銀行の内部は煙で真っ白だった。
ああ、もう、こんなに白くすることないじゃん、と白鳥は思う。
ホルスターから拳銃を引き抜いて構える。
シャッターのこちら側は客はいないはずだ。
マニュアル通りなら、銀行員はみんな伏せている。
立っているのが強盗さ。
だけど…、白鳥は銃を握りしめて考えた。
これ、撃ってもいいんだよな。
警察学校で何度も射撃の訓練はした。
しかし、実際の勤務で銃を撃つ機会があまり無い事も知っていた。
だけど、ここは違う。違うはずだ。
黒羽高だって、そう言っていたじゃないか。
だけど、人に向けて引き金を引くのは初めてだぞ。
そう思うと、手のひらに汗が滲んできた。
その瞬間だった。
白煙を切り裂いて黒い塊が飛び込んでくる。
目を見開く白鳥の鼻先で、黒い塊は呻りをあげて右手の特殊警棒を振り下ろした。
たちまち男がひとり地に叩き伏せられて吹っ飛ぶ。
特殊警棒は、まるでそれ自体が生きものであるかのようにひらりと回転すると、次の獲物を求めて襲いかかった。
警棒は二人目の男の顔にヒットし、男は鼻血をまき散らしながら後ろへ倒れる。
ほんの十数秒で白鳥の足元に男が二人転がった。
「!」
顔を上げると白煙の中に銀のメガネが光った。
「黒羽さん!」
「なんであんたがここにいる?」
不愉快そうに黒羽は言い捨てたが、思い直したように白鳥の手を引っ張って自分の近くにつけた。
黒羽高と、ツーショット!
こんな時だというのに、白鳥の心は浮き立った。
これって、憧れのシーンじゃん。
黒羽の左手にはショットガンが握られている。
黒光りするそれは、まだ使われてはいないようだった。
「撃たないんですか? それ」
「撃つさ。視界が晴れたら。向こうだってそのつもりだろう。持ってるのはチープなサタディナイトスペシャルだが、撃つ気は満々だ。構えてきたら容赦するな。撃てるな? あんた」
「はい、もちろん」
黒羽高と、背中合わせだ。めちゃくちゃ嬉しい。
無意識なのか、いつのまにか彼の敬語が無くなっているのも、妙に嬉しかった。
あんたじゃなくて、香澄って呼んでくれたらもっといいけどな。
そんなことまで、つい思う。
でも、オレって、やっぱ運がいいぞ。
白い煙が空気の流れに沿って晴れていく。
黒羽の左手がゆるやかに上がった。
ついたての後ろで銃を構えている男の姿が目にはいる。
一瞬のためらいもなく、そのままの姿勢で黒羽は引き金を絞った。
轟音と共に、ショットガンシェルが、ついたてごと男の体を吹き飛ばす。
その威力に驚いたように目を丸くする白鳥を、黒羽は軽々とひっつかみ、椅子の影に隠れた。
「すぐに撃てって言っただろう」
「えっ? でも、えーと…」
ダメだ、と黒羽は思った。
自分の本来の仕事は逮捕。犯人を殺す事ではない。
だから視界がきかないうちに警棒で半分くらいはぶっ倒しておこうと思っていた。
しかし、いきなり白鳥警部補どのだ。
予定外の客、一名追加。
明日が正式着任の彼は、今は民間人とたいして変わらない。
彼も守って戦わなくてはならないだろう。
黒羽は左手のソウドオフショットガンを見おろした。
正義の味方の銃じゃない。
その通り。
黒羽は白鳥にちらりと視線を投げる。
それでもこれはあんたを守るだろう。
何人かの命はこれに奪われるかもしれないが。
もう一人死んだ。
見なくても解る。
男の頭蓋は吹っ飛んでいるだろう。
そんな風に撃ったのだから。
あと何人死んでも、銀行強盗を阻止する。
それが仕事だ。
黒羽は椅子の後ろから飛び出した。
正義の味方の銃じゃない。
いきなり白鳥はそう言ったのだった。
緊急指令と共に飛び出した黒羽がショットガンを取り出すと、白鳥は目を丸くした。
「何、それ、なんです?」
「なんです?」
何を言っているのか判らない。
とにかく出動しなくてはならないのだ。
「だって、それ、ライアットショットガンじゃないじゃない」
「そうですが?」
それが何か? 白鳥が何にこだわっているのか、黒羽にはさっぱり解らなかった。
彼の言うとおり、黒羽の持っているそれはショットガン、と言われて一般に連想される形はしていない。
それでも、別に珍しいものでもない。
銃身長28センチ。
通常45センチ以上あるショットガンの銃身を短く切りつめた形。
ソウドオフと呼ばれるタイプだ。
反動を軽減するためと取り回しの利便性を考慮して、ストックの代わりにピストルグリップが取り付けてある。
「だって、それ、正義の味方の銃じゃ無い!」
「はあ?」
黒羽は不覚にも口を開いたまま一瞬立ち止まった。
