正義の味方 incident1

外からやって来た男


 昼下がりの銀行は、今異様な緊張感に満ちていた。
建物の周りには警官隊が配備され、息を潜めて中の様子を窺っている。少し離れたところには、事件には付きもののマスコミの集団が、まるで砂糖に群がるアリのように黒々と蠢いていた。

それを横目でちらりと見ながら、黒羽 高(くろはね こう)は隣で双眼鏡を覗いている桜庭警部補に声をかけた。
「突入しますか?」
低く静かな、感情に乏しい声。顔も声を裏切ることなく、ほとんど何の色も浮かび上がらせてはいない。
玲瓏で透明な、冷たい氷のようだった。
「待って。今、中の様子を探っているから」
桜庭警部補はポニーテールの髪を揺らしながら、双眼鏡から目を離さずに答える。黒羽は忠実な犬のように黙って後ろへ下がった。

「科捜研がね、面白いもの持ってきてくれたんだ。人の体温を、遠くからでも感知する装置」
桜庭は面白そうに話を続ける。
「なんかねえ、それによると犯人は8人らしいよ。銀行の客は、約20人」
「銀行員は?」
「装置の限界か、遠くになっちゃうとあいまいでね。でも、まあカウンターの後ろにいるのがみんな銀行員でしょ?」
桜庭は陽気な声で答えると、にやっと笑った。喰えない笑いだった。
「立てこもるなんて、犯人シロウトだね。地下地区アンダーじゃ、何でも素早くが信条。さっさと押し入って、ちゃっちゃと金を取って逃げるのが賢いやり方」
言いながら下唇をペロリとなめる。
不謹慎ではあるが、桜庭は久々の大きな事件を楽しんでいるようだった。
「まったく上界地区スカイならカジノがあるんだから、そっちを狙えばいいのに。なーんて言っちゃ、まずいか。きっとそっちじゃお話にならないほどの下っ端なのね。ヤダヤダ、下っ端なんかに貴重なお昼休みダメにされて。黒羽くん、突入しちゃおうか?」
 
黒羽は黙って目を細め、銀のフレームの丸いメガネを指先で軽く持ち上げる。
「何か勝算があるんですか? 桜庭さん」
「ああ、そのポーズいい、黒羽くん。綺麗な男は何をやっても綺麗だわ。今度それで警察のポスター撮り直さない?」
「桜庭さん…」
ごめん、ごめん、と桜庭は手を合わせて笑う。
それからおもむろに、少し困ったような顔をしている黒羽へ、銀行の見取り図をさし出した。
「客はみんな部屋の隅にひとかたまりになっていますね」
「うん、犯人と客の間にシャッターがある。マジにシロートだな、こいつら」
「外からおろせますか? そのシャッター」
「下ろすためについているんだな、シャッターは」
「銀行員は、みんな訓練を受けているはずですね。では、突入しましょう」
黒羽はくるりと後ろを向くと、そこで控えている警官達に合図した。桜庭は遠くで蠢いているマスコミの黒い影をちらりと見ながら、黒羽の背中に声をかける。
「黒羽くん、あんまり派手にやりすぎないように。あなたはただでさえ目立つんだから。でも、私も夕方には子供を保育園まで迎えに行かなくちゃならないから、手早く済ませよう」
黒羽高は振り向かずに軽く片手を上げると、右手に特殊警棒を、そして、左手にはショットガンを構えた。

空気が、変わる。
銀行の大きなガラス窓には、みなカーテンが降りていた。
しかし、突入ポイントはもう決まっていた。


 シャッターの降りる引きつれるような金属音が、中から響くのと同時に、対強化ガラス用ブレットを装填させた銃で、ガラスが細かい塵へと弾け飛んだ。
風のように、黒羽 高が開いた穴に飛び込んでいく。
ほんの少しの無駄な動きも、迷いも無い。
その姿は、獲物を狙って飛びかかって行くしなやかな獣にも、装填された銃から飛び出す、一発の弾丸のようにも見えた。

