龍の刻印 後編

第一章 「アンダー」


 ジャンクの研究をしているのは、砂城市の施設だけ。
「これも考えてみたら、当たり前のことか。ジャンクとリアルに接しているのは、ここだけだもんな」
涼一は呟く。
もちろん他に研究している所が、皆無という訳ではない。
だが本物に接しようとしたら、どうしてもアンダーに潜る必要があり、必然的に砂城市の研究所に何らかの形で関わらざるをえない。
そうやって、数少ないジャンクの研究者は、結局アンダーに集まってくるのだった。

「市の施設って言うから、もっと貧相なのを想像していたのに、けっこう立派なところだよな、ここ」
一般見学コースをぐるぐる回りながら、涼一は感想を呟く。
後ろに榊原が控えていたが、相変わらず彼は涼一の言葉に反応を示さなかった。
「まあ、砂城市は世界の中でもトップクラスの裕福なシティだからな。皮肉だよな。穴ぐらなんて呼ばれてる、危険で野蛮で下賤な都市が世界で一番裕福だなんて」

砂城市にホームレスはいない。
総て市が雇い入れるからだ。
職がなければ、砂城の市役所に行けばいい。
サルベージダイバーは、常に新しい人間を募集していた。
下に深く潜る事ができれば、後は運しだいで驚くほどの金が手に入る。
砂城のアンダーには、一夜の成功アメリカンドリームが現実のものとして生きていた。

「だけど、いくら裕福だと言っても、それでも金はいるだろう?」
涼一はガラス越しに見える高価な機材に視線を走らせる。
「金は、いくらあっても困らないよな」
「…涼一様?」
「遊びで株動かして作ったオレの金があるだろう? あれじゃ足りないかな? 足りないよな、全然」
「涼一様、どうするつもりですか?」
涼一は目を丸くして榊原を見上げた。

「買収だよ。当たり前だろ? 市の施設は手に入らない。研究員は引き抜けば、そりゃいいけど。今はダメだ。引き抜いてもこっちの用意が調っていないからな」
涼一は唇にいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「だから仕方ない。最初はオレがこっちに入るさ。でも市に雇われる訳にはいかないからなあ。オレまだ子供だし。だから、多少の無理が利くように、贈り物をするのは当然のことだと思わないか?」
「……」

「なあ、お前だってそうだろ? 榊原。オレから何か欲しいと思っているんだろ? 何もいらない筈はないな」
無言の榊原を挑発するように、涼一は続けた。
「欲しいだろ? オレの何かが」

榊原の瞳の中に、暗い光が一瞬だけ煌めいた。
それから重い口が開き、一言だけ吐き出される。

「はい…」

「そうだ、そうさ。正直者は好きだよ」
涼一は満足した猫のように、唇を舐めた。

「タダで何かをやってもらうのが当たり前だなんて思っているヤツは、子供かバカかどっちかだ。オレに尽くしてくれるヤツは、もちろんオレから何かを与えられることを期待している。
ギブ&テイク。献身の行為には、それなりの敬意と見合った分の報酬を。それが大人のルールだ。
オレはずっと一般見学コースにとどまるつもりはない。榊原、市長と話が付く?」
「はい」
「お前が交渉するのがいいな。オレはどうあがいても子供だから、説得力に欠ける。まあオレは、次期冬馬のトップと言うことで、せいぜい見栄がいいように飾りたてておとなしくしてるさ。
後は、オレを押しつけるに見合うだけのメリットだ。ここはやっぱり、一番相応しいものは金だろう。だから金を用意したい。できるか榊原?」

榊原は少し考えて、それから黙って頷く。
涼一はニヤリと笑った。

「オレが個人的に用意出来る金は、残念ながらほんの少しだ。オレが将来どんな地位につこうと、どれほど冬馬グループが大きかろうと、今のオレには直接関係ない。オレ自身の金じゃ、足りないだろうな?」
「はい」
涼一は自明の理と言うように頷いた。
「だろうね。大人の世界は動く金の単位が違うからな。億行かなきゃダメか。じゃあ後は二つ。おやじの金をどうやってちょろまかすか、と、後はオレの金自体をどうにかして増やすか。榊原?」

