正義の味方 incident3

地下室の悪夢


 地下室には腐ったような臭いがただよっていた。
じっとりと湿気った空気が体に纏わりつく。
微かに自分を呼ぶ声が聞こえた。
声を出そうとして、ためらう。
自分の吐き出す暖かい息が、ヤツをおびき寄せてしまうかもしれない。
呼吸、体温、汗、そしてさっきから嫌な感触で自分の腹を濡らしている血液の臭い。
そんな、生きているものが出すしるしのすべてが、あの化け物を引き寄せた。
まるで、光に集まってくる虫のように。
 
リビングデッド。
生きていない、動く『もの』
生きているものすべてを食い散らかす虫(バグ)
噂の中にしか存在しないはずだった、人喰いのお化け。
 
「白鳥さん! そこにいるのか?」
でかい声出しちゃって。
白鳥は腹を押さえながら、うっすらと笑った。
白鳥さん、だって。
香澄って呼ばなきゃ返事なんてしねえぞ。
「白鳥さん! 白鳥香澄。返事してくれ。お願いだ」
びっくり。なんだか心配そうな声。
オレの事『外の人』だなんて言ったくせに。
 
「だけど、外の人には、外の人なりのプライドってもんがあるんだよねー」
白鳥は口の中で小さく呟くと、上体を起こした。
地下室だなんて、変なの。
だって砂城のアンダー自体が地下にあるんじゃん。
地下室の、そのまた地下室。
化け物や虫が出るには申し分ない。
白鳥はホルスターから銃を抜き、暗闇に向かって構えた。
 
砂城のアンダーにはお化けが出る。
外にはそんな噂があった。
きらびやかな遊園地の下に沈む、同じ名前を持つもう一つの都市。
大抵の人は砂城と聞くと、スカイの遊園地を思い浮かべる。
その華やかなイメージに隠されたまま、砂城のアンダーは下に潜んでいた。
そこは確かに、地の底に続く暗闇の入り口だった。
 
お化けが出る。
地下の闇の底から。
這い出してくる。
人を喰うために。
地下室の、地下室。
 
湿気った暗闇の向こうで、何かがごそりと動いた…。

 

 

「通報があってから約30分です。通報内容は、あまり要領をえません。何かが倒れるような大きな物音がしたと思ったら、銃声が3発。それだけだそうです」
制服警官の報告を聞きながら、黒羽 高(くろはね こう)は黙って頷き、同僚の刑事達を振り向いた。
 
こざっぱりした住宅街の中にある、赤い屋根の建て売り住宅。
今その前にはたくさんの警官が集まっている。
そして更にその周りには、たくさんのやじうまが遠巻きにうごめいていた。
 
「強一(捜査一係強行第一班)の話によると、例の強盗殺人犯の可能性も考慮してくれということだ。もしそれが関係していたとすると、ドアに細工がある。前の事件の時には、ドアを開けたとたんに爆発が起きて、制服警官が一人殉職している」
黒羽は周りをまったく気にすることなく、淡々と説明を始めた。
殉職、のところで誰かかうへえ…、とため息をつく。
 
砂城西署捜査一係強行特殊班。
通常の殺人強盗捜査も、もちろんやるが、ほとんどは、それらの捜査に関わる刑事達の遊撃隊。
荒事専門のチームである。
 
「銃声が3発聞こえた後は、静かなままだそうだ。このままここで様子を見ていてもらちがあかないので、突入する。
ただし、さっきも言ったとおりだ。ドアからは入らない。
僕と白鳥で南側の窓から入る。高田さんのチームは東に回ってくれ。佐々木さんのチームは裏から。梶さんは後ろから援護。
今までの通りなら、ドア以外には何もしていないそうだが、一応窓の周りに細工がないかどうか、よく注意すること。
少しでもあやしいと思ったら、そこからの突入は即中止。別のルートを確保。臨機応変にやってくれ」
 
全員が頷いた。
黒羽の静かな声が響く。
「よし、突入」
両手で銃を握り、体を低く倒して、刑事達はすべるように動き始めた。
黒羽は左手にソウドオフショットガン、白鳥はニューナンブを握って南側の窓に回る。
 
