Holy snow night2
そうこうしているうちに、クリスマスの日はやってきた。
長い消耗戦だって、一週間だと解っていれば、まあそれなりに過ぎていくものだ。コウが帰ってくるのは明日以降だけど、でもクリスマスはパーティがあるもんな。
消耗戦で疲れた気持ちを、少しは浮き立たせたくて、オレは期待満々だった。
パーティは、ちょっぴり合コンだ、と言う雅ちゃんのセリフが解る感じのセッティングだった。
店のパーティ用のスペースを借り切って、参加人数も30人以上。
ドアをくぐった瞬間
「Merry Christmas!」
という声と共に、幾つものクラッカーが鳴らされたのには驚いた。
「白鳥くん、メリークリスマス」
雅ちゃんがオレを見つけて、楽しそうに近寄ってきた。
「すごいね。なんか本格的じゃないか?」
「立食パーティにしてみたの。もちろんお気に入りの娘がいたら、端に用意してある椅子でツーショットも可能よぉ♪」
どうも既に少々酔いが回っているらしい。
「参加してるの、警察関係の人達ばかり?」
警察、という言葉をなんとなくこっそり耳打ちしてしまうのは、既に一種の習性だ。
「ああ〜。う〜ん。三分の一くらいは、そうかな。警察事務の人も勘定に入れるならね。あとは違う。
もちろんちょっとは身元バレしてるけど、警察、とおおっぴらに出すとぎこちなくなっちゃう人もいるから、それは禁ワードね。自己紹介は、地方公務員でよろしく」
OKと頷いて、オレはさっそく食い物を漁りに行った。
やっぱり『警察』の単語は、こっそり言うので正解だったらしい。
こういう立食パーティは、とりあえず早めにある程度食い物を取ってこないと、美味しいものはあっという間になくなってしまう。
可愛い女の子と談笑は後回しにして、まずは食い物をゲットだぜ。
「白鳥くん、ずいぶん適当に皿に盛っているのね」
目についた美味そうなものを手当たり次第に皿に盛りつけ、食べたり飲んだり欲望を満たしてると、けらけらと笑いながら誰かが近づいてきた。
「ローストチキンとローストビーフと、スパゲティと春雨サラダとロールケーキを一緒の皿に盛りつけてるの?」
だって、喰いたいものを選んだらそうなっちゃうし…って、オレを名指しで呼ぶのは誰さ。
などと思いながら顔を上げると、えらく派手にドレスアップした女性が、ニコニコ笑ってこちらを見ていた。
ええと誰だっけ。
知ってる顔のような気がするんだけど。
頭を傾げかけて、それからあっ、と目を見開いた。
口を開かなかったのは、ローストビーフを呑み込んでいる最中だったからだ。
「上川さん」
上から下までじろじろ視線を走らせたら、吹き出されてしまった。
「やめてよ、珍獣を見るような目で見るのは」
「えっ!? いやそうじゃなくて。ええと、そういう格好始めて見るから…」
上川は同じ特殊班の先輩だった。
先輩と言っても、階級的には部下なんだけど。
まあそれを言ってしまうと、コウだって部下だけどな。
毎日顔を合わせているくせに一瞬誰だか解らなかったのは、あまりにもいつもの印象と違ったからだ。
彼女は髪も短いし、いつもは口紅も引いていない。スカートもたまにしかはかないし、はいたとしてもお堅いスーツ姿だ。
喋る口調も仕事中は常に男のようで、最低限の事しか口にしない。
もちろん全然雰囲気は違うけど、箇条書きで上げると、ぶっきらぼうで飾りっ気が無くて真面目なところが、少しだけコウに似てるかもしれない。