「どうにでも、出来ますでしょう?」
榊原は低い声で答えた。
「へええ。頼もしいじゃないか」
涼一の声は面白がっているかのように響いた。
「どうにでも出来るって? 解っているのか? おやじの金だぞ。オレのためにお前が勝手に動かせるっていうのか。背信行為じゃないのか?」
「その為の正当な理由は、いくらでも用意出来ます」
「市長に握らせるための金への、正当な理由が?」
「使役品事業は、その殆どが官優先です。民間で許可されて参入している所は、ほんの僅かです。この特権がどういう意味なのか、お分かりになりますか?」
「政治と癒着してるって事だろ?」
「どの人脈からでも話がつけられると言うことです」

榊原の声には、まったく感情の動きが感じられない。
彼が語ることは、全て彼の所属する世界では、当たり前で日常のことに過ぎなかった。


「この世界は、損得とべったりした情との天秤上で動いています。
砂城と冬馬は切り離せない。冬馬は使役品事業で成り立っているし、砂城はいつでも冬馬の手助けを必要としている。
官優先とはいえ、政治の世界は融通の利かない事も多い。そこに裏道を通してやるのが冬馬の仕事です。そして、裏道は、けっして非合法なものではありません」
榊原はチラリと涼一の顔を見る。
涼一は興味深そうに聞いていたが、声には一種揶揄するような響きが混じっていた。

「合法、非合法はどこで決まる? 認識の違いだってお前は言いたいのか? だったら法は何のためにある」
「法は目安です。涼一様」
「言いきったな」
「法が全てなら、なぜ過去の判例を参照する必要があるでしょう。法は解釈次第で揺れ動く。特に施行する側にとってはそうです。
何か事が起きた時、多少法に抵触する部分があっても、当面の利便性が優先されます。それが情。人脈の部分です。
そう、天秤が傾きすぎなければ、誰も咎めたりはしない」
榊原は言葉を切って、まっすぐに将来のあるじを見据えた。

「お解りですか? それが、冬馬の力です」

「オレが多少無茶をしようと、やりすぎない限り、全て容認されるという事か」
「あなたではない…まだ」
「そうだな。冬馬グループが、だな。力を持つのは、まだオレではない。そして、経理の女の子が市長に会社の金を渡すことは背信行為だが、お前がやる分には文句を言うヤツはいないという訳だ」
「その通りです」
「その点に関しては、お前は今現在のオレより、力があると言うことだな」
「そうです。でも…」
「でも、何?」
涼一は楽しそうに榊原の反応を窺う。

「でも、あなたには私がいます」
「お前がいることに、何の意味がある?」
「あなたは私の力を使うことが出来ます」
「お前に与えられた分の、冬馬グループの力を、オレが使っていいのか?」
「あなたは私に、して欲しいことを言えばいいんです」
「呪文を唱えれば、お前が叶えてくれるという訳か?」
「それが、あなたの力です」
「ふうん…」

涼一は榊原を見上げ、目を細めて薄く笑った。
「どんな、事でもか?」
「はい」
「お前は、オレが何を考えているか知らない。もしかしたら、天秤がひっくり返るかもしれないぞ」

「そのように、何度も私を試さなくても、よろしいですよ。涼一様。」

榊原は深い吐息を一つつき、涼一の身体を抱きしめた。


涼一は、榊原がその後どう動いたか知ることはなかった。
彼はただ一言、榊原にこう言っただけだった。

『オレのために働け』

榊原は黙って頷き、涼一の前から去っていった。
そして涼一は、市の研究施設に出入り自由の身となったのだった。

 

 

