現在−情事に至る過程3−



『黒羽くんを全部引き受けて欲しい』
桜庭さんのあの時の言葉が、頭の中でぐるぐるする。
心も体も、なんて言われて、咄嗟にエッチな事を思っちゃったのは、オレがすごくエロエロな男だからとか、そういうわけじゃないと思う。

そりゃーもう、オレってばこの間まで10代だったし。
エッチできるってーなら、いつだってしたいし、朝なんか勃っちゃって、痛いけどね。
だから、ヤリたい盛りってのは否定しない。
それでも一応、恋愛対象は女の子だったんだ。
うん…その。
まあ、この間までは。
いやもしかして、もうちょっと前かな?
いやいやいや、誤解しないで欲しい。
オレはただの一度だって、男にむにゃむにゃな感情を抱いた事はない。
てーか、そんなんやだ。
幾らでもエッチさせてくれるって言われたって、それが男なら、即座にご遠慮させてもらう。

……うーん、うーん。
だけどさあ。
ここがオレの中でキョーレツ矛盾してる所なんだけど。
黒羽さんなら、その…いいかもって。
思ったりしてるんだよね、これが。

じゃあ男でいいかって言うと、男はやっぱりヤダと思う。
なのに黒羽さんなら、いいんだ。
だって、男とか女とか関係なくなっちゃうくらい、あの人って綺麗なんだぜ。
あの目とかに見つめられると、こう背中がゾクゾクッとするし。
(決して寒い訳ではない)
あの唇とか、肌が白いせいかもしれないけど、紅くてさ。
じーっと見つめてたら、誰だっておかしな気分になっちゃうよ。
もちろん黒羽さんが男だって事は、充分自覚している。
(風呂でアレだって見ちゃったしな)
なのにその…。
抱きしめたいなあって思ったり、キス…、したくなっちゃったり、するんだよな。
(キス、全然嫌がらないんだもん。そのうえあの唇の気持ちよかった事…)

「…しまった」
勃っちゃったぜ。
くそー。今度どこか遠い本屋さんで、エロ本仕入れてこよう。
今は処理できるようなネタが、何もありません。
しかし、あの唇の感触を思い出しただけで勃っちゃうなんて、たまっているのか、それとも黒羽さんに本気、なんだろうか。


本気で好き…。
だとは思う。
だけど、でも。
それがイコールセックスしたいかっていうと、よく解らない。
なんたって黒羽さんは男だし、オレも男だ。

桜庭さんが言った最初の意味は、もちろん身体まで引き受けるって、そーいう意味じゃないと思う。黒羽さんを護れって、片手間でやるな、とことん関われって、そういう事なんだろう。
なのにオレってば、ちょっと気を抜くと、つい次の言葉の方が大きくクローズアップされて耳元で聞こえてきてしまう。

『恋愛は自由だし。黒羽くんは、あの通りすごーく綺麗だしねぇ。誰だってそりゃあ少しくらいは…』

誰だって、少しくらいは?
まるで免罪符でも貰ったかのように、いつまでも耳に残る。
誰だって少しくらいは、黒羽さん相手に、エッチな気分になっちゃう?

もちろんオレは、ホモに偏見はない。
自分は違うと思うけど、別にホモだってレズだって構わない。
人を好きになる時に、その辺りはあまり重要な括りだと思わない。
にもかかわらず、迷う。
オレは黒羽さんを、どんな風に『好き』なんだろうって。

黒羽さんは男で、オレは女の子が好きなのに。
でも黒羽さんなら、オレはいいんだ。
黒羽さんなら、抱きしめてキスしたくなっちゃうんだ。
でも男はヤで、でも黒羽さんは男で。
男だけど黒羽さんならよくて。
黒羽さんは男で、でもオレは男は…
でも黒羽さんは、でもオレは。
でもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもで…。


「で、でえええ〜いっ!」


一発気合いを入れて、でもの洪水を蹴り散らす。

「何ぐるぐる拘ってんだオレは。迷ったら初心に返れ! 大体オレってば、男とどうするこうするなんて、考える資格がないじゃんか」
だって何も知らないもんなっ。(←いばるな)
ナニをどーするのか、サッパリ解らない。
こんな調子で何かを考えようとすること自体が間違っている。
「ちゃんと知識を入れてから、考えないと、何もできないぞっ!」

