「冬馬涼一に会ったよ」
黒羽がびくっと反応したのが分かる。ほんとに分かりやすい。感情がないふりをしたって、冷静さを装ってみせたってだめだよ。本当の君は傷つきやすくて激情に振り回される弱い男だ。
思わず笑みが洩れる。可愛いね。黒羽高。
冬馬涼一の気持ちが分かる。
君を手に入れたい。
あのキュートな恋人とペアーでね。

「冬馬涼一に、会いたい?」
黒羽の背を抱いたまま葵が言う。
「君の恋人だった男」
会いたい。会いたくない。黒羽は混乱する感情に、戸惑う。何故こんな場所で、その名前を聞かねばならないのか。
「君の、両親を、殺した男」
黒羽は葵を引き剥がし、その顔を見つめる。
「なんで知ってるかって?」
うっすらと笑いながら、この男は言う。冬馬によく似た酷薄な笑い。
「そんな事は調べれば分かる。ちょっと考えれば、想像がつく。あの男はね、俺に、資金を出せと接触してきた。手を組まないか、ともね。不老不死に興味はないかと言っていたよ」
「それはいつの話だ!」
「いたた」
思わず、肩を掴んで揺さぶっていた。
「年寄りは優しく扱ってくれよ。3ヶ月前、かな。冷たい手の男だった」
口調は砕けているが、葵の目は笑ってはいない。
「バカな男だ」
あざけるように言う。

黒羽は目を見開いた。胸に氷の固まりを突っ込まれたような気がする。何がそんなにショックなのか。
冬馬が姿を現したこと?
この男に会っていたこと?
この男が、自分と冬馬の関係を、両親のことまで知っていたこと?
黒羽は気づかない。
何より彼を動揺させたのは、葵が冬馬を『バカな男』と言い放ったことだとは。

「あれはなんだ? ゾンビか? 吸血鬼? あんなモノになり果ててなにが不老不死だ。死人になって何ができる。こそこそと闇に逃げ隠れしながら、どれだけのことができるっていうんだ。犯罪も死人も割に合わない。所詮は狩られるモノだ。そうだろう? おまわりさん」

 この男は、どこまで知っているのだろう。
もしかしたら、自分の知らない事まで知っているのではないだろうか。
この男が、自分たちに接触してきたのは、目的あってのことだったのではないか。

そしてそれには…

「あの男の事を調べた。砂城の人間は無防備だな。外は広いから何をやっても解らないと思っているのか? 外で君を男に抱かせたりしたろう。君はその筋じゃあ、けっこうな有名人だったよ。これだけ綺麗な子が何でもさせるっていうんだ。一度抱いたら、忘れられないってね」
葵は忍び笑う。
黒羽はまじまじとその顔を見つめた。
「俺とセックスしてみる?」
肩で息をしながら、葵は微笑む。
「少しくらい、楽しんだっていいよな。ここには君の愛人もいないし」
首に絡みつく腕を、黒羽は乱暴に外した。
「やめてください」
いらだちを隠しきれない。自分らしくもない。こんな事で、気持ちを乱されるなんて。
「なんで? 特定の男以外とはやりたくない? セックスが好きなんじゃないのか。俺は、セックスが好きだよ。キスも好き。ガタイのいい男も好きだ」
「僕は、あなたは好きじゃない」
葵は目を見開き、声をたてて笑った。
「あはは。言ってくれる。俺にそんな事を言った男は初めてだな。俺って、もてるんだぜ」
もう一度、今度は黒羽の手を取る。
「俺を抱きたいって男はいくらでもいる。君だってその気になれば男になんか不自由しないだろ。あのぼくちゃんで満足してるのか?」
「香澄のことをそんな風に言うな!」

