Blue Sky
縋り付いてしまった。
香澄のさしだした手に。
あの日と、同じように。
「離れないで」
と、
僕は何度も言った。
真摯な目をして肯くあの子供に。
離れて欲しくないのは、僕の方だった。
あの手を放したら、僕はここから決して出られない。それは確信だった。
そして、あの子供も、助からない。
あの時、確かにあの子を救うことと自分を救うことは同義だった。
救われたかったのは僕だ。
あの温かい手を守ることだけが僕の全て。この命の意味の全てだった。
――それだけでも十分だった――
生き残ってしまったことの言い訳には。
香澄の目は、あの子供と同じように真っ直ぐで、僕はまた怖くなる。
香澄はもう、あの子供じゃない。
僕が護らなければならなかった、子供じゃない。香澄の言うとおり、もう、自分で自分を護ることのできる大人だ。
だったら、僕は必要ないんじゃないだろうか。
誰にも必要とされないんじゃないだろうか。
ここで、
もう一度出会ったことには、そういう意味があるんじゃないのだろうか。
顔を見ていられなくて、腕に縋り付いたまま香澄の肩に顔を埋める。
香澄の腕が、背中に回された。
あの日、炎の中で僕を抱きしめてくれた小さな子供の腕。それとは全然違う、大人の男の腕。
力強く抱きしめてくれる腕。
『帰ろう』
と香澄は言った。
『下へ降りよう』と。
あの日と同じように。
この、
呪われた場所から。
帰れるのだろうか。
このまま、もう一度あの日常へ。
仕事をして、香澄とセックスする。
そんな世界へ戻っていけるのだろうか。
ただ、何もかもなかったような顔をして。
七年間、止まったままだった時間は動き始めてしまった。
香澄と、冬馬によって。
そして動き出せないでいるのは、黒羽だけだった。
縋り付いたきり歩こうとしない黒羽の身体を、白鳥はもう一度きつく抱きしめる。
そして、もう一度唇を合わせる。
あの時は、手を握るだけでコウは歩き出してくれた。
だけど今は。
こうやって抱きしめていてもまだ、何かがたりないんだ。
コウを歩き出させるための何か。
下へ。
世界へ引き戻すための何か。
「コウ」
白鳥は黒羽の耳元にささやく。
「しよう。ここで、セックスしよう」
顔を上げる黒羽。
言葉もなく、瞳を見開いている。
「コウが欲しい。コウとセックスしたい。オレは、コウが好きだから。好きだからセックスしたい。コウだけだ。ずっと、好きだった。だから抱きしめたい。愛し合いたい。いいだろ。セックスするって、愛し合うことだろ」
ささやき続けながら黒羽の服をたくし上げ、ベルトを緩める。
実際のところ白鳥は必死だったけれど、黒羽の方は呆然とした面もちで、何が起きているのか判っていないみたいだった。
「ここは誰も来ないし、外からも見えないし…」
下着の中に手を入れてそれをそっと包む。
黒羽の身体がびくっと震えて、もう一度白鳥の肩に顔が伏せられた。
判ってる。
コウは、求められたら絶対に拒まない。
――たぶん相手がオレじゃなくても――
ひどく腹立たしくて、ひどく哀しい認識だった。
でも。
今はそれでもかまわない。と、白鳥は思う。
過去しか見ていない黒羽の目をきっと自分に向けさせる。
少しだけでも、それは向き始めているじゃないか。
だからコウは逃げ出したんだ。
脱いだ服を敷いて、その上に二人でをで横たわる。
一年中快適な気温を保っているアンダーでは、寒いということはない。
白鳥はゆっくり黒羽の身体を愛撫した。
「あっ…」
小さく声をたてて黒羽が身体を捩る。
こんな所でだって、求めればコウは簡単に服を脱ぐ。身体を開く。
それはオレのことが好きだからだと思いたいけれど、本当のところはそうじゃないって、オレにもわかっている。
白い胸にぽつりと立ち上がった薄ピンクの乳首。
それだけだったら『少女みたいな』だけど、その胸はしっかり筋肉の付いた男の胸だし、それに続く腹も『腹筋の割れ目』こそ目立たないけどよく鍛えられた男の腹だ。その向こうには、しっかりくっきり勃ち上がったオトコのシンボル。
コウの身体は、やたら白くて体毛の薄い肌を除けば、女っぽいところなんか微塵もない。
そんな男とセックスしたいなんて、自分でも不思議だ。
オレは女の子も好きだし、ホモってことはないからバイなのかな。
ずっと、好きだった。
憧れてた。
レフトハンドショットガン。
オレの、「正義の味方」。
ここで。
焼け落ちるこの建物の中で初めてキスした時からずっと。
だけどそれは子供の憧れだ。
ポスターの中の、実体を持たないコウへの恋だった。
今、オレの中に渦巻くコウへの気持ちとは、全然別のものだ。
コウだって、ポスターを見ながらオレが憧れていた人物とはかけ離れている。