遠くで突入の様子にマスコミが湧いている。
『可哀想に。あの子、手を抜かないからね』
桜庭はまだ見ぬ犯人達に心の中でこっそりと手を合わせた。
それから、ふと気がついて辺りを見回し、ギョッとしたように近くにいる警官に声をかけた。
「ちょっと、白鳥警部補はどこ? キミ知ってる?」
若い警官は桜庭の初めて見る顔だった。別の部署からの応援だろう。彼は女の上司にいきなり声をかけられて、どぎまぎしているようだった。
「白鳥警部補。私の後ろに立ってた、こう、髪の毛が跳ねた、彼のこと」
「は、あの、黒羽巡査部長についていきましたが」
桜庭は仰天した。
「マジ? それって、マジ? 嘘っ。初日から殉職なんて、それは困るんだけど。っていうか、彼の正式着任は明日じゃない。もっともっと、すごーく、困る!」
警官は桜庭の剣幕に目を白黒させた。
「うわあ、どうしよう。ああ、神様、黒羽くん、お願い。白鳥警部補を死なせないで。サイテーでも明日になるまで生かしておいて」

 桜庭の頭の中に、ほんの数時間前に見たばかりの白鳥香澄(しらとりかすみ)の開けっぴろげな笑顔が浮かんだ。
こんな事なら、あの坊っちゃんに現場に一緒に来るか、なんて言わなければ良かった。
 桜庭は、今朝の出来事をぐるぐると無駄に思い返していた。


 

 

「…接待、ですか?」
桜庭の目の前で直立不動のまま、黒羽高は聞き返した。
表情からは彼が何を考えているのかは、まったく解らない。
冷たくて硬い顔。
銀のメガネが更に硬さを強調している。
しかし、その冷たさを補ってあまりある程、彼の容貌は完璧だった。
 
190センチに近い身長。
ストイックに短く切ってはいるが、艶やかな黒髪。
そして、神様がさぞや慎重に配置していったのであろうと思われる、整った白い顔。
瞳の光はちょっと鋭すぎて、近寄りがたい雰囲気を醸し出してはいるが、彼にはそんな雰囲気すらもアクセサリーのひとつだった。
驚くほど綺麗に造られている。
それが最初に人が抱くであろう感想だった。
彼のような美しい男が、本当に自分と同じように息をしているのだろうか。
非常によくできた人形なのではないだろうか。
そんな疑問を抱いてしまいそうなくらい、彼の容貌はどこか突き抜けていた。
 
桜庭はつい、しばらく彼の顔を鑑賞してしまった。
『笑ったらもっといいだろうになぁ。だけどこの顔は、やっぱり、“いい男”というより、“美人”のほうがしっくりくる感じよね』
などという感想が、頭の中をぐるぐると巡る。
黙って次の言葉を待っている黒羽を前に、桜庭はひとつ咳払いをした。

「うん、まあ、正式な接待というわけじゃないけどね。名前は白鳥香澄。ああ、かすみって名前でも、男の子だから。それから、新人さんだけど、階級は警部補」
「キャリアですか?」
桜庭は口を曲げて笑った。
「キャリアが来ると思う? この閉鎖都市『砂城(さじょう)』の、しかもアンダー地区の警察なんかに」
「僕には解りません。しかし、キャリアでないなら、では、外からの配属ということですか?」
「そうでーす。白鳥香澄警部補。20歳。黒羽くんより7つ年下ね。彼は物好きにも、砂城の外からウチに来るの。しかも、本人の希望で」
無表情な黒羽の顔に、微かにあきれたような色が浮かんだ。
「それで、お客様なんですか」
「いやあ、ウチに来るからには、お客様じゃなくてちゃんと働いてもらうつもりだけど。でもね、彼の正式着任って、実は明日なの」
黒羽は僅かに首を傾ける。
「…では何故、今日?」
桜庭は軽く吹き出して答えた。
「なんか、めちゃめちゃ明るい声で、早くついちゃいましたぁ、だって。さっき電話があったの。一日早く来て挨拶するつもりらしいよ。だから、黒羽くんに彼を迎えに行って欲しいなあって思ってさ」
「わかりました」
黒羽は、まじめな顔で頷いた。
 
