そっか…。
ゲイでも女と結婚するなんて事があるんだ。

それはオレの中では新しい認識だった。
しかも、男らしかったから、とかじゃなくて、相手をちゃんと女だと思って愛していたんだよな。
ゲイなのに、女を愛する。
そんなことも、あるんだ…。

オレはちょっと考え込んだ。
『ハッキリ自覚して、自分の性癖はこうだ、とか言いきれる人って、そんなにいないじゃないか』
そうなんだろうか?
オレは女が大好きだし、女とやる事しか考えてなかったから(当たり前だ。普通は男とやる事なんて考えねえ)絶対ホモじゃないとは思う。
それだけは断言出来る。
さっきも男とのエッチとか、考えただけでゲーってきちゃったもんな。
でも、もしも愛とセックスの対象が一致しない事があるのならば…。
セックスは抜きで、男を好きになる事もあるんだろうか?
ホモのおっちゃんが、女を女として愛した様に、ホモじゃないオレが、男を好きになることもあり、なんだろうか?
そんな事は、特に異常な事ではないのだろうか?

「どしたの? 海里くん。コーヒー入ったよ」
梨々花が目の前にカップを差し出す。
コーヒーのいい香りが、鼻腔をくすぐった。
「おう、サンキュ」
オレはカップを受け取って、ブラックのまま一口飲んだ。
それからふと思いついて、梨々花に声をかける。
「なあ、梨々花。お前さ、綺麗な女は好きか?」
「えええ〜? いきなりなんの話? 海里くん」
「いや、女でも女を好きになる事ってあるのかな、と思ってさ。あ、梨々花別にレズっ気無いよな」
「無いよ〜。あたし男いるもん。でも、綺麗な女の人は好きだよ。高校生の頃、綺麗な先輩とかに憧れたな〜」
「憧れって…」
梨々花は軽い声で、えへへ〜と笑った。
「実はラブレター出した事あるの〜」
「げっ! マジかよ。ホントにレズっ気無いのか?」
「無いってば。別におかしくないよ。ウチの高校じゃバレンタインのチョコも、男の子にやるだけじゃなかったよ」
「そうなのか?」
「そだよ。目当ての子がいるならともかく、好きでもない男に義理チョコあげるより、綺麗な女の先輩にあげた方がいいもん。楽しいじゃない、そっちのほうが」
「別に…その女の先輩を、男だと思ってチョコあげた訳じゃないよな」
「そりゃー、そうだよ。…海里くん、一体何が聞きたいの?」
「…あ、いや、その…」
オレは何となく言葉に詰まった。

おっちゃんがニヤニヤしながらこちらを見ている。
くそう…。嫌な目つきだぜ。
「梨々花ちゃん、海里くんはねえ。今気になる男の人がいるんだよ」
「…………!!!!! ばっ! ば、ば、バカ言うんじゃねえっっ!」
激しく声がひっくり返ってしまった。
梨々花が両手で耳を塞ぐ。
「海里くん、声でかすぎっ」
「だだ、だっておっちゃんがっ」
「誰ー? 気になる男の人って。海里くん、カズさんと同じで、ゲイなの?」
そーいう凄まじい事を、へろっと言うな! へろっと!
「違うっ!!!!」
ブンブンとものすごい勢いで首を横に振ってしまう。
「オレはっ! 女が好きだっ!」
「あ、そ。つきあってる女の子いるんだ」
「い、今はいないけど。でもそれは砂城に来たばっかりだからっ。オレはホモじゃねえぞ。絶対。オレは女が好きなのっ」

「わかったよ〜。解ったから怒鳴らないでくれる? マジうるさい」
梨々花は紙袋からサンドイッチを取り出すと、バクバクと食べ始めた。
「海里くんの気になってる人はね」
「おっちゃん、やめろ!」
「あの、黒羽 高だよ」
梨々花の目が大きく見開いた。
次のサンドイッチを取り出す手が、途中で止まる。
「ええーっ。あの黒羽 高? ホントに?」
「…知ってるのか?」
「知ってるよー。あたしファンだもん。高校生の頃だけどね、警察までチョコを渡しに行った事があるよ」
梨々花はキラキラした瞳をオレに向けた。