そんな同僚と、目の前のドレス姿のお姉さんが繋がらなかったのだ。
「この格好、似合わない?」
「えっ。似合いますよ、もちろんですよ。すごく綺麗。ホント女は化けるって言うけど…」
言いかけた所をどつかれる。
化けるって言葉が悪かったらしい。でも事実だよな。オレ、誰だか解らなかったもん。
ぶっきらぼうな同僚が、年上の綺麗なお姉さんに変身だ。
コウも年上だけど、オレ、年上に弱いんだよね。
「あれ、でも上川さん、結婚してたんじゃ…。どうしてここに?」
「してるけど、パーティに出ちゃいけないって事はないでしょう」
「まあ、そりゃそうですけど。だとするとクリスマスの夜にダンナさんは?」
上川は大げさに肩をすくめると、首を横に振った。
「あれは友達と飲み会。私もそっちに誘われたんだけど断わったのよ」
「え? どうして。クリスマスは二人っきりで、とかは思ったりしないんですか?」
「二人っきりなら、まあそれもいいんだけど。楽だし。でも向こうは大勢で飲み会をしたい訳よ。昔の友達とかそういう人達と。そんな所に混ざるのなんか疲れるからイヤ」
「疲れるんですか?」
上川はふうっとため息をつくと、上目遣いに白鳥を見上げて少し笑った。
「白鳥くんも男だから解らないよね。男はいいのよ。どこにいってもお客様だから。飲み会でもパーティでも、参加者だったら、ただ食べて飲んで騒いでいてもいいの。
でもねー、女だとね。女だけの飲み会とかこういうパーティならともかく。ダンナの友達がたくさんいる飲み会なんて。結局接待を要求されるじゃない。
そういうのが好きな人ならいいけど、ダンナの友達に挨拶に行ったり、ビール注いでまわったり。私はダメ。疲れるのよね」
「はあ…なるほど」
オレは曖昧に頷く。
う〜んこれって。もしかしてオレ、女のグチにつきあっちゃったりしているわけだろうか。
「自宅パーティとかやってみんなを呼ぼうとか気楽に言われたけど。用意するのも料理するのも私だし、パーティの最中雑用するのも私なワケよ。
私だってクリスマスくらい、完全に接待されたいなあって思うわ。だから向こうには飲み会に行ってもらったの。私は私で気楽なパーティに参加」
そう言って上川はニッコリ笑った。
「ここなら料理は他の人が用意してくれるし、誰にもお酌しなくていいし、グラスを出せばボーイさんがシャンパンを注いでくれる。何もしなくていいのよ。楽だわぁ」
なるほどねえ、とちょっとだけ思った。
家でパーティと外でパーティ。
家の方がのんびりして気楽でいいな、なんてオレは思っていたけど。
確かに普通のご家庭なら、用意するのはその家の主婦だよな。
主婦は外のパーティの方が断然ラクってワケか。
頷きながらオレはコウとのパーティを思い浮かべる。
コウもオレも男だし、そういう意味では平等だ…とは思う。
料理に関しては、オレはほぼ壊滅状態だ。
コウは器用だけど、料理が得意だって話は聞かないよな。
接待は、オレは好きだ。ビール注いだり話題提供したり、ゲーム企画したり。でもコウは、接待とかもやれるタイプじゃないか…。
少しだけオレは考えてしまう。
コウもやっぱりパーティは疲れるのかな。
オレは大勢じゃなくて二人っきりでやりたいなって、そう思ってたわけだから上川さんとは状況が違うけど。
オレはパーティは楽しいばっかりだと思っていたけど、人によって感じ方は少しずつ違う。
疲れるって、そう思ったりするのかな?
