初めてのNew Year

「コウ、お正月の予定はっ?」
オレは期待たっぷりにコウに尋ねた。
「お正月?」
コウが少々煩そうに、こちらを振り向きもせずに聞き返す。
「お正月だよ、お正月の予定。コウはどうやって過ごすのかって聞いてんの」
オレは何となくワクワクしながらコウの返事を待った。

そうさ。
何たってオレ達が恋人になってから初めて迎える正月だ。
オレはもちろんコウと二人っきりで過ごすつもりだった。
正月にも家には帰らない、と電話で言ったら、実家のお袋の機嫌がどん底まで悪くなったが、構うものか。
オレはもう大人なんだ。二十歳も過ぎた立派な男が今さら家族と仲良くお正月〜、なんて出来るものか。
そりゃあ独り身なら、家に帰って久しぶりに作ってもらったご飯を食べるのもいい。
マジに独りぼっちで新年を迎えるのは惨めだからな。

でも、今回は違うんだもんね。
今オレには(家族には内緒だけど)恋人がいるんだもんね。(男だけど)
誰もが振り返る美貌と、誰もが認める才能。
性格…はあまり良くないかもしれないけど。
…そう、身体はすごくイイ!
まあその、ちょっとばかりオレより背が高い所がナンだけど、抱きしめるといい匂いがするんだ。
触ると白い肌がなめらかに手に吸い付く。
柔らかいオッパイこそ無いけど、誘うようなピンクの乳首。
唇は色っぽいし、もちろんあそこだってオレのナニを具合よくキュウ〜ッと…いやその、むにゃむにゃ…げふん、げふん。

……とにかく最高なんだって。(男だけど)

そんな最高がとりあえず恋人なんだから、家になんて帰りたい筈がない。
オレは初めて迎える二人っきりのお正月を、色々妄想していた。


  

 こたつで向かい合ってさ(しまった、こたつ無いじゃん。至急買って来なきゃ)ミカンとか食べるの。
年越しそばを食って、静かに音楽でも聴いて。
こたつの中で、足が絡まったりしちゃってさ♪
遠くから除夜の鐘が聞こえてきたら、オレはコウに『あけましておめでとう』って普通に挨拶して。
そんでもって、キスだ。
こたつ越しに、触れあうような、キス。

今年もよろしく。
今年のオレ達は、最高にHappyでありますように…。
コウと、もっともっともっともっともっともっともっともっともっともっと仲良く出来ますように。

そのままなだれ込んじゃって、姫はじめってーのも悪くないよな。
えっへっへ。
白い餅を食べる前に、白い身体をいただきま〜す。(⌒¬⌒*)…ってか?
ふっふっふ。

雑煮はオレが作る。
なにしろコウは、家庭の味ってヤツにメチャメチャ弱い。
だからオレは、ちゃーんとウチの雑煮の作り方を、母親に聞いておいた。
(聞くだけ聞いて、帰らないから、と言ったから、母親はカンカンだったりするのだが)
関東風で、もちは焼いて入れる。一個か二個。オレは三個入れたりするけど…。
具はあんまり入れない。鶏肉と小松菜が入っていたかな。
そして、柚のいい香りが食欲をそそる。
とにかくそんな家庭料理を出せば、コウは感動すること間違いなしだ。
おせちは面倒くさいから出来合いのを買ってくるとしても、それで日本酒なんか飲んじゃったりしたら、じゅーぶん家庭的なお正月と言えるだろう。

恋人同士の普通のお正月。
お参りに行って、破魔矢とか買って、おみくじを引いて。
砂城にも神社はあったよな…確か。
一つじゃないよな…確か。
確か、確かって…ううむ。『正月ぴあ』とか買ってきて、色々調べた方がいいかも、オレ。

そういう訳で、正月ぴあも買い、こたつも買って、ミカンも買って。
オレの中の『だんどりくん』は、初めての恋人と二人っきりのお正月に向けて、着々と準備を始めていたのだった。

 

 

 しかしコウは、オレのそんな健気な努力も素敵な妄想も、たった一言で踏みにじった。

「正月は仕事だ」

なんですとーーーー!