「白鳥さん。申し訳ありません」
走りながら、いきなり黒羽は謝った。
「えっ? なんの話?」
寝ぐせが残っているような、少々はねた髪の毛をかき上げて、白鳥香澄(しらとりかすみ)は聞き返した。
「ここで階級が一番上なのは、あなただ。本来は、指揮権はあなたにある」
「あのねえ…」
白鳥は不服そうに上を見上げた。
黒羽の顔は、白鳥より10センチは上にある。
なんか、警察官らしくない顔だよな、と白鳥は思った。

綺麗すぎる。

短く切った艶やかな黒い髪。
僅かに細められた、長いまつげの中に覗くアイスブラックの瞳。
表情のあまり無い、造りもののような、白く玲瓏な顔。
その人形のような顔は、銀のメガネによって少しだけ表情を与えられていた。
あのメガネ、自分で外してみたい…。


 
白鳥はため息をついた。
今は顔なんか見つめてる時じゃないだろう?
「あのねえ、黒羽さん。解っているでしょう? オレの階級が分不相応だって事くらい。ここに来て、たったの二週間。砂城のこともよく知らないし、ここのやり方も、よく解ってない。そんなオレにどんな指揮をとれって言うのさ」
黒羽は沈黙した。
 
「そりゃまだ黒羽さんは認めてないかもしれないけどさ、オレ達一応パートナーじゃん。階級のこと言うのって、嫌味っぽくない?」
「そんなことは…」
「ない? パートナーだって認めてんの? じゃあ、白鳥さん、じゃなくて香澄って呼んでくれると嬉しいなぁ。ダメ?」
ここぞとばかりに白鳥は、前から何度か提案していたことを口にする。
いや、今はそういう事言ってる場合じゃないのは解ってんだけどね。
白鳥はそんなことを思いながら、ちらりと横目で黒羽の顔を窺った。
 
案の定、彼は少々困ったような顔をしていた。
いや、基本的にはどこまでも無表情なのだが、桜庭に言わせると、その中にちゃんと表情があるという。
残念ながら白鳥には、まだ全然と言っていいくらい、それは読みとる事ができなかった。
だけど、今なんとなく困っていないか?
白鳥は心の中でちょっとほくそ笑む。
もしかして、少しは解るようになってきた?
 
「わかりました。では、僕の後ろから離れないように」
へ? 白鳥の目は、一瞬点になった。
「僕が先頭に立ちます。家の中に入ったら、あなたは僕の後ろにつくように」
ちょっと待て? 
どこをどう解ったって?
いつの間にか黒羽の体に自分が守られる形を取らされていることに、白鳥は気がついた。
しかし、砂城のことをよく知らないと言ってしまったのは自分自身なので、この場合は何も言い返せない。
釈然としないものを感じながらも、白鳥は黒羽の後ろについて、窓から室内へと侵入した。
 
 
 
 家の中は、妙にしん、としていた。
普通の、ごく普通の一般家庭の家。
そんな所に土足で、しかも忍び足で入り込んでいく自分たちが、とても異質なものに思える。
黒羽は素早く銃を左右に向け、警戒範囲をクリアにしていった。
白鳥は、とりあえず言われたとおり黒羽の後ろにつき、銃は上に向ける。
見上げたそこには、階段があった。
2人は顔を見合わせると、ゆっくりと階段に歩を進めた。
家の中は、恐ろしく静かだった。
 
「誰も、いないんじゃ…」
小さく言いかける白鳥を、黒羽は手で制す。
「階段下を…」
白鳥は頷いて、階段の下に銃を向けたまま、黒羽の背を守る形を作った。
黒羽は背中を白鳥にあずけて、そのまま階段を上がっていく。
階段上にはドアがひとつ。
ドアに指をかけ、ゆっくりとノブをまわす。
ドアを引き開けるのと同時に黒羽は中に飛び込み、壁を背にして銃を構えた。
カーテンが閉められた薄暗がりの室内は、まるで事件など何もないかのように、普段の生活の臭いをただよわせている。
 