 その時ジャンクの研究者として、世間に名前が通っていたのは、黒羽陸の方だった。
志帆は共同研究者して名前を残しているだけだった。
もっとも最近の研究はチームを組んで行うのが普通で、昔のように個人の名前が大きくクローズアップされることは少ない。
それでも、黒羽陸の名前が残っているのは、彼がジャンクの発見者であり、同時に最初の被害者だったからだった。

大変動の一ヶ月後、地下に巨大な空洞が発見された。
現在の砂城市アンダーにあたる地下空洞には、調査のためのチームが派遣された。
その最初の調査隊メンバーに入っていたのが、当時既に結婚し、同時に研究のパートナー同士だった黒羽陸と志帆の二人だった。
最初の調査チームは半年の間、十数回に渡って地下に潜り、その最後の調査で、陸はジャンクに襲われたのだった。

陸は運が良かった。
彼は足と背中をやられたが、死ななかった。
歩けなくなり、車椅子の世話になる結果にはなったが、それで彼の研究者としての人生が終わった訳ではなかった。
むしろ最初の被害者になったことで、ジャンクという未知の存在に激しく執着する様になった。
アンダーに、調査研究をメインとした小規模な居留地が作られることになった時も、その最初の移住メンバーに、彼ら二人は名前を連ねた。

使役品はジャンクよりもずっと早く発見されており、それがもたらす夢のような可能性に、人々は熱狂した。
東京を半壊させた大災害が、より素晴らしい未来を与えてくれるかもしれない。
災害による悲しみは消えないが、たった一つでも良いことがあるならば、人々はそれに夢を見ることを希望した。

それ故、砂城居住の第一歩は、使役品の研究施設だったと言っていい。
現在の砂城は様々な人々が雑多に暮らしているが、それでも使役品に街の全ての機能を依存している様なものだった。
陸と志帆は、最初の移住メンバーであり、そしてまさしく「ライトスタッフ」だった。


 ジャンクの存在は、人々が熱狂する夢の中で、ひっそりと伏せられた。
もちろん秘密だった訳ではないが、災害に打ちのめされた人々は、これ以上のマイナス要因を見ることを望まなかったのだ。
もちろん政府は、アンダーの移住には、厳しい審査制限を付けた。
やがて押し寄せる多くの人々のために、完全な審査が出来なくなり、なし崩しに様々な人々が住み始める事になるのだが、それでも発見から十数年、未だここは特別に管理された場所だった。

今はいい。
使役品の発見に熱狂する人々。
新しい居住地域へ降りていく者達。

だが…。

誰も考えたくはなかった。
一度あったこの場所で、再び異世界の『泡』が浮かび上がってこない保証など、どこにもないのだという事を。

大地震が来ると言われていても、人々は見ないふりをして東京に住む。
同様に人々は、まるでもうこの地にあの災害が訪れるという可能性は、まったく無いかのように振る舞った。

しかし最初の数年間、アンダーの地に降りていく人々は、その事を良く理解していた。
自分たちはもしかしたら帰れないかもしれない。
またいつ、大浮上が起こり、この地が崩壊するかもしれない。
その覚悟が出来ている人間のみが、選ばれて『下』に降りていった。

十年という月日がたつに連れて、その危機感はどんどん薄れてはいったが、それでもアンダーの真上、地上部分に、再び前と同じ様な街が作られることはなかった。

アミューズメント地域。高級ホテル。カジノ。
一時の快楽を得るための歓楽街。

人が集まる場所ではあったし、それらが存在することは、まるでもうここには、何も忌まわしい事は起こったりしないのだという証拠のようにも思われた。
だが、特別居住地域以外は、けっして人が定住する場所にはならなかった。
何か事が起きた時には、全ての人々がそこから綺麗にいなくなる事が出来る。
スカイと名付けられた地域は、次第にそんな場所になっていった。