ショックで一瞬硬直したオレを振り向くことなく、更にコウは言葉を続ける。
「毎年そうだ。正月はみんな家族と一緒に過ごしたいだろう。だが全員が正月に休みが取れる訳じゃない。
だから僕は積極的に、正月は仕事をするようにしているんだ。休みたい人が一人でも多く休めるように」
そ…それは立派な考えですけど。
更にコウはきっぱり言う。
「僕には家族がいないのだから、休む必要はない」
そ…そりゃないんじゃないの?
オレは硬直したまま、心の中で抗議をする。

正月に休みたいのは家族持ちだけかよ。
恋人と一緒に過ごすのはどうなんだよ。
それに、コウは考えた事もなかったわけ?
オレと一緒に過ごす『初めてのお正月』ってシチュエーション。
楽しみにしていたのはオレだけか?
バカみたいに期待していたのはオレだけなのか?
コウにとってオレは、その程度の存在だと…。

「コウ…オレはさ」
「香澄は帰れ」
うっ。冷たい声。
何だよ一人で充分だってか?
そりゃーオレは、確かに正月は休みを貰うつもりだったけど。
でもコウは、仕事でもオレと一緒に正月を迎えるつもりは無いのか。
何かその…ショックなのか、泣きたいのか、腹立っているのか、オレは解らなくなってきた。
何だよ畜生。
さっきからずっと顔を逸らしてやがって。
ああそうですか。
オレは邪魔ですか。
正月は一人でのびのび仕事したいですか。
悪かったなぁー、頼りない相棒でさっ。
オレは腕を組んで横を向く。
「外部出身者は、優先的に休みをもらえる。だから、帰れる時に帰っておいた方がいい」
「あー、そうだよね。オレは外の人間だったもんねー」
うっ。くくっ。我ながらイヤミな拗ねた言い方だ。
「そうだ。帰れる時に帰った方がいい。帰る所を無くす前に…」
最後の方の言葉が、小さくなって消える。

えっ?
オレは腕を組んだままコウを振り返った。
コウは相変わらず向こうを向いていた。
表情はまったく見えない。
多分前に廻って顔を覗き込んだとしても、その顔は無表情のままだろう。
だけど、オレには何となく解った。


コウはきっと、オレが羨ましいんだ…。
そしてコウにとっては、オレも『帰すべき人間』の一人なんだ。

家族がいるから。
まだ家族を亡くしてないから。

帰れなくなった時に、あの時帰っておけばよかった、と後で思うことがないように。
帰りたくても、帰れなくなることがある。
コウは、その重さを知っていた。
だからオレに『帰れ』って言うんだ。
オレは黙ってコウの後ろ姿を見つめた。

だけどさ、コウ。
その優しさは、少しだけ辛いよ。

だってその中には、オレの幸せはあっても、コウの幸せは入ってないじゃないか。
オレはさ、コウが幸せでなけりゃ、半分しか幸せじゃないんだ。
どうすればコウが幸せになれるのかは、オレにはまだよく解らないけど。
でもコウと離れてしまったら、きっともっと解らなくなる。
オレ一人で帰ることに意味はない。
だってそれじゃ、オレは半分しか幸せになれない。
でも、それをコウにどうすれば解ってもらえるんだろう。



「香澄?」
黙ってしまった相棒に、黒羽はふと振り返る。
そして僅かに目を見開いた。
寝ぐせが付いたような髪をした、年齢より幼く見える香澄。
しかし今、彼は妙に大人の表情を浮かべてこちらを見ていた。

「やだよ」
その唇から言葉が漏れる。
「香澄」
「オレは帰らない。コウが仕事するならオレもする」
「だが香澄」
「休みをどうするかは、オレの自由だろ? オレはね、正月をコウと過ごす事に決めてたんだ。コウが仕事するって決めてたようにな。それを止める権利は、コウにはないね」
言うなり香澄はくるっと身体をひるがえすと、奥の机に座る上司に向かって、桜庭さーんと声をかけた。