だが、妙な違和感があった。
どこが、と言われても、はっきりとは答えられない。
黒羽は室内を注意深く見回した。
 
羽布団が半分ずり落ちたベッド。
脱ぎ捨てられたシャツに靴下。
ひっくり返ったおもちゃ。
そこは、どうやら子供部屋のようだった。
黒羽は羽布団をめくり、カーテンの裏を確かめる。
何もない。
 
「黒羽さん」
その時、後ろから白鳥の声がかかった。
「高田さんです。下に死体が二つあるそうです」
黒羽は黙って頷き、二階のその部屋に誰もいないことを確認すると、そこから出た。
「居間だ」
階段下で高田が短く言う。
「どうやら強盗殺人犯じゃないらしいよ…」
高田の後ろから、彼のパートナーの上川が出てきて、首を横に振って言った。
「まずいよ、黒羽さん。きっと、ジャンクだ」
「!」
黒羽の瞳が、一瞬大きく見開かれる。
「ジャンク? ここに?」
上川は頷いた。
「見に来て。居間だ。佐々木さんと篠原さんが見つけた。被害者は子供と、多分その母親。母親はチーフスペシャルを持っていたようだけど、3発撃ったところで、ジ・エンド。しかも当たっていない」
「体制の、立てなおしだ。外で待機している連中にも、情報を伝えてくれ」
上川は頷き、無線機に口を寄せた。
 
黒羽は白鳥を引き寄せ、その手に何か握らせる。
「黒羽さん?」
「状況が変わった。ここから出るつもりが無いなら、今すぐに弾をリロードしてくれ」
「これと?」
白鳥は渡されたものを見つめる。
別に、見た目はまったく普通の弾丸と変わったところのない、ホローポイントブレットだった。
「対ジャンク用だ。ジャンクを見つけたら、すぐにそれで撃ち殺す。いや、殺すというのは適切ではないな。撃ち壊すと言う方が正確だろう」
「ジャンクって…」
白鳥は言われるままに弾丸を入れ替えながら、黒羽に向かって言った。
「オレ、聞いたことがある。噂でだけど。砂城のアンダーには、お化けが出るって」
黒羽は怪訝そうな顔で白鳥の言葉を聞いていたが、やがて頷いていった。
「ジャンクと言います」
 


ジャンク。
砂城の地下。アンダーの更に下。ディープ
階層構造になっている、どこまで深いのか誰も確かめることができない、暗い地の底からはいずり出てくる、人喰いの虫。
黒羽は、白鳥がジャンクを知らないことに驚いていた。
砂城のアンダーに住む人間なら誰だって、3歳の子供ですら、その恐ろしさを実感として知っている。
 
ここで銃の使用が認められているのは、ひとえにジャンクのためだった。
確かに今はその銃のせいで、余計な犯罪が大量に増えている。
砂城のアンダーは、ジャンクがいなくても、物騒な場所になりつつあった。
しかし、それでも人々は銃を手放すことができなかった。
いつのまにか捕食される事の無くなった人間という種を、唯一狩りに来る魂のない『もの』。
ジャンクは、穏やかな日常という薄皮を押し破って侵入してくる異物、悪夢の中の化け物だった。
摂理から外れた化け物を殺すための銀の弾丸。
それは、けっして手放すことのできない、唯一の牙だった。
 
「外の人は、ジャンクを知らないのか?」
ほとんど独り言のように呟かれた疑問に、白鳥は驚くほど素早く反応した。
「名前は、知らなかったさ」
吐き捨てるように語尾を短く切る。
黒羽は、ほとんど挑戦するかのような白鳥の鋭い目に、少しとまどった。
何かまずいことを言ってしまったのだろうか?
外の人間がジャンクを知らなかったことには確かに驚いたが、知らないのなら今からでも知ればいい。
そんなことより…。
「現場を見てから対策を立てよう」
黒羽はあらためて左手のショットガンを構え直す。
上川が軽く頷いて、居間のほうへ歩き出した。
 
 
 
黒羽は、白鳥が『外の人』という言葉に傷ついたことを、まったく解っていなかった。
何故なら黒羽にとって、白鳥が外から来たことは当たり前だったからだ。
しかし、白鳥はそうは取らなかった。
『外の人』、砂城のことを何も知らない、ここでは役立たずの人間、そう言われたような気分になったのだ。
 
なんだよ。
ここに来て二週間もたつのに、誰も教えてくれなかったじゃないか。
白鳥は心の中で黒羽に悪態をついた。
考えてみたら、外の研修でもジャンクとやらの事は話されなかった。
ただひたすら銃の練習や、戦闘護身術のようなものを繰り返したばかりだ。
なんで、教えないんだ?
もしかして、すっげー秘密とか?
 