彼はこんな仕事も、けっして嫌だとは言わなかった。
警察は完全な縦社会。上司の命令は絶対である。
しかし、彼は嫌だと思うこともなかった。
仕事は彼にとってすべてで、その内容がたとえどんなものであっても、上下も貴賤もない。
彼にとってはすべて平等のものだった。
だから黒羽は、言われればお茶くみもするし、警察のポスターのモデルもやる。
現にここ、砂城西署には、黒羽がモデルのポスターがたくさん貼ってあった。
(警察官募集、とか、おでかけは、一声かけて、鍵かけて、とか、麻薬撲滅キャンペーン。人間やめますか? というようなポスターである。ちなみに街で女子高生に剥がされるポスターナンバー1の座を、連続7年キープしている。しかし、本人はその事をまったく知らない)
 
「本当に物好きだよねえ。砂城に早く来たいなんて。だから、せめて着任前の今日だけは、接待してあげようと思ってさ。黒羽くん、彼をここまで案内してあげてよ。それと、砂城は外とは違うから、ルールも色々教えてやってくれると嬉しいな」
黒羽はもう一度解りました、と言うと、そのままくるりと踵を返して出ていった。
 
愛想は無いよなあ、と桜庭は思う。
しかし、そこがまた、顔に合ってていいんだけどね。
桜庭は少しにやけた後、机に積まれた山のような書類を見て、うんざりとため息をついた。
きっと黒羽なら、こんなものも淡々とやってしまうのだろう。
桜庭は書類の山に気を取られて、肝心なことを黒羽に言い損ねたのを、それからしばらく気がつかないでいた。

 

 

 砂城のゲートは、いつも閉ざされている。
もっとも、閉ざされているのは主にアンダー地区だけで、スカイ地区にはカジノやら巨大アミューズメントパークやらがあるので、ゲートは常に大量の観光客を呑み込んだり吐き出したりしている。
その様子を見ていると、砂城が閉鎖都市と呼ばれるのが嘘のようだった。
しかし、ここ、アンダー地区のゲートには誰もいなかった。事務所のような建物の中で、警備員が二人あくびをしながらぼんやり外を見ているだけだ。

黒羽は少し眉をひそめて辺りを見回す。
それから、指でガラスを叩いて警備員を呼んだ。
「はい、なんです?」
「あの、外から誰か来ませんでしたか?」
「ああ、来ましたよ。来ましたけど、ちょっと前だなあ」
「その人、白鳥香澄と言う名前ですよね」
警備員は、はい、はい、と手元の書類をめくって、頷いた。
「どこに行ったか解りませんか?」
「さあ、そこまでは」
黒羽は警備員に一礼すると、建物を離れて辺りを見回した。
ぐるりと、見渡す限り人影はない。
黒羽は軽く舌打ちをした。
外から来たくせに、何故おとなしく迎えを待っていないんだ?
そんな言葉が独り言のように小さく口から滑り出たが、外の人間だからこそ、よく解らずふらふらと歩き回れるのかもしれなかった。
たいていの人は、砂城のアンダーを無防備にふらついたりはしない。
もっとも今はまだ朝だから、その限りではないかもしれないが。
とにかく捜さなくては、と思ったところで、黒羽は初めて自分が白鳥の顔を知らないことに気がついた。
なんだかまぬけな失態である。
お客様はおとなしくゲートで待っていると思いこんでいたのが間違いだった。
どうやら白鳥警部補は、そういう人間ではないようだ。
やっかいな、と思いつつ、黒羽は携帯電話を取り出した。
今更バカみたいだが、これで白鳥の写真を送ってもらおう。
指が携帯のボタンを押しかけた、その時だった。
後ろで妙に明るい声が響き渡った。


