みるみる解るヤオイ回路


 またちょっと変なタイトルをつけてみました。
みるみる解る、などというタイトルを付けた本は、大抵みるみる解らなくなるものです。
つまりこの、エッセイというより、だらだら文を書いてみましたコーナーも、そんな感じだと思っていただければ幸いです。

とまあ、前振りはこの辺りにしまして。まずはタイトルのことはこっちに置いといて。
ちょっと前の話なんですけど。
友人と話していた時、彼女がフッと

「私は二次創作のヤオイはいいんだけど、オリジナルのBLはダメっぽい」

と言ったことがあったんですね。
で、聞いた時は「ああ、そういう人よくいるよね」と頷きながら返したわけなんですけど。その後なにやら頭にフッとひらめきました。
そのひらめきを、ずーっとずーっと頭の中でこねくり回していたのですが。
最近、なんとなく解ってきたぞ、と思えたことがあります。
いやもう、大半の人には関係ないことで、そんなくだらない事をずーっと考えていても、誰の得にもならないんですけどね。
まあいいのです。考えることは趣味だから。

 私は昔から、ヤオイの類いがダメでして。
最初に偶然見てしまった時は、ぎゃーっとショックだったものです。
それは、もちろん色々理由はあって。
間違いなく、私が持っている「セックスに対する潔癖性な気分」も大いにあるとは思います。
だって、ヤオイだけじゃなくて、男女の絡みも、物語の中にあると、嫌だなあ邪魔だなあ、と思っていたのですから。

でもまあ、そういう潔癖性は年を取ると薄れてくるって言うか、どうでもよくなってくると言いますか。
今では平気で男性向けエロも読むし、ヤオイ本も買うし。
もちろん心の中には潔癖性の片鱗は残っていますが、小娘のように嫌だ〜、とは思わなくなったのは事実です。

しかし、上記の彼女の発言で、フッと気付きました。
私がヤオイがダメだったのは、潔癖性のせいだけじゃなかったんじゃないか。
もちろんそれもあるだろうけど、もっと大きな、趣向というか、ええーと、何と書いたらいいんだ。嗜好か?
とりあえず、そういう根本的な、ダメな理由があったんじゃないだろうか。
もしそうなら、私が未だに
「実は私は、ヤオイを書く心理を実感としては解ってない」
という事に説明がつくんじゃないか。
と思い至ったわけです。

そう、私はコミケやイベントで、ヤオイ本をバリバリ買って読んでいるんですけど。
そして読めるようになった今、ヤオイを書く心理も昔と違って解って来たわ、と思っていた時期もあったのですが。
あらためて思い返すに。
やっぱり解ってねーよ自分。と思うのです。

まあ、その辺りのことを、これからじわじわ書いていこうかと思いますので、興味がある方は読んでやってください。




彼女の言葉を聞いて、私が最初にひらめいたのはこれです。

「私は彼女とは逆で、オリジナルBLはいいんだけど、二次創作のヤオイがダメっぽい」

バリバリ買って読んでいるのに「ダメ」とはどういうことで?
と首を傾げる人もいるでしょう。
息をするようにヤオイというものを自らの中に取り込めている人にも、この感覚は分からないかもしれません。
私は、どうやら、妙に複雑な回路を通して、ヤオイを読んでいるようなのです。
そう思った理由を、だんだん書いていこうと思います。


ヤオイが比較的平気になった私は、基本的には「リバ」です。
(リバとは何かとか、詳しい用語説明はしません。つまり、もう用語とかはある程度解っているというのが前提です(^_^;)

簡単に書くと、受けと攻めが、反対でもOKというヤツです。
最近は多少増えてきたようですが、それでもリバは、固定カプ者には、嫌がられている、ちょっと肩身が狭い嗜好なのは事実です。
ただですね、キャラにはこだわりがあるんですよね。
たとえば、コードギアスでは、ルルーシュとスザク。
(R2以降は、ルルーシュとロロという組み合わせもアリですが、ここはとりあえずルルーシュとスザクにしておきます)
ルルーシュと他のキャラじゃダメだし、スザクと他のキャラでもダメです。
あくまで、ルルーシュとスザクの組み合わせがいいんです。

しかし、受攻はどっちでもかまわない。

ルル受けで出されている本も買うし、スザク受けで出されている本も買う。
そしてほとんど無いですけど、同じ話の中で、2人の受攻が途中で逆転する話でも、私は買うでしょう。
要するに、2人がイチャラブしているのを見たいだけなので、役割分担にこだわりがないわけです。


