「なにか食べたいものあるか?」
「ええと」
「洋食か和食か、フレンチって感じじゃないな。中華にするか」
訊いておきながら、白鳥の返事も待たずに勝手に決めてどんどん歩いていく。
『こら、おっさん』と心の中で思うが、なりいき上奢って貰う立場になっちゃったんだから、あまり文句も言えない。
ホントはコウと二人っきりでランチも食べるつもりだったんだけど、さっきのあの場所からは早く離れたかった。
二人っきりも、気不味い。
だから一人増えてなんとなく安心したような気になる。
段取りくんを乱されると、咄嗟の判断が追いつかない白鳥だ。
それはいつも黒羽がらみなのだ、ということは、この際気づいていない。
恋する男はナイーブなのだ。
柳のおっさんはいかにも高級そうなホテルにすたすたと入っていった。
ドアマンがさっと近づいてきて、深々と頭を下げる。
「いらっしゃいませ、柳様」
おっさんの後についてロビーに入った。ちょっと、偉くなったような気がするじゃないか。
だって、前に砂城で一緒だった時は、オレ達は仕事でただの護衛だったけど、今日はおっさんのゲストなんだぜ。それは、全然違う。
それに、ドアマンやロビーにいた人達なんかが、コウを見て目を瞠るのも目の端でわかる。
へへ。
いいだろ。オレの恋人は。
おっさんはたぶんそういう視線にも慣れているんだろう。気にするそぶりもない。
そりゃそうか。
いつもあの社長と一緒に行動してるんだもんな。
目立つ、といったら絶対コウの方が目立つけど、あっちは有名人だ。
それにしてもなんで今日は一緒じゃないんだろう。
あの時は片時も離れない、って様子だったけど、外ではいつも一緒ってわけじゃないのかな。
「個室、空いてるかな」
レストランの前で出迎えたマネージャーらしき人に訊く。
「どうぞ、すぐご用意します」
「個室の方がいいだろ。なんか知らんがやたら目立って落ち着かん」
あ、わかってたのか。
そりゃまあ、目立つよな。オレたち。
デカくて偉そうなおっさんととびきり高いスーツを完璧に着こなしたコウと、スタジャンにジーンズのオレ…。
もしかして、オレだけ場違いかっ!?
「オレは葵と外で食事をしたことなんか無いからな」
「へえ、いつもこういう所で食べるわけ?」
ちょっと嫌味だ。だってこの組み合わせじゃ、どう見たって、オレたちカップルに見えないじゃん。
いや、見えて欲しい訳じゃないんだけどさ。
ぐるぐるにはまり込む白鳥だ。
「たまーにだな。たいていはコンビニ弁当だ」
意外。
偉い社長なんだから、いつも高いものを食べてるんだと思ってた。
そういえばアンダーに来た時も『セブンイレブンの杏仁豆腐』とか言って騒いでたよな。
もしかしてコンビニグルメマスターなのかもしれない。
「今日は社長は一緒じゃないの」
フカヒレの姿煮ってヤツを食べながら、オレは訊いた。
美味い。これ。
フカヒレなんて、春雨と同じもんだと思ってたけど、全然違う。
じゃあ、ウチで食べてたみたいな『フカヒレスープ』とかに入ってたのは、なんだったんだよ。もしかして、ホントに春雨だったのか。
「あいつは仕事だ」
不機嫌を隠しもせずに、言う。
「社長が仕事なのに、秘書はランチ?」
軽い気持ちで訊いたんだけど、おっさんは唸った。
そんで、フカヒレを親の敵のようにかっ込んだ。
「あの仕事の時はオレをそばに置きたくないのさ。オレだって、願い下げだ。まあ、ボディガードは付けてるしな」