「こんにちわ。ちょっと聞きたい事があるんですけど、いいですか?」
声の明るさは、なんとなく外国人の宗教の勧誘を思い出させる。
ちょっといいですか? などという言葉が余計にそれを連想させた。
黒羽が顔を上げると、(と言っても、相手の顔は黒羽より10センチは下にあったので、実のところ見おろす形になったのだが)そこには太陽より明るい笑顔があった。
17,8、と思われる少年の顔。
だがよく見ると、少年はしっかりとスーツを着込み、きっちりネクタイも締めている。
髪は寝ぐせが残っているかのように少し跳ねてはいたが、一応社会人らしい身なりは一通りそろえていた。
もしかしたら、もう少し年上なのかもしれない。
子供に見えるのは、その開けっぴろげな笑顔のせいかもしれなかった。

「ええと、地図の見かたが解らなくて…」
頭をかきながら笑顔で近づいてきた少年は、黒羽の顔を見上げるなり、いきなり目を見開いて叫んだ。

「レフトハンドショットガン!」

黒羽の背中が一瞬硬直する。
メガネの奥の無表情な瞳に、ちらりと剣呑な光が宿った。
それは、黒羽にとって通りすがりの人にいきなり顔をはたかれたようなものだった。
 
『レフトハンドショットガン』
もしくは、
『左利き(レフティー)』
マスコミが彼につけた、彼の大嫌いなペットネーム。

それを目の前の男は、ものすごく嬉しそうに大声で何度も連呼した。
「うわー、うわー、本物だ。本物ですよねっ。レフトハンドショットガン。すげー、ど、どうしよう。いいんですよね? あなたですよね。レフトハンドショットガン」
…自分だ、と言いたくはなかった。
だが、このまま黙っていると、この男はいつまでもその名前を叫び続けそうだった。
 
黒羽は、糊で貼り付いてしまったかのような自分の唇を、ムリヤリこじ開けて、ぼそりと言った。
「それは、僕の名前じゃ、無い」
「えっ、違う? 違う? 違わないでしょう? だってオレ、ポスターだって持ってるんだから。ほらっ」
黒羽の目の前に、いきなりでろでろとポスターが広げられた。

ちょっと待て。
黒羽は目の前に突きつけられたものに混乱する。
なんでこの男、こんなものを携帯してるんだ?
いや、それより、たとえ持っていたとしたって、こんなにすぐ広げられないだろう、普通は。
それともいつでも広げられるように、構えているのだろうか?
バカな考えが一斉に頭の中を駆けまわった。  
「ほら、そうだよ。確かに世の中には自分に似ている人が三人いるって言うけどさ。あなたみたいに綺麗な人が、そうそう転がっているなんて事はないと思うな」

黒羽に突きつけられたそれは、『交通ルールを守ろうね』という子供向けのポスターだった。
そこに写っている自分は、ずいぶんと若い。
髪が少し長く、口元は微かに微笑んでいる。
ぎこちない笑い。
しかし、確かに笑っている。
今は、自分はけっしてそんな風には笑わない。
よく見るとそのポスターは、その辺から剥がしてきたものではなかった。
折り目のついた、年季の入ったポスターだった。

黒羽は、ギョッとする。
これは、自分が最初に撮ったポスターじゃないか。
なんでこんなものを持っているんだ、こいつは。
「ね、ね、そうでしょう?」
「これは…、確かに、僕だ」
かすれた声で黒羽が答えた瞬間、少年の顔は、ぱあっと明るく輝いた。
そして彼は黒羽の手をぎゅっと握りしめてきた。
「やっぱりそうじゃん。わああっ。嬉しい。すっげー嬉しい。会えたんだ。オレ、会えたんだ。本物。レフトハンドショットガン!」
「…だから、僕はそういう名前じゃない」
「あれ、そう呼ばれるの、キライ? そうか。ええとね、じゃあ、黒羽さん。それならいいですよねっ。そういう名前ですよね。黒羽 高」

