「ずっと一緒に、あんたといるよ」
「本当に?」
欲しくて欲しくてたまらなかった言葉。
僕の心は一瞬で歓喜の高みに舞い上がる。
「うん。あんたと一緒にいる。約束だ」
「本当に。本当に?」
声が震えて、自分ではどうすることも出来ない。

「本当だ。オレは嘘はつかないよ。約束も、守る」
そう言って彼は、僕にキスをした。
柔らかく、甘い舌。
彼に触れられただけで、身体の震えが止まる。
ああ…。
どうして僕はこんなにも弱いのだろう。
僕はまるで甘ったれている子供のようだ。

僕を本当に愛しているのかと、彼を試す。
彼はあっさりそれを受け入れる。
条件も何も付けず、僕の甘えをそっくりそのまま受け止めてくれた。


だが次の瞬間、彼は唇を離し、目を瞑って息を吐いた。

「オレはそんな風に、あんたと約束できるよ。そして全部本気だ」
息を吐ききると、彼は目を開けて、僕を悲しそうに見上げた。
「オレはあんたとの約束を違えたりしない。でも、あんたはどうかな?」
「え?」
僕は茫然と彼を見つめた。
「オレがいくらそう言っても、あんたには意味がないんじゃないのかな」
「どういう…」
「だって、信じる? オレの言葉。たとえば100万回同じ事を言ったら、オレの言葉を信じる?」

彼はずっと僕と共にいると言ってくれた。
だからそれでいい。
それでいい筈なのに。

「あんたが信じない約束を、オレに何度誓わせたって、何も手に入らない」

何を…。
彼は何を言っているのだろう。
僕が? 
僕が彼を信じないって?

「オレが行ってしまうんじゃないよ。あんたがここにいないんだ。オレがここにいても、あんたはここにいない。オレは約束を守りたい。でもあんたが守らせない。だからあんたの問いは無効だ。違うか?」

信じていない…。
僕が彼を?

『ずっと僕と一緒にいてくれるか? 一生ここで』

YESと言われても、NOと言われても、僕は恐ろしかった。
それはどちらの答えも、僕は信じることが出来ないからなのだろうか?

「あんたは可哀想だ」
彼は起きあがり、腕を伸ばして僕の身体を抱きしめた。
「あんたは自分が、何を本当に欲しいのか解っていない」
さっきまであんなに熱かった彼の身体は、今は少し冷たくなっている。
そのひんやりした肌を、僕は夢中で抱きしめた。
彼の頸に頭を埋め、唇をあてる。
さっきまでこの手にかけようとしていた、その頸。

「オレを殺してオレが本当に手に入るというなら、オレは殺されてもいいんだ」
彼の手が緩やかに髪をなでた。
「なんでだろうな。何でそこまで思っちゃうんだろう。あんたって残酷なのにな」
「僕が?」
「そりゃそうだろ」
彼は笑う。
「だってオレ、まだ何にも解ってないんだぜ。なのにあんな事して。オレを夢中にさせて。そのくせ一回きりで終わりにしようとしたんだろ? 
あんたが好きだってオレが思った所で、オレの『好き』って気持ちはお終い。ひどいと思わないか?」
彼の微かな笑い声が耳元で続く。
「でもさ。でもオレを殺して、それで手に入れたものがあんたの本当に欲しいものなら、自分でも不思議だけど、まあ、オレはそれでもいいやって。
そう思った」

優しい。
どこまでも優しく、少し悲しげな声。
「でも違うだろう。オレが死んだら、絶対あんたはここで独りぼっちだ。あんたの欲しいものはオレの死じゃないよ。だから、死なない」

ドキリとした。
前に似たような事がなかっただろうか。

死ななかったよ。
オレは死ななかった。
そしてあんたを好きになって、ここに来た。
あの時オレが死んでいたら、二人は逢えなかったんだ。

「あんたの望んでいるのは、オレの死じゃない。だからオレは死なない。でも、あんたが望んでいるものは、オレの生でもないんじゃないか?」
「え?」
「オレは聞きたい。あんたは本当にオレが欲しいのか」
「どういう…」
顔を上げて瞳を開くと、彼の顔がすぐ近くにあった。
「あんたの世界に、オレはいるのか?」
彼は決意を固めたように唇を引き結んで、まっすぐに僕を覗き込む。
「オレは嘘をつかないし、約束も守る。だけどあんたは信じない。オレの言葉も、オレの未来も信じていないのなら、だったらあんたの中で、一体オレはどこにいる?」 
僕は首を振った。
彼の言っている意味が、よく解らなかった。