「外部出身者は優先的に休みをとる権利があるのに、いいの?」
桜庭はそう言いながらも、白鳥の申し出が嬉しそうだった。
やはり正月は休みを取りたい者が多いのだろう。
「はい、構いません。そういう権利は放棄放棄」
「黒羽くんとはバラバラの仕事になるけど」
「えっ!? それはちょっと…。ど、どうしてですか? オレとコウはパートナ…」
「黒羽くん、三係の手伝いなんだよ」
「三係って、えええ?」



 捜査三係はスリ、窃盗、空き巣などを専門に捜査する部署である。
一方、彼らが所属する捜査課一係強行特殊班は、基本的には荒事専門のチームである。
銃撃戦、立てこもり、ジャンク関係が主な仕事だ。
しかし、実際の所は何でも屋、遊撃隊に近く、手が足りなくなった所へ手伝いに行かされる事も多い。
だから手伝い自体には慣れているのだが…。

「違う係の手伝いって珍しくありません?」
「そうかな。まあそうかも。でも黒羽くんは何度もやってるよ。係どころか課違いの暴対にも出向した事あるしね。あの子優秀だから、あちこちに行ってる」
コウがあちこちに行かされていたのは、長い間ちゃんとしたパートナーが決まらなかったせいもあるのだとオレは知っていたが、それにしても、暴力団対策課にね。
白鳥は何度か顔を合わせた事のあるおっさん刑事、高中のヤクザ顔負けな迫力を思い出した。
あんな所に行っていたんなら、三係なんてチョロいよな。

「…三係の仕事なんてチョロいよな、とか思ってない? 白鳥くん」
「えっ? えええっ。ま、まさかぁ。そんな事全然思ってませんよっ」
どど、どうして時々桜庭さんてば、オレの考えている事をそっくりそのまま読んじゃったりするんだよぅ〜。
それも言葉尻までさぁ〜。
「そうかなあ〜」
桜庭は疑わしそうに、じろじろと白鳥を見上げた。
「そだね。白鳥くん仮にも警部補なんだから、ちょっと他の係とかも、ちゃんと理解しておいた方がいいね」
言うなり桜庭は受話器を取り上げ、誰かと話し始めた。
そして電話を切ると、顔を上げて白鳥に告げる。
「今、話しといたから。書類は後でちゃんと提出するとして」
「えっ? どういう事ですか?」
「白鳥くん、君も三係に手伝いにいって下さい。手は多い方がいいからね。なにせお正月だし」
「はあ……。あっ、いえ、はい。了解しました。白鳥香澄、三係に出向します」

一瞬話の流れが見えなくてボーッとしてしまったが、オレは慌てて命令を復唱した。


やったー♪
三係だか何だか知らないが、とにかくコウとバラバラになる事は避けられたらしい。
どんな形だろうと、場所はどこだろうと、コウと一緒に正月が迎えられる事が肝心だ。
雑煮も初詣も無さそうだけど、それでも二人で迎える初めての正月だ。
今年もよろしく、くらい言わせてくれよな、コウ。
オレはそーんなことをのんびりと考えていた。

そう、まだこの時までは…。

 

 

「よろしくお願いします」
「お願いしまーす」
正月正月と言ったけど、仕事は年末から始まった。
挨拶と打ち合わせの為に、オレ達は三係に顔を出す。
しかし、オレの顔を見た瞬間、三係の係長はハッとした表情になり、一瞬固まった。

ハテ…?
オレはそっと視線をコウの方に向ける。
コウ…じゃないよな。
確かにオレを見てる。
コウはこの美貌なので、初めて見た人は大体その顔に見とれて、一瞬身体の動きが止まったりする。
だからコウなら解るんだ。
でも、だけど。ええっと…、オレ?