そうだけど…。
口の中で呟く黒羽をすっかり置き去りにして、少年は機関銃のように喋り続けた。
「ああ、どうしよ。本人じゃん。本人に会えるなんて。いや、何を言ってんだオレは。何か聞かなきゃ。黒羽さん、今日はショットガンは持っていないの?」
黒羽は手を少年に握りしめられたまま、固まっていた。
「あれは、普段持って歩くものじゃない…」
そうは言ったが、ジャケットの下、ショルダーホルスターの中には、リボルバーが二挺ぶち込んである。
「そうかー、そうだよね。アレは、その、いざっていう時に出すんだよね。うん、うん。あっ、そうだ、サインもらえないかなあ。ポスターに」
陽気と言うよりほとんど躁病に近いハイテンションで、少年は黒羽の目の前に黒のマジックペンをさっと差し出した。

どこからこういうものをぽんぽん出すんだ、この男。
黒羽はがっくりと脱力したが、彼の口から次々に飛び出してくる言葉をどうにか遮ることに成功した。
「あの、君、申し訳ないんだけれど、僕は仕事中なんだ」
「なんの仕事ですっ? ここの近くに犯人が潜んでいるとか?」
キョロキョロと辺りを見回す。
黒羽はため息をついた。
「…そんなんじゃない。出迎えだ。単なる」
「出迎え? 誰の? どこかのV.I.P? お忍びのボディーガードとか…あっ」

口を押さえて、少年は急に黙り込んだ。
黒羽は怪訝な顔をする。
「ええとー、ええと、もしかして、それは同僚の警察官でしょうか?」
クイズでも出しているのか?
黙って見おろす黒羽に、少年はかなりきまり悪そうな顔を向けて、ぼそぼそと言った。
「あなたが迎えに来てくれたんですか? もしかして…。黒羽 高」
黒羽は、少年の手を振り払って(ずっと握られていたのだ)一歩下がった。

まさか、こいつが。

「白鳥香澄警部補!」
「あ、はい。そうです。すみません。誰か迎えに来るとは、言ってたような気はするんだけど。まさか、あなただったなんて」
少年、いや、白鳥香澄は踵をあわせて敬礼をした。
黒羽は上から下まで白鳥に視線を走らせる。
目が合うと、白鳥は幸せそうに、にっこりと笑った。
笑顔には答えず、黒羽は敬礼を返す。
「お迎えに上がりました。お待たせして申し訳ありません。白鳥警部補」
白鳥は一瞬目を丸くした後、授業参観に張り切る子供を思わせるような、はつらつとした声で叫んだ。
「はいっ。よろしくお願いしますっ」

 

 

「これは、スカイの地図ですよ。白鳥警部補」
黒羽は車の中で、地図の見方が解らないとぼやく白鳥に説明をしていた。

砂城のルールを教えてやってくれ。
桜庭から受けた命令だ。
これも仕事の内だった。

「スカイ…」
「一応勉強はなさったと思いますが、砂城は階層構造になっています。大きく分けて二つ。上界地区のスカイと、地下地区のアンダー。スカイはご存じでしょう」
「はい。東京ドリームパークと、砂城中央競馬場と、でっかいカジノがある。最近ドリームパークの隣にすごいゲーセンが出来たんですよね」
そんなものが出来たのか…。
黒羽はハンドルを切りながら、この新しい情報を頭の隅に入れる。
スカイに関しては、外の人間のほうが詳しいらしい。
現に白鳥は、助手席でぺらぺらとタウン情報誌をめくっていた。
だから、そんなものをどうしてすぐ出せるんだ?
半分あきれながら、黒羽は説明を続けた。
「ここはアンダーです。アンダーは外との交流はほとんど無い自立都市ですから、外の人間はあまりよくは知らないでしょう。砂城西署はアンダーの西地区担当です」

