Run away with LOVE


どうしよう。
どうしようったって、追っかけるしかないじゃないか。
他にどんな選択肢があるっていうんだよ。
そりゃこのまま見捨てて帰るとか、一人で車で待つとか、全然現実的じゃない選択肢はあるけど、考えるだけ無駄だ。
なんて頭がごちゃごちゃ思いめぐらしているうちに、身体の方はとっくにトイレを飛び出していた。

これも職業訓練のたまもの、なのかどうかはわからないが、人を追っかけるのは謂わばプロだ。
とっさに辺りを見回す。

どっちへ行ったのだろう。
しかし公園は、はっきり言って360度開けた場所だ。
二方向とか四方向とかに限られた道に比べると、かなり分が悪い。
しかも黒羽は犯罪者じゃないのだから、人気のなさそうな方に逃げるとかそういうセオリーも当てはまらない。
そこで取る方法はひとつっきゃないじゃないか。

白鳥は、辺りを取り巻いて興味しんしんな見物人の一人に声をかけた。
「あの」
皆まで言わせず、そのおばちゃんはにこにこ顔で
「あの背の高い男の子なら、あっちへ走ってったわよ、お嬢ちゃん」
脱力しそうになるところをかろうじて踏みとどまる。
「ありがとう、おばちゃん」
それでも御礼だけは欠かさない白鳥だった。
但し言われた方は憮然として
「オカマにおばちゃんなんて言われる筋合いはないわよねえ」
と、隣にいたおばちゃんに話しかけているのだった。


おばちゃんにオカマと言われた事は、白鳥は知らずにすんだ。
もちろんターボかけて走り出したからだ。
運のいい事に、靴はまだ女物じゃない。
少し湿気ってはいるがスニーカーだ。
『だけど、スカートって走りにくい〜。纏わりつく感じが、なんかやだ』
個人的な感想だけを考えていた白鳥だったが、客観的に見るとこの状況は、結構凄まじいものだという事にはあまり気付いていなかった。

スカート振り乱して、全速力で公園を走るオカマ…。
…なんか、訳の判らないアングラ映画にでもなりそうなシチュエーションだ。

しかし、黒羽は全然見つからなかった。
ううう〜。コウって、足速いんだよな。
だいたい自分とはコンパスの長さからして違う。
そのうえトイレでもたついた分、初動捜査の遅れ(じゃねえだろ〜っ(^_^;)が出てしまっている。
ちくしょー、コウ。オレをおいてどこに走って行っちゃったんだよ。
今オレはオカマだってのに、一人にするなよ。

こうなりゃ聞き込みだ、聞き込み。
公園には犬の散歩をしている人とか、ベンチでホットドック食っている人とか、そんな人達がたくさんいた。
「あのう〜、ちょっとお聞きしたいんですけど」
だが、白鳥が話しかけると、そんな人達は、まるで何か合図でもあったかのように、さささ〜っと引いていった。
あう〜。オレなんか悪い事したか?
これでも人好きのする顔で、愛想もいい方だ。
今まで話しかけて人に逃げられた事なんて無い。
そんな態度とられちゃうと、ちょっぴり傷ついちゃうぜ。

でもこれは捜査だ、捜査。
仕事じゃないけどな。
臆してなんかいられない。
なぜだか、ここで黒羽を見つけられなかったら、一生見つけられないような気がする。
捉まえて、抱き締めて、逃げるなって言ってやらなきゃ。
この際自分のスタイルのことはすっかり頭から抜け落ちている白鳥である。

ベンチのおっちゃんの証言では、
『黒い服の背の高い男は、噴水の方へ走って行った』
子供連れの夫婦の証言では、
『日本庭園の方に行ったようだ』

なんだってそんなに広いんだよ! 公園!
地下にこんな馬鹿広い公園作りやがって。
ちくしょう。
もっとこぢんまりしたものにしとけなかったのかよ。
ぶーぶー。

走っても聞き回っても、黒羽の行方は杳としてしれなかった。



もしかして、公園から出ちゃったのかな?
空を見上げて白鳥はため息をついた。
もしそうなら、見つかる確率はぐぐっと減ってしまう。
見上げた夕方の空には、星が一つきらめいていた。

人工の空のくせに、そういうとこだけ凝ってるんだよな。
もっと夜になると、外よりも多い星が空を飾る。
その光景は、偽物でもそれなりにロマンチックだが(夜景のようなもんだ)でも、コウには星を見る習慣が無かった。
まあ地下にずっと住んでいるんだから当たり前か、とも思うのだが。