…と、ね。最近まで思っていたんですよ。
ところが、どーもほんの少し、上記の描写は違うことに気がつきました。
ええ、友人の「オリジナルボーイズラブと、二次創作やおい」に関しての発言を聞いてからです。

あ。もちろん私の「リバ」は、私だけの「リバ」ですから。
リバの人が全員私と同じと言っているわけではありません。
これはあくまで、私個人が、どうして「リバ」嗜好になっているのか。
に関しての考察です。
そういうことで、よろしく〜。




 少し前にネットで読んで、私がビックリした意見があります。
「オリジナルボーイズラブと、二次創作やおい」
に関しての会話の流れから出たセリフだったのですが。

「オリジナルボーイズラブって、カプの押しつけじゃん。
だから苦手なの!」

これは、オリジナルボーイズラブが苦手だと主張する、二次創作固定カップリング者の意見だったんですけど。
いやあ、私コレを聞いた瞬間、何か頭の中に雷が落ちたような気がいたしました。

ええっ!? すげえ。
すごく目新しいって言うか、意外な考えもしなかった意見だった。
だって、か…カップリングの押しつけ?
押しつけって何?
そりゃー、オリジナルボーイズラブは、最初から受攻は決まってますよ。
でも、だって、そういう話じゃん。恋愛ものなんだから。
決まってなかったら、話自体が進まないし。恋愛にならないし。
どっちも押し倒されなかったら、ベッドシーンに行けないし。

でも…そうか。なるほど。
二次創作やおい者の感覚の一端が、ちょっとだけ解った気がしました。

いや、というより。
この瞬間、この二次創作やおい者の人と、私が、ボーイズラブを読む姿勢が、まったく違う、ということに初めて気付いたのです。

私は、この人に聞きたい。
普通のオリジナル少女マンガも、主人公と結ばれる相手がもう決まっていて、役割分担も決まっているんですが。
そういうのもカップリングの押しつけって、感じるんでしょうか。

うーむむむ…。
実際聞けないので、この人が何というかは本当には解らないのですが。
でも、普通は言わないよね。
少女マンガの恋愛ものを読んで、この主人公男女2人がくっつくのはカップリングの押しつけだ。とは。

つまりまあ、言いたいことは。
私にとっては、オリジナルボーイズラブって、普通の恋愛マンガと一緒なんですよね。
ただ、男同士なだけで。
だから、男女の恋愛マンガが、最初から結ばれる相手も決まっていれば、受攻も決まっていて、もう決まった2人が最後に結ばれる。
その過程を楽しんで読んでいくのとまったく同じ感覚で、私はボーイズラブを読んでいるんです。

そうすると、初めて見る知らない2人がラブイチャでも、全然かまわないし(つうか、当たり前だし)
どっちが受でも攻めでも、全然こだわりないし。
作者が、こっちが受け。と決めた方が受け。で、当然って言うか。
だって、ありとあらゆる少女マンガの恋愛ものは、みんなそうですよ。
作者が、この女の子がこの男の子とくっつく、と決めたら、そういう話ですよねえ。
疑問の余地もなければ、不満もない。
あるのは、その話が自分の好みかどうか。それだけです。
好みじゃなかったら読まないだけで、好みだったら、そのままそういう話として読む。
ええ、もう。それだけなわけです。

私にとって、その感覚があまりにも当たり前だったために、
「オリジナルボーイズラブは、カプの押しつけだから、嫌」
という意見が、恐ろしく新鮮で、違う世界の言葉として響いたんだと思います。

なるほど、私とは姿勢がまったく違うんだ。
というか、オリジナルボーイズラブと、二次創作のヤオイとは、実は本当に根本的なところで、その精神自体が違うものなのだ。
と、理解した瞬間でした。




 今のところ、二次創作のヤオイ、と、オリジナルボーイズラブは、男同士の恋愛もの、と言う一点で、多少まぜこぜに扱われていると思われます。
確かに見た目が似た部分も多いし、接点もあるかもしれない。
しかし、この二つを「扱う」 その精神において、二つは、まったく違う。
もちろん、近い部分もあるので、同じような萌えで扱う人もいると思います。
でも、絶対に同じものではない。
部分的には、限りなく遠い存在である、と私は思いました。

それが解ってきたとき、自分がリバOKな理由も解ったし、私は実はヤオイの精神自体が、根本的にはよく解ってないんだな、という事実も把握できたし。
固定カプ者とリバ者の意見が、絶対に相容れない(どこまでも言っていることが平行線)な理由も、なんとなく分かってきました。