ビンゴ。
葵は心の中でVサインだ。

やっと感情らしいものが動いた。というより、黒羽自身に認識された。
感情が無い、のと無いことにしているのとでは、天と地ほども違う。感情が無ければ人間じゃない。それは虫だ。だが無いことにしていると重大なものを見失う。
「あの子が好き? あの子のどこが好きなんだ? 顔か、身体か? ふふ、あーんな顔してるけど、実はすっごい巨根とか」
葵の頬が鳴る。
「いてー」
叩かれた葵より、叩いた黒羽の方がショックを受けている。呆然と掌を見つめて、声もない。
「年寄りは優しく扱えって言ったろ。君と違って俺の顔は商売道具なんだからな」
頬をさすりながら葵が愚痴る。
「考えろよ。あの子のどこが好きなんだ。冬馬涼一のどこが好きなんだ」
黒羽ははっとしたように顔を上げ、葵を見る。
「好きなんだろ。今でも」
「違う!」
黒羽は叫ぶ。
「違わない。君は、冬馬涼一が好きなんだ」
「違う、ちがうっ」
葵のジャケットを掴んで叫び続ける。あの無表情に取り澄ましていた男とは別人だ。
「あんなやつ、あんな」
「君の両親を騙して殺し、子供だった君を玩具にして、都合が悪くなるとあっさり捨てていった」
「どうして」
「冬馬涼一の目的はなんだったんだ。君の両親は、なんの研究をしていた? 君は何を知っている」
「なんで、なんでそんなことを言うんだっ。僕が何を知っているって!? なんであいつは母さんたちを殺したんだ、なんで」
「君を捨てていったのか」
沈黙が落ちる。
黒羽はただ目を見開いて、動きを止めている。まるで息をすることも怖いかのようだ。
「それは」
 ゆっくりと、何かを断罪するように葵が口を開く。

「冬馬涼一がくだらない男だからだ」

じゃり、と何かを引きずるような鈍い音が響いた。
呆けたように葵を見つめていた黒羽の表情が一変する。
頼りなげに膝を着いていた身体に、緊張が走り、パワーがみなぎる。
それは精緻なメカが始動するさまを葵に思い起こさせる。戦闘機とか、レーシングマシンとか。動物って感じじゃない。強力で正確な機械。
左手に銃を構え、葵を背にかばって立つ。

横穴の一つから、禍々しい影が姿を現した。

 

 

横穴から姿を現した悪夢のようなもの。
黒羽の銃が火を噴く。
続けざまに、何度も。銃声が狭い坑道に反響して、耳がおかしくなる。
ジャンク。
あれがジャンクか。
写真やビデオで見たものとは、全く違う。 
ジャンクには形も大きさも決まったものは無いという。なるほど。こういうものか。
葵は黒羽の後ろでジャンクを観察する。
馬くらいの大きさだろうか。かなり大きい。およそ地上の何物にも似ていない。
ジャンクは黒羽の銃弾を浴びてあちこちを吹き飛ばされながら悶えた。
どす黒い液体が飛び散る。
震えながら、なおもこちらへ来ようとする怪物。生き物の命を貪るという、黄泉から這い出てきた恐怖。

先刻噛みつかれた脚の傷がずきずきと痛む。まるであのジャンクの動きに連動するようだ。
魅入られたようにジャンクを眺めていた葵の目の前に、いきなり大きな手が差し出され、視界を塞いだ。
それはジャンクと葵の間に壁のごとく立ち、庇うように差し出された黒羽の右手だった。葵は痛む足を引きずって僅かに後ろへと下がる。
黒羽の左手がまた火を噴き、轟音が暗い穴の中にとどろいた。
銃口が火を噴くたびに、黒羽の背中からも、何か青白い炎のようなものが立ちのぼってくる。
目に見える実体のあるものではない。しかし葵はかるく目を瞠った。
気迫、もしくは闘気のようなもの。拳銃を持つことを日常とし、ギリギリで命のやりとりをする者だけが放つ、奇妙な輝き。
それはけっして外で見ることの出来ない類のものだった。
黒羽は一歩前へと踏みだし、再びトリガーを引いた。