「あの人なら解るよー。むっちゃ綺麗だもんね。あたしとかとホントに同じ人間かって思うくらい、こう雲の上の人みたいに綺麗だよね」
「あ…お、おう。そう…だな」
オレは何となく拍子抜けしてしまう。
あんなにさんざん、頭痛くなるくらいぐるぐる悩んでたってーのに、いきなり解るとか言われてしまった。
「そっかー。じゃあ海里くん、あたしと仲間だねー。本物見た? 近くで見るともう、凄くない?」
「う、うん…」
「海里くん、彼に助けて貰ったんだよ」
「きゃーっ。うっそーっ。いいなーーーっ。どうだった? 格好良かった? どうやって助けて貰ったの? なんで?」
オレはおっちゃんを睨みつける。

オレが黒羽さんに助けて貰った事は、絶対に秘密なのだ。
おっちゃんもそれを思いだしたらしく、口を押さえ、急にキョロキョロ視線を彷徨わせた。
今さら遅いぜ、まったく。
それに、黒羽さんに助けて貰った事は、秘密という約束が無くても、オレだけの中で大事に取っておきたい記憶になっていた。
あの時の事は、あの人と、オレが覚えているだけでいい。
世界中でオレとあの人だけが知っている真実がある。
それは何だか、素晴らしく最高な事のように思われた。

だからオレは、適当に誤魔化した。

「別に、助けて貰ったって、大したことじゃねえよ」
「でもでも、近くで見たんでしょ?」
「見たけど…」
「話はした?」
「そりゃー、したよ。お礼も言わなくちゃならないし」
「ただお礼言っただけ? だめだなあ、海里くん。あたしだったらどんな小さな事だって、そんなチャンスは逃さないね。お礼しますとか言って、絶対次に会うチャンスを作るっ。作ってないの? 海里くん、ねえ」
梨々花はきゃーきゃーうるさく言い続けた。

次に会うチャンスを作るって…。
実は黒羽 高の名刺を持っている。
なーんて事実は口が裂けても梨々花には言えない。
死ぬほど騒ぎまくるだろうし、即座に名刺はかっぱらわれるだろう。


だけど、お礼か…。
ううむ。そうだな。
名刺渡したのは向こうからだし。会うチャンスを、逆に作ってもらったんだよな。
いつでも連絡をくれ、とまで言われてさ。
でももちろん、向こうは事件の情報を求めてそう言ったんだろうし、全然関係ない事で連絡する訳にもいかないだろう。
そう思って、オレ、家でただ悶々としてたけど。
でも考えたら、ただお礼言う為に会いに行ってもいいんだよな。
それって凄く真っ当な、ちゃんとした理由じゃねえか。
そうさ、そうだよ。うん。
お礼だよ。
電話して、…いや、お礼なんだから直接会いに行って、目の前で言うんだ。
それに、ちゃんと会ってしまえば、オレのこのわけの解らない気分も、少しはすっきりするかもしれない。
思い立ったが吉日。
オレは杖を掴むと、ソファーから立ちあがった。

「海里くん、どしたの?」
「ああ、いや、リハビリしようと思ってたのにさ、こんな所でずーっと座ってだべってたら意味無いと思って。街でもぐるりと回ってくるわ」
「あ、そー。暇だったらまた夕方寄ってよ。一緒にご飯食べにいこー」
梨々花ののんびりした誘いに、適当に手を振りながら、オレはドアを開ける。
「がんばってねー」
何に対して言っているのかよく解らないおっちゃんの励ましが、オレの背中にかけられた。

 

 

 オレは西署に向かって歩き始めた。
バスを使った方が早いが、一応リハビリを少しはしないといけない。
西署までなら、ちょっと遠いが、それでも無理しない程度に歩ける距離だった。
あの人に、また会える。
そう思うだけで、心はうきうきした。
さっきまでのオレなら、また落ち込むところだが、今はちょっと気分が変わっていた。