そういえばイベントと香澄は違うって言われたっけ。
ぼんやり考え込んでいると、上川さんがまた何か言っている事に気がついた。
「今日はひとり? 黒羽さんは?」
「あ、えー…。コウは出張ですけど」
「あっ、そうだったっけ。いつも一緒に並んでいるところを見慣れているから、いないと少し不思議ね」
「不思議…ですか?」
「ええ。黒羽さんは私が知っている限り、ずっと一人だったから。黒羽さんは一人が好きなんだと、そう思ってた。でも白鳥くんが来てからは、いつもあなたと一緒にいるじゃない」
「やだなあ。上川さんも、オレにはデフォルトでコウがくっついてくると思ってるんですか?」
「ああ…うん、そうね」
上川さんはオレを見て、ふぅっと笑った。
なんだか不思議な笑顔で、オレは思わず見つめてしまう。
「黒羽さんは一人が当たり前って、ずっと思ってた。一人でいる黒羽さんしか知らなかったし、誰かと二人で並ぶ図なんて、想像できなかった。
だから思ってたの。あの人は一人で立つ姿が一番似合うって。
でも最近少し違うの。二人でいるのも似合う…ううん、似合うっていうより、すごく自然な感じ」
「自然……?」
「うん。こんなパーティ会場だから黒羽さんがいないのは当たり前なんだけど。いたら逆にビックリしちゃうだろうけど。でも、それでも白鳥くんの隣にいないのが不思議。どうしてかな」
どうしてって…。
オレはなんとなく口をつぐんでしまう。
どうしてって、オレがクリスマスは別々に過ごそうって言ったから。
もちろん出張だから、そんな事言わなくたって別々になっていたんだろうけど。
でもオレは……。
隣の机で書きものをしているコウが顔を上げる。
『なんだ、香澄』
少しだけ不思議そうな顔をして、オレの方を見る。
その唇は綻ぶのだろうか。
それとも、早く書類を書けってイヤミな言葉を口にする?
オレは…ひどく寂しかった。
隣にコウがいないのが、すごくすごく寂しかった。
パーティは大好きだし、ここにいるのが楽しくないワケじゃない。
でも、コウがいない。
もう一週間もオレの隣にいないんだ。
オレは一人でいる『黒羽さん』なんて知らない。
いつもオレと一緒にいるコウしか知らないんだ。
「きっとあれね。別にあの人は一人が好きというワケではないのね。そうは見えないけど、きっとそうなんだと思う」
上川さんは一つ納得したように頷いた。
うん、そうなんだよ。
オレは知ってる。
コウは一人でいるのが好きなワケじゃないんだ。
きっと好きなのね、って雅ちゃんも言ったけど。
でも違う。
オレは知ってる。
多分オレしか知らない。
だってコウは、エッチの後キスされるのが好きだ。
終わった後もオレにしがみついてくる。
オレが触ったりキスしたり、後戯なんかするのも、コウがそれを望んでいるからなんだ。
身体が離れちゃう事が怖いのかもしれないって、オレは時々思う。
もちろんコウが本当はどう思っているのかなんて、オレには解らないけど。
それでも知ってる。
オレといる時、コウは一人になりたいなんて思っていない。
オレの隣に、当たり前みたいにいるんだ。
オレはそれが好きで。
すごくすごく好きで……。
どうして今、隣にいないんだろう。コウ……。
胸のどこかが痛くなった。
悲しい訳じゃない。
食べ物は美味しいし、パーティだって好きだ。
でもオレ、コウの隣に行きたい…。
「白鳥く〜ん♪」
突然、耳元で陽気な声が響いた。
「白鳥くん、紹介させて〜。この子、一美ちゃんっていうの」
オレは呆けていたらしい。陽気な声が雅ちゃんだと解るのに数秒かかった。
気付いたら、真っ白なドレスを着た可愛い女の子が目の前に差し出されていた。
「私の高校時代の後輩。さっきから白鳥くん紹介してくれってうるさくってさ」
「やだ先輩。急に前に出さないでくださいよぅ〜」
楽しそうな明るい笑顔がオレに向けられた。
「はじめまして。不動産関係でOLやってる、常盤一美です」
「かすみとかずみって音が似てるよね〜」
「先輩それ、笑うところでしょうか?」
雅ちゃんはけたけたけた〜っと笑い転げた。
かなり酒が回っているらしい。
「ええと、どうも。地方公務員の白鳥香澄です」
とりあえず挨拶を返してしまう。
イマイチ展開が飲み込めなかったオレだが、雅ちゃんが耳元で囁いてきた。
「白鳥くん狙われてるよ」
「へ?」
「へじゃなくて。若くして警部補。将来有望な手堅い公務員でイケメンなら、狙ってる女の子がいても当たり前でしょ?」
呆けてたオレは、やっと事態が飲み込めた。
「えっ? それって、オレ? 彼女、ええと。そういう…こと?」
「とーぼーけちゃってー。いい娘よー。フリーならつきあってみたら?」