ポスターの中のコウは、こんなふうに脚を開いて男を誘ったりはしなかった。
だけど、今のオレはコウがそういう人間だって知ってる。
コウとするセックスがどんなにいいかも。
執拗に乳首を舐め、いじり回し、歯を立てる。
そんなふうにされていると、身体の中に熱がたまるような気がする。もどかしさに、黒羽は身体を入れ替えて白鳥のモノを口にしようとする。
けれど思いがけない強い力で、白鳥はそれを遮った。
『自分がリードを取る』という意思表示だと、黒羽は了解する。黒羽は常に受け入れる立場だったので、そのまま従うことにした。
セックスする事が好きなのかそうでないのか、黒羽にはやはり解らなかった。
だが、性欲はある。
たとえば男としてどこか出来損ないであっても、若い男なら当たり前の欲望は存在するらしい。
行きずりの男とするセックスでも、満足は得られた。男の身体は単純だから。
勃って射精が出来れば、セックスの快感は味わえた。
けれど、同じ男と繰り返しするセックスには、別の悦びがある。
互いの身体を良く知るに連れ、最初は得られなかったような快感を感じるようになってきた。
気持ちの問題だけじゃない、と思う。
白鳥が上手くなってきたせいもあるとは、まだ黒羽にはわからない。
冬馬は強引で命令ばかりする男だった。それに馴らされた黒羽は、リードされるセックスが、実は好きだった。
だがそれは、行きずりの関係では難しい。そこまで無防備に許せるほど黒羽はオープンな性格ではなかったし、そうしたいとも思わなかった。
ただ乱暴なだけの男ならいたけれど、一回きりのセックスで黒羽に対してリードを取れるような男はまずいなかった。
「あぁっ」
白鳥は黒羽の欲望には触れずに、今度はゆっくり後を舐め始めた。
膝を立て、尻を高くかかげたあられもない格好で、男を受け入れるための部分を晒して、馴らされる。
白鳥はそこに舌を這わせながら両手の指でそこを押し開いた。
「う、ふ…」
黒羽が押し殺した声をあげる。
掻き拡げられた粘膜に白鳥の舌が触れる感触に、思わず身体が震える。
「あ… 香澄、来て、もう…」
自分の手でそこを開き、白鳥を導こうとする黒羽の手を払って、白鳥は執拗にその部分を舐め続けた。
指を押し込み、奥まで開いて唾液を流し込む。
「香澄… 香澄っ」
甘く上擦った声。誘うように振られる尻。ずっと触れられずにいる黒羽のモノは、滴をしたたらせながら震えている。
白鳥の我慢もそこまでだった。
「コウ!」
白鳥は一気に黒羽を貫く。
「ああああっ」
黒羽の背がきつくしなり、耐えきれない、というように頭が振られる。
香澄はコウのモノを握り込み、強く扱きあげた。
「あっ、あぁあっ」
コウの欲望があっけなく掌を濡らす。
反らされていた頭が、がっくりと沈み込む。
けれど香澄はそこでインターバルを置く気はなかった。
コウを握ったまま、激しく動き出す。
「うっ、あ、はっ、ああっ」
コウの口から洩れる苦しげな喘ぎが、香澄を駆り立てる。
もっとだよ。コウ。もっと欲しい。もっとコウが欲しいんだ。
身体を繋いでしまったら、もう憧れなんかでいられない。
オレは、コウが思っているようなキレイな子供なんかじゃない。
コウとセックスしたくて、この欲望をコウの中に注ぎ込みたくて、いつだって厭らしいことを考えてしまうようなただの男だ。
子供はいつか大人になる。
オレはコウより年下だけど。ついこの間成人式を迎えたばかりのワカゾーだけど。
それでも多分。
オレはコウより大人だ。
仕事もセックスも、コウの方が断然有能だし経験豊富だ。
それでも。
オレはコウがわかってないこと、コウが知らないことを知ってる。
瓦礫が転がったままの廃墟の中だ。
いくら服を敷いたって、そんなものの上で激しく動いたら背中や膝が擦り剥ける。
結局立ったままの姿勢でやることになった。
壁に手を着いたコウを後から抱く。
廃墟の中に二人の荒い呼吸と激しく打ち付ける音が響く。
「コウ、もっと…動いて」
耳元に囁く。
「う、んん、香澄ッ」
コウの中が香澄を締め付ける。やっている時、何か言われることがコウは好きだ。そういうのも、わかってきた。
香澄の手も、コウのそれでぬるぬるだ。その手でまた堅くなってくるコウを愛撫する。
男同士は、解りやすくっていい。
女の子の考えてることや感じてることはどこまでも謎だけど、コウが今感じてるってことは確実に伝わってくる。
オレもコウも、同じ欲望を追いかけてるんだ。
まだ荒い息を吐いているコウを抱き締めてキスする。
もっと。
「もっとコウが欲しい」
「香澄…」
うっとりと甘い声でコウがオレの名前を呼ぶ。
ぞくぞくする。