閉鎖都市砂城。

その言葉が妙にリアルに感じられた。
考えてみたら、砂城のアンダーの情報は、本当にほとんど外に出ていない。
外の人々が砂城と聞いて思い浮かべるのは、スカイの遊園地のことで、実際砂城は、遊園地の代名詞だった。
その下にもう一つ都市が沈んでいることを知ってはいても、誰もそこがどういうところだか判っていない。
せいぜいが何かを掘り出している、銃の氾濫する危ない場所、という印象くらいしか持っていなかった。
砂城のアンダーがどういう都市で、どんなものがそこにあり、何をやっているのか、外の人間は誰も知らないのだ。
13歳の時から、ずっとここに来ることを考えていた白鳥でさえ、例外ではなかった。
砂城のアンダーの情報は、文字通り『閉鎖』されている。
その事を、外の人々も砂城の人々も、どちらもあまり自覚していないようだった。
それほど外とここは分離されているのだ。
 
もしかして、上に遊園地があるのも、そっちにみんなの意識を向けさせるための、なんかのカムフラージュだったりして…。
 
…なーんてな。
白鳥は少し元気になってきた。
『外の人』発言は、まだ気にくわなかったが、ここで自分が不利なのは事実だ。
白鳥は前向きに考えることにした。
ラッキーじゃん。
どんな化け物だか知らないけど、正義の味方はいつだって悪の化け物と戦うものなのさ。
外にいたら、絶対できない体験だ。
オレが役立たずかどうかは、今に解るさ。
白鳥はふたたび持ち前の陽気さを取り戻し、前を歩いていた高田に続いて、居間の入り口にかけてある、ドア代わりの、のれんをくぐった。

 

 

  しかし、部屋の中を見た瞬間、白鳥は呆然と口を開け、その場に凍り付いた。
「え…?」
後ろから黒羽が白鳥の背中を押すようにして入ってくる。
それから白鳥が凝視しているものに視線を走らせ、微かに目を細めた。
「…一瞬だ。痛みはなかったな」
「黒羽さん、これ…」
 
それはまるで一枚の奇妙な絵か、ねじったオブジェのように見えた。
一瞬のめまいの後、白鳥の頭の中には、感覚器官からの情報がいっせいに流れ込んでくる。
大量の血液の臭い。
天井まで飛び散ったそれの、思ったよりもずっと鮮やかな赤。
壁にはなにかの塊が寄りかかるようにして二つ倒れていた。
それが人間だと解った瞬間、白鳥は無意識のうちにあるべきものを部屋の中に捜していた。
縊りきられ、転がっているはずの、二つの首を…。
 
「かなり大きいジャンクだな。多分成人男性くらいはある」
高田の声に白鳥は呪縛から解かれた。
頭を振って意識をはっきりさせる。
だめじゃん、オレ。しっかりしろって。
黒羽は壁の近くまで行って、二つの死体を見おろした。
それは上川が言ったとおり、小学校低学年くらいの子供の体と、そして多分その母親と思われる体だった。
体…。そう、二つとも体しかなかった。
首から上は、まるで巨大な鋏で切り取られたかのように、ぶつりと無くなっている。
想像するのもおぞましいことに、切り取られた瞬間は、まだ2人は生きていたらしかった。
その証拠に血液は天井まで吹きあがり、窓を濡らして床にしたたり落ちている。
「子供を背中で庇っている。多分母親のほうが先にやられたんでしょうね」
言いながら上川は死体と反対側の壁に近づいた。
壁と、かけてある時計に銃弾が3発めり込んでいる。
上川は鼻に皺を寄せた。
「残念ながら当たってませんね。ジャンク用の弾だ。用意のいいことで。もっとも当たっていたとしても、そんなに大きいジャンクなら、3発で壊れたかどうか…」
 