あれは星じゃない。
ただのきらめく光だ。
星だと思うから、遠い彼方に思いを寄せる事も出来る。
けれどあれは全て、単なる空の柄に過ぎないのだ。

そういえば、コウは雨にも雲にも関心がなかった。
砂城には、天気に関する挨拶がない。
外ではおばちゃん達が当たり前のように交わす『いいお天気ですね』も『寒くなりましたね』も無い。
雨は全て予定で、予定外の雨は火災の時にだけ降り注ぐ。

砂城にとっての、遠い彼方、未知の世界は、空の果てでは無かった。
それは地の底深くにあった。

彼らの意識は、常に下に、ひたすら地に向かっているのだ。



ああ、腹減った。
なんかもう、半日食わずに走り回ったあげく、えっちしちゃって、今また走り回っているわけだから、そろそろエネルギーもエンプティに近い
さっきどこかでホットドックでも食っとけばよかった。
そう思った瞬間、なんとなく嫌な感覚が首筋の辺りをそーっと撫でていった。
なーんか、忘れているような気がしてならない。
だけど、コウだよな。コウはどこだよ。オレ間違いなく公園中を制覇しちゃったよ。
でも見つからないって事は…。
コウもこっちを捜していて、すれ違っている事も考えられる。
いくらパニクってたって、そろそろ落ち着いてきてもいい頃だもんな。

もう、怒ってないからさ。
顔見せてくれよ。

パートナーだから、ずっと一緒にいる。その筈なんだ。
だけどいつでもオレ、コウを掴まえておくのに一生懸命になってる。
気がつくとコウは、するっとオレの手から逃げてしまう。
何がそんなに怖いんだろう、って思う時もあるけれど、コウには聞かない。
オレはただ、コウを捉まえて、抱きしめて、怖くないって言ってやるつもりなんだ。
だからさ、コウ。出て来いよ。
どこにいるのさ…。

ぼんやりと歩いているうちに、いつの間にか駐車場に来ていた。
ああ、そっか。ここが公園の入り口か。
オレ達ここから入ったんだよな。
迷ったら現場に戻れ。これって捜査の基本?
その正しさを証明するように、白鳥は車の近くに背の高い影を見つけた。
ああ、コウ。コウだ。
嬉しさで飛び上がりそうになる。
まったくもう、心配かけやがって。

だが、次の瞬間白鳥は、今度こそ本気で真っ青になった。
ちょっと待てよ。
コウも手ぶら。オレも手には何も持ってない。
だけどホテルから出てきた時には、確かにオレは手に何かを持っていた。
そう、デパートの袋を。
オレは濡れた服の入ったそれを、トイレに置いたまま個室に入り、そして…。
その後の記憶はまったく無かった。
いや、その…。服はいいよ。この際服はどうでもいい。
だけど、だけどあれには…。

あれには
拳銃が入っているんだよ〜〜〜〜!!!

 

 

 黒羽の方も白鳥に気づいた。
走ってきて、立ち止まった彼。
気不味い。
あんなものを怖がって、悲鳴を上げて逃げ出したなんて、署の人達が知ったらなんと言うだろう。
もちろん香澄がそんな事を言いふらすとは思わないけど。
けど、
でも。

黒羽はわりと早くこの駐車場に来ていた。
香澄を捜しに公園に戻ろうかとも思ったが、もしかしてまだあれがいるかも、と思ったら脚が竦んで動けない。
なにしろさっきは手の上に…
考えないようにしよう。

そこでようやく黒羽は白鳥の様子が不審なことに気づいた。
立ち止まって、何か考えているらしい。
怒ってるんだろうか。
どうしよう。
もう一度パニックに陥りそうになって、黒羽は慌てる。
そう、こういう時のいい方法がひとつある。
黒羽は固まっている白鳥に駆け寄り、
ぎゅうっとその身体を抱き締めた。

コウ。
逢えて良かった。
よかったけどっ。
オレ今大変なこと思い出しちゃったんだよっ
しかもっ
これじゃあ計画と逆じゃんか。
なんでオレが抱き締められてんだよッ。

用もない思考を空転させている白鳥に構わず、黒羽は抱き締めた身体の確かさにちょっとだけ安心していた。


端から見ると、二人の様子は見事なまでの恋人同士だった。
白鳥はスカート。少々足元がそぐわないが、ストッキングまで履いている。
女にしては高い背も、黒羽と並ぶと綺麗に釣り合う。
化粧してない顔も、男の体型が見えてしまう上半身も、今は黒羽がすっぽりと抱きしめ、隠してしまっていた。
薄闇が降りはじめた空には星が輝きはじめ、演出効果もバッチリ。

「わあ、あれ…」
公園から駐車場に入ってきた女の子達が、二人をそーっと眺めていく。
「綺麗なカップルだよー」
「ドラマのロケかな?」
「いいなあー、ああいうの…」
実際の所、白鳥の顔は完全に黒羽の体に隠されていたわけだが、なにせ黒羽はその辺のアイドルが裸足で逃げ出す程の美形である。
そんな美人が釣り合わない女を抱いているわけはない(ましてや男だなんて論外)と勝手に心の中で修正されてしまっているのだ。