 その時アンダーは、最初から見捨てられる事が決定していた。
アンダーに住むという事は、そういう事だった。
十数年の年月の流れの中で、次第にその感覚は薄れつつあったが、それでもまだ、確実に人々の意識の底にその思いは沈んでいた。

斯くして砂城アンダーは、大変閉鎖的な世界となっていった。
徹底的な自主独立の態勢。
頼れるものは自らのみ。

それはまさしくフロンティア気質とでも呼ぶべきものであった。

 

 

 フロンティア。
新しい地。もっとも前にいる、その場所。
そこは洗練されておらず、不便で野蛮だったが、同時に古い土地には無い可塑性と、どこまでも自由な空気が存在していた。
自らの力一つで、どんな風にも生きられる。

冬馬涼一は、そんな世界に育った。
もちろん彼が育ったのはアンダーではなく、快適なスカイ地区ではあったが、それでも砂城市民としての気質は、しっかりと備わっていた。
もっとも彼は、完全な砂城生まれという訳ではない。
大浮上が起こったのは、涼一が3歳か4歳の頃であり、現在の砂城市の場所には、別の名前の都市が広がっていた。

故にまだ、完全な砂城生まれの者は少なく、当然の事ながら、その全てが幼い子供だった。


「コウは、砂城生まれなんだよな」
「うん」
黒羽 高は、パソコンのディスプレイから目を離して返事をした。
「涼一は違うの?」
天使のような、としか言いようがない可愛らしい顔が、こちらに向けられる。
初めて会った時から比べると、黒羽 高とはかなり仲良くなりつつあった。
もっとも人見知りする子供らしく、まだある程度距離のある親しさではあったのだが。
それでも涼一は、今は満足して微笑んだ。
「うん、違う。もっとも生まれた時の事なんて覚えてないけどな」
「…外の、人なんだ」
少しだけ吃驚したように、コウの瞳が見開かれた。
生まれた時から、ずっとアンダーに潜っている、完全で純粋な砂城の子供達。
黒羽 高は、その一番最初の世代である。
彼らは外の人間など、ほとんど見た事がないに違いなかった。

涼一は笑って首を振る。
「それも違う。正確には上の人だ」
「上…って?」
微かに首を捻る、そんな仕草すらが、おそろしく可愛い。
「ちゃんと砂城で育った、砂城市民だよ。でもオレはスカイに住んでいたんだ」
「ああ、遊園地があるところ…」
「行った事あるか?」
「一度だけ…」
「たった一度? そりゃ酷いな。普通子供は、もっとたくさん遊園地に行くもんだろ?」
非難するような涼一の言葉に、慌ててコウは首を横に振った。
「いいんだ。お父さんも、お母さんも、忙しいから」
「あーあ。子供にこんな事言わせるなんて、先生達、親失格だな。忙しいのは解っているけどさ」
「涼一…」
ちょっと困ったような表情で、上目遣いに見上げる。

その顔も悪くないが…。
そんな事を思いながら、涼一はそこで一気に破顔してみせた。
思った通り、コウは安心したように、ふわりとした笑顔を向ける。
子供の心を操るのなんか、簡単だ。
簡単すぎて、実際の所、面白くはない。
しかし、この子供は志帆に対しての切り札だった。
できるだけ心を掴んでおく事が必要だ。
涼一は少しだけ、揺さぶりをかけてみた。

「いい子だな、コウ。オレが先生達の事で不満なんか言って、クビにされちゃうんじゃないかって心配したんだろ? 大丈夫。先生達はそんな人じゃないから」
くしゃくしゃと頭を撫でてやる。
「うん」
コウは嬉しそうに頷いた。
「コウだって、オレがここにいた方がいいだろ?」
「うん」
「うん、何? うん、オレはいないほうがいい?」
「えっ!?」
からかうような涼一の言葉に、コウは驚いて目をしばたたく。
ほんの少し躊躇って、それからゆっくり口を開いた。
涼一の期待通りに。