「本当に…、人を喰うんだ」
白鳥がいつのまにか黒羽の後ろに立っていた。
黒羽は振り向いて、白鳥の顔を見る。
彼は、まだ少し呆然としているように見えた。
彼はジャンクを知らない。
彼の事は、僕が守らなくてはならないだろう。
黒羽は、白鳥に死んでほしくなかった。
 
妙に陽気な、外から来たパートナー。
静かに沈殿していたような自分を、白鳥は初日からかき回していった。
胸の底の泥が沸き上がり、水が濁っていくのは苦痛を伴う事だったが、それは仕方のない事だった。
自分は本当は濁っているのだから。
警察の仕事をしている間は、透き通った上澄みしか存在しないような顔をしているけれど、下には泥が沈んでいる。
水が濁れば、嫌でもそれを自覚する。
その痛みは、無感覚だった身体をちくちくと刺戟した。
自分は多分、苦痛を欲している。
自らの正体と、やって来た行為に相応しい苦痛を。
だから、それは、悪くはなかった。
 
白鳥を守らなくてはならない。
彼は何も知らないのだから。
ジャンクの事も、僕の本当の姿も。
また自分を護ったのかと、後で怒られるかもしれないが、黒羽は彼に死んでほしくはなかった。

黒羽は白鳥の顔をまっすぐに見つめて言った。
「そうです。人を食べる。本当は人だけでなく、生きているものなら何でも食べる。人が多い分、人が犠牲になることが多いけれど」
白鳥は、その『生きているもの』という言葉の微妙なニュアンスを正確に嗅ぎ取った。
視線を動かして、首がないだけで、あとはどこも食いちぎられてはいない死体を見つめる
「生きているもの? じゃあ、死体は食べないんだ」
「そう。生きているものしか食べない。生命活動が停止したら、ジャンクは次の獲物を探す」
「じゃ、次の獲物って、オレ達じゃん」
「ええ」
黒羽は返事をしながら、白鳥の鋭さに驚いていた。
ジャンクを倒す時は、常に自分の体を囮にする。
それが基本だった。
ジャンクのことを何も知らなくても、白鳥は進む方向は解っているらしい。
 
「ジャンクは生き物ではなく、動く『もの』です。奴らは下から来る。地下の底から。ジャンクがどういうものなのか、まだ正確には解明されていない。何故あんなものができたのか、地下のどこからやってくるのか、どれくらいいるのかも解らない。しかし、壊すことはできる。だからそれが今回の僕たちの仕事です」
白鳥は黙って頷いた。
 
「それで、どうします?」
白鳥への説明が終わったのを見計らったように、居間の入り口の所で廊下を見張っていた篠原が、黒羽に声をかけた。
「チームを二つに分けて捜そう。ひとつは一階を。もう一つは二階を捜す。人間くらいの大きさなら、家の中で隠れる場所は限られてくる。押し入れか、バスルームか、天井か」
「ベッドの下って事もあるぜ」
高田がそう言ってくすくす笑った。
ベッドの下に潜むジャンクの話は、砂城では定番の怪談だ。
黒羽は高田の言葉は無視した。
「とにかく、ジャンクが外に出ることだけは防がないといけない。時間がない。行動に移ろう」
 
黒羽の言葉に全員が頷いた。

 

 