うっとりと眺めていく女の子達だったが、黒羽はまったくそれには気付いていなかった。
何か今日は色々あった気もするし、自分のドジも嫌になったし、香澄にみっともない所も見られてしまったけれど、こうやって香澄を抱きしめていると、全部どうでもいい気分になってくる。
香澄の髪に顔を埋める。
気持ちいい。
いつから自分はこんな風になったのだろう。
誰かを抱いて安心するなんて。

いや、誰かじゃない。
これは香澄だ。


白鳥はぐるぐるだ。
だって、この事態はあまりにも段取りと違いすぎる。
いきなり黒羽に抱きつかれちゃって、
「抱きしめてやる」
はずの段取りがパア。
おまけにスカートなんかはいたオカマ姿で自分より背の高い黒羽に抱きしめられてるんだから、周囲にどう見えてるかは想像するまでもなく明らかだ。
そんでもって雨上がりの公園は結構人がいたりするのだった。
ショックでかい。
なんて考えてる場合ではないのだった。
大変だ。
「コウ!」
たいへんムーディに自分を抱きしめている黒羽を引きはがして、白鳥は怒鳴った。

二人で駆け戻ったトイレに、当然のごとく白鳥の忘れた袋はなかった。
心配が現実の悪夢になる。
警官が拳銃をなくすなんて、ここが砂城であることを差し引いても、へたすれば免職ものだ。
言い訳なんか全くできない状況だし。
白鳥は、がっくり地べたに手を着きたい気分だった。

「どうしよう、コウ」
どうしようもこうしようもないよな。
署に戻って届け出るしかない。
その前にこの服を何とかして…
白鳥はいざとなると意外に平静になれるタイプだった。
「帰ろう、コウ」
「でも…」
あきらめが悪いのは黒羽の方だ。
ぐずぐずと押し問答をする二人に、いきなり野太い声がかけられた。

「ちょっと、そこのあなた、そう、あなたよ、お嬢ちゃん」
白鳥は声の方を振り返り、目を見張った。
そしておそるおそる自分を指さし、首を傾げた。
「お洋服はよく似合ってるけど、髪はもっとちゃんとセットした方が良くてよ」
にんまり笑って立っていたのは、正真正銘、汚ねえオカマだった。

 

 

「あなた、この子の恋人? いいわねえ、あたしも彼氏欲しいわあ」
言いながらオカマは白鳥に近寄ってくる。
ううん…。白鳥は少々毒気を抜かれていた。
オレも相当ぶっさいくなオカマになったと思ってたけど、もしかしてそうでもないかも…。

「あーあ、綺麗な髪がぐしゃぐしゃじゃない。まっ。お化粧もしてないのね?」
いや、その…。確かにあんたは化粧しているかもしれないけど。
塗りたくった下から透けて見えるヒゲのそり跡は何とかした方がいいかも…。
なーんて、つい余計なお世話を考えてしまった。
「いや、オレは、その」
急いでいるんで…。
「まっ。女の子がオレは、なんて言っちゃいけないわ」
言いかけた言葉は、すばやくさえぎられる。
「女の子は、もっとちゃんと女の子らしい言葉遣いをしなくちゃ。でないと彼氏に嫌われちゃうわよ、ねえ?」
いきなり話をコウに向ける。
黒羽は静かに首を振った。
「僕は香澄を嫌ったりしません」
だから、そんな話をしている場合か!

だいたい女の子らしい言葉遣いなんて、本物の女の子はやってねえよ。
『だわ』とか『わよ』とかやってんのはオカマ! 
…って、オカマなんだからそれでいいのか?
だけどコウもまともに答えてるんじゃないっての。

「いいわねえ、熱々。あなたもダメよ。こんな事言ってもらっているんだから、もっと綺麗にしてなくちゃ」
「どーでもいいんだけど、そんな事…」
「どーでもよくないでしょ? 彼氏いる子がこんなとこに来ちゃダメよ。商売する訳じゃないんでしょ?」

ししし、しょーばい?
ここどこ? このトイレってもしかして…。

あんまり考えたくはないけれど、どうやらこの人は夜になると、ここで商売をやっているらしい。
何を売っているのかは、実はあまり聞きたくない。
警官としてその態度はどうかと思うけど、今日は非番だし、ここは管轄外だ。泥棒とか人殺しとか緊急の事件ならともかく、オレ自身が非常事態な今、できるだけ余計なことは考えたくなかった。

「ここにデパートの袋があったのを見ましたか?」
妙に冷静にコウがオカマちゃんに尋ねる。
「見てないけど。あたしさっき来たばかりだし」
オカマちゃんは答えながら、コウの顔をうっとりと見上げた。
どうも好みだったらしい。
だいたい殆どの人はコウの顔は好みなんだが、だめだめだめっ。
コウはオレのもんなんだからな、手ぇ出すなよっ!
思わず睨みつけたのが解ってしまったらしく、彼女(だよな、オカマなんだから)は軽く肩をすくめる。
「やーね、人の彼氏に手なんか出さないわよぅ」

彼氏彼氏言うな! オレが彼女みたいじゃねえか。

そうは思ったが、だったらなんだ、と言われたら、それはよく解らない。
恋人同士なのは間違いないが、ホモのカップルの場合、どう言うんだろう?