「あんたがオレを見ないなら、オレとあんたは抱き合っていても、一緒の世界にはいない。あんたの世界にはあんたしかいないよ」
彼の言葉が、ナイフのように鋭く自分を切り裂いた。
「そんな…」
「オレは聞きたい。あんたは、本当は独りでいたいんじゃないのか?」
「そんな事…」
「あんたが欲しいのはあんたに都合のいい、幻の恋人じゃないのか? あんたは本当は誰も愛してなんかいないんじゃないのか?」
「やめてくれ!」
悲鳴のような声が口から溢れる。

愛している。
愛している。
本当に? 本当に僕の想いは愛か?
彼が愛するように、僕は彼を愛しているのか?

「あんたが欲しいのは、本当にオレか!?」


彼の身体は冷たかった。
彼の問いは僕の全身を打ち据えた。
気がついたら、彼は自分から離れて立っていた。
遠くに行く。
行ってしまう。
彼を殺しても、殺さなくても、彼はここにいてくれない。
僕はどうすればいい?

僕は悲鳴を上げた。


「嫌だ! いやだ。行かないでくれ。お願いだ。お願い。信じたい。信じたいよ。君が欲しい。君を愛している。何度でも言う。何度でも言うから…」
唇から嗚咽が漏れだし、瞳から何か熱いものが滴り落ちる。

「君が、望むだけ…言う…から」

僕の言うことを、僕自身は信じられるのだろうか?
100万回愛していると言ったら、僕はそれを信じるのだろうか?

信じたい。信じたい。

僕は、自分を信じたかった。

 

 

 僕の身体を暖かいものが包む。
目の前が歪んでぼやけ、何が何だか解らなかった。
その暖かいものが、彼の身体だと気付くまでに、少し時間がかかった。

「信じたい。信じたいよ。だけど僕は自分自身すら信じられないんだ」
彼の身体を抱きしめながら、僕は叫ぶ。
「だから、だから…」
熱いものは次々と瞳から溢れ出して止まらない。
「泣いてるのか?」
彼の声が聞こえる。
僕は声がするものにしがみついた。

泣いてる? 僕が?
バカな。
僕は泣かない。
遠い昔、涙は失ったはずだった。

彼は耳元でため息をついた。
「大丈夫だよ、コウ」


…え?

今なんて言ったんだ?


「大丈夫だ。オレが、信じてるから」

君が、何を…?

「あんたが信じてなくても、オレがいつでもあんたを信じているから」

だから、大丈夫。
そう言って、彼の腕が僕の身体を抱きしめる。
「コウがそう言うなら、オレ全部信じるよ」

「かす…み?」

「あんたは嘘をついてもいい。それも全部信じる。あんたが自分を信じられなくなった時でも、オレだけはあんたを信じてる」

「香澄…香澄」
泣きながら夢中で彼をかき抱く。

どこにも行かないように。
どこにも行けないように。


彼の名前を呼ぶ。
何度も何度も。
それが彼の名前だと気付かないまま、僕は呼んだ。

思い出した。思い出した。
彼は香澄だ。
僕の恋人の香澄だ。
そして、僕の名前は高。
彼が呼んでくれたから、僕は返事をする。

この部屋には僕と君がいた。
そして今、僕はコウで、君は香澄だ。
僕は僕自身に、君は君になる。

「香澄、僕の名前」
「コウ」
「香澄、もっと…」
「コウ、ここにいるから」

ずっと、ずっと怖かった。
君がどこかに行ってしまうって、ずっと思っていた。
だから怖くて。すごく怖くて。
君を信じてなかった。
そして君を信じられない僕自身を、僕は信じられなかった。

だから、言えなかったんだ。
嘘になるのが怖くて。
簡単な、たった一言を。


「終わりにしよう」
香澄が言う。
「あんたは自分自身を信じられない。だからオレへの気持ちも信じられない。そしてオレの気持ちも信じられない。そんな悪循環は終わりだ」
「終わり?」
「うん」
香澄が頷く。
「オレがコウを信じる。オレへのコウの気持ちも信じる」
「僕の香澄への気持ち」
「愛しているんだろ? オレが欲しいんだろ? オレが望むだけ言うって、言ったじゃないか」
「あ…」
「じゃあ、言って」
「でも、香澄」
「でもは聞きたくない。オレの望むことだけ言って」