6発。左手に持つショットガンの弾をすべて打ち尽くす。
しかし黒羽は同時に右手で腰のリボルバーを引き抜き、腕を前にさしだした。
撃鉄が落ち、シリンダーが回転する。
何も考えなくても体が動いた。そんな風に訓練されていた。
奴らの体を構成しているものの結合を解き、ばらばらに崩すことだけがジャンクを倒す唯一の方法。
だからジャンクの体の中に、出来るだけ多く、出来るだけ広い範囲に、対ジャンク用の弾丸をぶち込む。
それゆえ黒羽は、最初に銃を選ぶ時ショットガンを手に取った。
散弾を広くジャンクの体にばらまくために。
いま手にしているリボルバーの弾丸は残念ながら散弾ではなく、ショットガンと比べると格段に威力は落ちる。
しかしそれでも、さすがに馬のように巨大なジャンクも、体の多くの部分が溶け崩れてきていた。
もう少しだ。黒羽は僅かに目を細める。
この弾を撃ち尽くしたら、予備を入れ替えるのに3秒。それくらいの余裕はきっとあるだろう。
しかし予備を入れ替える前、黒羽がリボルバーから最後の弾丸を撃ち尽くした瞬間、ジャンクはどたりとその醜い身体を地に倒した。

 
それは倒れて、ずるずるともう一度穴へ戻っていった。後には飛び散ったそれの体液とも破片ともつかないものが残されている。
葵は這って、それに近づいた。
「やめろ」
鋭い声で黒羽が制する。 
「まだ生きてる?」
振り返って問うのんびりした声に、脱力する。どういう人物なんだ。
「触らないで。危険だ。欠片になってもまだ活動することがあるから」
葵を抱え上げ、それから遠ざける。
歩けもしないくらいひどい怪我なのに。出血だって止まっていない。顔色も悪いし、息も苦しそうだ。
こんな状態でジャンクに手を出そうとするなんて。
馬鹿なのか、無知なのか。それとも傑物とはこういうものなのか。
とにかく自分たちとは違う人種だ。
自分のことは棚に上げて、黒羽はそう納得した。
「また出てくるかな」
「さっきのヤツが?」
油断なく周囲に気を配っている黒羽に、葵は問いかけた。
「あれでも、ほかのでも」
「わからない。ジャンクがどこから来るのか、誰にもわからないんだ」
「そうか」
息をついて目を閉じる。
どきっとする。一瞬、このまま死んでしまうのでは、と思ったのだ。
一人になるのは嫌だ。目の前で、護るべき人に死なれるのも嫌だ。
「大丈夫だよ」
葵は目を開け、微笑んで黒羽の頬に触れた。
「まだ、死にやしないから」
優しい声。優しい手。
冬馬を思い出す。思い出したくなんか、ないのに。
優しかった涼一。優しいふりをしていた、あの男。

大きく息を吐いて、葵は身体を起こした。
「仕方ない。危険な賭だが、やるしかないか」
ぶつぶつ呟きながら、葵がシャツの袖からカフスボタンを外した。
「これ」
黒羽に差し出す。
「なんですか」
「さっき見たろ。あの、盗聴器の片割れ。発信器の方だよ」
「そんなものが!?」
「これを使えば、柳たちと交信できるかもしれない。こっちが受信機」
内ポケットから出したそれを黒羽の耳に掛ける。
「少なくとも、通じれば柳はこっちの場所を特定できる。そういう機能もあるんだ」
「何故今まで」
「使わなかったかって? これはね、使役品から作られたんだ。使役品とジャンクは同じものだろう。これの機能をオンにすると、ジャンクを引き寄せる可能性がある」
「そんな馬鹿な…。そんな話は聞いたこともない」
「使役品はね、ある一定の条件を与えてやると相互に密接な作用を生じるものが造れるんだ。この機能をオンにすると、これはこちらの音を伝え、映像も位置も伝える。受信機の側をどう作るかによって、伝わるものは変わるんだ。その作用はよくわかっていない。ただ、そういうふうに使えるだけだ。だからこれがジャンクをも引き寄せないとは、言い切れない」
「それじゃあ」
「もう他に手がない。俺はそんなに長く待てない。やってみる価値はあるよ」
真摯な葵の視線に、黒羽は頷いた。
「それからこれ」
黒羽はデジャヴに襲われる。
なんでこう次から次へと出してくるんだ?
これって、どこかで。
ああ、
香澄だ。
初めてあった日、ポスターだのビデオだの出してきて…
「聞いてる?」
不審そうに首を傾げて問いかけてくる葵の様子が、ほんのちょっとだけ香澄に重なる。そう思ってみれば、背格好はかなり近い。
「聞いてます」
「これはね、対ジャンク用の銃弾。これも開発途中で効果のほどは定かじゃない。実験室からちょろまかしてきたんだ。でも、ちゃんと君の銃に合わせて作らせてあるから」
「なぜ」
「いつか君に実用試験を頼むつもりだったからさ」
嬉しそうに笑って言う。こんな時なのに。なんで笑えるんだ。
「本当のテストは、実際にジャンクを相手にしないとできないだろ。君は適任じゃないか。アンダー一番の射撃の名手。西署で一番有能な刑事、レフトハンドショットガン」
笑った表情が、香澄に似ている。
さっきまでは冬馬に似ていると思ったのに。
くるくると表情の変わる男。
黒羽は葵にたいする気持ちの変化に戸惑う。以前ほど『イヤなヤツ』だと思えなくなっている。
何故だろう。