「いて…欲しい」
「なんだ? 聞こえないぞ〜」
「涼一に、ずっといて欲しい…」
「本当にか? オレが好きか? コウ」
「あ…」
「早く言わないと、帰っちゃうぞ」
「あっ、うん。うん。好き。いなく…ならないで」
コウは慌てて何度も頷いた。

「…いい子だ」
そっと抱き寄せると、コウはしがみついてきた。
人とのふれあいに臆病な少年は、『別れ』に弱いようだった。
「なあ、じゃあオレが今度一度連れてってやるよ。スカイの遊園地に。コウがすごくいい子だったからな。ご褒美だ」
コウの表情が、その言葉に一気に明るく輝く。

いい子にしてたら、愛してあげるよ。

涼一はしがみつく小さな手を、ほくそ笑みながら、じっと見つめた。



 遊園地ではしゃぐ子供。
それは別に珍しくもない光景だったが、黒羽 高のようなとびきり可愛らしい子供がそれをやると、えらく人目を引く行為になった。
誰もが吸い寄せられるように、彼に視線を向ける。

ずいぶん目立つな。

涼一はその容姿と育ちの為、注目される事に慣れてはいたが、黒羽 高と歩くという事は、それとはまったく違ったイメージがつきまとった。
この子には、注目したくなるような何かがあるんだ、と思う。
それは、そのとびきり美しい容姿のためだけではなかった。
何だか解らないが、妙に人の関心を惹き付ける。
けっして派手な印象がある訳ではないのに。
むしろコウ自身はえらく地味な性格であり、けっして人より前に出ようとか、目立とうとかする事はなかった。

ただ黙って立っている。

それだけでも、この子供は誰よりも人の目を捉えた。
薄暗い中で光るものがあったら、知らず人はそれに目を向けるだろう。
そんなイメージがあった。

これが大人になっても無くならないならば。
コウを自分の隣に置いておくだけで、色々な事がやりやすくなるに違いない。
人は遠くからでも彼を見つけ、彼の周りに引き寄せられる。
色々な策を弄することなく、もっと楽に人を集める事が出来るだろう。

涼一は、志帆への鍵と言うだけでなく、コウ自身にも興味を持ち始めている自分に気が付いた。
おいおい、オレもこの子の魔法にかけられてるって訳か?
それはちょっと遠慮したいな。
そう思いながら、確かに自分も最初に会った時、この子供から目が離せなかった事実を思い出して、苦笑いする。

まあ、いいか。
それ程深く考える事でもない。
つまりは本物って事だもんな。

コウが袖を軽く引っ張って、涼一を見上げた。
「あっち、涼一。前に来た時は、あの向こうにスペースコースターがあったんだ」
「よく覚えてるな、コウ。ああ、その前にアイスクリーム食べないか? あそこに店がある」
「えっ? ええ? でも…」
「子供は遠慮しない。オレは金持ちなの、ホントだぜ」
「う、うん…」
コウは頬を染めて頷いた。
「よーし、今日は全部オレの奢りだ。アイスクリーム。コーンで、ダブルで、トッピングいっぱいかけていこう!」
「うん!」

二人は手を繋ぎながら、アイスクリームのコーナーに向かって走り出した。

      


 車椅子生活をしている黒羽陸のサポート。
そういう名目で、市の研究所に涼一は入り込んだ。
金をもらっていないのだから、アルバイトではない。
純粋なボランティアだ。

アンダーはジャンクのために、条件付きで拳銃の携帯が許された都市だった。
人を無差別に襲う危険な動物(動くのだから、動物と言ってもいいだろう)のいる地域で丸腰のままいたのでは、皿の上に乗っているチキンと一緒だ。
これが住民の主張だった。
移住初期、住民は研究者の他は、自衛隊関係、警察関係の人間が殆どだった為、銃の普及にたいして時間はかからなかった。
やがて正式に銃の携帯が法によって認められ、ジャンクによる被害者は減少していった。

