真実の白い部屋



「ああもう、何度心配させたら気が済むの」
桜庭が頭を振りながら、黒羽の顔を覗き込む。

目が覚めたら、そこは白い部屋だった。
白い天井に、白いカーテン。
カーテンは風で微かに揺れていた。

「交通事故だなんて。本当にもう。目が覚めなかったら危なかったんだから」
「桜庭さん?」
黒羽はぼんやりと、まだ半分夢の中に埋もれながら聞いた。
「香澄は…?」
桜庭は微かに目を見開いて、それから意味深に笑う。
「そう。最初に気になるのは恋人の事って訳?」
「香澄は…、隣に…。助手席に座ってた。前の車がスリップして、回転して目の前に…。僕はハンドルを切ったけど、でも…。僕が怪我をしたなら、香澄はどうだったんだ? 大丈夫だったのか?」
「はいはい。意識を取り戻して間もないのに、あんまり喋っちゃダメ」

桜庭は安心させるように、黒羽の頬に軽く手をあてた。
「大丈夫。彼は運がいい子だから」
「大丈夫?」
黒羽は僅かに首を傾げる。
「隣にいるよ」
桜庭は部屋を仕切っている白いカーテンをさらりと引いた。
「香澄…」
カーテンの向こう、隣のベッドには、香澄が横たわっていた。
今は目は閉じられており、彼の規則正しい息だけが聞こえた。

「あららら。瞬間で寝ちゃうんだな、この子。彼もね、あなたとほとんど同時に目を覚ましたの。まるで計ったみたいにね。まあ、白鳥くんの方がちょっと先だったけど。それで、最初に言ったのが『コウは?』って言葉だったわ。お互いに確認しあうように名前を呼んじゃって。なんか妬けちゃうなあ」
桜庭は、本当に安心したのだろう。
くすくす笑いを止めることが出来ないでいる。

「本当に良かった。二人とも目を覚まさないんだもん」
「夢を、見てた」
「へえ、どんな夢?」
黒羽はしばらく思い出すように、目を細めて天井を見つめたが、やがて細い息を吐き出した。
「忘れた」
「そ、夢って忘れちゃうよね」
「でも、香澄と一緒に、いた気がする」
桜庭は目を見開く。
「夢の中でも一緒だったって訳? それともまさか、臨死体験とか言わないよね。花畑の中で、綺麗な音楽が流れて、川の向こうで誰かが手を振ってたりしなかった?」
「そんな事は…なかったと、思うけど…」
桜庭のからかう言葉に、黒羽は真剣に答える。
「ああ、ああ、ごめん。真面目に考え込まないで。冗談だから。あなたは安静にしてなくちゃいけないの」

桜庭の言葉に黒羽は目を瞑る。
花畑は、無かったと思う。
でも…。
夢の名残が届きそうで届かない所に、ふわふわと漂う。
でも、香澄がいた。

そして、悪い夢じゃなかった。
香澄に、何か言われたんだ。
思い出せないけど。でも、僕は嬉しかった。


僕は、帰ってきたんだ。
僕と香澄のいる世界へ。



ああ、いま何を思った?
一瞬よぎって消える想い。

目が覚めなかったら、自分はどこにいたんだろう。
ずっと、夢の中だろうか?
こうして目を瞑っていても、もう夢の世界は現れなかった。
僕はそこを出てきたのだ。
香澄と二人で。

そしてこれからも、彼と二人だった。

 

 

「ああ、コウ、良かったなあー。オレ達一時期危なかったんだってよ」
隣のベッドで香澄が無駄に元気に騒ぐ。
一応まだ安静を言い渡されているものの、怪我自体はたいしたことが無いため、既に香澄は退屈しきっていた。
喋って、はしゃぎまくって、看護婦さんに注意を受けて舌を出す。
まるで、子供みたいだ。
「何がそんなに嬉しいんだ?」
やたらと親しげに看護婦に話しかける香澄を、じろりと睨む。
「おっ、コウ。嫉妬?」
誰もいなくなってから、香澄がベッドから乗り出すようにして囁く。
「ああ…」
ぶっきらぼうに僕は答える。
香澄は目を丸くした。