「俺を護って。黒羽高。それが君の仕事だ」

 

 

『「柳さん?」
「おい、黙れ。もしかして…」』
 突然耳に飛び込んできたのは香澄の声だ。離れていたのはほんのわずかの間なのに、懐かしい。
「香澄、聞こえるか」
「えっ、ええっ、コウッ!?」
「葵っ、いるのか、そこにっ」いきなりデカい声が割り込む。
「うるせえ、おっさん」
呆れるほど鮮明な声。間近で話しているようだ。
「葵っ」
「うるせえって」
可笑しい。
香澄の声を聞いたら安心したのか、二人のやりとりがほほえましく聞こえる。
うっすらと口元に微笑みを浮かべた黒羽に、葵は新鮮なものを見た気がした。笑った顔も、良いじゃないか。
というより笑った瞬間、視線が独りでに彼に吸い寄せられた。
恐ろしく魅力的だ。誰からも綺麗だと言われ続けたこの俺が、人の顔に見蕩れたっていうのか。
いじめるのもおもしろいが、俺はこっちの顔の方がいい。
もう一度見たくなる。どんなことをしてでも。

「こちらは二人とも無事だ。今のところ。そっちは?」
「オレたちはもとの場所から離れてない。今どこに」
「場所はこっちで確認出来る」秘書の声が割ってはいる。
「ああ、ここからそんなには離れてない。少し下の方だ…通路はあるのか」
後でごちゃごちゃと話す声。警備員や警察の応援が来ているのだろう。そのくらいの時間はたっている。
「怪我はないんだな」
「僕は」
「葵を出せ」
また割り込んでくる声。
「あなたの秘書だ」
通信機の一式を差し出そうとする黒羽から、もうあの魅力的な微笑みは消えている。
一瞬の幻だったか。葵はがっかりした。
「いい。俺は大丈夫だと言ってやれ。それより時間がない。急げって」
こんな声で柳と話したりしたらやっかいが増えるだけだ。少しの不調でもあいつは感づく。
「今行くから。そこを動かないで」
「動きようがない。ここは縦穴の底だ。梯子が壊れてる。ロープが必要だ。上まで20メートルはある」
「わかった」
「急いでくれ。さっきジャンクに襲われた。また出てくるかもしれない」
「げっっ」
ばたばたと騒ぐ様まで、手に取るようにわかる。この性能は、すごい。
使役品、ジャンク。
確かにこれは、今現在のこの世界を変えうる力をすら秘めたものなのかもしれない。黒羽はようやく得心した。