固定カプ者が、よく言う言葉があります。

受けと攻めが逆になったら、もう性格自体が変わってしまう。
違う作品になってしまう。
だから、どっちもOKな人の心理が理解できない。
だってそれ、違うものじゃん、ぜんぜん違うじゃん。
逆なんて、考えられないよ、もう違う人だし。それって気持ち悪いよ。

うむ。
今だったら、私はなるほど、と深く頷くことができます。
しかし私は、前はこの意見がサッパリ解りませんでした。
なぜなら、リバ者はよく言うのですが。
こういう意見を持っていたからです。

違う風になるってどうして?
だって、どっちもそのキャラじゃん。
受でも攻めでも、性格は一緒でしょ?
というか、もともと原作はどっちが受でも攻めでもないんだから、どっちでも捏造でしょ。
私はまったく構わないけどなあ。
好きキャラが出てくるんだから、どっちが受でも攻めでも萌えるよ。

でも、解りました。
今ならよく…かどうかは解りませんが、でもなんとなく解る。
固定カプ者に、この意見が全然通用しない理由が。

私には、実は本当には理解できないんです。
実際には恋愛描写が無い話から、恋愛を捏造する、という感覚が。
腐女子が当たり前のようにする、そうじゃない関係性を恋愛に読み替える、という機構(ヤオイ回路)が、かなり錆び付いているようなのです。

ちょっとね、基本的なところに戻りますけど。
ヤオイとオリジナルボーイズラブの違いって、なに? という定義。
まあ、色々と言われてはいるんですけどね。
私の中では、ヤオイとは
「男同士の恋愛要素がない話から、恋愛を妄想して描いていく」
オリジナルボーイズラブは
「男同士の恋愛を描く話」
という感じに、分類されてます。
つまり基本的には、やおいは二次創作のこと。だと思っております。


とりあえず、そういう定義で話を続けていきますと。
私はリバです。
好きなカップリングが、受でも攻でもまったく構わず読む。
どちらが受でも攻でもそのキャラだし、好きキャラがラブラブしている話だから楽しい。
固定カプ者の、受と攻でキャラが変わるという主張が、よく解らない。
ずっとそう思っていました。

しかし、どうやら根本的なところで、なにやら違うようです。
私は、二次創作ヤオイを読むとき、その作品を、二次創作者のオリジナルボーイズラブとして読んでいるのです。
オリジナルボーイズラブを読むとき、普通の少女マンガと同じノリで読むのと一緒です。

例としてコードギアスで考えると。(またかよ…)
ルルーシュ受けの二次創作を読むとき、私は
「ああ、この人の設定ではルルは受けなんだな」
と、意識の照準をそこに合わせて読みます。
ルルーシュ攻めの本だったら、
「この作者は、ルルーシュ攻めという設定で描くんだな」
と、この話はそういうもの、と思って読むわけです。

実際の物語は、どっちでもない。
二次創作は、それを描く作者が、自分フィルターを通して描いているわけだから、その人のオリジナル物語なのだ。
作者が、こっちが受け、と思ったら、別にそっちが受けで当然。
オリジナルボーイズラブなんだから。

まあ、細かい色々はまだ検討が必要でしょうが。
大雑把に言うと、こんな感じなわけです。
元の作品から、私自身がまったく二次創作的なカップリング萌えをしていないことが解ると思います。
私は、表層的にはキャーキャー萌えているけど。
実際には、原作の関係性を恋愛関係に読み替えて創作する。という作業を、まったくやっていないのです。
してないから、こだわりが全然無いんですよ。
そこはかとなく、腐女子失格ですよ。

でも、愉しむことは出来るんですよね。
恋愛に読み替えて楽しむ、という作業は、オタクである限り、まわり中に溢れている、ありふれた楽しみ方なので。
ヤオイ同人誌をバリバリ買って読んで楽しむことは、できてしまう。
でも、原作を読んで、そこから読み替えることは、してないんです。
ポリシーとかじゃなくて、たぶん出来ないのでしょう。
それをする才能に、激しく欠けているんですね。
だから私が二次創作ヤオイを楽しむ時、心の中には作業がひとつ加わっているはずです。

