観覧車から降りた後、2人は香澄が予約を入れておいたというホテルの一室に転がり込んだ。
最初からここでセックスをする事にはなっていただろう。
しかし2人の気分は、いつもと違っていた。
部屋に入るなり抱き合い、服を脱がしあってベッドに入る。
そしてお互い、まるで獣のようにひたすら求め合い、絡み合った。
香澄のペニスが黒羽の体を貫き、黒羽は声をあげながら、それを更に奥へと受け入れる。
「コウ、オレ、好きだ。コウが好きだ。コウ…」
「香澄…。ああっ。かす…み」
激しく突き上げられて、黒羽の声が、より高く響く。
香澄は黒羽の昂りを手の中に握り、扱きあげる。
「んっ…あああっ!」
黒羽のモノが掌を濡らした後も、香澄は行為をやめなかった。
「誰にも、誰にもやらない。誰にも…。コウは、オレの」
「香澄…あ、あぁ」
香澄に激しく打ち付けられ、黒羽の体はベッドの上で跳ねる。
「オレの…だ。今だけでも、オレ、だけの…」
香澄は小さく呻き、何回目かの欲望を黒羽の中に注ぎ込んだ。そしてそのまま、体の上へと倒れ込む。
まだ自分の中に香澄の形を感じながら、黒羽は腕を彼の身体に廻した。
汗に濡れた、広い背中を指でなぞる。
荒い息をつきながら、2人は抱きしめあった。
しかしその息の中に、黒羽は微かに香澄の泣いているような声を聞いた。
もちろん、本当に泣いているわけではない。
涙はなかった。
「香澄…?」
抱き合ったまま、キスをしようとする。
だが香澄は唇を引き結び、微かに首を振った。
「どうした? あまり、よくなかった? 僕は、すごく良かったけど、香澄は」
「ちがう、そうじゃない。こんな風にしか、オレは出来ないから。自分勝手な事しか、オレ、考えてないから」
「どうして? いつもの香澄らしくない…」
「いつもの香澄って、なんだよ。いつものオレだって、そりゃ嘘はついてないけど、でも、本当の事だって言ってないんだ。たくさん隠してるんだよ、オレだって」
「香澄…僕は、上手く聞けない」
香澄は何度も頷いた。
涙こそこぼれてはいなかったが、それでも香澄は泣いているように見えた。
黒羽は汗で濡れた彼の髪をかき上げ、その唇にキスをする。
今度は香澄も応じてきた。
「香澄、まだ挿入ってる。もう一度、しようか?」
「ううん、もういい」
香澄が体を引き抜くと、体の中を支配していたものが急に無くなり、一瞬空っぽにされた気がして、黒羽はぞくりと震えた。
「コウ、好きだよ」
香澄は背中を向けて、ぼそりと言った。
「コウは、応えなくていいよ。ただオレが好きなんだから」
香澄は床に散らばっている服を足でかき混ぜ、それからふとそれに気付いて拾い上げた。
目と鼻を覆うだけの、小さな銀の仮面。
香澄はそれを顔につけた。
「こうやって、告白ごっこをするつもりだったんだ」
「…」
「嘘でもいい。その時限りでもいいから、コウに愛してるって言ってもらおうと思って」
「香澄」
香澄は小さく首を振った。
「バカだろ? 真実の仮面なんて、そりゃあ嘘だけど、でも、それでもよかったんだ。だってそうだろ? 遊びなんだもの。その時だけの真実でも、オレはいいんだ」
黒羽もそれを拾い上げる。
『これを付けると、本当の事しか話せなくなるんだ。隠されていた真実の自分が姿を現す』
誰かの言葉が頭の中をよぎって消えた。
苦い言葉だった。
「なあ、こうやってると、ちょっと閉じこめられたような気分になるよな。
コウはオレがコウじゃなくて女の子とつきあってたら、もっと堂々と出来ただろう、何て言うけど、きっとそうじゃないよ。
もしもコウじゃなくて別の人を好きになっていたとしても、やっぱりオレは同じように、本音なんて言えやしない。
秘密は、心の中の本当の事は、閉じこめられた所でしか出せないんだ、きっと。
観覧車の中で、二人っきりに閉じこめられて、やっとちょっと言えたけど。
でも、やっぱり最後までは言えなかった」