そうだよな。
別に寝たい訳じゃないし。
それなら、男が男に惚れるってのもありだよな。
ぜんっぜん普通だよ、うん。
それに今会いに行くのだって、ちゃーんとした理由があるんだ。
助けてくれた人に、お礼を言いに行くのは、人間として当然の行為だ。
すごく当たり前の事だよ、うん。
会うのが楽しみなのは、そりゃあオレを助けてくれた人だし、梨々花の言う通り、あれだけ綺麗な人に会いに行くんだから、楽しいに決まっているぜ。

自分の気持ちにちゃんとした理由が付いたので、すっかりご機嫌な海里だった。
しかし、実は今の自分が、それだけ沢山の理論武装をしなくてはならない状態なのだ、と言う事実には、まったく気付いていないのであった。

「えっと…それで、どこに行けば黒羽さんに会えるんだ?」
西署の前に来たはいいが、よく解らなくなってオレは頭を掻く。
このまま正面から入ると、車の免許とかを更新する所に行っちゃうんだよな。
でも、奥に入っていいもんなんだろうか?
オレは何となく気後れして、建物の周りをうろうろしてしまう。
警察の周りをうろつくなんて、オレってば凄く怪しくないか?

そう思った時だった。
視界の端にチラリと影が映った。
ドキリ、とする。
忘れられない、すらりと高いシルエット。
あれ、もしかして…?

オレは更に怪しい事に、思わず隠れてその影を追いかけてしまった。
遠目だが、間違いない。
さらさらの黒い髪に、少しだけ見えた銀のメガネ。
こっち向いてくれれば顔が見えるし、声もかけられるのに。
そんな事を思いながら、こそっと後をつける。
ストーカーかよ、オレ。
黒羽さんは建物を大きく回って、人気のない裏手へと向かっていった。
何の用だろう? こんな所に。
そう思った所で、オレは視界の先に、もう一人男の姿を見つけた。
慌てて植え込みの影に隠れる。

そ〜っと首だけ伸ばすようにして覗くと、黒羽さんは男に向かって声をかけた。
「香澄」
かすみ? 女みたいな名前だな。
声をかけられた男は、非常階段の途中でぼんやり遠くを見ていたが、黒羽に気付くと、嬉しそうに口元を緩ませた。
寝ぐせの付いたような明るい髪の、若い男。
同僚だろうか?
二人は階段の途中で親しげに何かを話し始めた。
そういえば…。
嫌な記憶がむくむくと湧いてくる。
おっちゃんが何か言ってなかったか?
若い男が、黒羽さんとデキてるとかどうとか…。
バカ言うんじゃねえよ。
ホモってのは、おっちゃんみたいなのをいうんだろ?(←ヘンケン)
黒羽さんは全然カマっぽくないし、どう見たってそんな風には…。


そこまで思った時だった。
オレは驚愕のシーンを見てしまった。
茂みの影で大きく目を見開き、ついでに口だってぽかっと開いてしまう。
なぜなら、どうしてって…。

そう、階段の途中で、二人がキスしていたのだ。

絶対キスだった。
どう考えても、どう否定したくても、間違いなくどうしようもなく、それはキスだった。

階段を下りかけた黒羽さんが、後ろの男をフッと振り向く。
次の瞬間、香澄と呼ばれた男が軽く頭を下げたと思ったら、もう二人の顔は重なっていた。
ゴミが付いていたからとか、内緒話があるから顔を近づけたのではない。
あきらかに唇が重なっている。
し、し…しかも。
舌、入ってないか?

黒羽さんは階段の手すりを強く握りしめて、きっちり男のキスに応えていた。
「ん…」
微かに声まで聞こえてくるような気がする。
心臓がバクバク言って、口から飛び出しそうだった。
血の色が薄く透けた、形の良い唇。
チラリと覗く紅い舌。
舌を絡ませて…。あの顔に…唇を…。
熱い吐息に、掠れた声。
切なげに伏せられた睫毛に、白い肌。

身体の中の血液が、全部上がっていくような…いや、下がっているのだろうか?
とにかく全てが逆流していくような、何とも言えない気分。
ありなのか?
なあ、こういうのってありなのかよ。
オレはもう訳が解らなくなっていた。
天地がひっくり返るようなショックって、こういう事を言うのだろうか?

