過去−dark past2−



 『彼』を追うと決めてから、実際に身体が動くようになるまでに、半年以上かかった。
ケガが治り、身体的に機能を取り戻しているはずなのに、何故か上手く動かない所が、何カ所もあった。それは心理的なものが原因かもしれないと医者に指摘されたが、黒羽にはよく解らなかった。


「ああ…ぁっ…ああぁ…」
男の上に跨がって、黒羽は快楽の声をあげる。
頭は冷えきっていたが、身体はどこまでも熱い。
熱に…溺れそうだ。
男は黒羽の尻を押さえると、下からぐいっと腰を突き上げた。
自分の動きを封じられて、黒羽は悶える。
男の射精したものが、ヌルヌルと下腹を濡らす。
欲望を何度も吐き出された黒羽のその部分は、程良くほぐされ、男を充分に受け入れて拡がっている。

セックスは単なるエサだ。
そう思っている筈なのに、体は勝手に快楽を求めて動いた。

『どうしようもない淫乱め』

『彼』の言葉が耳に甦る。
そうなのかもしれない。
僕は本当は、セックスが好きなのかもしれない。
男に脚の間を舐められて、突っ込まれて、声をあげてよがるのが、好きなのかもしれない…。
汚い行為。
ずっとそう思っていた。
彼に抱かれる時ですら、罪悪感が心から消える事はなかった。
それでも彼は許してくれたから。
汚い僕を、それでいいんだと許してくれたと、そう思っていたから。
だから、どれだけ苦しくても、彼に抱かれる事は喜びだった。

だが、もはや僕は許される資格など無い。
誰も僕を許してくれなくていい。
誰か僕をメチャクチャに姦して、そして殺してしまってもいい。

彼を追いかけて捉まえたいのか、それともここで殺されてしまってもいいのか。
黒羽の思考は混乱する。
だがもちろん、黒羽の下で蠢く男は、誰も殺したりなどしなかった。
ただ呻いて体を震わせると、何度か目の欲望を黒羽の中に吐き出した。
「んん…っ」
黒羽も男の上で背を反らして達する。
「あっ…あぁ」
男は黒羽の射精と共に、快楽の声をあげた。
「すげえ…。締めつけてくる」
黒羽は息を吐きだすと、男の上で力を抜いた。


ずっと、彼は見つからなかった。
彼が消えて、もう2年になろうとしていた。

…冬馬涼一

見失った道標。
愛していたと、そう思っていた男。
自分を騙し、裏切り、棄てて。そして消えてしまった。
自分に『男』を教えた男。

見つからない。
まるで本当に消えてしまったかのように。
なんの痕跡もなければ、彼を見かけたという情報も、ぷつりと途切れてしまった。
追えるのは過去の残滓ばかり。
今日の男が持ってきた情報も、新しいものではなかった。
だが、それでもよかった。
自分は殆ど「彼」の事を知らなかったのだから。
少しずつ集めて、自分の中に自分が知らなかった彼の顔を作り上げていく。

本当に死んでしまったのだろうか?
いや、そんな筈はなかった。
今はどこかに潜んでいるとしても、かならず彼は再び姿を現すだろう。
冬馬涼一は、そういう男だった。



「なあ…」
身体の下で荒く息をつきながら、男が眩しそうに黒羽を見上げた。
「なに?」
「また会ってくれるか?」
黒羽はすうっと目を細めて、曖昧に頷く。
「彼の情報を持ってきてくれたら」
男はほんの少し黙った。
「…そいつが好きなのか?」
「どうだろう」
「だけどよ」
黒羽はしばらく冷たい瞳で男を見下ろしていたが、突然身体を抜いてベッドから降りた。
「じゃあ、もうやめにしよう」
「えっ、おい」
「詮索されるのは、好きじゃない」
人と話すのも、本当は面倒くさい。
冬馬涼一の事を知らないのなら、黙ってセックスだけしてくれればいい。
それも出来ないのなら、黒羽が欲しいという男も、情報提供者も、他に幾らでもいる。

「解った、解ったよ、もう聞かない」
男は必死な顔をしてベッドから降りると、黒羽の腕を掴んで引き止めようとした。
その腕の生暖かさに、黒羽は一瞬恐ろしいほどの殺意を感じる。

この腕を逆に振り払って、濁った目の奥深くに指を突っ込む。
2秒で、お終いだ。

だが、嵐のような殺意は、ほんの一瞬黒羽の身体を過ぎっただけで消えた。
かわりに黒羽は振り返って男の抱擁に応え、彼の下腹をまさぐる。
「うっ…あぁ」
何度も黒羽の中で果てたくせに、男のそれは、再び力を増して、黒羽の手の中で勃ちあがっていった。
男はうっとりとため息をつく。
「…すげえ。信じられない。あんたとなら、何度でも、オレ、できそうだぜ」
「今度また…」
「うん、ああ。解った。やめにするなんて、言わないでくれ。お願いだから」
黒羽は曖昧に頷く。
男は未練がましくしばらく黒羽の身体をまさぐっていたが、応えてこない事が解ると、それ以上迫っては来なかった。

 

 

吐き気がする。
こんな事、したい訳じゃない、と思う。
だが、やめる事は出来なかった。
頭からシャワーの水を浴びながら、黒羽は男の匂いを出来るだけ洗い流そうとした。
脚の間から流れ出してくる精液。
男に玩ばれ、しゃぶられたペニス。

行為に身体は感じていた事が、なおさら嫌悪感を募らせる。

だが、同時に心の中には、薄暗い快感も密やかにあった。
黒羽を引き止める為に、まるで跪かんばかりだった、あの男。
彼は自分の身体が欲しいと、そう言ったのだ。
どんな事でも、誰かに必要とされ、欲しいと思われる。
それは黒羽にとって、渇望に近い思いだった。

仕事とセックス。

この二つを決して手放す事が出来ない。
そこでだけ、自分が必要とされ、求められる。

 

「りょういち…」
冷たい水を浴びながら、唇が名前を形づくる。
その名前を呟いた事を、黒羽は意識していなかった。
水音が呟きを消し、形にならない想いを排水孔の中に流し去っていった。

END