正義の味方incident13
疾走序曲
コウが部屋に入った瞬間、ざわつきがピタリと治まるのが解った。
砂城中央署の広い会議室。
その部屋にいたほぼ全員は、驚いたような表情でコウの顔をながめていた。
特にポカンと口を開いていたのが、上から降りてきた映画祭のスタッフ達だった。
しかし静まりかえったと思った次の瞬間、映画祭スタッフ達は、すごい勢いでコウのまわりを取り囲んだ。
一緒にいたオレと桜庭さんは、たちまち輪の外にはじき出されてしまった。
オレはわざと恨めしそうな顔を造って、桜庭さんを見下ろす。
「……桜庭さん。コウ連れてきたらこのザマになるの、予想できなかったんですか?」
しかし桜庭さんはオレと視線を合わさず、のんびりとこう言った。
「予想できたからこそ、黒羽くんを連れてきたんだよね」
「ええっ? どういう事ッスか」
『KISHIMA記念映画祭』が近づいていた。
ただの映画祭ではない。砂城市全面協力で誘致された、市を上げてのビッグプロジェクトである。
映画祭が開催される場所は、主に中央署と西署の管轄内にあるが、もちろん二つの署の人員だけで人が足りる筈がない。
なにせ砂城には、銃だのジャンクだのと、色々と特別な事情がある。
そこに今回は、事情に不慣れな外からの賓客や観光客が大量にやってくるわけだ。
彼らすべてを、無事に守り抜かなくてはならない。
それは砂城市の面子でもあり、同時に警察のプライドでもあった。
故にすべての警察署が互いに協力し、人員を出し合う必要があった。
基本的に警察という組織は、縄張り意識が非常に強い。
よっぽどのことがない限り各署は独立独歩で行動しており、協力体制には慣れていなかった。
だがもちろん今回は、そうは言っていられない。
その為、協力体制に関する打ち合わせが何度も行われていた。
今回の顔合わせは、その最後の締めのようなものだった。
人員を出す部署や班の責任者が、とりあえず顔を出して、最後の確認を行おうというものだ。
もっとも今まで何度か行われてきた打ち合わせは、基本的にはもっと上の人たちだけで行われてきた。
警察は上意下達の階級社会だから、上の方だけネットワークを把握していれば、それでいいというわけだ。
下っ端の兵隊はその場の命令に従って働き、移動することになる。
故に白鳥たちも、自分たちの仕事内容しか把握しておらず、今までの他署との打ち合わせにはまったく関係していなかった。
しかし今回は、少々事情が違った。
上から来た映画祭スタッフ達が、警備の人たちと顔合わせをしたいと言ってきたのだ。
普段からそういうことをするとは思えないのだが、砂城という不慣れで奇妙な場所で開催することに、ある種の不安があったのだろう。
少しでも内情を知りたいと、そういったところらしい。
そんな外の人たちの事情で、下の方まで一度顔合わせに集まることになったのだった。
場所は中心で指揮をとる砂城中央署。
西署の特殊班からは、責任者の桜庭と、実際に班を指揮する白鳥の二人。
そう、本来は二人だけが参加の筈だった。
なのにいきなり桜庭が、黒羽にも同行を命じたのだった。
そして、冒頭の状態になったと、そういうわけだ。
「桜庭さん、騒動を起こしたかったわけですか?」
「いやあ、一応免疫をつけといてもらおうと思ったのよ」
「免疫って……」
「だって、黒羽くんがどういう男かまったく知らないまま当日になってさ、この状態になっちゃったら、そっちの方が厄介じゃない。
今のうちにこういう男がいると心得といて欲しいと思って。それには実物を見せるのが手っ取り早いじゃない」
「コウ、すげえ困ってますよ」
桜庭は頷いた。
「うん、黒羽くんにも心得ておいてもらわないと」
「……ひでえ」
確かにコウの綺麗さは、写真なんかでは解らないと思う。
もちろん写真でも、おっ、ずいぶん綺麗な男だなあ、とは思うかもしれないけど。
でも実際にコウに会ったら……。
写真がコウの魅力をほとんど伝えていないことが、心の底から解るだろう。
だって、なんて言うのかな。