「つきあうって、今あったばかりじゃん。名前しか知らない…」
「バカね。その為のパーティでしょ。一人で飲み食いだけして帰るつもり?」
オレはビックリ目で隣の彼女を見てしまった。
にっこりと、とびっきりの笑顔を向けられてしまう。
思わず上川さんを探してしまったが、彼女はもう別のテーブルの人と談笑していた。
オレはもう一度、視線を元に戻した。
彼女、常盤一美は可愛かった。
美人って言ってもいい。
こんな子が高校時代にクラスにいたら、絶対コクって玉砕してたと思う。
「パーティが盛り上がってきたら、ゲームするから。クリスマスだし、カップルには柊の下でキスしてもらうの」
ふふふと笑いながら雅ちゃんが囁いた。
「だから、頑張りなさいよ。白鳥くん」
「ええ…え。キスって?」
「いいじゃない。一美はそのつもりなんだから。正式につきあってとか堅苦しい事は考えなくたっていいわよ。パーティでゲームなんだしね」
ぱしんと背中を叩かれて、オレはやっと少し正気に戻った。
そうだった。
オレ、パーティに参加して、食べて飲んでゲームして歌って。
思いっきり楽しもうと思ってここに来たんだった。
たまには女の子とたくさん遊ぶんだ、って。
だからゲームでちょっとキスするくらい、どうってことない。
ましてや目の前の子みたいに可愛い女の子なら、メチャクチャ得したって思う。
思う……筈だった。
「ええと、雅ちゃん。オレ、帰るわ」
「えっ! えええー? ちょっとどうしたの、いきなり」
一美ちゃんの顔が、さっと曇るのが目に入った。
ごめん。すごくごめん。
彼女のせいじゃないのに。
出会ったのが今でなけりゃ、オレは喜んでゲームして、軽いチュウくらいしてたと思うのに。
このタイミングで帰るなんて言ったら、彼女は傷つく。
解っていたけど、でもオレは言ってしまった。
「ごめんなさい。雅ちゃんのせいでも、一美ちゃんのせいでもないから。一美ちゃん可愛いし、知り合えたのは嬉しい。でもホント、バッドダイミング。用事を思い出しちゃったんだ。オレ、いかなくちゃ」
雅ちゃんが上目遣いに睨んできた。本当か? という目つきだ。
オレは今、自分がどんな顔をしているのか解らなかった。
きっと情けない顔なんだろうな、とは思う。
「嘘じゃないよ。そろそろ帰らなきゃって思ってたんだ。そこにたまたま紹介されちゃって、ホント悪いと思うけど。でも、ゲームなんかしたら帰るタイミング逃しちゃうから。だから帰る。ごめん」
ベラベラと不器用な言い訳が口から出てくるのが解った。
ごめんな。
パーティしたいって、オレが思ってたのに。
女の子と楽しく遊ぶつもりだったのに。
今帰っても、別にコウといられる訳じゃないって、理性では解っている筈なのに。
それでもオレは、帰るとしか言えなかった。
帰るって、どこに帰るんだろう。
帰りたい場所はコウの隣だ。
でもコウはいない。
全部解っていながら、オレはパーティ会場を後にした。
一美ちゃんがどんな顔をしているのか、オレは振り返って見た。
どことなく寂しそうな表情だったが、口元は笑っていた。
ごめん。ごめんな。
オレ、好きな人がいるんだよ。
顔も見ずに、ここに来ちゃったんだ。
だから、せめて……。
外に出ると雪が降っていた。
オレは驚いて目を見開く。少し前から降っていたらしく、すでに道路はうっすらと白くなっていた。
「寒いはずだよ」
なんて呟いたけど、この雪は寒いから降っているのではない。
雪を降らせるために寒いのだ。
外で雪が降っているなら、オレだって驚かない。
でも、砂城は地下都市だった。
完全に気候がコントロールされた地下の人工都市。
雨だって予定表があって、その通りにしか降らない。
「雪は……そっか、クリスマスだから降らしたんだな」
口元がほころんでくるのが解った。
うん、やっぱりクリスマスってイベントには雪が似合う。
コウもいないし、パーティも途中で抜け出して来ちゃった。
だったらせめてホワイトクリスマスくらい堪能しなきゃ。
「何時間くらい降る予定なんだろ。予定表確認してくればよかった」
足元に、久しぶりの雪の感触。
街はクリスマスのイルミネーションで鮮やかだったけど、チラチラと間断なく降りそそぐ雪に包まれて、柔らかく霞んで見えた。
雪が音を吸い込んでいるのか、辺りは妙に静かだ。
冷たい空気、静かな街。
オレはひんやりした夜気を肺いっぱい吸い込んで、携帯を取りだした。
雪がかからないようにして、手で少し暖める。
それからコウの携帯番号を表示して、通話ボタンを押した。
顔が見られないなら、ひと言だけ。
早く逢いたいって、そう言おう。
しかし突然、すぐ近くで耳慣れた電子音がした。
え? ウソだろ?