僕は言った。
僕の唇からは、言えなかった言葉が流れ出た。
愛しい、彼の名前と共に。


愛している。
香澄が欲しい。

  


何度も、何度も、まるでいじめるかのように、彼は僕に言わせ続けた。

「もう一回言って」
「君が欲しい」
「もう一回」
「香澄が、欲しい」
「信じるよ。ホントの気持ちだって、オレが信じる」
「香澄が欲しい。香澄が好きだ。香澄…かす…」
キスで唇をふさがれた。
嬉しくて、体が震える。

「二人でいよう」
「うん」
「一人で立たなくてもいい。コウが信じられないことはオレが信じてやる。だから、コウはオレの言うことを全部信じるんだ」
「うん…」
「コウが好きだよ」
「うん」
「ずっと一緒にいるよ」
「香澄…」
彼の身体に腕を廻す。

「じゃあ、信じる? オレ、コウが欲しい」



 僕たちは、抱き合った。
体中が溶けていってしまいそうな感覚。
身体を一つに重ねて、僕は喜びの声をあげながら、彼に抱かれる。
何度も、何度も、高みに達して彼の身体にしがみつく。

僕は一人でいなくてもいいんだ。
彼の身体をもっと奥に感じたくて、夢中でその感覚を追い続ける。
「香澄、香澄…もっと…」
彼の身体。
彼の吐息。
彼のモノ。
欲しくて、欲しくて、どうにかなりそうだった。
「いい…あ。もっ…と。香澄」
言葉と共に、香澄が深く入り込んでくる。
息が詰まりそうになった。
涙が再びあふれて、頬を伝って流れた。

香澄。好きだ。
愛している…。

僕は一人でいなくてもいい。
僕がもし、僕自身を信じられなくなっても、彼を信じればいい。
一人で立たなくてもいい。
僕には香澄がいる。
自分が信じられなくなったら、彼の言うことだけを信じればいいんだ。

僕の言うことを、彼が信じる。
彼の言うことを、僕が信じる。
僕たちは二人で、世界に立とう。

だから
君の言葉も、君の約束も。君との未来も…。
僕は信じたい。信じたい。

何度でも言う。
何度でも言うよ。
だから僕の言うことを、香澄。
本物にしてくれ、どうか。


香澄、本当に好きだよ…。
僕は君を愛している。
ずっと一緒に、二人でいよう。

僕たちは、白い部屋の扉に手をかけた。
彼と重ねた自分の手が震える。
「怖い?」
「少し」
「大丈夫、根拠はないけどな」
ニヤリと香澄が笑う。僕もつられて笑った。
「解ったよ。香澄を信じる」
「そっか。じゃあ、オレだけ見てろよ」
「そうする…」
「素直すぎて怖い」
「なんだそれは」

香澄は軽く吹き出した。
「睨まないでよ。あんた綺麗だから、睨むと怖いや」
「見てろって言ったのは香澄だろう? だから見てやる」
僕の拗ねたような言い方に、彼は再び笑った。
その笑顔。
なんて素敵なんだろう。
言われなくても、ずっと見ていたい。
彼の笑顔だけを。

「大丈夫さ。オレ達は帰るんだよ。オレ達が恋人だった世界へ」
「今は違うのか?」
僕は首を捻る。
「違うな。今はオレはあんたに恋したばかりだ。名前は思い出したけど、後はサッパリだ。コウだってそうだろう?」
「ああ、うん。確かに。でも僕は最初から香澄が恋人だって言っていたぞ」
「いーや。コウだってオレと同じだもんね。オレを信じてなかったくせに」
「………」
「黙ったらダメだよ。何か言って」
香澄の瞳が、すぐ近くに迫る。

「香澄は、僕が好きか?」
「大好き」
すかさず返事が返ってくる。僕は頷く。
「うん、信じる。香澄が言うなら」
「ずっとそうやって、オレを信じてろよ。コウのことは、オレが信じるから」
柔らかく暖かいものが、僕の胸の中に流れて、僕は目を細めた。
「何があるんだろう。この部屋の外に」
「解らない。だけど二人でいれば、それでいい」

「ずっと、二人か?」
「うん、ずっとね…」
香澄の唇が自分のものに重なる。

「オレ達、本当の恋人同士に、これからなるんだよ」


僕たちは掌を重ねて、白い部屋の扉を開けた。

 真実の白い部屋へ