もっとこの声を聞きたい。
「降りよう。コウ。ここを出て、もう一回やろう」
オレの言葉に、びくっとコウが身を竦ませる。
何を怖がってるんだよ、コウ。
香澄とセックスするのは、気持ちいい。
ことに今日の香澄は激しくて、それに応えているうちに夢中になっていた。
煽られて追いつめられてイカされて。
香澄は僕が欲しいと、僕を好きだといってくれる。
セックスするのは、愛しあうことだって。
そう言われると、身体も気持ちも熱くなる。
香澄…。君ともただ「セックスしているだけ」だと、そう思っていたのに。
そう思っていた筈だったのに。
なぜ心が動くのだろう。
香澄とセックスすることが好きだ。
それは、僕も…香澄が
…
すき
だと言うことなのだろうか。
好きだから、気持ちいいのだろうか。
解らない。
そう思うことは、
やっぱり怖い。
心が動くことが怖い。
そんなふうに依存してしまうことが。
まだ。
怖い。
「コウ」
もう一度キス。
時間をかけて、黒羽の身体から力が抜けるまで。
しているときはそれだけに夢中になっている。多分そうだと思う。コウはセックスの最中に他のことを考えているほど器用な男じゃない。むしろコウのセックスは、何かに追いつめられているように必死なところがある。
最初はそれに振り回されているだけだった。
会ってすぐにセックスしてたし、オレは男とやるのなんか初めてだったし。というかセックスの経験自体それほど多くなかった。(ちょっと涙)
コウは手慣れていて、なんだか妙に積極的だった。だから、オレなんか全然太刀打ち出来なかったんだ。
だけど。
この頃はちょっとはわかるようになってきた。
キスが、好きだよね。
こうして抱きしめられることも。
コウが好きなことを、オレは一つずつ覚えていくよ。
コウが口に出すオレを喜ばせるための言葉じゃなくて、コウが気持ちいいことを、オレはしてあげたい。
そんなセックスを、二人でしたい。
「コウ、帰ろう。下へ、降りよう。降りてもういっぺんしよう」
少しだけ身体を離して、真っ直ぐに黒羽の顔を見詰めながら言う。
それはいつかも聞いた言葉だ。
確かに前半は聞いた言葉だけれど。
香澄はちらりと笑って、言葉を続けた。
「もっとコウが欲しいんだ。エッチなこと、いっぱいしよう。こんなとこじゃ思いっきりできないもんな。いつか死ぬって言うならそれまでになるたけたくさんヤッておかないと心残りじゃん」
「香澄…」
「でもな、コウ。たぶんそれって、コウが思ってるよりずっとたくさんだぜ」
黒羽は首を傾げる。
「コウはさ。運命って信じるだろ。信じるから、二度あることは三度あるって思ってるんだろ」
「…」
「オレはね」
床の上で埃まみれになった二人の服を拾い上げてはたく。
「ここでコウに下へ降りようって言ったの、今日が二度目だ」
そうだ。
あの小さな香澄の手が、真摯な眼差しが、『下へ降りよう。帰ろう』と、黒羽に呼びかけてくれた。
「覚えてる? あの時さ、コウ、オレにキスしてくれた」
覚えて? ――いない。
そんなこと、覚えていない。
「オレのファーストキスだったんだぜ。もうあの時からさ、オレはコウに夢中だったな」
そんなつもりなんか…
「それでさ。今日はここでコウとセックスした」
まだ半勃ちのままのソレを見せつけるように、黒羽の前に立つ。
後ろは壊れた窓で、アンダーの作り物の空が拡がっている。
「あの時のオレは外の子供だった。今のオレはここの警官だ」
黒羽は呆然と白鳥の顔を見詰めている。何を言われているのか、解らないといった風情だ。
「オレはさ、コウをここから連れて帰るために来たんだよ。きっと、それが運命だ」
運命。
「コウが何度ここへ来ても、オレはきっとここからコウを連れて帰る。最初はキス、次はセックス。その次は何をくれる?」
まだ途惑っている黒羽に白鳥は笑いながら服を押しつけた。
「オレって欲深だからさ。無料じゃダメだよ」
服を押しつけながら、自分の身体も押しつけて黒羽を抱き締めた。
「いつか絶対コウの全部を手に入れる」
耳元に囁く。
最初の時は、コウの命だけをここから連れて帰った。
今日は身体を連れて帰る。
そしていつか、その心を全部ここから連れて帰ってやる。
オレのところへだ。
「香澄…」
ようやく黒羽の腕が白鳥の背に回された。
「降りよう、コウ。そんで、いっぱいえっちしよう」
今度は黒羽も逆らわなかった。
二人は手を繋いだまま壊れた階段を下りた。
あの日の記憶をなぞるように。
そしてビルを出て仰いだアンダーの空に、その日、雨はなかった。
END
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