もちろん綺麗なんだけど。それだけじゃ上手く説明できない。
オレは毎日一緒にいるから慣れては来たけど、それでも感じる。
ただ立っているだけで、そこだけ空気が違う。
大げさに言うなら、時々コウのまわりだけ薄く光っているような気がする。
よくスターにはオーラがあるとか言うけど、もしかしたらそんな感じかもしれない。
人を惹きつける、魔力のような色気があるんだよな。
色気って言っても淫靡な色香じゃなくて、もっとこう、透明な感じ。
綺麗な空気とか、澄んだ水とか。
しかも近くに行って、味わってみたいとか、水に手を浸してみたいとか、そんな気にさせる魅力。
もっともそう思ってフラフラ近づくと、痛い目にあったりするわけだけどな。
ちょっと親しくなりたい程度のつもりだと、バシッと壁造って拒否されるし。
恐ろしく魅力的で綺麗なだけに、その壁はかなり痛い。
身長が高いから、威圧感もある。
だからコウを知ってる大抵のヤツは、遠巻きにながめる辺りのポジションをキープする事になるわけだ。
しかし今コウは、バシッと拒否できないでいた。
何故なら周りを取り囲んでいる連中は、まだコウにとって初対面の完全な他人だからだ。
自分に関係してこないような完全な他人に対しては、結構コウの奴、態度が優しいんだよな。
そりゃー、まあね。通りすがりに道でも聞かれる程度の人を、いきなり拒絶したら危ない人だろう。
だから優しいって言うか、丁寧って言うか。
要するに一般的な礼儀ってヤツだ。
なんて思っていたら、いきなりコウがこっちに真剣な視線を投げて寄こした。
なんだか表情が固まっている。
どうすればいいのか、少し解らなくなっているらしい。
やれやれ。
別に手を出さなくても、放っとけばコウは自分で何とかすると思うけど。
でも、正式にはオレ、コウの上司だし。
一応中に入っておくか。
「あの、すみません。黒羽を離してやっていただけませんか」
「黒羽? 彼は黒羽というのか。あっ!! そうかっ!! 黒羽航一のモデル。
本物かっ!!」
突然、部屋中に響き渡るような銅鑼声が、白鳥の耳元で炸裂した。
思わず耳を塞ぐ。
「君は何だ、彼の部下かっ!?」
「ええ〜? その。上司ですけど」
「なにっ、上司っ?」
脳天に響き渡るような大声に辟易しながら首を回すと、髭だらけの太ったおっさんが興奮したように白鳥を睨みつけていた。
いや、睨んでいるのではないらしい。
ぎょろっとしたでっかい目の持ち主なので、興奮して目を見開くと、睨んでいるように見えるのだろう。
鼻も口も大きく、眉も太い。ついでに鼻息も荒い。
顔のパーツが何もかも大ぶりなその男は、白鳥と黒羽を交互にながめた。
「君が彼の上司。ということは、君はそんな顔をしていても、実は40歳過ぎとか、そういう漫画みたいな設定かっ!」
……設定って。
リアルな人生に、設定なんてものが存在するのでしょうか、先生。
白鳥はあんぐりと口を開く。
「待てよ、待てよ。君が航一のモデルだということは、君はもうそれなりの年齢なんだねっ? 二十代後半かっ?」
男にビシッと指をさされて、黒羽は固まったまま、かすかに頷く。
う〜む、う〜むむ、と。厚い唇から、それこそ漫画の擬音のような唸り声が響いた。
「そうかっ。うう〜む。ちょっと、かなり業界的にはとうが立ってるな。だが俺は十代の若僧が大量にあふれるだけの今のドラマが嫌いだ。もっとこう、骨のあるドラマを作りたいと思っていたんだっ。だったらノープロブレムだっ。しかもっ、これだけ綺麗な男なんてどこにもいないぞっ!! そうともっ」
男はこぶしを握って、一人でエキサイトした。
逆に、先程まで色めき立っていた他の映画祭関係者達は、彼の興奮ぶりに多少は冷静になったようだ。
「高島プロデューサー、彼が黒羽航一のモデルなんですか。砂城西部警察の?」
「砂城西部警察……あっ!!」
スタッフの一人の質問に、白鳥は思わず声をあげ、高島プロデューサーと呼ばれたヒゲのおっさんを凝視した。
このおっさん、砂城西部警察を制作した、あの高島プロデューサーかっ?
えーっ、ええーっ。このおっさんがっ?