香澄は仮面を付けたまま、こちらをチラリと振り返った。
「これつけてるとさ、もっと閉じこめられた気になるな。オレからもコウの顔がよく見えないし、コウもオレの顔、見えなくなるだろ? まるで一人っきりで、独り言を言ってるみたい」
香澄は何か決心を固めたように頷いた。
「だからさ、オレの言う事は流して聞いちゃっていいよ。独り言だから。うん、独り言に嘘はないよな。独りで嘘ついたら、バカみたいだ。
ああそうか。だから真実の仮面なのかもしれない」
一息ついて、香澄は独り言を始めた。
何かを吐き出す事が、今の彼には必要なのかもしれなかった。
「コウの言ってる事は、逆だよ」
「逆…?」
黒羽が思わず漏らした問いにも、香澄は反応しなかった。
「セックスしたからって、自分に縛られる事はない。コウはそう言ったよな。 コウがそう思っている事をオレだって知ってる。知ってるから、だから…。
だから逆に、どれだけコウとセックスしたって、それはコウがオレを好きだって証明じゃ、全然無いんだ。
何度しても、何度コウと寝ても、それはただセックスしたって、それだけなんだ」
黒羽の心の中に、ズキリと何かが走った。
どこかで、その言葉は聞いた事がある。
誰が、言ったんだろう。
「初めてコウとセックスした時、オレがどう思ったか判るか? これであんたを手に入れたと思ったんだ。オレって単純でバカだからさ」
手に入れた。
彼に受け入れてもらえたと、そう思っていた自分が香澄に重なる。
『涼一…』
思い出したくない名前が、苦く耳に響いた。
彼と寝る事が、愛されると言う事だと思っていた。
でも、それは違った。
信じたかった。
あんなに信じたかったのに、彼と寝る事と彼に愛される事は決して同一のものではないのだと、僕は思い知っていったのだ。
「だからね。コウさあ、オレがどうしたいと思ってるか、知ってる? オレはね、コウに近づく世界中のヤツなんか、いなくなっちまえばいいと思っているんだ。
オレだけ。コウの周りはオレ一人だけになれば、もう誰にもとられない。
コウがたとえ他の人を好きになりたくても、オレしかいない。
コウの気持ちなんて考えない。オレが独り占めにできればそれでいい」
香澄はそこまで言って、すうっと笑った。
あーあ、とため息をつく。
「どうだ? オレってやな奴だろう。すげえ自分勝手でやな奴なんだよ。
コウはオレが、他のヤツの事が気になるんだろうって言ったよな。
ああ、気になる。気になるよ。メチャクチャ気になる。でもそれはコウが言ったような意味じゃない。
他から恋人みたいに見えないからとか、男同士だからだろうとか、そんなんじゃない。
オレはね、あんたが他のヤツと親しげに話しているだけで、むかむかするんだ。
何でオレだけ見て、オレだけに話しかけて、オレだけに笑ってくれないんだよ。
あんたの心を掴んでいる訳じゃないって、オレは知ってる。
だから逆。オレはあんたをオレに縛り付けたいんだ。
他のヤツなんていなくなっちまえばいい。自慢なんかどうでもいい。
あんたが笑いかけるのもオレだけ。あんたがキスするのもオレだけだ」
顔半分を隠しているせいで、香澄の表情は、まったく解らなかった。
しかしその下の顔がどんなものなのかは、黒羽はよく知っていた。
「そんなこと出来るか? 出来ないよな。第一本当に望み通りになったら、オレは自己嫌悪に陥るんだ」
香澄の手がゆっくりと黒羽の体に伸びた。
頬に触れ、肩に落ち、胸に滑る。
「世界中の人がコウの周りからいなくなる事なんてない。コウが本当にオレだけに縛り付けられるような男になったら、オレは自己嫌悪に陥るだろう。
だから…。
だからオレは、どんなにこれが証明にならないって解っても、それでもコウとセックスしたいんだ」
香澄の腕が黒羽を抱きしめる。耳元で声が震えた。
「だって、オレに抱かれている時は、確実にあんたはオレのモノだろ?