言ってることは正論かもしれないが、そういう問題なのか、もはやよく解らない。ついでに言うならこの時点で、黒羽の方はどうなんだ、という点をまったく考慮していない事にも気付いていない。
だが、結論がつけられないのは、要するに自分に知識が不足しているせいだと、とりあえず納得することにした香澄ちゃんであった。

「そーだよな、うんうん。男同士ってどうするものなのか、知っておいても損はないよなっ。何事も予習復習。デートだって下調べが肝心だ。ちゃんと知ることは知っておかなくちゃ」

とまあ、よく解らん決意をしたのはいいが、さてそれではどの辺で勉強すればいいのか。そこが問題だった。
いくら考えても、何も思い浮かばないし、かといって署内の誰かに訊く訳にもいかない。
ぐるぐる迷ったあげく、思いついたのは昔の友達に電話してみることだった。


『男同士のエッチ?』
「うん。ちょっと知りたくてさ」
『なに? 白鳥くんそーいうの目覚めちゃったわけ?』
「そ、そんなんじゃなくて、ほら、捜査上の必要ってヤツでさ」
『ふうん。何かあやしい』
女言葉を使ってるけど、相手はオカマじゃない。本物の女だ。
ただし、ふつーの女じゃない。オタクだ。
小学生の頃からコミケに出入りし、白鳥に男同士のエッチについて、いかにろーまんちっくであるかを蕩々と講義してくれたことがある超変人女だ。
その頃白鳥は、ただぼーぜんとそれを聞き流しただけだったけれど。
男同士のエッチ=彼女、の公式は、頭の中に出来上っていたらしい。
あれだけオレに色々講義してくれたんだ。間違いなく詳しいはずだぜ。

ちなみに彼女には、コミケにも連れて行ってもらったことがある。
荷物もちとして、だったけど。
でも結構面白かった。胸とかこぼれそうなコスプレの女の子なんかいたりして、オタクも悪くないって、思った。
オレはその時、ちょっとエッチな本と(普通に、女の子が出てくるヤツだ)、ゲーム攻略の本を買ったんだけど、彼女が両手いっぱいに抱えていたのは、全て男同士の恋愛(というかセックス)が描かれた本だった。


「あやしくなんかねえよ。で、どうかな。ええと。男同士のエッチって、その。具体的にどういう事を、…する訳?」 
『まあいいわ。そういうことにしといてあげる。でも具体的って、いくら何でもそんな話を、花も恥じらう乙女の口から言えると思う?』
それじゃーオレに、滔々と語ったあれは何だったんだよ。
『だから、そうねえ。ビデオ見たら?』
「ビデオ? 男同士のビデオか? それ、レンタル屋にあるのか?」
『無い、んじゃないかな。でも、あったとしたって、借りるつもり? 白鳥くん』
うっ…確かにそれは無理かも。
『わっかりました。じゃあねえ、あたしが注文してあげる。ネット通販で買えるのよ。大丈夫。ちゃんと男性向けのヤツだから』
男性向け?
男性向けって。なんだろう。女性向けってのもあるんだろうか。そもそも女性向けのアダルトビデオなんかあるのか?
わからないけど、とりあえず参考にはなるだろう。マンガや小説を借りるよりは、ずっといい様な気がする。
「サンキュ」
『楽しみに待っててねぇー』
彼女の方が、ずっと楽しそうな声を立てて、電話は切れた。

 

 

  「ああ、黒羽さん、白鳥さんは、まだですかね?」
寮に戻った黒羽は、管理人のおばさんに声をかけられた。
「ええ。僕が出るときまだ報告書を書いていましたから」
「そう、困ったわね」
「どうかしたんですか?」
「今ね、宅配の人が来てて、代引きの荷物だっていうの。どうしようかしらねえ」
「僕が払いましょうか? 後で彼に精算して貰いますから」
「そうしてくれる? 助かるわあ」
おばさんは満面に笑みをたたえて「この人が払ってくれるって」と、宅配屋に言った。
最初っからそのつもりで黒羽に声をかけたのは、見え見えだった。
 
「パソコン部品?」
黒羽は受け取った箱を振ってみる。きっちり包装されているらしく、音はしない。さして重くもない箱だが、38000円は結構高い。
それにしても白鳥はパソコンなんか持っていただろうか。
先日部屋を訊ねたときにはなかったと思う。
あの後届いたのだろうか?