とにもかくにも、その後オレは自分がどう行動したのか、記憶がぽかっと抜けている。
まあ多分、慌ててそこから逃げ出したんだろうとは思うが。
気が付いたら公園のベンチなんかに、ぼんやりと座っていたのだった。



黒羽さんが、男とキス…。
黒羽さんって、ホモなのか?
あんなに綺麗で、ホントにすごく綺麗で、メチャメチャ綺麗で…。
ああ、混乱かかってきた。
綺麗なホモの男だって、そりゃ、いるだろう。
(黒羽さんくらい綺麗な人は、いないと思うけど)
それに、別に誰がどうホモだろうと、その人の自由で、オレには関係ないし。
だから別にいいんだ。
いい筈なんだ。
ホモだって。黒羽さんが、そうだって、別にいい筈なんだ…けど…。

どうしてオレは、こんなにショックを受けているんだろう。
さっきの男が恋人なんだろうか?
あいつ、上から覆い被さるようにしてキスしてた。
まるで、黒羽さんが自分のものだって誇示するみたいに…。
黒羽さんも、黙ってキスされてた。
ちゃんと、目も伏せて。
あれはやっぱり…。
おっちゃんの言う通り、あの二人はきっと、恋人同士なんだ。

そしてオレは。
目を逸らしていたかったけど。
でも気付いてしまった。
黒羽さんがホモだと言う事自体は、オレは別にショックでも何でもなかった。
オレがショックだったのは、一瞬ではあるが、考えてしまったのだ。
黒羽さんに、オレがキスしている図を。
あの男じゃなくて、オレが上から覆い被さって、あの唇にキスしている。
形のいい唇を割って中に入り込み、舌を絡ませる。
そんな絵が、オレの頭の中にくっきりと浮かび上がったのだった。

「オレも…ホモだったって、事か?」
力のない声が、ため息と共に口から漏れる。
「いや、でもさ。男とヤルとかって、やっぱり気持ち悪いよなぁ…」



「あっれー、海里くん。まだ家に帰ってなかったの?」
急に、すぐ近くで自分の名前が呼ばれた。
オレはのろのろと顔を上げる。
どれくらいぼんやりしていたのだろう。
気が付くと辺りは、もう薄暗くなっており、公園の明かりがあちこちで灯りはじめる時間になっていた。
「梨々花…」
見上げた先には、きょとんとした顔の梨々花が立っていた。
「どしたの? 疲れたの? カズさんが海里はまだ身体がちゃんとは治ってないって言ってたけど。気分悪いなら家まで送ろうか?」
「あー…。サンキュ。優しいなー、お前」
梨々花は、嬉しそうに、きゃっと高い声をあげた。
「でも別に、体の具合が悪い訳じゃないんだ。ちょっと、なんつーかさー…」
言いながらフラフラと立ちあがる。
梨々花がさっと身体を支える体制に入った。

う〜ん。可愛いじゃん。
海里は初めてじっくりと梨々花を眺めた。
髪は赤いけど、胸もおっきいし、顔もけっこう可愛い。
いいよな、こんな子が彼女だったら。
砂城なら、オレが篁だと言う事は、あまり意味は持たない。
名前より先に、オレ自身を好きになってくれる女の子を見つける事が出来るかもしれないよな。
まあ、梨々花はもう男がいるって言うから、ダメだろうけどさ。

そんなことをぼんやりと考えていると、脇を支えるようにして歩いていた梨々花が、フッと上を向く。
そして、まるでオレの考えを読んだかのように、そっと耳元に口を寄せて囁いたのだった。
「海里くん、何だったら、どっかで休む?」
「どっかって…」
「そりゃー、どこか落ち着けるとこ。ホテル、とかさ…」

へっ!?

オレは少しの間、梨々花が言った言葉の意味が脳みそに届かなかった。
どういう、ことだ?
それって、ええと…。エッチのお誘いなのか?
でも梨々花、男いるんじゃなかったっけか?
黒羽さんの事やら、自分の事やらですっかりグルグルになっていた上に、ながーい間全然女の子にご無沙汰だった事も重なって、オレは相当呆けていたと思う。
「梨々花…えっとー」
こういう時どうしていいのやら、サッパリ解らなくなっている。
だが梨々花は、呆けたオレが妙に気に入ったらしかった。
「海里くんって、かーわーいーい」