「それでは、ここによく来る人については、ご存じですか?」
「えええー? そりゃあ、お客さんについては、よーっく、ご存じだけどおー。体で知り合った仲だしぃー。でも、守秘義務があるしねえー」
くすくす笑う。
いきなり守秘義務ときた。どこで覚えてきたんだよ。
「お客さんの他に、この公園のどこにどんな人がたむろしているかとか、そういう事にもお詳しいですよね?」
ううむ、コウ。もしかして仕事モード入ってる?
いきなり凛々しくなった黒羽を、白鳥は見上げた。
コウは、オレの憧れの顔をしていた。
さっきまでの迷ったような所はどこにもない。
こと仕事となれば、コウは誰よりも優秀なのだ。
オレなんかまだまだ全然かなわない。
悔しいけど、格好良かった。



いい男連れてるわねえ。
この子もけっこう可愛いけど、まだぜんぜんお洋服が着こなせてないわ。
せっかくモトはいいんだから、もうちょっと努力するべきよね。
まずそのぼさぼさの頭をなんとかなさい。
たぶん、女装するのも初めてなんじゃないかしら。
それで公園に来ちゃうなんて、度胸あるわって思うけど、
相手の男がここまで堂々としてたら、出来るかもね。

ほんと、いい男。
見てるだけでうっとりしちゃう。
声も素適。
いいわよねえ。
こんな男が恋人になってくれるなら、アタシなんでも貢いじゃうわ。

オカマさんはもちろん、黒羽の言ってることの内容なんか、てんで聞いてないのだった。



「ここで忘れ物や荷物を拾った場合、最初に誰に報告しますか?」
オカマちゃんのうっとり視線にまったく気付かず(気付いているのは香澄である)黒羽は質問を続ける。
「あっちゃんでしょ」
「警察だろ?」
オカマちゃんと白鳥が同時に答える。
別に白鳥は答えなくてもいいのだが、つい質問されると考えてしまうらしい。
「バカね、なんで警察よ」
「落とし物は警察へ届けるのが当然の義務だぜ」
「ここではあっちゃんに届けるのが義務なのよう」

「誰でも届けるのですか?」
白鳥とオカマちゃんの、噛み合っているのかいないのか解らない会話を、すらっと無視して黒羽が聞く。
「うーん、馬鹿なヤツなら自分で隠して持ってっちゃうかもしれないけど。この公園は、夜はあっちゃんのなわばりだから。知ってるヤツなら絶対届けるでしょ」
「香澄…」
黒羽が体を傾けて囁く。白鳥も頷いた。

「その、あっちゃんはどこにいるのですか?」
「やだ、会いたいの? だけど今はオススメしないわよ。最近ここに別のグループが入ってきちゃって、なんかぴりぴりしてるしねえ」
冗談じゃない。
白鳥の背中にひやりと汗が流れる。
そんな時に銃なんか持ってみろ。引き金は羽毛より軽くなっちゃうぜ。
これは呑気に構えてる場合じゃないかもしれない。
出来るだけ早く、そのあっちゃんとやらを捜して、すみやかにブツをお返しいただかねば。


「お気がのらない所申し訳ないのですが、あっちゃんがいる場所を教えていただけるとありがたいのですが」
なんだかとっても丁寧な口調でコウが聞く。
ありー? いつも仕事でこんな風に聞いてたっけ?
ああ、そうか。コウは警官のつもりはないんだよな、きっと。
だって銃を無くしちゃったんだもんさ。
白鳥は頭を掻いた。ぼさぼさの髪が更に乱れる。
警察だなんて言えねえよ。

「そおねえー」
オカマちゃんは値踏みするような目つきで、コウの体を上から下までじろじろ眺める。
「言ったように、今あっちゃんに近づくのは得策じゃないのよねえー。もう少し後なら案内してあげてもいいんだけれど…」
「出来るならいますぐ会いたいのですが。ご案内していただく必要はありません。どの辺りにいるのか、教えていただければ…」
オカマちゃんはコウの言葉を途中で止めた。
相手の唇に人差し指をあてる。なーんていう、聞いたことはあっても見た事のないやり方で。