その時だけは、オレの手の中で、オレだけに声を聞かせて、オレだけに感じてくれるんだろう?
ほんの少しの時間だけでも。2人で抱き合って、気持ちよくなって。それで…オレ、あんたの中にいられるんだ」
本当は、どうして欲しい…?
誰かの声が耳元で囁いた。
僕は、ついにそれを言う事ができなかった。
真実の仮面は下に堕ちて、僕を嘲笑う。
したい…。
涼一が欲しかった。
仕事の時と、セックスの時だけ、涼一が自分を欲しいと思ってくれる。
だから、涼一とセックスしたい。
抱かれている時だけは、涼一が自分の一番近くにいる。
自分の中にいるから。
他の全てが嘘でも、涼一の手の中に自分がいる事だけは本当だった。
たったそれだけに、自分はしがみついていたのだ。
仮面を付けているのは僕なのか?
目の前で告白しているのは、僕なのだろうか。
黒羽は自分を抱きしめている腕をそっと撫でた。
愛しい…と思う。
ここにいるのは僕が欲しいと思った男なのに、どうして僕は彼に過去の自分と同じ思いをさせているのだろう。
今の僕は、まるであの嘘つきの男と同じだ。
僕も嘘をついているのだろうか?
あの男のように?
欲しいと思い、好きだと思っているこの気持ちは、偽りなのだろうか?
他のどの男と身体を重ねても、いつも心の中にはあの男がいた。
僕はまだあの男のものなのか?
香澄を抱くこの手は偽りか?
黒羽は息を吐き、目を瞑った。
心は痛んだが、涙は、やはり出なかった。
いつから泣けなくなったのだろうと思う。
あの男に抱かれていた時は、もっと感情的だったような気がする。
あの男に捨てられた時、もう自分などいらないと思った。
即座に消滅していいとも思ったが、あの時それをしなかったのは、香澄がいたからだった。
あの男は、もういない。
考えると、まだ心の底が疼くが、それは傷跡を感じているようなものだ。
今は香澄がいる。
あの時も香澄がいた。
そう。あの時世界中に意味のある存在は香澄しかいなかった。
彼の命を護って下に降りる事だけが、僕の生の目的だった。
香澄だけ見て、香澄だけに話しかけて、香澄だけに笑いかけた。
「君が好きだ」
自分を抱きしめる香澄の腕が、ぴくりと動く。
「香澄…君が」
一瞬声が喉に絡んで途切れる。
その瞳が。その唇が、その声も、みんな。
「君が、好きだよ」
嘘はつかない。
そう思った。
あの嘘つきの男と自分は同じになりたくない。
セックスが愛の証だと、いつの頃からか僕は信じられなくなった。
今でもその二つは、自分の中で分離している。
だから香澄が好きだという気持ちは、言葉で言うしかなかった。
黒羽は銀の仮面を拾って、顔に当てる。
遊びでも、恋人達はそれを信じて睦言を紡ぐ。
僕も今だけでも、本当だと信じてみよう。
嘘つきには、なりたくない。
あの時のように黙り込む事もしたくなかった。
本当の事しか言えなくなる仮面。
僕の本当の気持ちは、何なのだろう?