オレの人生、第二のバイブルと言っていいドラマを制作した高島プロデューサー? (第一はもちろん「次元刑事ブラック」だ)
でも、どうしてここにいるわけ?
高島プロデューサーなら、スタッフと言うよりゲストの域じゃないだろうか。
それとも映画祭自体を仕切っていたりするんだろうか?
などと頭の中でぐるぐる考えていたものだから、上司としてコウとスタッフを引き離す、という本来の仕事が疏かになってしまった。
オレがおたおたしている間に、高島プロデューサーは、ぴたっとコウに貼りついてしまった。
「そうともっ。彼が本物だ。黒羽……ええと、本物の名前はなんて言う設定だったっけ」
「……黒羽 高です」
「あっ、そうそう。クロハネコウ! 素晴らしいっ。本物にあえるなんて感激だっ。感動したっ!! いや、もしかしたら会えるかもしれんと思ってここに来たわけだが。
それにしてもすごいなっ。君っ! 君は役者顔負けの容姿だぞ。誰かにそう言われたことはないかっ?
なあ、役者より本物の方が綺麗なんて、アリか? ありなのかっ? 普通はないぞ。無いよなっ。でなきゃ商売あがったりだ。
畜生、本物がこんなに綺麗だと解ってたら、6年前、本物でドラマ作ったのに。どうして君、警官なんかやってるんだ? いやあ、本物も綺麗な男だと聞いてはいたが、まさかこれほどとはなあ」
おっさんはツバを飛ばしながら、腕を伸ばしてコウの肩をバンバン叩いた。
しかし、先程まで固まって動揺していた黒羽は、激しく叩かれても微動だにしなかった。
あっ、コウの奴、いつの間にか冷静になってやがる。
おっさんが暴走している隙に、状況を把握分析して、自分の立ち位置と対人距離を決めたらしい。
「申し訳ありませんが。僕の仕事には関係ないお話のようですので、そろそろ解放していただけませんか?」
高くも低くもない、よく通る声。
丁寧、というより慇懃無礼に近い、冷たい口調。
上から見下ろす、無表情なアイスブラックの瞳。
一瞬でその場の熱気がスウッと引いた。
うわわわ〜。やりすぎ、やりすぎ、コウ。
しかし高島一人は、まったくひるまなかった。
前と同じテンションで、がなり続ける。
「いやっ。関係なくはないよっ!! 俺は君でぜひっ、ドラマを作ってみたい。年齢は確かに上だが、大丈夫! 君なら絶対売れるっ。間違いない。
ぜひ俺のドラマに出たまえ。そうすればすぐにでも君に世界中が注目するようになるだろう。俺の目は確かだ。君と出会ったのはきっと運命だっ!!」
だがコウも負けてはいなかった。
まったく同じテンションで(つまり非常に冷たく)言い返す。
「僕は警察官です。それ以外の仕事をする予定はありません」
「予定がないなら作ればいい」
「作るつもりはありません」
「ええええっ? どういう意味だっ?」
高島は本気で理解できないというように、首を大きく傾げた。
「どういう意味も何も、黒羽は役者にはなりたくないと申し上げてるのだと思いますが」
とりあえず、横から口を出してみた。
なんだかマジに解ってないみたいだし。
だが高島は、無駄に高いテンションで、激しく否定した。
「そんな筈は無いっ!」
「無いって…ええとですね」
「それに、君は誰だっ」
白鳥の首が、ガクッと前に垂れた。
ダメじゃん、このおっさん。
ものすごい精神的な視野狭窄。
自分の興味ある対象しか目に入ってないし、意識も払ってない。
こういうのが優秀なクリエイターってヤツなのか? そうなのか?