げげげ。な、なんて事しやがる。
それともこーいうの、いつものことなのか?
コウは軽く瞬いて、少し目を細める。
ちょっとコウー。その表情がどれくらい人を誘っているか、自分じゃ解ってないだろう。
オレなんか何度その顔に、ぐらりと来ちゃって、あそこが暴走しそうになったことか…。
(そのままえっちになだれ込んじゃったこともあるけど、仕事中とか、人目があったらそうもいかないし、結構苦しいんだぜ、これが)

「なんです?」
オカマちゃんだって例外ではなかったらしい。
妙に色っぽい目つきでコウを見上げる。
「案内してもいいけど、条件があるのよぅー」

「条件ですか」
コウってばまったく気付いてないのか、わざと無視しているのか、完全にいつもの調子で会話を続ける。
だけど、うへえー。
オカマちゃんの方は、フェロモン爆裂じゃんか。
コウに何を要求する気だよっ。
白鳥は知らず凄い目つきになっていた。

「もっちろん。あなたみたいな人が聞きたいって言うんだもの。あたしが断れる訳ないじゃない。だけどあたしも危ない目に会うかもしれないんだから、それなりの役得がなくっちゃね」
「お金なら、あまりありませんが…」
わわわ。お金出す気? コウ。
まあ、警察だって情報を金で買うことはあるんだから、貰うのは問題でも、上げるならいいんだろうけど。
だけどもちろんオカマちゃんが望んでいた役得は、そんなものではなかった。

「お金なんか、あたしを欲しがる男達がいくらでもくれるのよ。だからいらなーい。あたしが欲しいのは、あなたよ、あなた」
やや、やっぱりーーーーっ (>_<)
白鳥はのけぞった。がびーん、ってヤツだ。
言うと思ったよ。どうする気だよ、コウ。



「僕の何が欲しいのですか?」
コウ、それっておおぼけ? それとも、マジ?
ちょっと眉の間に皺を寄せてしまう白鳥の顔を、オカマちゃんはちらりと見た。
「ううーん、彼女が睨んでいるから、大それた事は望まないわあ」
彼女じゃねえってーの。
「だけど、あなたみたいないい男は、そうはいないもんね。だから、そうね、キスして」

黒羽は微かに眉を寄せた。
ちらりと白鳥のほうを見る。
オレがイエスって言うと思うか?
「…他の事じゃだめなんですか?」
「だーめ」
「コウ!」
オレは思わず叫んでいた。

「こいつじゃなくてもいいじゃん。だってあっちゃっんって、ここじゃ有名人なんだろう? だったら他のヤツだって知っているさ。他のヤツに聞こう!」
「かすみ…」
手を握られてトイレの外に引きずり出された黒羽は、困惑したような顔になった。
「待って! 待ってよう」
オカマちゃんが慌てて後を付いてくる。
それを横目で見ながら、白鳥は黒羽に口づけた。
オカマちゃんは目を丸くする。

へーんだ。コウのキスはオレのもんだぜ。
お前なんかに、欠片だってやらない。
黒羽は目を瞑って、真剣に応えてきた。
ああっ、コウ。また周りが見え無くなっちゃってるー。
だけどちょっといい気分だぜ。

唇を離した所で、オカマちゃんがため息をついた。
「ほうー。愛ねえー。愛って、やっぱりいいわあー。あたし感動しちゃった。あたしもいつまでも商売なんかやってないで、ちゃんと彼氏作らなきゃダメね」
そう言って一つ頷いた後、オカマちゃんは林の向こうを指さした。
「あっちよ。いつもの調子なら、植え込みの向こうの柵当たりにたむろっているから」
黒羽と白鳥は顔を見合わせ、そして走り出した。

 

 

 
あっちゃんとやらは、すぐに解った。
なぜなら何人かで怒鳴り合いをしていたからだ。
敦、と呼ばれた髪の赤い奴があっちゃんだろう。
一番強そうだしな。

白鳥は辺りを見回してため息をついた。
ああー。険悪な雰囲気。今にも殴り合いとかはじめそう。
そこにオレがこう出ていって、そんでもって
『あのー、デパートの袋見ませんでしたか?』
とか言うんだろうか。
とってもそんな雰囲気じゃないけど。

「あの、デパートの袋がこちらにとどいていませんか?」
…って、オレの頭の中のシミュレーションをそのまま言ってる奴は誰だよ!
もちろんコウだった。コウに決まってる。
全然TPOとか考えてねえっ!
そんな直で聞いてどうする!
「誰だよ、お前」
今にも殴り合いをしそうになっていたおっかない顔の連中が、一瞬鼻白む。
「落とし物は全てあなたに届けられると聞いたので。その落とし物は僕の連れのものなので、返していただけるとありがたいのですが」
ここまでいつもの調子なのって、素? それとも作戦?