「君が欲しい。君と寝たい。君が好きだ。全部本当だ。
僕といたら、きっと君は傷つくと解っているのに、それでも君がいなくなる事なんて、僕は考えたくない」
黒羽の唇から言葉が流れ出てくる。
「コ…ウ」
香澄の声が耳元で掠れた。
「でも、誰かに依存するのは怖い。僕はきっと、呪縛から逃れられない」
「コウ。愛は依存する事じゃないよ」
黒羽は首を振った。
「解らない。僕には誰かを愛すると言う事が解らないんだ。
だってセックスは愛してるという証明じゃない。僕は色々な男と寝たが、僕も相手もセックスがしたかっただけ。ただの欲求だ」
昔、あの男に愛して欲しかった。
結局それがどういう事なのか解らなくて、僕は考える事を放棄した。
だったら愛するとは、どうする事なのだろう。
僕は…。
僕は愛して欲しかった。
誰よりも僕を一番愛してくれる人が、欲しかった。
子供のように、無条件に。
恋人のように、情熱的に。
そして誰かを愛したかった。
その筈だった。
なのにやり方も、それがどういう行為なのかも、あれだけ求めていた事なのに、今は全て解らなくなっている。
愛はあまりにも苦く、『失敗』と似ていた。
香澄、僕は誰かを愛する事なんて出来るのだろうか。
そして、それはどういう事なのだろうか?
「香澄、解らない…」
黒羽は香澄の腕を強く抱きしめた。
解らない。
そう、どうやらそれが自分の本当の気持らしい。
自分はよく解らないのだ。
どこまでも自分は情けなく出来ているようだった。
解らないという事が解る為に、香澄をこんな形で苦しめるなんて。
「オレが好きで、オレが欲しくて、オレと寝たいのに、解らないの?」
だが、香澄の声は驚くほど優しく耳に響いた。
黒羽は何度も頷く。
「愛する事が解らない?」
「解らない」
「誰かを愛する事が怖い?」
「解らない…」
「でも、オレの事は好きなんだ」
「ああ」
「そうか…」
香澄は微かにため息をつき、そして微笑った。
「なあコウ、もう少し、言って。オレが好き?」
優しい声が唇から漏れる。
「君が、好きだ」
「オレも、コウが好きだ」
「他の人の事なんか、考えた事もない。誰が周りにいても、それは香澄じゃない」
「信じるよ」
香澄の腕が動いて、仮面がシーツの上に置かれるのが見えた。
「コウは莫迦だから、こういう時嘘はつけない。ほんとバッカだな。オレの戯言なんかに真剣につきあって」
「香澄…?」
香澄は黒羽を抱きしめたまま、首を振った。
「ありがと。告白ごっこにつきあってくれて。変だな、オレ。嬉しいや。オレを愛せるかどうか解らないって言われたのに、でもオレ嬉しい」
香澄はそう言って腕をほどくと、黒羽の顔を覗き込み、そして軽く吹き出した。
「ホントに、コウも仮面つけてたわけ? 取っちゃえよ、そんなの。顔が見えないじゃん」
香澄の指が、黒羽の仮面を顔からすくい取る。
押し込められた視界が、たちまち広く開けた。
「ああ…」
香澄は満足そうな顔をして黒羽の顔を見つめた。
「いいな。やっぱり綺麗だ。オレがずっと想い続けてた顔だ。
せっかく綺麗なんだから、仮面なんかで隠しちゃもったいない」
「香澄。僕は…」
僕は恐ろしく身勝手な事を言った。
応える事は出来ないかもしれないが、それでも側にいて欲しいなんて。
「香澄、僕といたら、きっと君は傷つく」
「今さら何を言うかな」
香澄はくすくす笑った。
「オレがいなくなる事なんて考えたくないんだろ?」
「…ああ。だけど」
「そばにいるよ、ずっと。あんたが嫌だって言っても、離れてあげない」
香澄の手が黒羽の顔を撫でた。
「コウ、笑ってよ。オレコウの笑った顔、好きだ。
さっきオレが言った事は、本気だけど本気じゃないよ。オレは嫉妬深いし、欲張りだから、時々はむかむかしちゃう事もあるさ。
でもオレ、コウが笑うの好きなんだ。だからコウの笑顔が見られるんなら、オレだけに向けられたものじゃなくても、オレ、見たい。コウに笑ってて欲しい」