  「…で、ジャンクって、どういう形をしているの?」
白鳥はできるだけさりげない風を装って、後ろの上川に聞いた。
黒羽の指示で、黒羽と白鳥、それに上川の3人が一階を捜すことになった。
居間を出て、まずはバスルームに向かう。
「虫かしら」
「虫?」
「出てくるたびに形は違うの。なんていうか、狂った神様が適当に土をこねて作った感じ。まあでも、だいたいは虫に見えますね。なんだろう? 動くのに都合がいいのかな?」
「生きていないのに、なんで人なんか喰うのかなあ?」
さあ、と上川は言って、それから笑いながら白鳥に自分の左腕をさしだした。
「白鳥さん、ゾンビって知ってる?」
「え、ええ? リビングデッド? うーん、オレ、そういう映画見ましたよ。動く死体が人を喰うんだよね」
そこまで言って、白鳥は口をつぐんだ。
上川の左腕は肘から先が義手になっていた。
「気にしなくていいです。やられたのは子供の頃。もう痛くないし、それに私は運が良かった。左腕だけですんだのだから」
上川は微笑んだが、白鳥はぎこちない表情しか返せなかった。
「ゾンビはなんで人を食べるんでしょう。彼等にはきっと、彼等の理屈がある。だけど喰われそうになったら理屈は関係ないよね。喰われる前に、そいつを倒す。そうでしょう?」
白鳥は黙って頷いた。
どんなに説明を受けても、白鳥にとってまだ見たわけではないジャンクは、いまだお話の中にしかいない化け物にすぎなかった。
しかし上川にとっては、いや、黒羽にもきっと、これは肌で感じるリアルなのだ。
 
「バスルームだ」
先頭を歩いていた黒羽が、ぼそりと言った。
ドアの前で黒羽がショットガンを構え、白鳥が体を壁に付け、手だけ伸ばしてドアの取っ手を握る。
一瞬の緊張。
しかし、ドアが開けられても、中からは何も飛び出しては来なかった。
狭いバスルームの中に、黒羽が体を入れる。
銃を右に、左に向け、浴槽を覗いた。
「クリア。何もいない」
ふう、と白鳥がため息をついた。
「じゃ、次はそこの和室の押し入れかな?」
廊下を警戒していた上川が、顎で向かいのふすまを指し示す。
ふすまは微かに開いていた。
ふたたび白鳥がそこを引き開けると、黒羽と上川が時間差で部屋にすべり込んでいった。
 
妙に明るい室内には、なんの気配もなかった。
押し入れの中にも、布団がぎっしり積まれていて、何者かの入る余地は無さそうだ。
 
「いないね」
なんとなくホッとした空気が一瞬流れた。
「次は、トイレだ」
黒羽はそんな中でもひとり厳しい顔をしている。
白鳥は横目でそれを見ながら上川に耳打ちした。
「黒羽さんてさ、何考えてるか、あんまり解らないよね」
上川は首をかしげて白鳥を見る。
「まあ、あまり喋らないから。でも、あなた達二人、パートナーでしょう?」
「そうなんだけど…」
白鳥はぼりぼりと頭をかいた。
 
半年すぎるまで自分を正式にパートナーとは認めないと、黒羽が白鳥の前で宣言したことは、どうやら誰にも知られていないようだった。
正式、という訳ではないにしろ、黒羽は白鳥を一応パートナーとして扱ってくれている。
 
だけど、なんつーか、それじゃダメなんだよな。
白鳥は思う。
このまま漫然と半年後を迎えて、黒羽は認めたとしても、自分が納得しない。
ここらへんでさ、ばしっと決めとかないと。
そんなことを思いながら黒羽の背中を見る。
背中じゃなくってさ、ちゃんと顔見てさ。


 
その時白鳥は、足元に泥のようなものが落ちていることに気がついた。
ほんの僅かな黒い粒。
よく見なければきっと見落としてしまうだろう。
最初は自分の靴から落ちたのかとも思ったが、それにしては変だった。
新興住宅街の道路は、みな舗装されていたし、色々家の中を靴で歩き回ったあとで、今更ここに靴の泥が落ちるのもおかしい。
泥の跡を目で追うと、なんとなくそれは床の間のほうに続いているように見えた。
白鳥は部屋を出ていこうとしている2人の背中を振り向く。
しかし、声をかける前に白鳥は思い直した。
 
ここら辺でさ、ばしっと決めとかないと。
 
白鳥は一人で床の間に近づいていった。
あれ? 何か変だなあ、ここ…。
泥がとぎれた、床がまちの部分を手でなぞる。
黒羽達が気がついて後ろを振り向いた瞬間、かちりと小さな音がして、白鳥の体は床の間の下に開いた、暗い穴の中に落ちていった。

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