だが作戦なら、とりあえずあまり効果がなかったようだった。
「どけ、てめえ! 今はそれどころじゃないんだよ」
あっちゃんとやらはそう怒鳴ると、コウの体に乱暴に手をかけた。
しかしコウはいきなりその手を取って、逆さにねじり上げてしまった。
多分、体が勝手にやってしまったのだろうと思う。
だがそれは、一瞬でそこにいた全員に火をつけてしまった。

わあーっと、怒鳴り声と共に、入り乱れて殴り合いが始まる。
げげげーっ。どうなっちゃうの?



「ちくしょーっ。ケンカはやめろーっ!」
コウの姿はここからでは見えない。
見えるのは殴り合っているバカどもばかりだ。
もう飛び出していくしかないじゃんか。

突撃ーーーっ!

白鳥は飛び上がって、ケンカの中になだれ込んだ。
手近にいる汚い男に、スカートを翻して廻し蹴りを一発お見舞いする。
後ろからやって来た奴には、ひじ鉄を食らわせる。
「お、女?」
殴り倒された男は茫然と白鳥を見上げた。
「女じゃねえっ!」
白鳥は怒鳴り返す。
「オカマか!」
そうだよ畜生。今オレは天下無敵のオカマだ!
オカマに蹴り倒されたい奴、殴り飛ばされたい奴は、オレが相手だ。
なんかもう、色々鬱憤がたまっていたらしく、オレは絶好調だった。
手当たり次第にぶんまわし、かかと落としを食らわす。
こんな奴ら相手に負ける気がしないぜ。

スカートを履いたオカマが戦闘に加わっている異常事態に、さすがの興奮した連中もだんだん気付いてきたらしく、あちこちで茫然と手を止める者も出てきた。
白鳥はそれでもその辺の奴をぶん殴り、蹴り飛ばし続ける。
よく聞くと
「香澄ちゃんスペシャル!」
とか叫んでいた。
どの攻撃が香澄ちゃんスペシャルなのだかは解らないが、あまり強そうには聞こえない。
しかしそれでも、香澄ちゃんスペシャルで何人か地面に叩きつけたらしかった。
「なんだ、あのオカマ」
「どっちの兵隊だよ」
「強いじゃんあいつ」
ケンカの手を止めて、感心する奴も出てきた。



「誰だお前」
あっちゃんこと赤い髪の敦が、白鳥の前に出てきて言った。
「人呼んで、正義の味方!」
誰も呼んでねえって。
白鳥の中で一人突っ込みが入ったが、叫んでしまった言葉は戻らない。
「はあー…」
顔をまじまじと見られて、ため息をつかれる。
なんか、不良にあきれられてしまったのか、オレ。
「なんでここにいる訳? その正義の味方の…」
言葉の最後に小さく、オカマが、とついたが、白鳥は無視することにした。

正義のオカマ…。
それって、カッコいいんだか悪いんだか、よくわからん。

「あんた達が、いきなりケンカを始めたからだろっ」
「で、なんであんたがそれに混ざってくるわけ?」
「オレの相棒の質問に答えて欲しかったからさ」
「相棒の質問って…」
「あなたの所にデパートの袋は届いていませんか? ってヤツ」
「ああ!」
あっちゃんは手を打った。
なんかそうやっていると、妙に子供くさいぞ。
ヤンキーだから、子供なのか? とりあえず。老けた顔はしているけど。
「あんたの落とし物か、それ」
「そう!」
「中にバーゲンのブラジャーでも入っているのか?」

何だかさっきまで殴り合いをしていたはずなのに、いつのまにかものすごくまぬけな会話に突入している。
白鳥が絡むと、時々争乱がそういう感じになだれ込むことがある。
本人は自覚していないかもしれないが、これも才能なのかもしれなかった。

だがそのまぬけ空間を切り裂くように、いきなり一つ叫び声があがった。
「敦!」
「げっ!」
叫び声に思わず振り向くと、そこで蒼白な顔をして手を前に出しているちんぴらの一人が構えているのは、まさしくオレの銃じゃありませんか。

見つかった。
見つかったけど。
もしかしなくても、香澄ちゃん、ピーンチ!?