「白鳥香澄警部補ですか」
確認するように聞かれたので、オレは頷く。
「はい」
後ろの方でオレを見て、こそこそ何か言っているヤツもいる。
ううむ。何だろう。
オレに何か問題があるのだろうか。
「困ったな」
あ、やっぱり困ってるんだ。でもどうして?
「手伝いは確かに欲しいです。年末年始は大変ですから。だから二人来るって聞いた時は二つ返事だったんですけど…」

何だよ、はっきり言えよ。
オレは心の中でちょっと毒づいた。
コウはそりゃあ優秀だけど、でもオレだって役立たずじゃないぜ。
ちゃんと仕事をやり遂げる自信はある。


「お二人に協力していただきたいのは、年末年始、特に年始におけるスリ、置き引き等の警戒です」
係長は一つ咳払いをして、おもむろに説明を始めた。
「最近砂城西地区では、初詣や祭りなどたくさん人が集まる際に発生するスリ、置き引きの被害が急激に増大しております。
この背後には、専門のスリ集団組織がいるものと思われ、そして既に大まかな目星も付いているわけです」
黒羽と白鳥は同時に理解した。
なるほど。
犯人は判っていても、スリは現行犯でないと逮捕が出来ない。
「おとり捜査の協力ですね」
黒羽の言葉に係長は頷く。
「だからわざわざ、コウに声がかかったのか」

コウの動体視力、反射神経の鋭さは並大抵じゃない。
一度『仕事』というスイッチが入ったら、それって人間ワザかよ〜と呟きたくなる位の、抜群の動きや判断力をみせる。
大量の群衆の中で、スリを摘発する。
そりゃあ基本的にはチームワークの勝利になるんだろうけど、何か予定外の事が起きた時、コウほど頼りになる捜査員はいないだろう。
「それで、基本的にはいくつかのチームを作って人混みに混じる…訳なんですが」
ここでまた、係長がチラリと白鳥を見た。

…だから何だっつーの。
少しばかり苛ついてくるが、もちろん顔には出さない。
オレは子羊よりもおとなしく、係長の話の続きを待った。
なにせ警察という組織は、完全な縦型社会なのだ。
上意下達。命令遵守。
ドラマなんかでは、よく『はみだし』たり『はぐれ』たりする刑事が活躍しているようだが、本来組織で動く仕事をしている場合、はみ出したりはぐれたりしていたら、仕事自体が成り立たない。
はっきり言っちゃえば、そんな奴は仕事の邪魔だからいなくなって欲しいというのが本音だ。
もちろんイエスマンになればいいという訳ではない。
チームプレーには個人の優れた判断が不可欠になる。
だが同時に、それぞれの歯車がカッチリ噛み合う事も不可欠なのだ。
警察では、そして特に砂城では、『自由』の意味をはき違えたヤツは、最初に死ぬ事になっている。

何やら語ってしまったが、まあその…それにここは余所の係だもんね。
なわばり外では大人しくしているってのが、人間関係を上手くやっていく基本だよな。

…と、そこまで考えて、何かがフッと頭をかすめた。
今オレ、三係が『困った』理由が解ったような…。



えっと〜…。
警察は完全な縦型社会で、階級が絶対で上意下達で…その。
つまり、という事は……………。
「あああっ!!」
思わず口を塞いだが、残念ながらオレの声は大きかった。

隣のコウが、なんだ? という視線を下に向ける。
「あっ、ああ、ええと…。武藤警部補」
しかしオレはコウじゃなくて、三係の係長の名前を呟いた。
係長は、ゴホンと一つ咳払いをする。
「ええ、それでですね。白鳥さんと黒羽くんには、チームの一つに入って指示に従っていただきたいのですが…」
「気にしないでくださいっ!」
歯切れの悪い武藤警部補に、オレは思いっきり言った。
ここでコウと離されるのだけは、避けたかったからだ。
「ええ、しかし…」
「いいんです。オレ、じゃない、私は」
「香澄?」
いきなり慌てだしたオレを、不思議そうな顔をしてコウが見下ろした。
コウ、気付かないのかよ。
ていうか、オレだってさっきまで意識すらしていなかった所が、あまりにもマヌケなんだけどさ。

「コウ、オレ警部補なんだよ」
「…ああ。それが…」
言ってからコウも目を見開く。
やっぱり気付いてなかったか。
そうなんだよ。あんまり特殊班がリベラルなもんだから、普段全然意識してなかったけど。
でも警察じゃそっちの方が特別なんだ。