「これを、独占したい」
葵は手を伸ばして通信機のスイッチを切り、呟く。
「わかるだろ。こいつは莫大な利益を生む可能性がある」
黒羽は油断なく辺りに気を配りながら葵の話を聞いていた。
救助が来るとわかった以上、なんとしてもそれまで持ちこたえねばならない。
「だが、悪夢を呼び寄せる可能性もあるんだ」
横穴から何かの近づく気配がする。
形になった恐怖。
同時に反対側の穴からも、何かを引きずるような音がした。

黒羽は両の手に銃を持ち、立ち上がる。
ふたたびあの闘気のようなものが黒羽の背から立ちのぼり、彼の体を一つの武器へと変えていった。
左手のショットガンに、予備弾が7発。右手のリボルバーに6発。対ジャンク用の銃弾は、もうそれしか手元に残っていなかった。
同時に二カ所からのジャンクに立ち向かえるかどうか、全てはこの、たった13発の小さな塊にかかっている。
いや…。もう一発。黒羽は胸ポケットの中に突っ込んだ、葵から渡された弾丸を指で撫でた。
未完成品。 
だが、それでも全てがつきた時、これは最後に残る、たった一発の銀の弾丸だった。



渡された瞬間、黒羽の顔が微かに歪む。
「シェル(散弾)じゃない?」
その弾は、しかしそれでもショットガン用にライフリングが刻まれていた。
「スラッグなのか? しかしジャンクには…」
言いかけた黒羽に葵は首を振る。
「シェルとかスラッグとか、俺には解らないよ。だけど、仕掛けがある。…その筈だ」
そう言って、葵は黒羽の顔を見上げて笑った。
なんの不安も感じさせない笑顔。
黒羽は頷く。
気がつくと自然に頷いていた。彼がそう言うなら、そうなのだろう。
こんな時に笑える男。自分には、けっして出来ない。
黒羽は葵から弾丸を受け取り、胸のポケットに納めた。最後の一発。

「君は、君の仕事をやれ」
葵の言葉に黒羽は立ち上がり、リボルバーのシリンダーをスイングアウトさせた。
空の薬莢を落とし、新しい弾を詰め込む。
彼を守る。
誰かを守る。 
その為に必要な力を手に入れる。
手を出すことすら適わなかった両親。過去に守れなかった、たくさんの人達。
誰もその代わりにはなれないが、それでも今度は守ってみせる。
もう誰にも置いていかれたくない。自分が必要とされる、そのたった一つの証が銃を撃つことなら、それを僕はやろう。

それが、僕の仕事だ。

黒羽の両手に握られた黒い鉄の塊が、同時に火を噴いた。
『右!』黒羽は腕を伸ばす。
右手のジャンクは人くらいの大きさがあった。そこに腕を交差させるようにして、黒羽は散弾を2発撃ち込む。それから右腕を伸ばし、リボルバーからも2発、ジャンクの体の中に食い込ませた。
轟音に葵は耳を塞ぐ。しかし目を瞑ることはしなかった。
ショットガンのイジェクションポートから、熱い空カートが飛び出して地に転がる。
『左!』 黒羽は体を捻り、今度は両手をそろえるようにして、左から出てきたジャンクに弾丸を浴びせる。
左の方は右よりずっと大きい。それでもそいつは銃弾を浴び、体を大きくのけぞらせた。
のけぞったそこに、すばやく次の弾丸を撃ち込む。2発、3発。
そのまま引いてくれ! 
黒羽は心の中で祈りながら、更に一発左のジャンクに銃弾を撃ち込んだ。
同時に右手を伸ばし、逆のジャンクに向かって、見もせずにトリガーを引く。
視認して照準を定めている時間はどこにもなかった。にもかかわらず、弾丸はまるで誘導装置でも付いているかのように、正確に右側のジャンクに吸い込まれ、その体に炸裂した。