しかし、ピンチは一瞬だった。
蒼白な顔をして銃を突きだしているそいつの後ろから、音もたてずに手が伸びてきたからだった。
あれよというまに、銃はその手に取り上げられる。
そして、無造作にデパートの袋の中に放り入れられた。

「コ、コウ?」
ちんぴらの後ろに、しれっとした顔で、黒羽が立っている。
今までどこにいたわけ?
ラストに出てきていいとこ取りか?
オレがオカマちゃん大活躍をしていたってーのに?
もっとも途中で肝心な用事は忘れていたりした白鳥だった。
「香澄、用は済んだ。帰ろう」
まるでその場に白鳥以外に誰もいないように黒羽は振る舞う。
「お、おう…」
ヤンキーどもは、全員毒気を抜かれて突っ立っている。
白鳥はその間を縫うようにして抜け、黒羽のもとにたどり着く。
そして、何が起こったのかまったく理解していない奴らを全て置き去りにして、2人は茂みに姿を隠した。


「おい…」
敦が隣の男に尋ねる。
「ありゃ、なんだったんだ」
「オカマでしょ…」
「そうじゃなくて…」
基本的に頭が悪いのか、敦はやたらと首を捻っていた。

その後、正義のオカマ伝説がしばらくその辺りで囁かれるようになる事を、白鳥は知るはずもなかった。

 

 

地下の星座


「どこにいたのさ、コウ」
「ずっといたよ」
「どこに?」
「あの中。香澄が動いてくれたから、僕は観察していた」
「観察ー?」
「殴り合いに加わらないヤツがいるかと思って。いなかったら、誰も銃は持っていないし、殴り合いに加わらずにチャンスを狙っているようなヤツがいたら、そいつが持っていると思った」
「ああ、はあ…」
「で、いたから、後ろに控えていたんだ」
…やっぱりおいしいとこ取りじゃん。
オレなんか、スカートで立ち回りをしちゃったんだぜ。

はあ…。
ため息が出た瞬間に、ぐらりと来た。
「香澄?」
「ああ、いや、腹減った…」
もうダメ、死ぬかも。
そう言えばオレってば、朝食べたきりで、その後何も食べていないんでした。
興奮が去ったら、頭がぐらぐらしてきた。
体もふらふらしている。
だけどもうすっかり暗い公園には、ホットドッグ屋も出ていそうにない。
白鳥はがっくりと上半身を折った。

「香澄、あれ」
黒羽が囁くように言う。
「はあ?」
暗がりの中で見上げると、黒羽が驚くほど綺麗に笑っていた。

なんだよ、その顔。
今日一番おいしい顔じゃん。滅多に見られない。

指さす方向には、植え込みを通して赤い光が見えた。
わああ、ラーメン屋だあ…。
白鳥はうっとりと、チャルメラの音を聞いた。



「ねぎラーメンと、キムチラーメン!」
白鳥は叫ぶ。
ラーメン屋のおやじは、白鳥のオカマ姿に一瞬ビックリしたようだったが、特にこだわることなく満面の笑みを浮かべた。
もしかして、オカマちゃんには慣れているのかもしれない。
夜の公園に屋台を出しているくらいだもんな。
怪しげなお客もたくさん来るのだろう。
「2つ食べるのか?」
黒羽が隣に座りながら聞く。
「いいや、食べ終わったら、もう一杯注文する」
黒羽はあきれたような顔をしたが、暖かい湯気の中でこれ以上ないくらい幸せそうな顔をしている白鳥を見て、また微笑みを顔に浮かべた。

もう最高。
ラーメンがこんなに美味いと思った事って無い。
温かい汁の一滴まで、胃の中に流し込む。
空腹が最高の調味料ってホントだよな。
「チャーシューメン!」
まだ半分口の中にナルトが入っている状態で、白鳥は次の注文をする。
「あまり慌てて食べると、喉に詰める」
「詰めません。そんなもったいない事しないって。オレめちゃくちゃ腹減ってたんだから。あ、おじさん、チャーシュー大盛りね。ホントやっと食えたよー。もうへとへと。コウは腹減ってないの?」
「香澄ほどは…」
そう言いながら、黒羽も美味しそうに麺をすする。

東京のしょうゆ味ラーメンだ。
とっても久しぶりで、懐かしい感じがする。
子供の頃に食べたきりだよ、オレ。
こういうのが、些細な幸せってヤツだよな。
ほんわか暖かい湯気の中で、好きな人と一緒に、空きっ腹に美味しいものを詰めるんだ。

ホントはさ、オレ、美味しいレストランの場所とかも調べてきたんだ。
それはあっさり、おじゃんになっちゃったんだけど。
でも、だけど、こういうのもいいよな。
「そう思わない? コウ」
「何をどう思うって?」
隣に座るコウは、またあの珍しい笑顔をオレに向けた。
うん、どう思っているかは解らないけど、そんなに悪く思っている訳じゃ無さそうだな。
ちょっと安心した。



「ううう…。スカートきつい」
「食べ過ぎだ、香澄は」
黒羽と白鳥は、公園を横切って、駐車場に向かっていた。
「もうアレは出ないよなー」
白鳥の言葉に、黒羽はぎくりと体を震わせる。
「どうしてアレがそんなに怖いの? コウ。そりゃー、オレだってあのテのものは苦手だけどさ」
「…子供の頃の、トラウマが…」
それきり黙る。
「いっぱい貼りつかれたとか」
いきなり黒羽の足が速くなった。
「あっ、コウ。大丈夫だよ。ほら、もう地面すっかり乾いているし。茂みの中も通ってきたけど、別に出なかったじゃん」
「そ…そうだな」
やっと少し、歩調が緩やかになった。