しかしそれでも、被害に遭う人間はある一定数から下を割る事はなかった。
現代の人間にはありえなかった捕食による自然淘汰が、ここだけに存在していると言う者もあったが、その是非はともかく、死亡者の数が外に比べて驚くほど多い事だけは事実だった。
そして、死なないまでも身体の一部を失った人間の数は、更に多かった。
それ故砂城では、使役品から生み出される潤沢な資金を使って、障害者のために他の都市にはない、様々な設備が整えられていった。

陸が車椅子で生活していくのに、砂城のアンダーほど暮らしやすい場所はなかったとは思うが、それでも研究をスムーズに行う為には、様々なサポートが必要だった。
そのスペースに涼一は入り込んだ。
もちろん部外者だから、直接研究の手伝いをするわけではない。
涼一にはその資格も技量もなかった。
だがまもなく陸にとって、涼一はなくてはならない存在となっていった。


「涼一くんは、高校生だっけ?」
のんびりとした口調で陸が言う。
「はい、そうですけど。資料これでよろしいのですか?」
「うん、完璧。涼一くんはすごいなあ」
「どこか、すごいですか?」
「うん、その辺の人が10人いたって、君ほど役には立たないよ。最初は車椅子押してもらったりとか、簡単な整理をお願いしようと思っていたんだけど。
それだって僕にとっては重要な仕事だからね。でも涼一くんは、それだけじゃもったいないな」
「ありがとうございます。先生のお手伝いに来たんですから、お役に立てたならすごく嬉しいです」
涼一はにっこり笑う。
「お役に立つどころか、もう君無しじゃ資料をどこにファイルしたのかも、よく解らなくなっちゃったよ。大体昔から僕は整理整頓が苦手だった。
でも今は、涼一くんに言えば30秒でなんでも出てくるんだもんね。何だか魔法みたいだ」
陸は年齢より大分若く見える端正な顔を、人のいい笑いでいっぱいにして、涼一を見上げた。
「魔法はいいですねえ」
涼一はてきぱきと、近くに積んである紙の束を整理しながら答える。

「本当だよ。お世辞じゃないさ。僕がお願いした資料だけを揃えるんじゃなくて、関連した必要なものを何も言わなくても出して来るじゃないか。感心してるんだ。本当だよ」
陸はいきなり一生懸命に自分の本気を主張し始めた。
態度だけ見ていると、時々涼一と年齢が逆ではないかと思うほど、陸の言動には、多少子供じみたところが見える。
「よっぽどなんて言うか、勉強家なんだろうなあ。僕とはぜんぜん違う」
陸はため息をついた。
どうやら本気で感心しているようだ。
「黒羽先生、先生みたいな有名な学者にそれを言われたら、学生のオレはどうすればいいんですか」
涼一は可笑しくて仕方がないと言うように、声をあげて笑った。

「だって、高校生って普通、もっと遊びたいんじゃないのか? 女の子とかとさ〜。涼一くんいい男だから、絶対モテるだろうし」
「ええもう、モテてモテて困ってます」
「だろう、そうだろうねえ」
「人の言う事を100パーセント本気にとらないで下さい。冗談ですよ」
「ええっ? 冗談なの?」
陸は目をまん丸にする。
涼一は本気で可笑しくなってきた。
「まあそれはともかく、先生。オレは先生の所で勉強したくて来たんです。言ってしまえば、それが楽しい遊びですよ、オレにとって」

「そうか…」
陸はしばらく考え込むように下を向いていたが、やがていい事を思いついたらしく、満面に笑みを浮かべて涼一を見上げた。
「勉強って言っちゃうと、どうしても義務みたいなイメージがあるよね。楽しい遊びか。確かにその通りだ。したいからするんだよな。
…よし、決めた。涼一くん。きみウチへ来ないか?」
「うちって…。黒羽先生の家にですか?」
「うん。それだけ熱心で、やる気もあるんだから、個人的にウチへおいでよ」
涼一は思ったよりも速い展開に、内心興奮して言った。