もしもこのまま、オレがここで班に入ったしよう。
班のリーダーは、間違いなく巡査部長だ。
だけどオレは警部補。
めっちゃ若造で経験も浅いけど、でも警部補。
警部補は巡査部長より階級は一つ上だ。
この階級差は、本来は恐ろしくでかい。
たった一階級差、と思うかもしれないが、警察の常識で考えたら、絶対巡査部長が警部補に命令指揮なんか出来るわけがないのだ。
そうすると武藤係長は、余所からやって来た仕事に慣れていない助っ人ごときをリーダーにしなくてはならない。

…そりゃー困るわ。


だけど本当に指揮なんかをまかされたら、オレだって困ってしまう。
いきなり出来るわけないでしょ、スリの摘発なんて。
やった事もないのに。
かといって、現場から外されるのだけは避けたい。
そんな事になったら、コウと一緒のお正月が台無しだ。
だからオレはもう、必死だった。

「気にしないで下さい。オレ、じゃない私の階級は忘れてくださいっ」
「忘れろと言われましても…」
ああもう、なんで気付かなかったんだよ。
最初から武藤警部補ったら敬語で喋ってたじゃんか。
しかも、オレの事は『白鳥さん』で、コウの事は『黒羽くん』て呼んでた。

「本気です。私は確かに警部補かもしれませんが、この通りで経験も浅い若輩です。今回は三係で勉強させていただくつもりで、ぜひにと志願したんです。(←嘘も方便)
どうか一番下っ端だと思ってこき使ってください。やりにくいだろうとは思いますが、皆さんの手足になって働きますので、どうぞよろしくお願いいたします」
オレはもう、ここぞとばかりに思いっきり頭を下げた。
チラリと視線を上げると、武藤警部補は、みょ〜に感動したような顔つきになっている。

「…そう、ですか…。お気持ち大変よく解りました」
うひゃぁ〜。
なんか声うるうるしてないか?
タナボタで警部補になったような若造から、思いもかけぬ健気な言葉を聞いて、思わず涙ぐんじゃうオヤジの図、ってヤツが出来上がっているよ〜。
いやオレはね。
単にコウと一緒にいたいという下心が…。
なーんて裏事情はオレだけが判っていればいいんであって、別に暴露する必要はない。
これだけ感動してくれればオレの作戦は成功だろう。

「解りました。ぜひ三係の仕事にご協力をお願いします。しかしそれでも、規律というものがありますから、班のリーダーは白鳥さんにやっていただきたい」
「え、ですから私は…」
「形だけです。形は整えておかないと他に示しがつきませんからね。実際の指示は岸本くんにやって貰います」
四角い弁当箱みたいな顔をした男が、白鳥の方を向いて、すぱっと敬礼する。
「よろしくお願いします。白鳥警部補」
「あっ…。はっ、はいっ」
オレも反射で敬礼を返した。


はあ〜っと全身から息が抜ける。
手伝いには今までも何度か行ったが、大抵コウと二人で単独に何か些末な事をやらされるのが常だった。
こんな風に、実際動く組織の中に入って活動する事なんて、オレとしては初めての経験だったのだ。

警部補か…。
そうだよな。それは単なる役職名だというだけじゃない。
給料が多い分だけ、責任も伴うって事なんだよな。
タナボタだし、なーんて思っていた階級だったが、今さらながらオレは、その重みをちょっと感じちゃったりしてた。

だがその直後、オレはさらなるショックをコウから与えられてしまった。
「白鳥警部補、行きましょうか」

…一瞬オレは真っ白になった。
そう、そのセリフはコウがオレに対していった言葉だったのだ。
コウ、えええ?
ちょっ…。
その呼び方久しぶり…。じゃなくて。

なんでコウまでオレをそう呼ぶわけーーーっ!?