「あの仕事?」
「教えて欲しいか」
おっさんは、じろりとオレを睨んだ。
ここまで来て、引き下がるオレじゃないぜ。
オレはおっさんの目を見据えて、頷く。
「ば・い・しゅ・ん」
「は?」
一瞬、意味がわからなかった。
「残念だったな。日本には大人の男の売春を取り締まる法律はないからな」
続いて運ばれてきた海老の塩炒めを口にほうり込む。
マズい、全部食われちゃうぜ。
白鳥は慌てて海老を皿に取りながら、なんと言ったものか困っていた。そして、ちらりと黒羽の様子を伺った。
「んっ…あぁ」
喉を仰けぞらして喘ぐ葵の身体を離して、男は言う。
「どうした。気が乗らないようだな。何を考えてる?」
「別に…ああっ」
言い繕おうとした途端、男のモノに身体の奥を抉られて、悲鳴が零れる。
「誤魔化したってダメだぞ。昨日今日のつき合いじゃないんだからな」
「はっ、ぁあ」
息をついて、葵は苦笑した。
「ちょっと、考え事を。そうだ。あなたもご招待しましょう」
繋がったままで、呑気な話を始める。妙に嬉しそうだ。
誰よりも色っぽくて感じやすいくせにセックスの最中に突然仕事の話を持ち出したりする。
そういうのには慣れていたから、男は軽く葵の身体を愛撫しながら応えた。
「何に?」
「クリスマスパーティ。今年は全社を挙げて特別な企画をやる予定なんです。見物ですよ」
「企業のパーティなぞに出ると、後々うるさい」
「冬馬のにはでるくせに、こっちにでないなんて言わせませんよ」
「あっちは家のつき合いだ。親戚関係が煩いのは解っているだろう」
「大丈夫。特別の席を用意します。ウチの招待だとはわからないように」
そう言って葵はにっこり笑った。
「おまえが一緒なら、考えよう」
覆い被さってくる男の下で、まだ企画の続きを考えている。
『正義の味方って言ったら、やっぱりあれだよな。だったら敵は…悪かな。ふふ。絶対、面白いぞ』
「今日の客はSで始る名前で与党の大御所だ」
それって、もしかしてもしかすると、
「杉原?」
「それは言わない約束だ」
げーーーーっ。
総理じゃん、それ。
いいのか、日本、そんな事でッ。
「金を受け取っているんですか」
黒羽が場違いなくらい冷静な声で問いかける。
「だったらどうだ? 君らには関係ない。よしんばそうだとしても、事はせいぜい国税局の管轄だ。それに、葵はそんな足の着くようなまねはしないさ」
君らって、おっさん、オレはおまえ呼ばわりでコウには君かよ。
「例えばな、ここに公共工事が一件あるとする。同じ金額でウチと他社が競った時、どうすると思う」
「身体でたらし込むわけ?」
う。
しまった。いくらなんでも露骨すぎたよな。
悪かったって。そんな目で睨むなよ、おっさん。
「他社は、一千万円献金しますというわけだ。だけど葵はそういうのがキライだ。適正な価格を提示した以上、そこから利益を引くということはかならず商品にはね返る、というんだな。そういう時、口を利かせるヤツが必要なのさ」
偉いじゃん。
いや。
オレがおっさんの立場だったら、絶対許せないか。
ううん。
どうなんだろう。
あんまりかけ離れすぎてて、ぴんと来ない。
オレはまたまた困って、コウの顔を見詰めた。
おっさんやオレと違って、上品にエビを口に運んでいるコウと目があった。
目が合うなり、コウは口を開く。
おっ、何か意見があるのだろうか?