「私は先ほども申し上げましたが、黒羽の上司です」
「あっ、そっか。そうだった。失礼。彼の上司ですね。だったらあなたからもぜひ、言ってやってください。警察なんか今すぐ辞めて、俺のドラマに出るべきだって!!」
うーん……。
確かにオレはこのおっさんの作ったドラマのファンで、さっきまでちょっとサインなんて欲しいかなあ、と思っていたし、とりあえず映画祭スタッフの偉い人みたいだから、出来るだけ丁寧に対応したいとは思っているんだけど。
でも、このものすごい自己中心的な発言に、だんだん嫌気がさしてきたのも事実だった。
だいたいオレの仕事をだな、警察『なんか』ってのはどうだよ。『なんか』ってのはさっ。
激烈失礼じゃねえか。
むかついてきたオレの気分が伝わったのか、コウがこっちをチラリと見て口を開いた。
「白鳥警部補」
「あっ、いい、いい」
オレは首を横に振って、おっさんを振り返った。
ここでコウに場を治められてしまったら、立つ瀬がない。
オレがきっちり締めとかないと。
という訳でオレは、できるだけキッパリと、冷静に言ってみた。
「そのお話は、もうお終いにしていただけますか? 仕事に差し支えますので」
もちろんおっさんは、非常に不愉快そうな表情になった。
偉い人だし、自分の意見を真向から邪魔される事には、慣れていないのかもしれない。
ましてやオレはどこからどう見ても、若僧だからな。
「でも君っ、大切な話なんだ」
「後で個人的にお願いします」
「でも俺は忙しいんだっ! 後でなんて出来るかっ。大切な話だと言ってるだろう。今しなくちゃならないんだっ!」
あのなあ、おっさん、いいかげんにしろよ。
白鳥は心の中でおっさんの襟を掴み上げた。
もちろん実際には単純に両手を胸の辺りに上げただけだ。
まあまあまあ、というジェスチャーだが、顔は真面目に引き締めてみせる。
そう、相手がお偉いさんだろうが、ここは主導権を渡してはならない。
向こうの主張を1ミリでも通すつもりが無いことを、解ってもらわねばならないのだ。
オレはおっさんの目をまっすぐに覗き込んで、出来るだけゆっくりと言った。
「申しわけありませんが、ここはあなたの仕事場ではない。私どもの仕事場です。あなたの仕事は、あなたの仕事場でお願いできますか」
キッパリと、でもお願いします、で締める。
おっさんはさすがに、うっと口ごもった。
ここが警察署だということを、やっと思い出したらしかった。
「失礼します」
一瞬の隙を狙って、すかさずコウが人の輪から抜け出し、オレの後ろにつく。
ああ……。
やっとオレは少し胸をなで下ろした。
とりあえずおさまったかな〜。でもな。
チラリと辺りを見回すと、中央署の連中が、嫌〜な目つきでこちらを睨んでいた。
余計な騒動を起こしやがって、という表情だ。
うひゃー。オレが悪いんじゃないと思うけどな。
でもじゃあ誰が悪いかと言ったら、わざわざコウを連れてきた桜庭さんなのか、綺麗すぎるコウなのか、場所もわきまえず突撃してきたおっさんなのか。
桜庭さんはあさって向いてるし、コウが綺麗なのはちっとも悪くないし(むしろ嬉しい)おっさんは悪いかもしれないけど外からのゲストだし…。
結局オレが頭を下げることになった。
ええ、解ってますとも。
誰が悪いにしろ頭を下げる役目は、上司のオレってことなんだよな。
そんな感じで一騒動あったわけだが、あとは比較的スムーズに事は進んだ。
まあ警備に関しては今までの段階で話し合いはされてきたし、今日は単なる顔合わせだから、コウの騒ぎさえなかったら、それほど手間取る作業や手続きはない。
中心で警備の指揮にあたる中央署の警備部長の挨拶と、上から来たお客様に向けての基本的な説明が続く。
「西署特殊班は、警備組織に組み込まれるわけじゃないんですよね」
隣に座る桜庭さんに、最終確認をとる。
「判断は警備の上部に仰ぐことになるけど、基本的には相変わらずの遊撃ね。特殊班の皆の直接の指揮は白鳥くんが握る形になるから、よろしくね」
「……はい」
背中にぞくっと緊張が走る。
落ち着け。今から緊張していても仕方がない。
でも、今回は桜庭さんは現場には出ない。確かに小さな班にすぎないけど、それでも自分はトップに立つのだ。
隣に座るコウが、そっと腕に触れてきたのが解った。
そうだ、大丈夫。
別にいきなり、何もかも一人で背負わなくてはならないわけではない。
コウがいる。
パートナーで、先輩で。
そして、オレの唯一の正義の味方が。
「すいません、すいません。ちょっと質問があるんですけどね」
会議室に突然異質なだみ声が響き渡った。
もちろん先ほどの騒ぎの原因である、高島プロデューサーの声だ。
室内は一瞬固まった後、また何か? という不穏な空気に満たされた。
もちろん高島自身は、そんな空気には、まったく頓着しない。
テレビの人ってみんな、他人のテリトリーでこんな風に傍若無人なのかなあ、それともこのおっさんが特別なのか?