 

 

「当然だろう」
風呂場の脱衣所でシャツを脱ぎながら、コウが言った。
「だって…」
「建て前とはいえ、香澄は班長だ。そして僕が巡査部長で香澄が警部補である以上、僕だけが香澄と呼び捨てるのでは示しが付かない」
「…そ、それはその通りなんだろうけど」
でもでもさ、オレがこんな風に香澄って呼んでもらえるまでにした苦労を考えるとな。
ふたたび白鳥警部補に逆戻りって言うのは、何て言うか…その。
「ずっと、そう呼ぶつもりじゃ、ない、よな?」
「ん? 何が?」
「白鳥警部補って呼び方さ」
コウは微かに首を傾げるようにして、こちらを見た。
「いま呼んでないじゃないか」
「…あ、そうか。そうだよな」
「何を気にしているんだ。たかが呼び方だ」
たかがって簡単に言ってくれるよ。

白鳥はちょっと落ち込んでため息をついた。
何故こんな事くらいで落ち込むのかは、自分でもよく解っていない。
まあ要するに、恋する男はナイーブだと言う事なのだが。

「香澄?」
黒羽が振り返る。
オレはその顔を下に引き寄せて、軽くキスをした。
もちろん周りに誰もいない事を素早く確認してからだけど。
だって、ここは大浴場なんだから。
更衣室には今誰もいないけど、浴室には何人か入っている筈だ。

ちょっとだけ確認したかったんだ。
呼び方くらいでオレ達の関係が壊れたりする事はないって。
なんて臆病なんだって、オレの心の中のどこかが抗議するけど。
でも解ってる。
まだオレ達の間は、綱渡りのようなものなんだって事。
臆病だろうが気にしすぎだろうが、でもオレはいつだってコウを出来るだけ自分の近くに置いておきたいんだ。
たかが呼び方一つだって。
白鳥警部補と呼ばれただけで、また遠くに行ってしまう気がする。

そんな事無いよな、コウ。
だってこうやって、キスなんか出来ちゃうんだから。

「ん…んん」
コウが声をもらす。
まずいよなー…なんて思いながら、オレがコウの胸を撫でたせいだ。
ついでに言うなら、軽いキス…だった筈が、ちょっとだけ、その。舌が入り込んでおります。
だってコウってば裸なんだもんな。
男風呂の脱衣所なんて、本来なら色気からは100万光年くらい遠ざかったような所だ。
汗くさいおっさんや兄ちゃんの裸なんか、見ないでいいなら一生見たくなんか無い。

でもコウの裸だけは別物だ。
薄い体毛に、どこまでも白くてなめらかな肌。
男の肌って普通、もう少しざらざらしているものだと思うんだけど、コウのは特別製。
まるで触って貰う為にあつらえたような、その肌。
…触って貰う為に、なんて考えたら、ううう。ヤバイ、かも…。
オレってば、すっかりコウの身体の味だけは覚えちゃってるし。
シャープで硬い印象を与えるメガネを外した今は、その瞳は僅かに焦点をぼかした甘い感じになっている。
裸になったコウは、恐ろしく無防備に見える。
スーツを着ている時とのギャップが、オレを誘う。

コウの身体。
コウの匂い。
細い指…。



「香澄」
………ハッ!

オレはもう、とんでもなくヤバイ所から寸前で立ち戻った。
しっかりしろって。
風呂はいる度にこんな調子じゃ、まともな独身寮生活なんか送れないぞ。
たとえ恋人同士だって、ここは公衆浴場なんだから、事は公序良俗の問題だ。
するならひっそり、隠れた場所で、だ。

「香澄、したいのか?」
コウが少々困ったような眼差しを向けてきている。
したいって、ねえ…。
コウの言いぐさって、どうも情緒に欠けるんだよな。
そりゃまあオレだって男ですから。
面倒くさいムードの盛り上げとかそーいうのはさっさとすっ飛ばして、ただひたすらヤリたいって時もあるよ。
だけどコウに今『したい』なんて言ったら、『そうか、じゃしよう』とか言われて、あっさり人のいなさそうな暗がりとかに連れて行かれちゃうんだぜ。