「直接先生の研究を見せていただけるんですか?」
「ああ、もちろん。君に個人的にも手伝ってもらえると、すごく助かる。まあこれは、僕の都合だけど…」
「喜んでお手伝いさせていただきますよ、黒羽先生。よろしくお願いいたします」
涼一は深々と頭を下げる。
「うちに来ちゃうと黒羽先生は2人になっちゃうから、陸でいいよ、涼一くん」
陸はそう言って、嬉しそうに涼一の手を取った。


 夕方も近づいてきた午後、涼一は陸と2人、向かい合って座っていた。
昨日まで果てしなく本と資料の山が散乱していた陸の部屋は、今は涼一の手によって、とりあえず見苦しくない程度に片づけられている。
そこで陸は、まるで大人に対するように、涼一に向かって話した。

「使役品は生体に取り入れても、異物反応がまったく無い事は知ってるよね」
「はい、陸先生」
涼一は頷く。
「しかも殆ど100パーセント疲労破壊の心配がない。更に一定期間の後には生体吸収される。生体吸収された後は、今まで欠損していた部分は自己再生している。完全にだ」

「失われた手や足さえも、再生可能だと言う事ですか?」
「トカゲの尻尾のように生えてくる事を期待するのは難しいかもしれない。まあもっとも、やがてそういう事も可能になるかもしれないけどね。
しかし自分の細胞から腕を再生させて、ジャンクにやられた部分に接合する。これは十分可能だ」
「しかしそれは今の技術でも行われていますよね」
「でも充分とは言えない。そして何より、使役品を使った移植で特徴的なのは、たとえ切断後何年経過していようと、それでも腕を接合する事が可能で、なおかつ神経再生率が非常に速いと言う事だ。
多分間に入っている使役品同士が活性化して、融和しやすくしているのだと思う」
陸はそこまで言って、にっこり笑った。

「つまり、もしかしたら僕だって再び歩けるようになるかもしれないって事だよね。僕の身体は下半身麻痺だから、脊髄の辺りから、足から生殖器から、総取り替えになるけど」
陸はいたずらっぽい目つきで涼一を見ると、ニヤニヤ笑った。
「立てるようになったら、僕も女の子にモテるかな?」
「陸先生。そんな事言ってると、志帆先生に怒られますよ」
「志帆だって僕が立てた方がいいに決まってるさ。まあ、どこが、とは言わないけどね」
2人は顔を見合わせ、吹き出して笑った。

「この先どうなるかは解らないけど、とりあえず自分の体細胞は採取保存してあるんだよ。涼一くん、なんだったら君もやっておくといい。
不吉な事を言うのも何だけど、ここにいる限りいつ何が起こるか解らないからね。砂城の市民には、そのうち義務化されるよ。きっとね」


「ここまでは使役品の話だ。だがジャンクになると話はかなり違ってくる。
ジャンクの欠片は使役品と違って人体に入ると一種の拒絶反応を起こす。
その為ジャンクにやられた傷は治りにくいのが普通だ。その部分の人体組織がなかなか再生しないんだ」

「使役品とはまったく逆の反応なのですか?」
「まったくじゃないな。融和性が非常に高い所は一緒だし、量が少なければやがて身体に吸収される所も同じだ」
涼一は黙ったまま陸の言葉に耳を傾けた。

そう、彼もオレも本当は使役品の事はどうでもいい。
ジャンクこそが重要な興味の対象なのだった。

「これはね、僕と言うより志帆の考えなんだけど」
一息置いて陸は続ける。

「ジャンクの場合はね、人体組織がなかなか再生しないのではなく、何か別のものを再生しようとしているのではないか、と思うんだ」

「別の…もの?」

涼一は背中にゾクゾクするものを感じた。

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