「知ってます。知ってますっ。砂城西部警察!」
「はあ?」
いきなり黒羽の解らない単語が飛び出した。
しかし白鳥は、その単語を周知のものとして振り回した。
「あれ、いいですよねえ。うん。警察ドラマの最高峰のひとつだと思うなあ。アレ見て刑事になりたいって思った奴、多いと思う。絶対」
「…ドラマ?」
「えっ、知らないんですか? マジで? 確かにもう終わっちゃったドラマだけど、いまだに再放送されてて人気高いんだから。黒羽航一が、こーんな風にショットガン構えて、撃っては振り回す」
バーン、と擬音つきで白鳥はアクションをしてみせた。
「くろはねこういち…」
「黒羽さんがモデルの刑事。ライアットショットガンが必殺武器なの。知らないんですか? 本当に?」
黒羽はぐらぐらした。
そんなドラマが本当にあるのだろうか?
「ああ、航一役の俳優も綺麗な人だけどさ、今一番人気だし。だけど、こうやってみると本物にはかなわないなあ。本物の黒羽さんのほうが、ずっとずっと綺麗だぁ」
白鳥はにこにこしながら黒羽の顔をじっと見つめた。
「砂城西部警察はさ、銃もショットガンもばんばん振り回して、カーアクションは派手だし。リアルドラマ派からは、あんなの現実的じゃ無いって、言われてるんだよね。だけど、違うでしょう? あれは、ここではリアルなんだ。そうでしょう?」

黒羽は、ちらりと白鳥のスーツに目を走らせる。
「銃は、支給されましたか? 白鳥警部補」
「はいっ」
ぱっと上着をめくると、ショルダーホルスターが見えた。
中には砂城警察標準仕様のニューナンブスペシャルが入っている。
スペシャルの名がつくのは、砂城風改造済み拳銃になっているからだが、一見して普通のニューナンブM60と見分けはつかない。

まだ白鳥には、スペシャルの意味はよく解らないだろう。
だが、砂城にいれば自然に知っていく筈だった。
ただし…。

そこまで考えて黒羽は首を振った。
先の事なんて考えたくはなかった。
今は、今の仕事に集中していたい。
黒羽は話題を変えた。
「警部補は、前はどこにいらっしゃったんですか?」
「あのー、やだなあ。その敬語やめてくださいよ。黒羽さんのほうが年上だし、先輩じゃないですか」
「階級は下です」
「ええっと、そうだけど…。だけど、オレ、この間まで巡査だったんですよ。ただの巡査。ところが、ここに来たいって希望を出した途端、交番勤務から呼び戻されて、一ヶ月の研修。研修が終わって配属が決まったら、いきなり警部補だって。なんなの、それ。2階級特進。死んだみたいじゃないですか。まるで」
黒羽は白鳥と視線を合わせずに言った。
「気になさることはないですよ。そういう決まりなんでしょう。砂城は色々と特殊だし」
「特殊。そうですよね。だってここ、本庁の刑事入ってこないんでしょう? 閉鎖都市だし。捜査は所轄だけでやるんですよね。ドラマみたいに。撃ち合いもやるんですよね」
「…ドラマみたいに?」
「そう! ドラマみたいに」
「撃ち合いをしたくて、ここに来たんですか?」
「え? あ、いや…、う…」
「結構」
黒羽は静かに言った。白鳥の顔が少しだけ明るくなる。

「白鳥警部補の仰るとおりです。ここは日本であって、日本ではない。許可制ではありますが、唯一銃の携帯が許されている都市です。
警察の武器使用は基本的に無制限。撃ち合いも当然あります。ここでは、確かに、それがリアルだ」