オレは一瞬ドキリとする。
コウの携帯は着メロにはなっていない。
ほとんど警察の用事でしか使わないからだ。
無機質な呼び出し用の電子音。
それがいきなり、そんなに遠くないところから聞こえたのだ。
コウ以外にも、この音使っている人がいるのだろうか。
しかもタイミングよく、オレがかけた直後に……。
そう思って上げた視線の先に、背の高いシルエットが立っていた。
コートを着て、傘をさして。
傘の上には、うっすらと雪が積もっている。
「……コウ? え…どうして?」
オレがポカンと口を開けていると、コウは雪を踏みしめて近づいてきた。
あっという間にコウに抱きしめられる。
何が起こったのか、オレにはよく解らなかった。
明日以降帰るはずのコウが、どうしてここにいるのか、オレを待っていたのか、だとしても、どうしてここを知っているのか。
色々な思考や感情が一気にぐるぐるうず巻いて、オレは完全に混乱していたと思う。
解ったのは、足元に落ちたコウの傘から、雪がばさりと落ちた事。
長い間、ずっとここに立っていたんだ。
オレを待ってたのか?
雪の降る、外で?
「こ、コウ、どうしてここにいるのさ」
いつまでも呆けて抱きしめられているわけにはいかなかった。
いつも気にする事だが、コウの方が背が高いので、こういう状況になった時、オレは何か釈然としない気分になるのだ。
コウにはイマイチ理解できないようだが、抱き合うのは好きなんだけど、出来るならオレは、抱きしめられるより、抱きしめる方になりたいわけ。
暖かくて気持ちはよかったけど、オレはコウの腕を掴んで、抱擁から逃げ出す。
見上げると、白い雪の中に、コウの顔がきれいに浮かんで見えた。
白い灯りみたいだ、と思う。
「コウが帰るの、明日以降だろ?」
オレの問いに応えないまま、コウはじーっとオレの顔を見つめた。
ええと、ええと、なんでしょうか。
その綺麗な顔であんまり熱心に見つめられると、妙に落ち着かないんですけど。
「……今日は、早く終わった」
長い沈黙の後、やっとコウの唇から短い言葉がこぼれた。
「え…と。でも、帰ってくるのは今日じゃないよね?」
コウは頷く。
「じゃあその…。抜け出してきたわけ?」
首は横に振られる。
「仕事が終われば、後の時間はプライベートだ。何に使ってもいい。だから来た。それだけだ」
「何をしに?」
「香澄の顔が見たくて」
「…オレ?」
「すごく……逢いたかった」
コウの唇が微かにほころぶ。
ああ…、とオレは思った。
振り返って見ればよかった。
振り返って、コウの顔を見ればよかった。
何だかずっとそう思っていた。
ケンカした訳じゃないや、と思っていたけど。
それでもオレ、コウがどんな顔をしていたのか、ずっと気になっていたんだ。
オレに会ったら、コウはどんな顔をするんだろうって思ってた。
怒ってる? 無表情? 悲しそうだろうか。
でも今、目の前にいるコウは、微笑んでいた。
いつもみたいに無表情に限りなく近かったけど。
それでも確かに笑っていた。
雪はオレ達の上にどんどん降りそそいで、おそろしく寒かったけれど。
でもオレは、バカみたいに嬉しかった。
今度はオレの方からコウを抱きしめる。
暖かい、コウの身体。
メチャクチャ嬉しかった。
泣きそうになるくらい嬉しかった。
コウが今、オレの腕の中にいる事が嬉しかった。
「オレに会いたいから。だから来たのか?」
「ああ」
「仕事早く終わったから?」
「うん…」
「でも、明日も仕事あるんだろ?」
「今はまだ、今日だから…」
コウはまたふうっと笑うと、首を傾げた。
「香澄、パーティは楽しかったか?」
「え? なんで知ってるのさ」
「桜庭さんから聞いた。どうして知ってるって、知らなかったらここに来られないだろう?」
「…そりゃそうだけど。でもじゃあ場所知ってたなら、どうしてパーティ会場に入ってこなかったんだよ。コウ、いつから待ってたんだ?」
コウはまた少し首を傾げて、腕の時計に視線を走らせた。
「2時間…くらいか」
「…ちょっ…」
オレは仰天してしまった。
2時間も待ってたわけ? ここで?