これは、この人の設定で描かれた、恋愛物語なのだ。

と、置き換える作業。
二次創作を楽しんでやっている人達みたいに、ダイレクトに萌えを共有しているわけではないのです。

だから。
私は表面的には、二次創作ヤオイも、オリジナルボーイズラブも、どっちも楽しんで読んでいますが。
二次創作ヤオイを、オリジナルボーイズラブに読み替えて楽しんでいるわけなので。
本質的には、
ヤオイを描く心理を、実感としては解ってない。
のです。

「私は彼女とは逆で、オリジナルBLはいいんだけど、二次創作のヤオイがダメっぽい」

というのは、つまりそういうことです。

そういう要素のない物語から、関係性を男同士の恋愛に読み替えて楽しむ「ヤオイ回路」が、超錆び付いているわけです。




 しかし、一応もと作品がある二次創作ですから。
私だって、完全なオリジナルボーイズラブを読むときとは、少しだけ違うのも確かです。

二次創作(特に固定カプ者)には、受けと攻めが変わったら、話自体が変わってしまう、という主張があると書きました。
二次創作を本当にする人は、原作自体をそう読み替えているわけですから。
そりゃー、受攻が大事だろうな、と私も解ってきました。
だって、本気で恋愛関係に読み替えているわけですから。
その作品では、彼の方が受けなのっ!! そういう物語なの。
それが変わったら、物語自体が崩壊してしまいます。

なるほど。
固定カプ者のこだわりが、やっと解った気がします。
この原作は「彼が受けの物語なのだ」と認識していたら、そりゃー確かに。逆は受け入れられないわ。

でも私は、もと作品には、受攻の関係性は無い、と思っています。
二次創作は、その無いところに、その人の設定を付け加えて作っている、別の物語だと思っています。
なので、元作品には、受攻の関係性はないので、受けと攻めは、私にとって重要ではないわけです。
だから、そのキャラが受けでも攻めでも、どっちでも面白く読める。

ただし、じゃあ何でも読めるのか? というと。
これも違うんですよね。(^_^;
また実際例を出してしまいますが。
ファイナルファンタジー7で、私はクラウドが大好きです。
彼が受けでも攻めでも、どっちの本でも読めます。
しかし、私は原作のクラウドって、カッコイイ。と思ってまして。
同人誌の中には、クラウドがメチャメチャ華奢で、ラブリーで、女の子みたいな可愛い存在。という本もあるわけで。
受でも攻でも全然かまわないくせに、可愛いクラウドの本は、読めないのです。

受け攻めじゃないんだなあ。
私が原作で、このキャラはこういう感じだよね、というイメージから、あまりにも外れてしまうと、ダメ。
オリジナルボーイズラブだったら、このクラウドというキャラがどれだけ、きゃるるん♪ でも、うるうるん♪ でも、そういうものとして読むでしょう。
でも、二次創作は元があるので、元作品から自分が受けたイメージから、とっても離れてしまったらダメ。
というわけです。
(どれくらい離れたらダメかは、残念ながら、読んでみないと解りません)

二次創作ものを私が読む場合、大切なものは受攻ではなく、私がその原作から受けたイメージに、ある程度は沿っていること。
こだわりはそこだけです。

本当に私って、原作の関係性を、恋愛関係に読み替える作業をしてないんですねえ。
もっとも人が描く物語を愉しむことは出来るんだから、表層的にはできるのでしょう。
でも、本当には解ってないよな。
わざわざ、その作者のオリジナルボーイズラブものだ、と置き換えるなんて、妙に複雑な回路を通して、ヤオイを読んでいるようではね。




まあこの辺で。
主な趣旨は語ってしまったような気がしますが。
もうちょっと語ります。

ただ……。今までの主張と違うじゃん。な話になるのですが。
私、ヤオイ回路が無い。とは書いてないんですよ。
激しく錆び付いてはいるけれど、まあ…あることはあるんですよ。
たぶん……。
というのはですね。今のところ人生で1回だけ、原作の物語を恋愛関係に読み替えて妄想したことがあるからです。

「無限のリヴァイアス」

今のところ、この作品においては、私は自主的に恋愛関係への読み替えを行いました。
昂治×イクミ。えーと、昂治攻めのイクミ受けです。
(超マイナーカプです。普通は逆。昂治受けがメジャーだった…)
リバはありません。ありえません。