暗がりに行って、一発抜いてくる。
そーいうもんじゃないだろ?
恋人同士のセックスって言うのはさっ。(-.-#)

まったくもう。
オレがヤリたいとか思っているのは、単純な生理現象だと考えてやがる。
オレはそのうち、このコウのセックス観ってヤツも修正させたいと思っている。
もっとも呼び方一つでグラグラしているようじゃ、そんな事はまだまだ遠い道のりって感じではあるけどな。

「しないのか」
「…しないよっ」
「そうか。仕事前だしな」
コウは軽く頷く。
そーいう問題じゃありませんっ。
「するとか言われたら、ここじゃ困るし。どうしようかと思った」
コウはタオルを手に持ち、浴室へ入りかけ、それからフッと後ろを振り返った。

「香澄。風呂に入る前に何とかしろよ、それ」
それって…。
コウの視線は、まっすぐオレの下半身の一点に向けられている。
そこにはオレの鉄の意志とはまったく無関係に、完全にヤル気で天を仰いでいる分身がいた。
「ううう…」
オレは腰を引くと、慌ててタオルで恥ずかしい息子を隠す。
コウはくるりと背中を向けると、さっさとガラス戸を開けて中に入ってしまった。

「誰のせいだよ、まったくもう」
オレは一人更衣室に取り残されて、前屈みになったまま、水滴の付いた磨りガラスをしばらく睨むはめになったのだった。
 

    


 砂城西署管轄内には、大きな神社が二つあった。
二つとも初詣や祭事には、かなり人が集まる神社だ。
そういう訳で、三係のスリ摘発特別チームは二手に分かれ、大晦日から元日にかけて人混みに混じり、スリ、置き引きの警戒にあたる…筈だった。

ていうか、そういう話だっただろ?

しかしオレは今、目をまん丸くしてチームリーダーの岸本巡査部長と、そしてコウを見つめていた。
「どーいう…事ですか?」
「えっ? どういう事って何がですか?」
弁当箱な顔の岸本巡査部長が、不思議そうにオレを見る。

何がって。
絶対どこかに情報の行き違いがあるってば。
だってどう考えたって、人混みに混じってスリ置き引きの警戒って言ったら、捜査なんだし『普通』の格好するよな。
オレなんか、いかにもその辺の若造って感じで、なんとスタジャンにジーパンだぜ。
(オレが、この中で一番上司だなんて、誰も信じるまい)
にもかかわらず、どーして?
そりゃあお正月の神社ですから、そういう格好のヤツもいるとは思うよ。
いるとは思うけど…。

そう。
いま白鳥の目に映っているのは、誰が見てもため息を漏らしてしまう様な、黒羽の完全完璧な立ち姿だった。
それもなんと、羽織袴の着物姿である。
思わずぽかんと、バカみたいに口を開けて見つめてしまうのも無理はなかった。
「いやぁー、似合いますねえ〜」
岸本が感心したように頷く。
確かに似合う。
ものすごく似合う。
188センチもある男に和装はいかがなものかと思っていたが、悔しい事に、黒羽は何を着ても抜群によく似合う男なのだ。
彼が着ると汚れた作業着でさえ、わざわざあつらえたファッションの様に見える。
着物だって全然例外ではなかった。
でも、だけどな…。
オレは眉間の皺を深くしてしまう。
確かに素晴らしく似合うとは思うよ。
だけどな、コウ。
ついでに言うなら、メチャクチャ目立つんですけど。
まるで、どこかのモデル雑誌から抜け出してきたみたいだ。
人混みに混じってスリの摘発って任務は、その…目立っていいわけ?