「エビ、美味しいよ」
い、言いたい事はそれだけかよーっ。
がっくし。
何も考えてない。食ってるだけか。
オレは色々考えちゃったってーのに。いや、オレはおっさんじゃないんだから、無駄な事考えているのかもしれないけどな。
でもオレ、たとえ何と引き替えだって、コウの体を差し出すなんて事は出来そうもない。
たとえコウがそうしたいって言ったとしてもだ。
それはオレが若いからなのかもしれないけどな。
だけどおっさんだって、喜んで自分の恋人抱かせている訳じゃないんだろな、とは思う。
こんなに不機嫌なんだし。
「まあな。本当はそれだけじゃない。葵は、まあ、仕方ないんだ」
柳は次の料理を自分の皿に大量に取り分けながら、ちらりと黒羽のほうを見た。
なんだよ、意味深な目つきだよな。
「それはそうと、白鳥。おまえらクリスマスにパーティーに来ないか?」
いきなり話題変わったなあ。
白鳥はちょっと拍子抜けする。
おっさんの色々思う所に、ちょっと突っ込みすぎたのかもしれないけどな。
それにしてもよくパーティーに誘われる日だよな。海里といい、柳さんといい。
まあ奢られているんだし、いちおう話にはついていきましょうか。
そう思った瞬間、黒羽が口を開いた。
「だめです」
げっ。一言のもとに否定かよ。
だけどもうちょっと言い様ってものがないのか? コウってば。
とりあえず、お誘いには断り方ってもんがあるじゃん。
「クリスマスには、香澄との約束がある」
妙に冷ややかな声で、黒羽は続けた。ほとんど表情のない瞳で柳を見る。柳も硬い顔で黒羽を見返した。
うわー。睨み合うなよ、2人ともー。
ってーか、最近コウはオレの前ではすごく表情が軟らかくなってて、よく笑うし、忘れてたんだけど、もともとこういう感じのヤツだったんだよなぁー。
別に敵意を抱いているとか、機嫌が悪いとかじゃないんだ。
これが普通なんだ。
思いだしたよ。最初はオレにもこんな感じだった。
あん時はそんなに気にしなかったけど、今のコウに慣れちゃうと、この綺麗な顔に冷たい目でじろりと見られたら、オレだってちょっと引く。
友達いない訳だぜ。
でも、その、柳さん。違うんだよ、これ。
すごく親しい人以外には、みんなこんな感じだから。これが普通。睨んでる訳じゃないから、許してやってよ。
…ってオレ、心の中で何をフォローしてるんだって。
「僕は香澄のパーティーに出るんだ」
こんなにきっぱり言うなんて、さっきの事、もしかして気にしてるのかな? 海里の時先約とか言っちゃった失敗を、今ここで取り返そうとしているのかもしれない。
だけど、今やらなくたって。っていうか、もっとこう、やり方があるだろ。
オレはドキドキしながらコウを見た。
「家族パーティーに出るから、他の所には行かない」
…こだわりのポイントは、そこでしたか。
ちょっとだけ、がっくし。別に失敗を取り戻そうとかした訳じゃないんだな。
そんな複雑な事を考えるコウではありませんでした。
きっと絶対さっきの事は忘れているに違いない。
まったくもう。
おっさんの表情がわずかに緩んだ。
コウの口から、『家族』という言葉がでたからだろう。
おっさんはコウが早くに親を亡くして施設で育ったことも知ってる。
もっといろいろあれやこれや、知ってるはずだ。なにしろオレの兄貴の結婚式の日取りまで知ってたんだからな。
「それはいつだ」
新しく運ばれてきた皿から、魚の揚げ物を取る。甘酢あんの酸っぱい香りが漂った。
「おまえん家のパーティはいつだと訊いてるんだ。白鳥」
「へ」
皿に気を取られてたオレは、その質問が自分に向けられたんだとは、気づかなかったんだ。
「あ、24日だよ。もちろん。クリスマスイブだもんな」
「なら大丈夫だ。ほら、もっとじゃんじゃん食えよ。足りなかったら、幾らでも追加注文してやる」
「大丈夫って?」
「ウチのパーティは23日だ。社員たちだって、イブは家族でやりたいだろ」
そっか。
そりゃそうだよな。
「ウン。そうだ。ついでにおまえのご家族も全員招待してやる。なんなら兄貴の嫁さんの親族もご招待しようか?」
そう言って、おっさんはにんまりと笑った。
それはつまり、絶対断れないって事か!?