杖をついているってのに、ぐいぐいと腕を引っ張られ、気が付いたらオレは、ホテルの中でシャツのボタンを外していた。
「な、なあ梨々花」
「なーにー?」
バスルームから、水の音に混じって梨々花の声が聞こえる。
「ここまで来て何だけどさ、いいのかよ。だ、だってお前、彼氏いるんだろ?」
カラリと燥いた陽気な笑い声をたてながら、梨々花がバスルームから顔を覗かせる。
「別にー。ちゃんとした彼氏じゃないしー。向こうも他の女とやってるもん」
「そ、そうなのか?」
「うん。ここねえー、あたしとそいつがよく使うホテルなの。いいとこなんだけど、でも、バッタリ会ったりしたらちょっと困るかな?」
「えええ…えっとー…」
こういうタイプの女とは、高校生の頃散々遊んだくせに、今のオレは妙に腰が引けていた。
「海里くんさあ、エッチ得意なんだって?」
ベッドの上に、梨々花がどさりと腰を下ろした。
一応バスタオルを巻いてはいるが、下は何もつけていない事が一目で解る。
久しぶりに見る胸の谷間に、思わず唾を飲み込んでしまった。


女の子の身体って、やっぱりいい。
柔らかそうで、シャワーを浴びたせいか、たまらなくいい匂いがするし。
それに、すっげー…久しぶり。
オレ絶対一年くらい、女に触ってないって。
彼氏いたって、構わないよな。だって梨々花がいいって言うんだから。
据え膳差し出されて、逆らえる男はそうはいない。
オレは、そっと梨々花の身体に手を伸ばした。

「誰だよ、エッチ得意なんてそんな事言ったの」
「カズさんがね、海里は遊んでたんだよーって」
「おっちゃんめ、何言いふらしてるんだ」
「いいじゃない。あたし一度凄くエッチ上手な人と、してみたかったんだー」
「上手かどうか、オレは知らないぜ。あまり期待するなよ」
言いながら梨々花の身体をベッドに優しく倒し、上から覆い被さってキスした。

うん…。
すごくいい感じ。
女の子の唇だ。
バスタオルの下に盛り上がったオッパイが、柔らかーくオレの胸にあたる。
そうだよな。
エッチは女の子とだ。

梨々花の身体は、思っていたより、ずっと白かった。
白い身体に、ピンクの乳首。
舐めて、いじって。
梨々花が身をよじらせて、微かに声を漏らした。
ちょっと掠れ気味の、色っぽい声。
すんなりと伸びた長い手足にキスをしていく。
腕がオレの背中に絡みついてくる。
気持ちいい。
誰かと抱き合うのって、こんなに気持ちよかったのかって思う。

「かいり…」
耳元で囁く声が聞こえる。
唇を寄せ、白い歯を割って舌を絡ませる。
少し苦しそうに顰められた眉。
白い貌に長い睫毛。
半分開いた口から紅い舌が蠱惑的に覗く。
シーツを掴む白い指。
長く、細く、白い指がオレの髪を撫でる。
指がオレ自身に絡んで、指が…あの指が…。

黒い髪が乱れて………。

誰よりも綺麗な顔。
どこまでも深く沈んでいきそうな瞳の色。
余計なものをそぎ落として、純化していったような。
白く玲瓏な美貌。



「うわあああっ!」
オレは思いっきり声をあげてしまった。
………誰だよ、誰だよ、それって!!
梨々花は赤い髪だ。
オレ一体! ちょっと待ってくれよ、
一体いま、誰を梨々花に重ね合わせた!?

梨々花は急に体を起こしたオレを、きょとんとした瞳で見上げていた。
誰かって。
もちろん誤魔化しようもない。
オレはいま、梨々花に黒羽 高のイメージを重ね合わせたのだ。
そのうえで、エッチしようとしちゃったのだ。
完全に固まってしまったオレを、押し退けるようにして、梨々花が体を起こした。
「海里くん…?」
梨々花はそーっと、オレの下半身に視線を向ける。
何かを言いかけて、そして黙った。
「う…あの、ええと…」
オレはもう、完全に心パニックだった。
口なんかぱくぱくするばかりで、声が出てこない。
梨々花は、じーっとその様子を見ていたが、やがてニッコリ微笑んだ。