すごい…。
葵は目を見開き、口元に微かな笑みを浮かべる。
さっきの笑顔も魅力的だったが、これはまた別格だ。
これは…、こんな光景は、誰も見た事がないだろうな、と思う。
この世ならぬ場所を見てみたい。そう思っていた。
生きていくためには、楽しくなくては。
そして今、ほんの鼻先で、誰も見た事のない世界が展開されている。
射撃の天才、黒羽高。
しかし誰も、彼がどれくらいその名にふさわしいのか、本当には解っていなかった。
射撃練習で見られる実力は、しょせん練習用の力にすぎない。
実践の、しかも目の前にジャンクが迫り、黒い口をぱっくりと開く。死に呑み込まれそうな、そんなギリギリの一線。
その瞬間にしか見られない、彼の本当の力が、いま葵の目の前で解放されていた。

背中から立ちのぼる、青白い炎。
見えない空気が震え、それに乗って痺れるように伝わって来る、圧倒的なパワー。
指先が動くたびに、正確にジャンクの体は削られていく。
きっと誰も知らない。自分だけが特等席で、これを見ているんだ。
葵は脚の痛みも忘れて、笑った。
ぞくぞくする。
これが見られただけでも、充分に価値はある。
もしかして死ぬかもしれなくても、それでも楽しいと、そう思った。

左のショットシェルは、残りたった1発。右のリボルバーにも1発。
黒羽はそれを全部右手側の、より小さいジャンクに撃ち込んだ。
倒れる可能性の高い方を、まず倒す。黒羽の体はそう動いた。
予想どおり右のジャンクは全身に銃弾を受け、ぶるぶると震えながら、溶け崩れていく。
左! 
黒羽はすばやく飛び退ると、役に立たなくなったリボルバーを下に落とす。そして胸のポケットを探った。
左のジャンクは大きい。かなり崩れてきてはいるが、それでもまだ触手のようなものを振り上げ、こちらに這いずって来ようとしている。
最後の弾丸。悪夢をうち倒すための、最後の力。
黒羽はそれをポケットから引き出すとチューブに押し込め、バーをスライドさせた。
弾が薬室に装填され、黒羽は左手を大きく差し出す。
そして、トリガーを引き絞った。


轟音と共に、最後の弾丸は巨大なジャンクめがけて飛んでいった。
弾は正確に、体の中央へと突き刺さる。
そして次の瞬間、ジャンクの体は炸裂した。
黒羽は目を大きく見開く。
着弾するやいなや、まるで内部で弾が爆発でもしたかのように、ジャンクの体はふくらみ、飛び散ったのだ。
飛沫がぼたぼたと地面に四散し、転がっていく。

「…グレーザー・ブレット」

黒羽は茫然と呟いた。

グレーザー・ブレット。散弾内蔵弾。
ショットシェルと違い、対象にインパクトするまでは通常の弾丸と変わらない。しかしそれは、一度体内に潜り込むやいなや、体の中に散弾を炸裂させる。
確かにジャンク相手の場合、体内に取り込ませてから内部で炸裂させた方が、より効果的かもしれない。
更にこの弾丸は、散開したペレットがジャンクの体内で、渦を描くように拡張した。
だからまるで爆発したかのように飛び散ったのだ。
当然ただのグレーザー・ブレットではないだろう。
黒羽はその威力に驚きを隠すことが出来ず、思わず葵を振り返った。
葵は軽く右手を挙げて、小さく笑った。

どうにか二匹のジャンクを防げた。
あのジャンクの大きさを考えると、奇跡に近い。
試作品だという弾丸がなかったら無理だったろう、と黒羽は思ったが、葵の方は黒羽以外の人間ではこうはいかなかったろう、と思っていた。
俺の目は確かだったって事だよな。
俺って、やっぱりツイてる。

だがその幸運は、長続きしないものらしかった。
ぐずぐずと崩れていくジャンクの後から、新たなジャンクが姿を見せた。
 
弾は撃ち尽くした。
闘うすべがない。
警棒で戦えるような相手ではないのだ。
それでも葵を庇って立つ黒羽に、葵は怒鳴る。
「梯子を登れっ」
黒羽は答えない。一人で逃げることなどできない。
「ばかっ、ここで二人とも死んでどうするんだっ。君だけでも逃げろ。あの子が待ってるだろ。彼のために生きて戻れ」
香澄のために。
香澄、ごめん。
「わからずや、石頭ッ」
まるで子供のケンカだ。とても四十に近い男のセリフじゃない。黒羽はちょっと可笑しくなった。
状況の深刻さに反して、心は冷静だった。
あのジャンクはさほど大きくない。
少しでも時間を稼げれば…
黒羽がジャンクに立ち向かおうとした時、頭上から、新たな銃声がとどろいた。