いつから雪が降っていたか知らないけど、傘さして、ずっと?
「寒くなかったわけ? そりゃー招待はされてなかったとは思うけど、でも入ってくればよかったじゃん。コウなら飛び入り大歓迎だと思うけど?」
コウは静かに首を振った。
「僕は…パーティは苦手なんだ」
「…コウ」
「香澄の言う通りだ。楽しみたい人だけが、パーティは楽しんだ方がいい。僕は香澄に逢いたかっただけだ。だから外で待ってた」
「でも、ひとりでこんな所に。寒いし寂しくなかったか?」
「コートを着ているから寒くはないな。それに、いつか香澄が出てくる事が解っているのだから、寂しくもない」
オレの問いに律儀に全部応えて、コウは嬉しそうに微笑んだ。
「思ったより早かったな。もっと待つかと思っていた。パーティは終わったのか? 楽しかった?」
「……ああ、楽しかったよ」
オレの言葉は、ちょっぴり湿っていたかもしれない。
泣きはしないけど、喉の奥がつんとしていた。
「食い物は美味しかったし、にぎやかで、華やかで、たくさん人がいた。楽しかったよ」
「それは良かった」
「…でも、コウがいなかった」
「香澄?」
「香澄、じゃねえよ。一週間もいなかったじゃないか。いや、今日でまだ6日目だけど、でも明日もいないんだろ? オレの隣にいないんだろ?」
「明後日には帰ってくる」
「そういう問題じゃねえよ。ずっとオレの隣にいないのは、どういう事だよ。黙って消えて、電話もしてこない」
オレは、自分も電話をしなかった事を棚に上げてコウを責めた。
腕の中の暖かさに安心して、甘えているのかもしれない。
何だか女のグチみたいで、すごく恥ずかしい。
頬は熱くなったが、同時にオレはコウがここにいる事を噛みしめていた。
「電話…」
コウは小さく口の中で、ああ、そうか、と呟く。
「直接来る前に電話をすれば良かったのか…」
「電話しようって、まったく思いつかなかったわけ?」
「…忘れていた」
コウの相変わらずの呆けた言葉に、思わずくすりと笑う。
妙に可笑しくなってくる。
そうだよな。
意地悪だとか、わざと電話をかけてこないのだとか、コウが思う筈はないんだ。
そんな事解っている筈なのに、でも解らなかった。
感情の行き違いは、解る事だってわざと解らなくしてしまう。
でも素直になれば簡単な事なんだ。
「それで、コウこそどうだったんだ? 向こうは楽しかったか?」
「…寂しかったよ」
「コウ」
「香澄がいなくて、寂しかった」
コウの顔がオレの頭に寄せられる。髪に暖かく息がかかった。
「もちろん仕事は充実していたけれど、でも仕事と香澄は違う」
短く区切られたコウの言葉は、時々ひどく解りにくい。
だからオレは、怒ったり混乱してしまったりするんだけど。
でも今は、何が言いたいのかちゃんと解ると思う。
「また香澄を怒らせるだろうか。でも、パーティと香澄は違う。仕事と香澄は違う…」
オレは素直に頷く事が出来た。
「うん、そうだね。コウとパーティは違う」
「僕は香澄に逢いたかった。あと一日たてば帰れるけれど、でも今日逢いたかった。だから…来た」
「オレもそう。パーティは楽しかったけど、でもコウがいない。だから途中で出てきちゃった」
「香澄…」
「すごく、寂しかったよ」
「うん…」
自然と唇が重なる。
コウの唇はとても冷たかった。
何時間もオレをここで待ってくれていた。
だから冷たい唇も愛しかった。
今日がクリスマスじゃなくても、コウはオレに逢いに来た。
どれだけイベントに無関心でも、オレへの気持ちとは関係ない。
まだ時々、コウの考え方はオレには難しいよ。