「正義の味方…って、なんです?」
「警察は、正義の味方でしょう? オレはそう思うな。正義の味方になりたくて、オレは警察に入ったんだもん。でしょう? 違いますか? 警察は正義の味方ですよね。黒羽さんは、そう思いません?」
そう思いません? と正面切ってきかれると非常に答えにくい質問だった。
ドラマの見すぎだ、とも思うが、警察が正義の側にいないと言うのは、それはそれで問題だ。
正義のなんたるかは、よく解らないが、まあ、悪の味方でないのは確かだろう。
それにしても、『正義の味方』なんて言葉を堂々と言い切れるなんて、それはそれで度胸があるといえるかもしれない。
「まあ、それはそうでしょうが…」
「そうですよねっ、黒羽さんも、やっぱり警察は正義の味方だって思うんでしょう?」
「だから、それが何か僕の銃と関係が?」
「ショットガンと言ったら、ポリス用ライアットです! アメリカンポリスが使ってるヤツ」
いきなり白鳥は腰だめで架空のガンを構え、ポンプアクションをして見せた。
マニアか? こいつ。
「ソウドオフは凶銃です。犯罪者が使う銃だ。正義の味方の銃じゃない」
黒羽は黙って手の中のショットガンを白鳥に渡した。
いきなり持たされた銃に、一瞬白鳥がぐらつく。
「…うわ、重い。これ…」
「正義の味方は形でやりますか?」
黒羽は白鳥の瞳をまっすぐに見据える。
「あなたは砂城を知らない。それは片手で送弾・排莢ができるようにカスタマイズされています。右手を常に開けておくためです。だから、重い」
言い終わると黒羽は、白鳥が両手で抱えるそれを、片手で軽々と取り戻した。
「左で撃って、右で守ります。これは、そう使う」
白鳥の瞳が更に丸くなり、それから彼はいきなり顔を赤くして大きな声で言った。
「そうだよな、そうですよね。その銃で今まで正義の味方をやってきたんだもん。銃の形に善も悪もないよな。要は、それを使ってるのが黒羽さんだっていうことだよね。黒羽さんが使うなら、それは正義の味方の銃だよな」
正義の味方を連発するな、と思ったが、白鳥が隣で呟く言葉に、一瞬体が固くなった。
「だけど、ずっとその銃だったっけ…? あれぇ、変だなあ」
こいつは一体何を知っているのか。
さっきの言葉に嘘はない。
この銃はそう使う。
だが、言っていない言葉もある。
これが、何のために、どういう理由で造られた銃か。
それは、できるなら墓場まで持っていきたい、自分の中の闇だった。
まあ、いいや、と呟く白鳥を横目で見ながら車に乗り込む。
当然のように隣に白鳥が乗り込んできた。
そう、今日の自分の仕事のひとつは、彼への接待なのだ。
それはまだ続いている。
一緒に見学について来るか、と白鳥に勧めた桜庭を黒羽は少し恨んだ。
どうも白鳥といると、自分のペースを乱されるようだった。
これも接待の続きか、と思いながら黒羽はショットガンを4人目に向けた。
ここまで見学に来ていいと言ったわけではないのに、白鳥は今まぬけな顔をして椅子の後ろから自分を見ている。
2人倒して、1人撃った。
この4人目が銃を下ろして両手をあげてくれるなら、トリガーは引かなくてすむ。
だが、4人目は予想外の動きをした。
白鳥のいる椅子に向かって突進したのだ。
一瞬の出来事だった。
状況が把握できているのかいないのか、白鳥はぽかんと突っ立っている。
バカ、撃て。
黒羽が引き金を引くのを躊躇した隙をのがさず、4人目は白鳥をつかまえて手の中の銃をたたき落とし、彼の頭に銃を突きつけた。
黒羽の動きが、止まった。
げっやばい、と頭に冷たい銃口を感じながら白鳥は思った。
なんか、オレすっげーまぬけじゃん。
まさか黒羽さんに見とれててぼけてました、なんて誰にも言えない。
目の端に、黒羽が目を細めてショットガンを突きだしている姿が写る。
こんな時でもかっこいい…。
そんなバカな感想を頭に浮かべながら、それでも白鳥は行動を起こした。
銃は取り上げなくてもいい。
とにかく一瞬でも銃口をそらせることができれば。
「おい、あんた!」
耳元で大声で叫んでやった。
緊張していたらしい男の手がびくりと震える。
それをのがさず白鳥は掌底で男の顎を突き上げた。
ふいにこれを食らわせると、自分よりずっと大きい男でも簡単に転ぶことを、経験で白鳥は知っていた。
やったね、まぬけ一本取り返し。
勢いをつけて黒羽のほうを振り向いて、白鳥はギョッとする。
事もあろうに黒羽はショットガンの引き金を引こうとしていた。
「ちょっと待っ…、散弾なんか撃ったら…」
オレも一緒に蜂の巣じゃん。