「だけどおっさんのパーティーって、企業ものなんだろ? しかもさ、総理…は来ないかもしれないけど、有名人とか来るんだろ? そんなとこに行ったら、庶民の家族のオレ達なんて、浮きまくりじゃないか」
柳のおっさんはちょっと考えて、それからニヤリと笑った。
「解った。それじゃあ、オレの家族も呼ぶ」
「へっ?」
「言っとくが、オレの家族は庶民だ。おやじとお袋と、姉貴夫婦と弟夫婦。それに妹。家は酒屋だし、妹はオタクだ」
「は…」
オタクはあまり関係ないだろ。なーんてさらっと思っちゃうのは、オレにもオタク女の友達がいるからだけど…。まあ、それはいいとしてだな。
「それなら文句あるまい。大丈夫だ。葵にも親族の誰かを一人絶対呼ばせる。少し大きくなったが、家族パーティーだ。黒羽くん?」
おっさん、コウには『くん』かよ。いいけどさ、別に。
「妹は君と同じくらいの年だ。騒がれる事を覚悟しておいてくれ」
「は…ええ。あの…」
コウはすっかりとまどっていた。
どんどん話が進んじゃうんで、ついていけなくなったに違いない。
「オレの家族にも、紹介するって言っているんだ。覚悟しとけよ。この坊やのとこに負けず劣らず煩いからな」
「紹介…」
コウの白い顔に、うっすらと赤みが差した。
そして次の瞬間、コウはいきなり柳のおっさんの両手を握りしめた。
おっさんは仰天して、握られた手とコウの顔を交互に見つめる。
「ありがとう、柳さん。僕は…」
うわー、うわー、ちょっと。
目が少し潤んでますよ。
そんな嬉しそうな目でまっすぐ見ちゃって、おっさんとまどってるじゃないか。
だけど本当に家族って言葉に弱いんだなあ、コウってば。
実際は、そんなにいいもんじゃないぜ。
そうは思うけど…。
まあその、コウがやたら憧れるのは、仕方ないって事か。
「柳さんの家族は、何人いるんですか?」
人数まで聞いてる。ううむ…。もしかしなくても、これはプレゼントをあげるつもりなのか?
コウの全開に嬉しそうな顔を見るなんて、滅多にない。(ほとんど奇跡に近い)しかもさっきまですごく冷淡な感じだったんだから、おっさんはかーなーりー、吃驚したに違いない。
(年の功なのか、表面的には余り変化はないけどな)
だけどコウにこんな顔されて、悪い気分になるヤツがいる筈はない。
おっさんの顔は、すっかりほころんでいた。
そりゃーもう。
オレのコウだって、こんな風に笑えば、あんたの社長に負けないくらい魅力的なんだぜ。
ていうか、お愛想笑いなんかじゃない、全部本気なだけに、価値倍増だぜ。
すごく綺麗だろ? 幸せな気分になるだろ?
殆ど見られないってのが、残念だけどさ。
オレはかなりハッピーな気分になった後、いつまでも握り続けている手を見て、いい加減放せよ、なんて、ちょっぴりジェラシーも感じちゃったりしたのだった。
家に帰ると、案の定大騒ぎだった。
年末年始を避けて新婚旅行を1月に延ばしたというしっかり者の嫁さんと兄貴も来ていて、その上何でか知らないけど下の兄貴の彼女まで来ていて、ただでさえ狭い家の中は、満員だ。
コウは玄関を入ったところでその迫力に押されて立ちすくんで固まった。
千代田物産から無用に豪華なパーティの招待状がご丁寧にバイク便で届いたっていうんだから、小市民のご家庭がパニックになるのもあたりまえだ。
あれからすぐに発送したんだろうな、おっさんのヤツ。仕事の速いことで。
「すごい、すごいじゃない。香澄くんっ」
兄貴の嫁さんだ。
「千代田物産の忘年会っていったら、東京中のOLの憬れなのよっ」
「そうそう、冬馬グループか千代田物産かってね。その片方にでも行けたらもう、すごい事よ、これ」
下の兄貴の彼女。
「でも結構ガードが堅くて、滅多な事じゃ部外者は招待されないのよ」
「ねえ。プラチナチケットよ、これ。しかも同伴自由。VIPでもなきゃ、手に入らない代物よ」
「なに着ていこうかしら。紋付きってわけにはいかないわよね」
これは母さん。
ひとしきり騒いだところで、固まっているコウにやっと気づいた女性陣は、目を丸くして口を開けた。
それからの騒ぎは、推して知る可だ。
オレの家族、ということで無礙にも出来ないコウの困惑は、それはもう、哀れを催しちゃうくらいだった。
でも、クリスマス当日いきなり引き合わせても同じ事だから、これは洗礼だと思って我慢してくれよな、コウ。
会場として指定された場所は晴海埠頭だった。
そこら辺のレストランかホテル、と思っていたオレたちは、コスプレか? っていうようなコスチュームのおねーちゃんに案内されて初めて会場が船だってことに気づいた。
でかい。
豪華客船だよ。
もしかして、これ、貸し切りなのか?