「なんか怖いぞ。妙に素直で」
「…そのセリフ、前にも一度言わなかったか?」
「言ったっけか?」
二人して首を捻る。
そのタイミングがほぼ同時だったため、思わず吹き出してしまった。

「でも、良かったよなあ。オレ目が覚めた時、ホント怖かったわ。コウがオレを置いて一人でいっちゃってたらどうしようかって」
「僕たちは、ほとんど同時に目が覚めたんだそうだ」
「そんで最初にオレの名前呼んでくれたんだって?」
「そうらしい。香澄だって同じだって聞いたが」
「えっへっへ」
なんだかえらく嬉しそうに、香澄は笑った。
「あっちの世界から、二人して帰ってきた訳だ。生還おめでとう。パフパフ〜♪」
「香澄…」
黒羽は呆れたようにはしゃぐ香澄を眺めたが、自分の口元にも微かに笑いが滲んでいることには気付いていなかった。

「一緒に目が覚めたった事は、オレ達もしかして、手を繋いで、せーので帰ってきたのかな?」
「僕は夢を見てた」
「どんな?」
「忘れたが、香澄がいたような気がする」
「ふうん…」
香澄は何かを思い出すように、眉を寄せて天井を見上げる。
「何かオレも夢見てたんだよなあ」
「一緒の夢だろうか?」
「だったらすごいんだけど…。オレも良くは思い出せないんだけど、確かにコウがいたぞ」
「…」
黒羽は思わず息を詰めて、う〜んと唸る香澄を見つめた。

  

「そうそう」
香澄がポン、と手を打つ。
「コウがオレの前に立ちふさがってさ、そんですげえ難しい問題を出すんだよ」
「問題?」
「うん、もう難しいのなんのって。オレ机に座って一生懸命考えるんだけどさ。全然出来なくて。
コウってば怖いんだぜ。この問題がとけないと、この先一生エッチさせないって言うんだ。もうオレは真剣必死。脂汗だらだら。大変だった、ホント」

がっくし…。

思わずベッドの上に突っ伏してしまう。
なんだもう、そのマヌケな夢は。いったい。
だが、真面目な顔で香澄はしゃべり続ける。
「どうだ? コウの夢と一緒だったりしないかっ?」
「しないかって、あのな…。違うと思う。たぶん」
「なーんだ。やっぱり同じ夢の中にいたなんて、そんなに上手くはいかないか」
香澄はぶつぶつと呟く。
黒羽は苦笑した。

「しかし、真剣って、そんなに僕とエッチしたかったのか?」
「あったりまえじゃん」
間髪入れず、香澄が勢いよく首を縦に振る。
「この先一生だぞ。一週間エッチダメ、とか、一ヶ月おあずけ、とかじゃないんだぞ。こんな大事な事が他にあるかっ!」
こぶし握って力説する香澄ちゃんである。
「そうか、じゃあ退院したらしようか」
「おっ。おおっ♪」
やった! と小さく言って香澄が手を伸ばしてくる。
「バカ。病院で手を出す奴がいるか」
「だってオレ、元気なんだよう〜」
「退院したらだ。そう言ったろ?」
「ああ、うう。うう〜ん。じゃあさあ、キスだけ。キスだけいいだろ?」
「発情しないか?」
「無理」

ずるずるとベッドを抜け出して、香澄が覆い被さってくる。
その体温が嬉しかった。
「キスだけって言ってるのに、なんだその手は」
「しないってば。ちょっとだけ…」
「いま部屋に入られたら、丸見えだ」
「じゃ、カーテン引こうぜ」
キスをしながら香澄の手が動く。
ベッドの周りは一瞬で白い布に覆われた。

白い部屋…。
不思議な気分。
何か思い出せそうで、思い出せない。
もどかしいが、でも穏やかな感覚。


一生か…。
香澄とこれから先も、ずっといられるのだろうか?
明日も、明後日も、未来の時間まで、ずっと?
もちろん約束など無い。
保証もない。
結局、一生一緒にいられるかどうかは、その一生が終わる瞬間にならないと解らないのだ。

だから、一緒にいよう、香澄。
その時が来るまで、二人でいよう。

香澄の腕が強く自分を抱きしめる。
彼の中で、僕は初めて明日を信じることができた。

END

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