と白鳥がぼんやり思っていると、突然高島の指先が、まっすぐこちらに向けられた。
ぎくりとして、飛び上がりそうになる。
「あのですね、彼はどの辺りに配置されるんですか? 警備ですよね、彼も」
「彼とは……。西署の黒羽巡査部長のことですか?」
警備の流れを説明していた中央署の警備一課長、小笠原警部がかすかに鼻に皺を寄せながら、静かに尋ねた。
「そうですよ、彼、彼。クロハネコウ。彼、普通に警備に立つんですかっ?」
「何か映画祭側として、不都合なことでもあるのでしょうか?」
小笠原警部の声には、あきらかに自分たちの仕事に素人が口を出して欲しくない、という感情が滲み出ていた。
「不都合って言うかですね。彼、目立ちすぎませんかっ?」
うっ…、と警部は口ごもる。
黒羽 高が目立つか目立たないかと聞かれたら、もちろん目立つに決まっている。
「えーと。確かにその通りです。しかし警備から外すとなると…」
「ああっ。違う。違いますって。誰も警備から外せとか言ってませんよっ。ただ私は彼が目立つと言っているんです」
「はあ…」
高島の言いたい事が解らず、警部は首を捻る。
するとその隙を狙ったように、いきなり高島は突っ込んだ。
「彼みたいに目立つ男が、会場を警備でございという格好でうろついたら余計目立って困りますっ。という訳でですね、彼には変装して欲しいと私は思うんですけどねっ」
「…へ、変装?」
高島は芝居がかった動作で、大きく頷いた。
「ええ、木を隠すなら、森ですよっ。黒羽くんにはね、芸能人のふりをしてもらったらいいと思うんです。その辺に立っていられるより、ゲストみたいな格好をして会場の人混みに適当に混じってもらったほうが、目立たない。
私としては、ぜひそうしていただきたいですね」
高島はまるで決定事項のように、きっぱりと主張した。
一応提案ではあるけれど、絶対に意見を押し通そうという構えだ。
小笠原警部は、突然の要望に、あきらかに戸惑っていた。
「なんか、メチャクチャ強引ですね、あのおっさん。いつのまにかこの場の主導権握ってますよ」
隣の桜庭に、白鳥はそっと囁く。
「大変ねえ、白鳥くん」
「ええっ?」
「だって当日、あの人と直接関わるのは私じゃないもん」
「ううっ…」
今日の桜庭さん、ちょっと冷たいぜ、と思いながら反対隣を見たが、黒羽は黒羽で、人形のように無表情だった。
自分の事が話題になっているはずなのに、まるでどうでもいいようだ。
まあ実際、どうでもいいんだろうな、とは思う。
黒羽は何がどうなっても、決定事項に従うつもりなのだろうから。
それが仕事なら、たとえピエロの格好で転んで見せろと言われても、諾々と実行するだろう。
そして流れを見ていると、実際そうなりそうだった。
もちろんピエロの格好ではないと思うが、着飾ってパーティに混じれというわけだ。
ふっと高島の方を見ると、彼の唇は恐ろしく楽しげに曲がり、目には子供のような興奮の光が宿っていた。
あああ……、と白鳥は心の中で頭を抱える。
このおっさん、さっきはオレの言葉に一度引いてはみたけど。別にコウをあきらめたつもりではないらしい。
いきなり業界に引っ張り込むのは無理でも、映画祭の間、コウに芸能人の様な格好をさせて、引き回すつもりなのだ。
場の空気は読めないおっさんだが、間違いなく芸能界では有能なのだろう。
ヤツの頭の中でどんな悪巧みが展開されているか、想像したくなかった。
結局、高島の案は暫定的な形で受け入れられた。
正式にどう実行するのかに関しては、当日に向けて漸次決定という事だ。
顔合わせの会議は無事散開し、各署の警察官達は、ガタガタと部屋を出て行った。
隅のほうに座っていた白鳥達も、やれやれと立ちあがる。
「黒羽くんが目立つのは確かだからね。しょうがないんじゃない? あの人の言うことにも、一応筋は通ってるし」