そろそろ夕闇の迫り始めた空と海にきらきらとイルミネーションも眩しいばかでかい船。
自慢じゃないけど、オレは船なんて有明から出てる水上バスしか乗ったことがない。
コウはいっぺんもないはずだ。だって砂城に海や川はないもんな。
義姉さんや母さんや兄貴の彼女はてんでに「きれいねー」とか「豪華ねー」とか「さすがねー」とか言いながらうきうきと乗り込んだけど、オレはちょっと怖がってるコウの手を、こっそり握ってタラップを渡った。
デッキに柳のおっさんが出迎えて、
「よう、よく来たな」と手を挙げた。
その後でオレの親を振り返り、型どおりの挨拶を始めた。
父さんなんか、かわいそうなくらい小さくなって、ぺこぺことお辞儀を繰り返してる。
「白鳥くんには砂城でいろいろとお世話になりましたから。彼は実に優秀な警察官ですよ」
さすが営業マンは違うね。
よくまああんなに歯の浮くようなセリフがぺらぺら出て来るもんだ。
呆れているオレや、すでに着飾った人が溢れているデッキをうっとりと辺りを見回している義姉さんたちをひきつれて、おっさんはあまり広くない一室へ入った。
そこにはたぶんおっさんの家族らしいいかにも庶民なじいさんばあさんを初めとした八人が集っていた。
ふつーのおばさんとおじさん。これはおっさんの姉夫婦。おっさんよりガタイのいい男とその奥さん。これが弟。それから、コウを見るなり
「きゃ――――っ」
駆け寄ってきてコウの手を掴んだ、背の高い女。
「初めましてっ、私、柳ひさこ。黒羽コウさんですよね、よろしくっ。ホントに美形だわ。お兄ちゃんて、美形を引き当てる才能があるのかしらっ」
頬を赤くしてぶんぶん手を振り回して、コウが困ってるのも、てんで意に介さない。
さすがおっさんの妹。(しかもオタク)
でもおっさんの妹にしちゃ結構美人だ。
コウと並ぶとなかなか映える。じゃねーだろ、オレっ。
でもまあ、女がコウの手を握っててもコウの隣にいても、そんなに嫌じゃない。
コウは女はダメだから。
けど考えたらオタクってことは、その辺も承知の上なのか?
そんなことを考えてたら、ひさこさんはちらっとオレを見て、意味ありげに笑った。
げ。
あれはどう見たって、
『わたくし、知っていてよ』って笑いだ。
オレは思わず引きつった笑いを返してた。
つかつかっとオレの方に来ると、ひさこさんはオレの肩をぽんぽんっと叩いて、
「がんばってねっ、香澄くん」
と、嬉しそうに言った。
ぐは。
いきなり名前ですか。
そりゃまあ今ここには白鳥が6人もいるんだから、それもありかもしれないけど、でも。
なーんてぐるぐるしてるオレを置いて、柳のおっさんはコウに自分の家族を紹介した。
おい、オレにはなしかよ。
いや、さっき親には紹介してたから、それですんだことにしたのか。
コウは、にこにこと嬉しそうに挨拶してる。
うわあ。
こんなコウ、初めて見る。
他人にこんな顔、無防備に向けてるなんて。
ホント、よっぽど嬉しいんだな。
オレはなんだかすごく幸せな気分になった。
ずっと他人と交わることを拒否していたコウが、こうやって心を開いている。
そうだよな。コウ。
一人は辛かっただろ。
二人っきりもいいけど、大勢も悪くない。
そんなこと思ってたら、一人だけ雰囲気の違う上品なおばさんがやって来た。
社長のお母さんだ。確か、そう言ってた。
「葵がいろいろとよくしていただいたそうで、ありがとうございました」
「い、いえっ、あれは仕事ですからっ」
深々と頭を下げられてオレは慌てた。
「お友達になったんだと、喜んでおりました。あんな子ですが、これからもよろしくお願いしますね」
うひゃー。
さすがの社長もお母さんにかかったら『あんな子』呼ばわりだよ。
「は、はいっこちらこそっ」
いや、ほんとはあんまりよろしくしたくはないんだけどさ。