「気にしちゃ駄目だよーう」
「え? あの、だって」
だってオレ、いま男を思いながらやろうとしちゃったんだぞ。
「時にはそういう事だってあるんだから」
そ、そうなのか?
時には男を思い浮かべて女とエッチしそうになる事が、あ、あるもんなのか?
「海里くんは、まだ体が本調子じゃないんだから」
本調子じゃないって、それとどういう関係が…。

「勃たない事だってあるって」
へっ?
「あたしは全然気にしないし、どーってことないよ。海里くんも気にしちゃダメだよ」

……………………。

オレは口を開けて黙りこんだ。
どうやら梨々花が言っているのは、オレがパニクっているのとは全然違う事らしい。
いや…確かに今オレ、完全に萎えちゃってるし、どうも続きは出来そうもないから、梨々花の慰めも的はずれじゃないんだけど…。
だが今のオレは、インポと(EDとか言うらしいぞ)いう誤解を受けている方が遙かによかった。
だってよ、いくらなんでも、いま男の顔を思い浮かべながらセックスしようとしました、なんて言えるか!?
そんな事…オレだってどーしていいか、まったく解らないのに…。

 

 

 結局オレは、誤解した梨々花に優しく慰められながら、女の子との久しぶりのいい事はできないまま、家に帰り着いた。
安アパートのドアを開け、中に転がり込むと、思いっきりため息が出る。
「ああ〜〜〜、つ、疲れた…」
どさりと畳の上に座り込む。

こんな安アパートでも、家に帰るとホッとするもんだぜ。
まあここは、小さくてもオレの城だからな。
今はちっとばかりおっちゃんの世話になっているかもしれないけど、働けるようになったら家賃も全額返して、ここを本当のオレ自身の城にしようと思う。
フリマで買ったローテーブルの上に、コンビニで買ってきたパンを積み上げ、オレはゆっくり食べ始めた。
食べながら、コンビニ袋からはみ出したエロ雑誌を横目で見る。

ふう…。
と再びため息が出た。
梨々花と出来なかった分、せめて一人で慰めようと、エッチ雑誌を買ってきたはいいが、本を手に取る気も起こらない。
オレ、どうしちゃったんだろう…。
肌身離さず持っている白い名刺を、再び取りだして眺める。
黒羽 高の顔と、連絡をくれと言っていた、あの声。
そして昼間見たキスシーンが、鮮やかに脳裏に甦ってきた。

白い貌、形の良い唇。
梨々花に重ね合わせてしまった想像の中の黒羽 高は、怖ろしくエロチックだった。白い肢体を投げ出して、オレを誘っていた。
そう。
男。男の身体だった。
下半身までは想像が及ばなかったけど、それでも想像の中の黒羽さんの身体は、きっちり男だったのだ。
オレは、男と女を間違えている訳じゃない。
ちゃんと男だと思って、そしてそれでも、あんな風にベッドに入りたいと思ったんだ。
じゃあ、オレってホモか?
それとも今迄女の子としてきたんだから、バイってヤツなのか?

もっともオレはちゃんと黒羽さんとやった訳じゃない。
想像ならともかく、実際に男の身体を目の前にしたら、やっぱり全然ダメかもしれないじゃないか。
それとも、ダメだと解ってしまっても、それでもおっちゃんみたいに一回くらいは出来るんだろうか?
(おっちゃん、女はダメだと言う事に気付いた、とか言ったけど、息子がいるって事は、その時は一応出来たって事だよな)

男。男とエッチする。
やっぱり気持ちワリイ。
男の身体なんか触りたくもない。
だけどその…。
階段でキスしていた男と黒羽 高は、セックスしているんだろうか?
あの男は、黒羽さんと寝てるのか?
あの白い肌に触って、唇にキスして、身体中撫で回しているんだろうか?
おっちゃんの言う通り、本当に恋人同士なら、当然ヤッてるよな。
白いシーツに、あの身体を押し倒して…。

「ああ、畜生!」
下半身は、もうどうしようもない状態になっていた。
若いし、梨々花と出来なかった分たまっちゃってるし。
だけど、いま頭に描いているのは…。

理性がほんの僅か抵抗したが、でもオレは、はじめてしまった。
事もあろうに、昼間見た黒羽 高をオカズにして。

 