うーん、ホントに苦手なんだな。
まあ誰でも一つくらい、とっても苦手なものがあるって事だよな。
それくらいじゃないと、可愛くないし。
可愛いと思っちゃったら、振り回されるのも悪くないような気がしてきた。
オレってすっかり恋は盲目かもね。
「まあいいよ。いつかそのうち、教えたくなったら教えてよ」
「ああ…」

 

 


 2人は少し黙って歩く。
そうして口をつぐんでいると、穏やかな静けさが辺りを包んでいった。
ふと黒羽が軽く体をひねり、白鳥のほうをちらりと見た。
「香澄…」
「なに?」
「手を、つながないか?」
「えええ?」
「誰も、見てない」
黒羽はそっと手を伸ばす。白鳥は慌ててその手を掴んだ。
暖かい手。
白鳥の唇に、微笑みが浮かんだ。

なんか色々とすごく予定が狂っちゃったけど、こうして手をつないで、オレ達公園を散歩している。
夜で、二人っきりで、お腹もいっぱいで。

コウの隣にはオレが。
オレの隣にはコウがいる。

ぼんやりと、じんわりと、幸せな気分が広がる。
オカマ姿なとこだけが、ちょっぴり不幸な感じだけど、それも考えようによっては、今日コウと一緒に一日過ごした、確かな証拠になっているのかもしれなかった。
「星も綺麗だし…」
ぼっそり呟いた白鳥に、黒羽が不思議そうな顔を向けた。
「星? そういえば出ているけど」
解っているよ、空の模様なんか気にしたことないんだろう?

その時いきなり、足元からちらちらと光を放つものが湧き立ってきた。
「ええ? ホタル?」
白鳥はそのきらきらと輝くものを手に取ろうとする。
しかしそれは白鳥の掌をするりと抜けて、漂っていった。
「ホタルじゃない。地下の星座だ」
「なに、それ」


白鳥は目を瞠る。
暗い公園の地面のあちこちから、まるで小さな温泉が吹き出すように、光の欠片が不定期に湧きあがり、草の間を流れては消滅していく。

その光景は夢のようだった。
派手ではないが、小さなホタルか、金粉のようにきらきらと光って、花火のように儚く消える。
まるでお伽話の世界に紛れ込んだような気分。
足元から沸き立つ金の光。

「地面から、何が湧いてるんだ?」
「使役品だよ」
「えっ? えええ?」
思いもかけない言葉が黒羽の口から滑り出して、白鳥は口を開けた。
「何が作用して発光しているのかは解らないし、どういう条件でこうなるのか、まだきちんとした因果関係はつかめてない。だけど光るのだから、エネルギーとして使用できないかって研究が進んでいるはずだ」
「害はないの? その、ジャンクになるとか…」
「小さすぎて、ジャンクにはならないらしい。害についてはよく解らないけど、まだ困ったことになったという話は聞いていないな」
「じゃあ今は、単に綺麗なものなんだ」
「ああ。綺麗かな。そうか、綺麗か…」

「綺麗だよ。夢みたいじゃん。なんの役にも立たないけど、でも綺麗だ」
「雨が降った後に、たまにこうなる」
「そうなんだ…」
「因果関係はつかめていない」
「いいよ、そんな事。だからここって、時々雨を降らせるのかな? この公園がバカみたいに広いのも、これがあるから?」
「さあ、どうだろう…」
黒羽は微かに頭を振る。
「ああ、それもどうでもいいよ。ここの不思議は、やっぱり地下にあるんだ。星も下から湧いてくる。オレ達星の中を歩いているんだな」



黒羽と手をつないで、星の中をゆっくりと歩く。
ずっとこうしていたいな。
二人っきりで、どこまでも手をつないで歩いていきたい。
明日からまた忙しいのは、もう解っているけど。
日常がオレ達にやってくるけど。
そうしたらしばらくは、またこんな風にゆっくり二人きりになれるなんて事はなくなるんだろうけど。
だけど今日はお休みだ。
オレ達は恋人同士で、一日二人きりでデートをしたんだ。
そうだろう?
そうだよね?

ずっと一緒にいような。
手をつないでどこまでも行こう。
距離だけじゃなくて、時間も心も共有しながら。


「香澄…」
黒羽が体を傾ける。
オレは悔しいけれど、ほんの少し踵を上げて伸び上がり、その唇に恋人のキスをした。

そして望んでいたとおり、コウの体を抱きしめたのだった。

END