「でもですねえ、桜庭さん。絶対何かするつもりですよ、あのおっさん」
「それを捌くのも仕事でしょ。頑張ってね、白鳥警部補」
イタタ、と頭を抱える格好をする白鳥に、黒羽が真面目に謝った。
「香澄の仕事を増やしてしまったのならすまない」
「ああ、いやその。コウは大丈夫?」
「なにが?」
「だってさ、形だけかもしれないけど、芸能人のふりするんだよ。嫌じゃない?」
「別の職業のふりをするのは、捜査ではよくある事だ。特に珍しいことではない。僕はあまりしたことがないけれど」
「う〜ん。ま、コウがガスの点検に来ました〜、という顔をしても、嘘くさくなるからな。そういう意味では、芸能人はピッタリか」
白鳥がブツクサ呟いていると、いきなり廊下の向こうから声をかけられた。
小笠原警部だ。何やらひどく顔をしかめて、こっちという感じで手招きしている。
白鳥は反射で肩をすくめてしまった。
「うへえ。呼んでる。さっきのことで絶対怒られるんだぜ」
だが行かないわけにはいかない。
仕方なく呼ばれた方へ歩き出すと、小笠原警部は今度は黒羽に向かって、来なくていいというジェスチャーをした。
「桜庭くんと白鳥くん、二人だけ来てくれ」
「コウ」
白鳥が振り向くと、黒羽は踵を合わせて頭を下げた。
「では、警部補。僕は先に失礼ます」
「えっ。ああっ。その、待っててよ、コウ。たぶんさっきのことで怒られるんだと思うけど。でも別に、コウのせいじゃないからさ。だから、その……」
黒羽は軽く上半身をかがめると、白鳥だけに見えるような角度で、スッと微笑んだ。
「香澄、外で待っているから」
「あ、うん…」
綺麗な微笑みに、一瞬心奪われる。
その隙に黒羽は再び一礼すると、踵を返して廊下の向こうに去っていった。
「ああっ、やあっ、黒羽くん。当日楽しみにしているからねっ」
廊下の向こうには、まだ高島プロデューサーが帰らず残っており、小柄な男と何やら陽気に喋っていた。
黒羽の姿を見た瞬間、ブンブンと大きく手を振る。
黒羽は軽く会釈して去ろうとしたが、もちろん高島は許さなかった。
「本当になあ。綺麗な男だと聞いてはいたけど、実際に会うまで興味すらなかったよ。だって、芸能界には綺麗な男なんて掃いて捨てるほどいるからね。ごめんごめん」
「…謝られることは、何もないと思いますが」
「そういう素っ気ないのもいいね。綺麗な男がやると映えるよ。な、な、そう思わないかい、君も」
高島の横に立っていた男は、お愛想のように微笑んだ。
黒羽はかすかに眼を細めて、その男を見つめた。
…どこかで、会っただろうか。
どことなく記憶に引っかかる顔立ちの男だ。
「じゃあ、ホント。そろそろ俺は帰るよ。楽しみが増えたなあ。黒羽くんといい、婚約発表といい、ね」
男は再びうっすらと笑って頷いた。
「高島先生の映画進出処女作品も、間違いなく賞が取れますよ」
「えっ、そう? そうかなあ。いや、あの映画は自信があるんだよね。ヒットもしたし。翔子ちゃんも、とってもよかったものね」
「恐れ入ります」
「翔子ちゃんにさあ、今度俺のドラマにも出てって言ってよ。な、結婚しちゃったら難しいかもしれないけど、まだ婚約だろ? その前に、単発ドラマでもいいから」
高島はツバを飛ばしながら、ぐるんっと黒羽の方を見上げた。
「そうだっ、すごいこと考えちゃったよ。翔子ちゃんと、この黒羽くんでドラマ作るんだよ。すごいよ、めったに見られないよ。これほどの美男美女の組み合わせ。絶対ヒットする。俺がヒットすると直感したら、外れたことはないんだからっ」
反論しても無駄だと知りつつ、黒羽は首を横に振った。
「僕は、芸能界には興味が無いので…」
「それはねえ、君。やったことがないからだよ。尻込みなんかしてないで、何でもやってみないとなっ」
黒羽はひっそりとため息をついた。
世の中には、まったく話の通じない人間がいるものだが、それが偉い人だったりすると、かなり始末に負えない。