「香澄…」
「知らないだろー。オレがどれだけ長い間コウの笑顔に見とれ続けてきたかなんて。本物じゃなくて、ポスターのだけどさ」
解らない…か。
香澄は呟く。
「そうだな。コウの言う通りさ。コウ、オレだって本当は解らないんだ。誰かを愛してるって、どういう事なのか」
香澄は目の前の綺麗な男を見つめる。
考えてみたら、嘘みたいだ。
二人っきりで向かい合って、裸でベッドの中にいるなんて。
ポスターを見て憧れ続けてたあの頃は、こんな風になれるなんて思ってもみなかった。
だから、オレはちょっとあせっているんだ。
急にこんな関係になっちゃって。
何もかも一気に手に入れたくて、手に入らなくて。
それが出来ないのは自分が劣っているからだと思って苛ついて…。
「愛してる、がどういう事なのか、オレだって解らない。だってオレが思ってる事は聞いた通り、あんなもんだぜ。あんたを抱きしめて、独り占めにして、放したくない。それって愛か?」
香澄はくすくす笑った。
「オレの考えてる事なんて、その程度さ。コウだけじゃないよ、解らないのは」
そう。考えてみたら、最初からいきなり身体の関係だった。
本当だったら、もっとデートして、色んな事を話して、だんだん相手の事を知っていくんだ。
じっくり、ゆっくり時間をかけて。
相手の心と自分の心を共有していく。
なのに全部すっ飛ばして、いきなり身体を手に入れてしまった。
それはそれでオレは嬉しかったけど、コウが何を思っているのか、オレは全然解って無いじゃないか。
コウの心と体は、今バラバラになってる。
でもコウは、好きだって言ってくれた。
そしてセックスもしたいんだって。
だったらオレはバラバラでも、今コウを手に入れてるんだ。
身体も心も欲しい。
もちろんオレはバカだから、出来るなら今すぐ欲しい。
だけどオレはそれを、ゆっくり組み立てていかなくちゃ。
集めるのは得意だ。そしてそれを組み立てていくのも。
たとえ難しくても、時間をかけて出来なかったことなんて無い。
そしてね、コウ。
香澄は黒羽を見つめる。
オレは今までこんなに欲しいと思ったものはないんだよ。
オレはあんたの中に、オレの正義の味方を見つけた。
今はそれだけじゃなくなってるけど。
オレはあんたが欲しい。すごく欲しい。何もかも、全部。
思いこんだら、オレって、かなりしつこいんだぜ。
「そうだ。コウが気にするなら、オレ言いふらしてもいいよ。オレ達は恋人同士だって」
黒羽が目を丸くする。
思いがけない素直な表情に、香澄は笑った。
「本気か?」
「本気だとも。オレはいつだって本気さ。だってそうすりゃ公認じゃん。コウはもう逃げられない」
「…ゲイだと…思われるぞ」
「それのどこが悪いわけ? ゲイを取り締まる法律なんてないね。警官の正義は法を守る事さ。ゲイかどうかは全然関係なーい」
黒羽はぽかんと口を開けて香澄を見つめ、それからフッと笑った。
「あっ、やっと笑った。よーし、いいぞ」
「…香澄、好きだよ」
「ななな、何? ちょっ…」
黒羽の唇が香澄のそれと重なる。
「ん…」
しばらく2人は抱き合ったまま、ゆっくりとキスを交わした。
香澄はあの男の代わりなんかじゃない。
黒羽は思う。
誰も両親の代わりにはなれなかったように、あの男の事は、あの男で贖うしかないのだ。
あの男とセックスしたかったのは、彼をつなぎ止めておく為の手段だった。
自分は彼のものだと、そう思いこむ為の行為だった。
…今の僕は、あの男のものじゃない。
香澄を抱くこの手も、偽りなどではない。
何も考えることなく、ただ総てを放棄していったあの頃とは違う。
「香澄みたいに思えたらいいだろうな…」
「んんん? 何が?」
香澄は物足りなさそうに、もう一度唇を寄せてくる。
自分がゲイだと思うことは恥ずかしかった。
ずっと自分は変なのだろうと思っていた。