黒羽はぐいとハンドルを切った。
二人を乗せた車は、そのまままっすぐ目の前の大きな建物の中へと吸い込まれていく。
砂城西警察署。
白鳥は顔を引き締めて、ごくりとのどを鳴らした。
さすがに緊張しているのかと横目で見た瞬間、いきなり白鳥は前方を指さして叫んだ。
「あれっ! あのポスターって、もらえるんでしょうかっ?」
彼が指さした方向には、『交通安全取り締まり強化週間』のポスターが貼ってあった。
もちろん写真には制服の婦警と並んで黒羽の姿がある。
「…桜庭さんに、聞いてみてください…」
黒羽は、そう言うのがせいいっぱいだった。


白鳥は、これ以上できないくらい興奮していた。
何たって、隣に、あの黒羽 高がいるのだ。
ずっと考えていた。ここに来ることを。
あの時から、ずっと…。
白鳥は大きく息を吸う。
両親は泣いて止めたが、そんなこともどうでもよかった。
『だいたい、なんで泣くことがあるんだか、わかんねえや』
砂城は確かに閉鎖都市だが、出入りが厳しいだけで、帰れないわけではない。
でも、当分帰るつもりもないけど…。
隣に座る端正な顔を見上げてこっそりと思う。
ここに来るまでに、ずいぶんと待ったんだから。
配属が砂城西署だと聞いて、飛び上がりそうになった。
でも、課が違ったりしたら、会えないかもな、とも思っていた。
しかし、いきなりだ。
いきなり願いがかなった。
なんてラッキー。オレは運がいい。
しかも今は隣に座っている。
手を伸ばせば、あの綺麗な顔に届いちゃうんだぞ。
そう思っただけでわくわくした。
何を泣くことなんかあるだろう。
白鳥はポケットの中に折り畳んだポスターを、そっと撫でた。


 砂城西署は驚くくらい広くて綺麗だった。
スカイのカジノや競馬場の収益で、予算が潤沢に使えるという噂は本当のことらしい。
「ああ、白鳥香澄警部補、ようこそ砂城へ」
部屋に入ると、即座に桜庭が気がついて、書類の山から顔を上げた。
「はいっ、よろしくお願いしますっ」
「うん、明日からね。今日はよく見学していってください。外と色々違うから。私は桜庭裕美子。一応ここの主任です。白鳥警部補、砂城西署捜査一係強行特殊班へようこそ」
「はいっ」
白鳥は踵をあわせて敬礼をする。
「あのっ、桜庭警部補どの、質問があるんですけど」
「はい、なあに?」
白鳥は敬礼で一直線になった体を、ますますまっすぐにして叫んだ。

「駐車場にある黒羽さんのポスターをもらってもよろしいでしょうかっ?」

桜庭は目を丸くした。
黒羽は顔に手を当てる。
白鳥は期待に目をきらきらと輝かせて新しい上司を見つめた。
一瞬の後、桜庭は思いきり吹き出した。
「いいよ、いいとも。役得だよね。あの貼ってあるものは汚いから、広報課で余っている新しいヤツをいくらでも持っていって。いやあ、君とは趣味が合いそうだ」
桜庭はくすくす笑いながら、ばんばん白鳥の肩を叩いた。
黒羽は少し眉を寄せて二人を見る。
二人がなんの話をしているのか、さっぱり解らなかった。
白鳥は桜庭に何かこそこそ耳打ちをする。
すると、怪訝な顔をしている黒羽に、二人そろって同じ様な目線をちらりと投げて笑った。
黒羽は、どことなく居心地が悪くなった。
「ああ、そう、白鳥くんの正式着任は明日だから、後でもいいと思っていたんだけどね…」
ふいに桜庭はまじめな顔になって、なにかを思い出したように言いかけた。
その時だった。
部屋のスピーカーから緊急指令が流れ出した。

次へ

正義の味方「本編」INDEXへ