お母さんはすごくいい人っぽいけど、あの社長はやっぱり怖いぜ。
「じゃあ、オレは行くけど、船内はどこも自由に出入りしてかまわないです。いろいろ余興もありますから。ゆっくり楽しんでいってください」
そういっておっさんが出ていくと、部屋に次々と料理が運ばれてきた。
とりあえず、腹に詰め込む。
このために今日は昼飯抜いてきたんだから。
ああ、オレたちって、とことん小市民。
部屋の壁には液晶ディスプレイが掛かって、船内の様子やらあちこちでやってる余興やらを映し出してる。手品とか、バンドとか、とにかく賑やかだ。
飯も美味い。
おっさんの家族はざっくばらんでフレンドリーで、いかにも下町ッて感じだった。あのおっさんも立場さえなければきっとこんなふうなんだろう。
コウまですっかり馴染んで、和気あいあいと盛り上がっている。
普段はあんまり酒なんか呑まないコウが、祖父さんに勧められるままにどんどん呑んでるし。
大丈夫なのか? コウ。
そこへドアが開いて今夜のホストが登場した。
「皆さん、良くおいで下さいました」
いつものスーツ姿じゃなくて、ガイドのオネーチャンと同じくSFドラマから抜け出てきたような奇天烈な服だ。
あいさつもそこそこにオレに近づくと、社長はにっこり笑って
「香澄くん、君のために『地球防衛課』を作ることにしたよ。張り切って働いてくれたまえ」
はあ!?
「ちょ、ちょっと、どういうんですか、それ」
「余興だよ、ただの遊び。ギャラもでないから、安心していいよ」
わたわたするオレに声をひそめて説明した。
ギャラがでないから安心っていうのは、随分だとも思うけど、公務員はバイトも出来ないから仕方ないか。
社長の後ろに控えていたおねーちゃんが、オレにもその奇天烈なジャケットを着せかけ、社長がオレの腕に時計みたいなものをはめた。
「似合う、似合う」
「かっこいいわよ、香澄くん」
「なんとか戦隊みたいねっ」
みんなで盛り上がってる。
「というよりウルトラ警備隊でしょう」
これはひさこさん。
さすがオタク。オレもそう思ったよ。テイストとしては円谷、ウルトラマン系だ。
社長はわかってるかどうか知らないけど、デザインしたヤツは、かなりできると見た。
「うん。さすがに良いね。何しろ君のためにデザインしたんだから」
またまた、はあ!? だ。
余興のために何百着もの服を?
頭痛くなってきた。
と、突然警戒音が船内に響き渡った。
漫才を映し出してたディスプレイが、緊張感漂うおねーちゃんの顔に切り替わる。
『非常事態発生。非常事態発生』
船室内に緊張感が走る。
『太平洋上より巨大物体接近中』
巨大物体?
なんじゃそりゃ、と思う一方で、職業的な条件反射でどう行動すべきか考えている。
コウも、真剣な目をしてディスプレイを見ている。
そのオレたちの前で、画面のおねーちゃんは続けた。
『巨大物体は、怪獣か巨大ロボットと思われます』
がくっっっ
こ、これも余興かよ。
コウは、と見るととまどったような顔をしてオレを見ている。
オレは、顔を顰めて目の前で手を振った。
ないない。
いくら外だって、怪獣は出ないって。
それでもまだ何か納得しかねる顔をして首を傾げている。
『戦闘要員は直ちに各自配置について下さい』
画面が次々切り替わり、走り回るスタッフや『戦闘配置』につく隊員たちを映し出す。
そして次に映ったのは、暗い海の上を投光器に照らし出されて歩いてくる『巨大ロボット?』だ。
呆然と画面を見ていたオレの家族たちも、ようやくこれが余興だと気づいて、なあんだという顔になった。
ところが、
「さ、香澄くん、戦闘だよ」
いきなり社長に腕を引かれて連れ出された。
デッキは人であふれかえっていた。
その人々の目線の先には、船に迫る巨大な影。
ウソ。
あれって、さっきの『巨大ロボット』?