そのコンプレックスだけは、どこまでもついて回る。
香澄のように吹っ切れるのなら、どんなに楽だろうと思う。
だが長い間自分を縛り続けてきた鎖は、そう簡単には解けることはないだろう。
「でも、香澄。言いふらすのはやめておいた方がいいと思う。面倒くさい事が多すぎる」
「そうかな?」
香澄は首をひょいと傾ける。
「ああ。2人の秘密にしておこう」
「いいね、2人だけの秘密。コウの秘密、オレもっと知りたいな」
香澄は黒羽を抱きしめる。
触れあう肌から、暖かさが流れ込んでくるように思えた。
「香澄、暖かい」
「ん…オレも」
黒羽の髪に、香澄が唇を寄せる。
「香澄の身体は、気持ちがいい」
「コウ」
黒羽は香澄の肌に手を滑らせながら耳元で囁いた。
「セックスは何の証明にもならないかもしれないけれど、香澄を身体の中に感じるのは、僕は好きだ」
「コウ…ええっと…」
香澄が顔を上げ、妙に赤い顔で黒羽を見つめた。
セックスするのはただの欲求で、僕は誰かを愛せる自信がない。
だがそれでも、香澄に触れて、香澄を感じたかった。
「香澄が身体の中で熱い…。それが、すごくいいよ…」
「コウ。めちゃくちゃその…。エッチな感じなんですけど…」
「とても、気持ちがいい。何度も…したい」
「コウ」
黒羽の指が緩やかに香澄のものに触れる。
「香澄…今すぐ…」
「えっ、えええっと…。い、今すぐ?」
囁きかけた瞬間、香澄は困ったような声をあげた。
「ああ、香澄のものになりたい」
「で、でも。今すぐって、その…コウ」
「だめか?」
香澄は上目遣いに黒羽を見上げ、頭を掻いた。
「む、難しいなあ。そりゃあ出来るならしたいけど。
でもさっき、オレ達何回ヤッたと思う? いくらオレが若くてもさぁ…。
だいたいコウの方は出来るのかよ」
問われて黒羽は首を傾げた。
「解らない」
「う〜ん、それも解らないわけね、やっぱり…」
欲求と現実との間でぐるぐるになってしまった香澄を見て、黒羽は微笑んだ。
「じゃあ、こんな風にしていよう」
黒羽の腕が、香澄を抱きしめる。
「コウ、あのさ」
「なんだ?」
「オレさあ…。できるなら、逆がいいな」
「逆?」
「その…抱きしめられるんじゃなくて、オレが、抱きしめたい」
「あ…そうか?」
くだらないかもしれないが、オレのこだわりだ。
香澄は黒羽の身体に手を回す。
だって、今度はオレが護りたいんだもの。
世界がもしも炎に包まれたら、今度はオレがコウを護りたいんだ。
絶対に離れない。
あんたのいる場所が、オレのいる所だ。
初めてあんたに会った時に、そう決めた。
大丈夫だよ、コウ。
時間はたくさんある。
2人とも、愛するってどういう事か、これからだんだん解っていこう。
もしかしたら、そんな難しそうな事は、死ぬほんの少し前、最後の最後にやっと解ることかもしれないぜ。
「それでも、いいな。オレ」
「…なに? 香澄」
「だってそしたら、一生コウといられるもんな」
「一生は、長いだろうか? それとも…」
「オレが護るから、絶対長い!」
香澄はキッパリと言って、くすりと笑った。
「知ってんだオレ。コウは断定に弱い。長い長い、絶対長い。そんでもってずっとオレ達は一緒だ」
唇を寄せるだけの軽いキスをして、香澄が呟く。
…愛してるよ、コウ…。
抱きしめる香澄の手の力が、僅かに強くなる。
愛は失敗に似て、愛は怖かった。
だが、香澄が口にすると、それほど怖い言葉ではなかった。
香澄…。
いつか、思い出すだろうか?
誰かを愛する方法を。
何度も君と抱き合えば、感じることができるだろうか?
それは愛の行為なのだと…。
「香澄…。僕は解りたい」
「うん」
香澄は目を閉じて軽く息を吐き、黒羽の身体をシーツの上に倒して重なった。
黒羽の唇から、やがて甘い声が流れ出した。
END
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