ええ……。そうなんですよ。
私は、自分はリバだと思い続けていたんですけど。
それは単に、自分の中でまったくヤオイ創作をしていなかっただけであって。
1回だけできた
(別に無理にやったわけではありません。勝手に読み替えをしたわけなので、初めての二次創作ヤオイでしょう)
この恋愛関係への読み替えを、あらためて思い返したとき、逆カプが自分の中でありえないことに気がつきました。
そうか〜。本当はリバじゃなかったんだな。
錆び付いたヤオイ回路が動いたとき、私は固定カプ者でした。

でもホント。
同人生活長いんですけど。
こんな長い中で、原作を恋愛関係に読み替えて萌えたのは、これ一作だけなので。
(しかも、すごく短い間しかやってなかったし、自分で作品も造らなかった)
サンプル少なすぎなんですよ〜。
ヤオイ回路が無いわけではないことは解りましたが、やっぱり
「ヤオイを描く心理を、実感としては解ってない」
んだろうな〜。と思います。
超、錆び付きすぎ。

結局、私が二次創作ヤオイを描かないのは、要は描けないからです。回路動いてないんだから、仕方ないですね。
人が描く話が読めるのは、オリジナルボーイズラブ作品として私の心の中で勝手に読み替えているからです。
つまりすべてを、オリジナルボーイズラブ作品として読んでいるわけなので。
「オリジナルBLはいいんだけど、二次創作のヤオイがダメっぽい」
という結論に至ったと。そういうわけです。

やれやれ。
くだくだ長い上に、それほど意味もなかった気もしますが。
思考の遊びをまとめていく作業は、それなりに面白かったです。




 長々と自分語りを、失礼いたしました。
みるみる解るとかいうタイトルに違わず(笑)みるみる解らなくなっていくような文章で、ごめんなさい。
最後に。
まとめという事で、繰り返し部分はありますが、まああと少しだけ。

 二次創作ヤオイと、オリジナルボーイズラブは、男性同士の恋愛を描く、という一点で、ある程度同一視されております。
しかし私の中では、まったく違うものです。
だって、二次創作は滅多なことでは描けないけど、オリジナルボーイズラブだったら描けるんですから。
もちろん二次創作ヤオイだって、形だけなら描けます。
ある程度は、キャーキャー萌えて描くことも出来るでしょう。
しかし、そこには他の人が持っている「本物の萌え」は無いんだろうと思います。

もう一度書きますが、これはあくまで、私自身のことです。
二次創作ヤオイも、オリジナルボーイズラブも、どっちも楽しめて、どっちの回路も働いて、更にリバの人もいるでしょう。
そういう人は、大変手広く回路が開いているんだろうなあ、と思います。

最初に私に
「私は二次創作のヤオイはいいんだけど、オリジナルのBLはダメっぽい」
と言った友人は、昔は私と一緒でヤオイの類いが全然ダメでした。
しかし、時間がたった今ごろになって、ダメだった理由が、私と彼女ではまったく違うということが分かりました。
今では、私はヤオイを面白く読み、彼女は自分自身で描いたりしています。
でも、全然違う。

セックスへの潔癖性という点を抜かすと。
私が当時ヤオイの類いがダメだったのは、二次創作ヤオイ自体が出来ないし解らなかったから。
彼女が当時ヤオイの類いがダメだったのは、男同士の恋愛物語自体が出来ないし解らなかったから。

今では、私は二次創作ヤオイを、オリジナルとして読み替えることで、読めるようになりました。
彼女は、たまたまヤオイ回路が動いてしまったものだけ、男同士の恋愛がOKになりました。

一見、ヤオイが苦手だった、そして今は読める。という同じ状態なのに、本質的には2人は真逆だったんだなあ、というのが、とっても面白かったです。

もっとも彼女の「読める」はヤオイ回路が働いている、限定カップリングのみってことになりますね。
自分でヤオイを描いていても、オリジナルBLは読めない、という理由が、ここからよーく解ります。
彼女は、もともと男同士のカプ自体をよく解ってないんです。
二次創作ヤオイの時は、この2人の組み合わせだからこそ、それってアリ、と感じてしまったわけで。

だとしたら、オリジナルボーイズラブって、まったく見知らぬ2人ですもんね。
見知らぬ2人の恋愛関係は解らん。もともと男同士の恋愛自体がよく解ってないしな。となってしまうわけです。
なるほどねえ。自分がはまっているヤオイは読めても、オリジナルボーイズラブは読めない筈です。

やっぱり二つは、かなり違うものだよな。と思いました。
混同してしまうと、最初の方に書いた
「オリジナルボーイズラブって、カプの押しつけだから苦手なの!」
という主張に繋がっていくんでしょうね、きっと。

END

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