込んでくる。
よくしてやると言ったわりには、早い。
黒羽は男の下でぼんやりと思った。だが口は勝手に別の言葉を紡ぐ。
「たしかに、巨きいな。あんたのモノ」
黒羽の言葉に、男は嬉しそうに笑った。
「だろ? よかったろ? オレの」
まだ自分は射精もしてない。そう言いたいのをこらえて、黒羽は頷いた。
「ああ」
言いながら腰を動かす。まだ入れたままの男が再び呻いた。
そう、『彼』だってこうされたら喜んだ。
もっと僕が味わいたかったら、情報を持ってくるんだ。

「なあ、だったら、なぁ、これからも俺と、その、会わないか?」
あんたの男になれと言うのか?
黒羽はあまりのバカバカしさに心の中で鼻を鳴らす。
男の瞳が奇妙に真剣な所が、更に滑稽さを増幅させた。
だって、あんたの名前も知らないのに?
そして、あんただって僕の名前を知らない。
なのにどうして、真剣な顔をして、そんな事が言えるんだ。
黒羽は首を振った。
「僕が…どういう男か知ってるだろう?」
「…一人の男じゃ、満足できない?」
黒羽は頷いた。
「そうだな、そうだよな。あんたは綺麗だし、前だって何人もの男と…」
何人もの男と寝たのは、『彼』がそう望んだからだ。自分の意志ではない。
だが、そう思わせておけば楽だった。
利用するつもりの男に縛られるほどバカバカしい事はない。
「でも、だったら、あんたの男の一人でもいいよ。あんたが他の男と寝てても、それでもいいからさ」
黒羽は更に喋り続けようとする男の口を、自らの唇で塞いだ。


「あの男に…貸しがあるんだ」
「あんたが捜してる、あの男に?」
黒羽は頷く。
「僕はそれを、早く取り戻したい」
「ああ…」
「それが終わったら、そうしたら、幾らでも…」
男の瞳が、期待にぎらつき始める。
「わ、解った。ああ。解ったよ。あの男の事を色々探ればいいんだろう。解った。早くすめば、そうすれば…」
夢中で喋る言葉の途中で、黒羽は曖昧に頷いた。
男が黒羽の言った事をどんな風に解釈しようと、それは構わなかった。
『彼』を見つけたら、その後誰とも会うつもりはなかったからだ。

男が再び黒羽の身体の上で動き始める。
一つの目的を果たした黒羽は、今度は自分の肉の欲望を満たすために、それに応えた。
心がどれだけ冷えていても、身体は快楽を求める事をやめられない。
もういい、と思う。
どうせ僕には未来はない。
あの男が追えれば、それでいい。

黒羽は全ての思考を切り離し、身体の感覚に溺れていった。

END