ちょっとずれてて、いつも解りにくい。
恋人同士でも、違う人間だから、楽しい事も価値観も違う。
だから解らない事があるのは仕方ないのだろう。
でも、どれだけ一人が好きなように見えても、そうじゃないってオレは知っている。
逢いたいって本当に思った時、もうそこにコウがいた。
言葉や表現は違うけれど、きっと同じ想いを持っている。
同時に逢いたくなって、今ここにいる。
ずっとずっと、二人でいたい。
昨日も、今日も、明日も。
特別な日も、普通の日々も、ずっと……。
街の灯りが雪で霞む。
オレ達はしばらく黙ったまま抱き合っていた。
はっと目を覚ますと、隣には誰もいなかった。
空っぽのベッドに、一瞬すべてが夢だったのだろうか、なんて思う。
コウがオレに逢いに来たのは単なるオレの願望で、エッチしたのも妄想で…。
そんな筈ないだろ。
オレはベッドの上で一人、クスクス笑った。
妄想でこれだけベッドが乱れるならたいしたものだ。
昨夜は盛り上がって、結構激しくヤッちゃったもんな。
オレの身体にもキスマークあるし、もちろんバッチリ、色々な跡も残ってる。
頭の中には昨日のコウの姿が鮮やかに浮かぶ。
オレの下で喘ぐ、少し苦しそうな色っぽい顔。
ベッドが軋むたびに、微かに開いた唇から漏れる掠れた声。
背中にまわされた白い指が、肌をまさぐる感触。
甘くて熱い、コウの中……。
「うひゃー、朝からこんなの思い出しちゃったら、収拾がつかねーっ」
オレは頭を振り、勢いを付けてベッドから立ちあがった。
「今日一日、思い出して悶々としちゃいそう。なんだかなあ。もう、あれだけヤリまくったのに、まだ足りないのかよ、って感じだよな。
やっぱあれか? 一週間分か? 一晩じゃ全然ダメってか」
ぶつぶつ呟きながら、オレはシャワーを浴びた。
コウの匂いを流しちゃうのはもったいないけど、オレだって今日も仕事があるのだ。
それに明日になったらコウは帰ってくる。
シャワーから出て部屋を一渡り見回したが、『先に行く』などのメモの類いはどこにも無かった。
「まったく、コウらしいや」
オレは苦笑いする。
ここからだと南署はかなり遠い。
オレはまだもう少し寝ててもOKだけど、コウはかなり早く起きて出勤しないと遅刻だ。
きっとコウは、オレの眠りを邪魔しないように、それだけに気を配って、出来るだけアクションは起こさず、ひっそり静かにホテルを出ていったのだろう。
オレからすれば、その気遣いはやっぱりちょっとずれてる気がする。
朝起きて何も残さず消えられていたら、そこはかとなく微妙な感じだ。
「ホント、一瞬本気で夢かと思っちゃったしな」
でも、もちろん夢でも幻でもない。
今はここにいないけど、それでもコウはオレのそばにいる。
時々は昨日みたいに抱き合って確認しないとダメだなって思うけど。
でもちゃんと解ってる。
オレはコウと一緒にいたい。
コウもオレと一緒にいたい。
離れている時も、逢いたくなったら同時に会いに行く。
それでいい。
それでいいんだ…。
だけど今すぐ逢いたいよ。
帰ってくる明日が遠い日みたいに思える。
だから仕事が終わったら、今日はオレがコウを迎えに行こう。
「まあ、昨夜のコウを思い出してたら今日なんてあっという間だろうけどな。…もっとも、そんなコトしてたら仕事にならないか。身体にも毒だって。
だけど…あー、畜生。帰ってきたら即、押し倒してやるからな」
下半身がヤバイ状況にならない程度に色々妄想を展開させながら、オレは日が昇ってまもない時間にホテルから出た。