 

あの二人は、セックスしてるんだ。
その考えがオレを激しく興奮させた。
あの男に押し倒されて、キスされて、触られて…。
黒羽 高が、男に挿れられてよがる姿が頭に浮かぶ。
「あっ…はぁっ…」
身体が熱くなった。
背中の辺りがゾクゾクする。

気が付いたら、もちろん黒羽さんに自分のものを挿れているのはオレだった。
足を抱え上げて、深く突き入れると、黒羽さんは切なげに眉を寄せ、すすり泣くような悦びの声をあげる。
男と寝た事はもちろんなかったけれど、色々遊び回っていたし、そういう人間も知らない訳じゃなかったから、男同士がセックスの時どんな風にするのかは、よく知っていた。

想像は、えらくリアルだった。
オレのものを受け入れて悦ぶ身体。
白く長い指が、シーツをきつく掴む。
揺さぶられるたびに、掠れた声がオレの名前を呼ぶ。
『海里…かいり…もっと』
もっと奥へ。熱い身体の中を感じたい。
唇にキスして、白い喉に舌を這わせて、乳首を舐める。
女の子のようなオッパイはないけど。

でも、すごくいい。
どうしよう…。
すごくいいよ。
黒羽さんの身体…。


「はあぁっ…」
ティッシュの中にオレは欲望を放つ。
じんっ…と下半身に快楽の震えが走る。
うううう…。
やっちまった。
男がイク所を想像しながら、抜いちまったぜ。
さらにそれは、どうにもならない事に、すごく気持ちよかった。
何だかもしかして、今までで一番よくなかったか?
一人エッチとセックスは、そりゃー違うから、今迄寝てきた女の子たちと比べるのは激しく間違っているけど。
でも…。
「オレは…」

黒羽 高の男の身体を想像する。
本当に男とセックスするのなら、今の想像みたいに相手に突っ込むだけじゃないんだぜ。
ナニを舐めたりしゃぶったり、するんだぜ。
そんな事、オレにそんな事。

「…畜生」
目を瞑って舌打ちする。
気持ち悪くなんかならなかった。
彼の身体なら、どこもかしこも触ってみたかった。
もしもナニを舐めて、あの人がイイ声なんか出したりするなら…。
ああ…くそ。
あの人の舌が、オレのものを舐めてくれたりしたら…。
あの指で触ってくれたら…。
考えただけでイキそうになる。

「ダメだっ。ああもう、どうでもいい。考えるのはヤメだ、やめっ!」
再びオレは自分のものを握って、かなりやけくそ気味に扱きたてた。

 

 

本気なのかよ、マジなのかよ、オレ。
最初に初めて真剣になった相手が、男なのか?
『がんばってね』
おっちゃんの声が耳に響く。
何を頑張るっていうんだよ、おっちゃん。
オレの中の本当の気持ちを曲げないって事か?

オレは男が好きな訳じゃないらしい。
でも、黒羽 高が好きだ。
しかも、こういう感じで好きなんだ。
黒羽さんと本当に実際にどうにかなれるかとか、そういう問題じゃない。
どうにかなれても、なれなくても、それでもオレは、こんな風に彼が好きなのだ。
解ってしまったら、嘘はつけない。
特に自分自身を曲げるような嘘は、絶対につきたくなかった。

「オレ、どうすりゃいいんだろう…」
とりあえずもう一度、ちゃんと会いに行かなくてはならないと思う。
会って、目の前で彼と向き合って。
そして話そう。
まずは、お礼から言うんだ。
助けてくれた事、感謝します。
それからどうなるのかは、もちろん海里自身にもまったく見当が付かなかった。
「でもさあ…。男とじゃ、婿養子に行く計画はおじゃんじゃねえか…」
がっくり、と頭が前に落ちる。
同時に、はああ〜っと、深いため息が口から漏れた。

「オレは女が好きだ。だけど黒羽さんが好きなんだ」

恋は素晴らしく、同時に恐ろしく苦しい。
海里くんの憂鬱は、まだまだ当分続きそうだった。


END