それを言うと、コウと岸本はそろって顔を見合わせた。
何だよ。もしかして解っていないのはオレだけなのか?
そりゃあオレは建て前だけのリーダーですけどね。
でも一人置き去りってのはあんまりじゃないか?
「コウ、ちょっと」
オレはコウの袖を引っ張って物陰に呼んだ。
ええい。説明が必要だって。絶対。
「なんです、白鳥警部補」
「二人っきりで話している時くらい、その呼び方やめろよ」
「あ? あ、ああ…」
「どういう事さ」
「おとり捜査の協力だ」
「だからどういう協力? コウは着物着て何をやろうってーの?」
「台の上に立って、防犯を呼びかけるそうだ」
「はああああ?」

オレの混乱は頂点に達した。
ちょっとーっ。
人混みに混じってスリの摘発やるんじゃなかったのかよーっ。
テレビで特集やってるみたいにさ。
(警察内にいるくせに、テレビを引き合いに出す所がなんだけど。でもオレ三係の仕事なんて知らねーもんっ)
目立たないように人混みに混じって、目星をつけた犯人グループを次第に囲っていって。
そして、犯行が行われた次の瞬間、腕をとってこう言う。
「スリの現行犯で逮捕する」
(実際にそんなセリフは言わないけど、いいんだ雰囲気なんだから)
そんな感じの事をするんじゃなかったのかよっ。
周りの捜査員達は、逃げようとする他の連中を取り囲んで一網打尽。
そーいうカッコいい事をするんじゃなかったのか?

それがどうして、台の上に立って防犯呼びかけ?
どこでオレの認識すり替わったの?
なあ、誰かオレにちゃんと一から説明しろよーーっ。
納得いかねーっ!

「黒羽さんは囮ですよ」
「はあ…」
岸本が説明してなかったっけか? という顔つきをしながら、不服そうなオレを見上げながら説明を始めた。
「来たばかりの僕たちに、スリを追いつめて捕まえるようなチームワークと修練が必要な事が、とっさに出来る訳ないでしょう? 白鳥警部補」
オレが何を考えているか知ったコウが、少し呆れたように言葉を続けた。
ううう…。
気のせいですか。
その白鳥警部補、って響き。なんとなく冷たいぞ。
「ましてや黒羽さんみたいに、顔が知られている人がチームに入ったら、スリ集団は逃げちゃいますよ」
…それは、確かにそうかもしれません。
コウってば、有名人だったっけ…。

「今回はその売れてる顔をね、利用させて貰いたくてお願いしたんですよ」
「こっちの神社に、目立つようにコウを置いておけば、少なくとも三係の皆さんはもう一方だけを見張ればいいと言うわけですか?」
「まあ…そういう事です」
岸本の口調が、ほんの少し歯切れが悪くなった。
「なるほどね。…そういう意味での、オレ達は囮って訳か」
捜査員の数はどうしたって限られてくる。
年始の人混みの中でスリを摘発するのに、二ヶ所の神社は荷が重いだろう。
そういう訳で、顔の売れてるコウを片方に飾っておいて、あっちは本物の仕事をやるって寸法だ。

そうかよ。
…解ってたけどね。
所詮オレ達はお手伝いだって。
チームの中に入って活動すると言ったって、結局こういう役回りなんだって事。
建て前とはいえチームのリーダーだ、とか言われて、オレってば結構緊張して舞い上がっていたんだよな。
結局オレはなんだ?
コウのマネージャーをやればいいのか?

「香澄、何か問題があるのか?」
コウがこっそり聞いてきた。
うっ…。
コウが気を遣っている。
こんな風にこっそり言わせるなんて、オレってかなり不機嫌そうに見えるのだろうか?
「いや…ないけどさ。オレよく解ってなかったから」
「すまない、香澄。香澄に話が通っていなかったのは、きっと何かの手違いだ」
「あ、いや…その。コ、コウはいいわけ?」
「いいって何が?」
「だって、これじゃコウ、単なるお飾りじゃん。コウの実力とかさ認めて貰っている訳じゃないだろ? 構わないわけ?」

それは…、オレの不満だ、と思う。
オレは今、オレ自身の不満をコウにぶつけているのだ。

だってオレは確かに警部補なんだけど。
でもタナボタでお飾りなんだ。
オレはこの間までタダの巡査で。砂城に来るって移動を申し出たから。だから二階級特進した。
試験に受かったわけでもないし、ものすごく優秀だからとか、何か手柄を立てたという実績も何もない。
オレが警部補なのは、ただ砂城に来たからだった。

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