 
「黒羽さーん、ご飯食べにいこう」
ノックもせずに白鳥が顔をのぞかせる。
二人の寮の部屋は隣同士だ。
食事の約束は署を出る前にしていたからいいのだが、ノックくらいはして欲しいと黒羽は密かに思う。
白鳥は寮全体が家、コンパートメントは部屋、と思っているようで、出かけるとき鍵もかけない。まあ、警察の寮に入る泥棒もいないだろうが。
「早くいこーよ。オレ、腹ぺこ」
「待って。預かりものがあります」
そういって黒羽が差し出したのは、20センチ四方くらいの包み。
「何?」
「白鳥さん宛てで来た。代金引換だったので、僕が立て替えておきました」
「それはどーも」
といいつつ受け取った包みを見て、白鳥はギョッと目を見開いた。
「げっっ。38000円!? たけーっ、なんだよこれ」
「知りません。代金払ってもらえますか?」
「なんとか商法とかじゃないだろうな」
ぶつぶつ言いながら包みを開ける。
「警察の寮あてに、それは無いと思うが…」 
「ああ、そっか。そりゃそうだね」

包みの中から現れたのはビデオだった。
それも……。

「うわっっ!」
白鳥はあわてて包みを戻す。
だけど一本がこぼれ落ちて床に転がった。
黒羽が拾おうと手を伸ばす。
「だめっっ! だめだめっ」
思わず足で踏んづけちゃったよ。
のばしかけた手を踏まれそうになって固まる黒羽さん。
でも、そんなことかまってられない。
こんなもの見られたら、恥ずかしくって二度と顔を合わせられない。
どどど、どうして今なんだよ。
確かに送ってくれって言ったけどさぁ。
でもこの状況はあまりにも、あんまりだ。
ビデオを足で踏んづけたままじりじりと引き寄せ、覆い被さるようにして拾い上げる。
「ご、ごめん。ええと。今、お金取ってくるから、待ってて」
言うより早く自室に飛び込んだ。
あっけにとられたままの黒羽は、立ち上がるのも忘れてそれを見送った。

 
か、隠さなきゃ。
とりあえず、ベッドの中に放り込み、予備の金が入った財布をひっつかむと、何食わぬ顔で戻る。
「おまたせっ」
黒羽は所在なげに、ドアの前に立っていた。
「さんまん、はっせんえん、と。はい」
金を数えて渡す。
「確かに」
良かった。アレが何かとは、訊かれないみたいだ。それともオレのことなんか気にしてないのかな。
ほっとしたんだか落胆したんだか、忙しい男である。
だが次の瞬間、黒羽は口を開いた。
「白鳥さん」
「何?」
「さっきのビデオ」

ぎっく――ん。ビデオって、わかっちゃったのか。

「何か問題でもあるのか?」
「えっえ? どうしてっ」
「表にはパソコン部品と書かれてた」
「そ、それは、えっーと」
「なにか事件性でも?」
「無い無いっ。それはない! 大丈夫だからっ」
ぶんぶんと腕を振る。この話題は早くうち切りたい。中身までは見てなかったらしいのが、幸いだ。…って、本当にそうだろうか。
「黒羽さん、ビデオの、タイトル見た?」
おそるおそる訊く。
「ああ。『デカマラ・リーマン専科5』と『ミルクボーイ天国』と『青春ビンビン物語』と『エンジョイ・プレイ』、だったかな。それがなにか?」
 
白鳥は頭を抱えた。
何でそこまで見えてんだよ。ホンの一瞬だったのに。
 
白鳥は忘れている。
 
射撃の天才は動体視力も抜群にいいのだった。
 

END