ジャンクは撃ち抜かれ、もがきながら倒れる。同時にロープが降ってきた。訓練された正確さで香澄がロープを伝い降りてくる。
「コウ、怪我は!?」
「僕は大丈夫だ。彼を」
「コウが担いで上がってくれ」
「香澄は」
「援護する」
「香澄が」
「コウの方が力がある。これは命令だよ」
「わかった」
四の五の言い合っている場合ではない。ジャンクはまだ続けて現れてくるのだ。
黒羽は葵を担いでロープに掴まる。ロープが引き上げられていく間も、銃声はとぎれない。
『香澄、香澄』呪文のように心の中で繰り返す。
大丈夫。
香澄は僕のパートナーだ。
一人でだって、ちゃんと持ちこたえられる。
ジャンクをここから外に出すわけには行かない。ここでくい止めねばならないのだ。

「葵っ」 
秘書の男が黒羽から社長を受け取る。
「ものじゃないんだから、も少し丁寧に扱えっ」
葵はぶーたれたが柳はかまわず葵を担ぎ上げて出口へ向かって走り、黒羽は警備員から銃を奪い取るように受け取って、もう一度穴へ戻った。

幸いなことに、姿を現したジャンクは小さめの三匹目で最後だったらしい。
香澄と二人でジャンクにとどめを刺した。
「よかった!」
白鳥が黒羽を抱く。
「うん」
「心配したんだぞ」
「うん」
白鳥は物陰に黒羽を引き込み、背伸びしてくちづけた。

 

 


とんでもない大騒動になってしまった穴見学が終了し、結局無事でなかったのは葵だけだった。
どこへ行ってもやっかい事を招き寄せる男だ。それも必ず本人が痛い目に遭うのに、さっぱり懲りない。葵は平然としているが、柳は脚の傷を見て目眩がした。こっちの方が先に倒れそうだ。心臓が持たない。
それでも葵は病院で脚の傷の手当を受けると、夜のパーティに出るからと強引にホテルに帰った。穴でジャンクに襲われたことは極秘として伏せられた。

「ええ、階段で足を滑らせちゃって。くじいたんですよ。年ですかね」
にこにこ笑いながら地元の招待客と話している。その区議会議員は社長の顔以外目に入らない様子だ。
『年、だなんていけしゃあしゃあとよく言うよ』白鳥は呆れる。それにしてもなんだってあんなに色っぽいんだろう。ホントに男かよ。
黒羽と白鳥は葵たちの後ろに控えていた。本来の警護の仕事だ。
「社長、そろそろ失礼しませんと」
秘書が言う。
「明日の会議の打ち合わせがあるんです。残念ですが、私はこの辺で」
軽々と柳に抱き上げられた葵を見て、白鳥は、『いいな、ああいうの』と思う。
だけどあんな風にコウを抱き上げるのなんか、さすがに無理だ。
『反対なら絵になるんだろうけど』なんて思って、ますますがっかりする。
いやでも、男が男を抱き上げる姿が、サマになりすぎるのもいかがなものかとは思うけど…。