完全に無視すると、後が大変だからだ。
しかし運が良いことに、今日の高島は本当に忙しいらしく、それ以上はしつこく迫ることなく立ち去っていった。
もっとも陽気に手をブンブンと振っての退場だったが。
黒羽の後ろで、男がくすりと笑った。
「当日、高島さんをよろしくお願いしますね、黒羽 高さん」
突然呼ばれた名前に、ぎくりとして振り返ると、小柄な男は薄く笑って黒羽を見上げた。
それはまるで爬虫類が笑った様な、形だけ繕った笑顔だった。
「あなたは、先ほどの会議には、いらっしゃらなかったと思いますが」
男はええ、と頷いた。
「私はスタッフじゃないんでね」
「では、何故ここに?」
「スタッフじゃないけど、関係者ではあるんです。それと、もう一つ、ご挨拶をしようと思って。ええ、あなたに。黒羽 高」
黒羽の瞳が大きく見開いた。
「あなたは、どなたです」
男は奇妙な笑いを唇に貼り付けたまま、上目遣いで黒羽に会釈した。
「私は、篁 洋平と申します。弟がお世話になったそうで。黒羽 高さん」
海里の兄を名乗った男は、海里とはあまり似ていなかった。
といっても、男が嘘をついていると思ったわけではない。
注意して見れば、顔立ちにはどこか面影があるし、似ていない兄弟など世の中にはたくさんいる。
ただ、この男が海里と似ていないと感じる原因が、黒羽の心を妙にざわつかせたのだ。
それは、篁 洋平から滲み出る雰囲気だった。
篁 海里は、どことなく香澄と似ていた。
香澄の持つ若さと伸びやかさ、素直な感性を彼にも感じた。
事件に巻きこまれたせいなのか、それとも生来のものか、どこか暗い影は持っていたが、それは誰でもが持ち得る程度の暗部だ。
だが、目の前の男は違った。
彼から立ちのぼるのは、奇妙に歪んだ影だった。
外見は大人しくもの静かに見えるが、中にはドロリとした闇を抱えている。
そしてその闇を、機会さえあれば誰かに吐きつけて穢したい。
そんな一種病的な歪みが、彼の瞳をひどく濁らせていた。
その歪みは、間違いなく普段は抑えられている。
皮一枚下がどれほど腐臭で膨れあがっていようとも、表は美しいままなのだろう。
現に先ほど高島と話していた時の彼は、ごく普通の男に見えた。
しかし黒羽に挨拶をした瞬間、その皮が、ほんの少しだけべろりと剥けた。
彼の中の闇の、ごく一部。その腐臭が舌の先から吐き出されてきた。
だが、その僅かな臭いは、黒羽の背中を緊張で震わせるのに充分だった。
何故そんなことが解る?
黒羽は心の中でひっそりと自分自身を嗤った。
解るとも。
何故なら僕も、同種の闇を持っているからだ。
彼のように、意識的に自分の闇を誰かに吐き出そうとは思わないが、自分の中にも彼に負けず劣らず腐臭を放つ汚泥が存在した。
「弟を、助けてくださったそうですねえ。ありがとうございます」
篁 洋平は、嘲笑するような口調で、黒羽に礼を言った。
形だけは礼だが、それはどう聞いても、弟を心配している言葉ではなかった。
黒羽は用心深く口をつぐみ、ひと言だけ、いいえと返した。
「ああ、そうか。そうでした。弟はジャンクに襲われたんでしたね。そういう選択をしたんでしたっけ。ダメだなあ。忘れてました。口には気をつけなくちゃ」
「ご用がそれだけなら、失礼したいのですが」
この男と長く一緒にいたくない、と思った。
彼と時間を多く過ごすほど、唇から漏れだしてくる毒に犯されていく気がしたのだ。
「そんな、黒羽さん。もう少しご挨拶をさせてくださいよ。あなたも私の話が少しくらいは聞きたいでしょう?」
「……なぜ僕が聞きたいと、そう思うのです?」
「だってほら…」
篁 洋平は、ねっとりと笑った。
「あなたも、あなたのパートナーも、海里みたいに死に損なったりは、したくないでしょう?」
黒羽は眼を細め、スッと背を伸ばした。
「僕と香澄が、どうなるというんです?」
|