時間的にはもう少しだけ寝ていても良かったのだが、パーティ仕様にラフな格好をしていたので、このまま出勤というわけにはいかなかったからだ。
一度寮に寄って、着がえなくてはならない。
ひんやりとした、朝の空気。
道路の雪はすっかり溶けているけれど、植え込みの葉っぱや塀の上には、うっすらとまだ雪が残っていた。
クリスマスの終わりを、まだ引きずっているような、名残りの雪。
オレもまだ、夜の甘い気分が、身体のあちこちに微かな熱のように残っている。
身体に残る感覚を噛みしめながら朝の道を歩くのは、甘酸っぱいような、朝の光に後ろめたいような、そんな妙な感じがした。
しかし路地の角を曲がって大通りの方に出た瞬間、そういった気分は何もかもぶっ飛んでしまった。
不意打ちの光景に、オレは一瞬目を剥く。
それというのも…、いや、当たり前の光景と言えばそうなのだが。
つまり、曲がって抜け出た街の風景が、すべてお正月仕様になっていたのだ。
昨日まで、と言うより夜中すぎまで完全にクリスマスだったくせに、あれだけ派手に飾られたツリーも、電飾も、ガラス窓に吹き付けられたサンタやトナカイなど、パウダースプレーのイラストも、何もかも綺麗に、まるで魔法のように拭い去られている。
かわりに街を賑やかに飾っているのは、180度雰囲気の違う、和風の世界だ。
着物に破魔矢にお餅にしめ縄。柊や樅の代わりに、松に竹に梅。
その鮮やかさは、まるで街から
『クリスマスって何の話? そんな西洋のお祭りはありませんでしたよ』
と言われているようだった。
「ええと、その…。なんつう切り替えの速さ…」
毎年の光景の筈なのに、オレは改めてしみじみと意識してしまった。
「これって、いつ替えてるわけ? いや、夜中には間違いがないんだろうけどさあ…」
ここまで綺麗に一晩で変身する街は日本くらいだろうなあ、と思う。
一晩で消えるクリスマス。
はかない幻みたいで、それもいいかもしれないと思う。
朝起きたら昨夜のコウも、どこにもいなかった。
クリスマスは、雪と一緒に溶けて消えた。
夜の夢から覚めて、瞳を開けたらお正月だ。
「おかげで昨日の残り気分が一気にぶっ飛んじゃったぜ。いいんだか悪いんだか…」
オレはくすくす笑いながら、すっかりお正月の顔になった街を歩く。
お正月の顔だけは整えて、しかしまだ目覚めていない街に最初の足跡を残す。
自然、足は軽くなった。
イベントなんてそんなもんだよな。
やって来て、一瞬で過ぎていく。
オレはイベントのそういう瞬間的なところが好きだけど、そんな風に過ぎていってしまうものだから、コウにはあまり大切な事ではないのだろう。
コウがそう思っているのはかまわない、と思う。
そりゃーオレは、まだ一緒にイベントを楽しみたいと思っているけどさ。
その辺りはこれからも少しずつ歩み寄って行かなくちゃ、って思うけど。
でも、イベントは幻のように一晩で無くなっても、コウはずっといる。
まるで一緒に消えたように、部屋からいなくなってたけど。
でも、今日もちゃんといる。
それは嬉しかった。
明日には帰ってくる。
それが嬉しかった。
もっとも明日を待たずに、オレは今日迎えに行くつもりだ。
だってオレは、今日逢いたいのだから。
オレがそう思っているって事は、きっとコウもそう思っている。
気がついたら植え込みに残っていた雪も、溶けて無くなっていた。
雪は綺麗な雫に変わって、キラキラと滴り落ちていく。
早く『今日』を始めたくて、オレは走り出した。
END
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