部屋に戻ると葵は、やれ脚が痛いの腹が減ったのと騒ぎ始めた。
呆れる。
いい年した男が、まるで甘ったれた子供みたいだ。
ルームサービスで取った料理をテーブルいっぱいに並べてご機嫌だ。
「一緒に食べよう」
二人に声をかける。
「いえ。僕らの食事は出ますから」
「そんなコンビニ弁当なんかよりこっちの方がいいよ。お台場のホテルから連れてきたシェフに作らせたんだから。ほらほら。好意は素直に受けるもんだ。大丈夫。わがままくんのVIPに振り回されただけだからさ。上も大目に見てくれるよ」
仕方なしに席に着く。
料理は文句なしに美味かった。
「美味いだろ」
「うん」『香澄』黒羽がつつく。
「あ、美味いです」
食べるのに夢中になってつい地が出てしまった。結構腹が減っていたのだ。
「ふふ。若いっていいよなあ。な、柳」
「何言ってんだか」
「今夜、俺と寝ない?」
白鳥を見つめてにっこり。
「ぶっ」「こら」「だめです」
三つの声が重なった。
「ふーん」
他の二つは無視して葵は黒羽にだけ視線を向ける。
「じゃあ、君が俺と寝る?」
「いやです」
これまた即座だ。
あっさり断わられたくせに、葵は薄く微笑んだ。
「じゃあ、君がきちんと彼の相手をしてやるんだな?」
「ええ」
げふっ、ごほっ、ごほごほっ
目を白黒させている白鳥の背を、柳がさする。同病相憐れむ、といった図か。

「もうやめとけ。葵。痛み止めを飲んで寝た方がいい」
「まだだ」
そう言って葵は姿勢を正した。緊張した空気が漂う。
この人って、その場のムードを操ることができるんだな。ようやく咳が治まった白鳥は厳しい顔の葵を見る。
コウも人の視線と関心を惹きつける男だが、コウはその力を目的を持って行使している訳ではない。
たいして彼のそれは、訓練されたものだった。自分に注目を集める方法を心得てるっていうか…。そうか、それが仕事だもんな。
「いいか。黒羽高くん、白鳥香澄くん、今日のこと、例の機器のことはいっさい他言無用だ。あれがどれだけ危険なものかは、君たちが一番よくわかるはずだろう。そして」
葵はもう一度黒羽に視線を据える。

「黒羽高、君は、冬馬涼一を追いかけろ。捜し出して捕まえて、決着を付けろ。それができるのは君だけだ。それに関して、俺は協力を惜しまない。金も情報も提供する。必要なら上層部に圧力も掛けてやる。俺にどれだけのことができるかは、今回で判っただろ。だが、冬馬涼一は君たちにしか捕らえられない。きっとそうだ。」
黒羽はただ黙って睨むように葵を見つめていた。
「コウ…?」
なんでここでいきなり冬馬涼一の名前がでるのか、白鳥にはわからない。それでも、コウが動揺していることだけは判った。
黒羽は白鳥に視線を移し、ゆっくりと頷いた。
「あなたに命令されなくても、そうするつもりです」
目を伏せ、何かに耐えるように呟く。
「あなたにどれだけのことができたとしても、冬馬を捉えることはけっして出来ない…。できるのなら、もうとうにやっている筈だ。しないのは、それがあなたには出来ないからだ」
「コウ」
「だから、あなたは僕たちを利用したい。解っている」
今度は白鳥がその背を抱く番だ。
今さらこの二人の前で、遠慮はいらないだろう。微かに震える声で呟いた後、コウは香澄に頭を寄せてきた。
「じゃあ、お休み。この部屋も、バスルームも好きに使っていいぜ。俺たちはあっちに行こう」
柳が葵を抱き上げる。そのまま奥のベッドルームへ向けて歩き出す。
「もう一回する?」
葵は柳の首に腕をまわし、耳元に囁く。
「馬鹿言え。傷に障る」
「つまんねえヤツ。そこがいいんだぜ」
「おまえなあ」


「待ってくれ」
白鳥が声を上げた。
女みたいな綺麗な顔を、意志の力で睨みつける。
「何故? なんであんたが冬馬涼一を捕まえろなんて言うんだ」
咎めるような口調になったのを感じたのだろう、
「香澄」コウが押しとどめようとした。
「教えてくれよ。何故なんだ」
それを振り切って、なおも食い下がる。
だってこの人は、『君たち』と言った。それは、オレとコウって事だ。オレにも知る権利はあるだろ。

「何故? それはね、」
葵は柳に抱かれたまま二人を振り返って、あざやかに笑った。

「俺は、あいつが嫌いだからさ」

END
  

香澄と柳の場合