特撮じゃなかったのか、あれ。
どう見ても、身長57メートルはありそうだ。
でも、見た目はトリコロールの彩色じゃなくて青だ。
しかも、近づいてきて初めてわかったけどなんか皺よってるし、背中にチャック付いてそうだし、額には『悪』って書いてある。
なんだよ、これ。
マジなのかふざけてんのかわからない。
その時そいつが大音響で
『ブラックシルバアアアアア』
と叫んだ。
デッキにいた人々が、どよどよと退く。
確かに、ふざけた見た目の割には、妙に迫力がある。
やっぱりデカイっていうのは、怖いんだ。
「香澄くん、戦うんだ!」
「え、え?」
「腕を伸ばして、ほら、」
言われるままに手を挙げる。
きらきらした光がさっきの腕時計から溢れ出してオレを包み始めた。
「香澄!」
少し遅れて船室を出てきた黒羽は、人並みに揉まれてなかなか香澄たちの所にたどり着けなかった。
ようやく香澄の姿を見つけたと思ったら、光に包まれていく。
何事か、と、周りの人々も退く。
香澄の全身が光に包まれた、と思ったら、光ごと消えてしまった。
「香澄!?」
黒羽は駆け寄ったけれど、もう、香澄の姿はどこにもなかった。
そして海上では、船に間近まで迫ったロボが
『ブラックシルバアアアア』
と雄叫びを上げていた。
呆然とそれを見上げる黒羽の目の前に、今度は巨大な人影が降り立った。
デッキの人々は歓声を上げ、手を叩いた。
巨大な人は、
『ジョワッ』
と声を上げて、ロボに挑みかかった。
今度こそ本当に、黒羽はあ然とした。
だって、その声はばかデカかったけれど、紛れもなく香澄の声だったからだ。
巨大人間と巨大ロボットの戦いは、派手に繰り広げられた。
黒羽はようやくご満悦な様子でそれを眺めている社長のもとへたどり着いた。
「どういうんですか、これ」
「ふふ。かっこいいだろ、香澄くん。やっぱり正義の味方はこうでなきゃ。山野田ふうにしようかと思ったけど柳に反対されてさあ。顔が見えないのは残念だけど、まあ、しょうがないよね。あの衣装はちゃんと円谷プロに頼んだんだよ。マルCもとってあるんだから」
なんの話だ、と内心思いつつ、一番気になることを聞く。
オタクな内容にも、著作権法も興味のない黒羽だ。
「あれ、香澄なんですか」
「中身はね」
くすくす笑いながら、黒羽の手を取る。
「そうそう、君にも手伝ってもらおうかな」
勝負はなかなかつかなかった。
そのうち、巨大人間の胸の明かりが点滅を始める。
「ああっ、タイマーがっ」
見物人から声があがる。
悪のロボットは勢いづいて掴みかった。
戦いの周囲には何機もヘリが飛び回っていたが、その一台から男が身を乗り出した。
ライトが一斉に当たる。
男の手には、派手派手な銃が握られていた。
鮮やかな軌跡を引いて銃弾が悪のロボットに命中する。
同時に夜空に眩しい爆発が起こった。爆発、というよりすでに花火だ。
次々に散る光。
それにひるんだ悪のロボに、ウルトラマンもどきがアタックをかける。
ついに悪のロボは大爆発して消えた。
船内からやんやの喝采があがる。
ウルトラマンもどきが空へ飛び去って、
アナウンスが流れる。
「みなさま、お楽しみいただけましたでしょうか。悪のロボットは無事撃退されました。非常警戒態勢は、解除されます。どうぞ閉会までごゆっくりお過ごしください」
next
|