言い終わるまもなくトリガーは引き絞られていた。
轟音と共に目を瞑ったが、予想していた散弾の粒が体にめり込む痛みは襲ってこなかった。
おそるおそる目を開けると、男は腕を撃たれて足元に転がり、自分は傷一つおってはいない。
「…あれ?」
「どんな時にも目を瞑るな」
黒羽が大股で近づいてくる。
「あれ?」
彼は不愉快そうに床に転がった銃を拾って、白鳥に手渡した。
「さっきのはこっちで撃ったんだ」
空いているとばかり思っていた黒羽の右手に、魔法のように小型のリボルバーが握られている。
「あ、あ、そう…」
どっからいつ出したんだよ、それ。つーか、だったらショットガンなんか向けるなよぉ。一瞬マジに犯人ごと撃ち殺されるかと思ったよぉ。
白鳥は思いきり息を吐き出した。
その時、目の端に裏口から逃げようとしている人影が映った。
「あっ、あれっ」
白鳥の言葉に黒羽が素早く振り向く。
まるで条件反射のように左腕が上がった。
「あっ、ちょっと、だめだよっ、黒羽さん」
白鳥は無意識にその左腕をつかんで止める。
「何?」
「逃げる相手を背中から撃ったらだめだ。それは正義の味方じゃないよ」
「白鳥警部補、あなたね…」
止まれ、止まらんと撃つぞ、とか言わせたいのか、こいつ。
そんなことを思いながら、白鳥の顔を見おろした瞬間だった。
白鳥の瞳が大きく見開かれる。
それから、ニューナンブスペシャルを握った右手が上げられ、グリップに左手が添えられた。
左で右手親指を押さえ込む。
教本通りの射撃姿勢。
そして、彼の指は引き金を絞った。
ショットガンに比べると、はるかに軽い破裂音。
しかし、その一発で逃げようとしていた男の体は床に沈んだ。
「白鳥警部補?」
「あ、あ…、あいつが、振り返って撃とうとしたから…。だから、オレ…」
逃げようとしていた男は、黒羽が止められたのを隙と見て、振り返って反撃しようとしていたのだった。
「あ…、オレ、初めて人を」
黒羽は素早く倒れている男のそばにひざまずき、首筋に指を当てた。
「大丈夫、生きてますよ。ショックでぶっ倒れたんだ」
「え…、え? ホント?」
黒羽は、それには答えず、立ち上がって辺りを見回した。
白煙はすっかり晴れ、銀行内部は惨憺たる有様だった。
新しいカウンターと壁には、ショットガンの散弾の後がぶつぶつと残り、ついたてもガラスも粉々に砕けている。
床には何人もの男が転がって呻いていた。
「一人、逃がした」
「なんだって?」
柱の影から一緒に飛び込んだ同僚の刑事が顔を出して言った。
「こっちは3人捉えた」
「?」
黒羽は首を傾げる。
「僕と彼で5人倒したぞ、高田さん。犯人は8人じゃなかったのか?」
彼ってのはオレの事だよな、と嬉しそうに呟く白鳥を無視して、黒羽は床に転がった男の数を数え始めた。
「8人だ。間違いない」
「だけど、逃げたんだよ。変だな」
「誰だ、それは。9人目がいたのか?」
「知らないって。いたとしたら、座敷わらしかも、そいつ。オレもぼけたかな」
高田と呼ばれた男は大声で笑い出した。
しかし、黒羽は顔をしかめたままだった。
9人目? 座敷わらしだって?
もしいたのなら…。
人の体温を感知する装置を科捜研が持ってきた、と桜庭は言っていた筈だった。
もちろん装置は絶対ではないだろう。しかし…。
もしいたとしたら、そいつには体温が無い、という事になる。
黒羽の頭の中を冷たい風が吹き抜けた。
白鳥はじっと自分の手を見つめていた。
初めて人に向かって引き金を引いた。それは、はっきり言ってとても嫌な感触だった。
それでも、引かなければならなかった。男は黒羽の背中を確かに狙っていたのだから。
両手で銃を握り、黒羽を守った。
その事は嬉しい。嬉しいけど、でも…。
後悔なんかしないが、それでもあの犯人が生きててよかった、と思う。
犯人を引きずり出した後の銀行前は大騒ぎだった。
警官の壁を突き破るようにして、マスコミが写真を撮ろうと押し寄せてくる
白鳥は脇からぐいと手を取られ、警官達の群に引き込まれた。
「まずいでしょ、明日から正式着任のあなたが中にいたら」
後で桜庭にそう言われた。
まあ、確かにその通り。
見学と言われたのに、勝手に突っ込んでいった自分が全面的に悪い。
しかし、意外なことに桜庭はホッとしたように息を吐き、それ以上白鳥を叱責することはしなかった。
絶対めちゃくちゃ怒られる、と思っていた白鳥は、なんだか拍子抜けした。
報告やら、後かたづけやらで署内はばたばたし、白鳥は一人取り残されて呆然と時間を過ごすことになってしまった。
…ええと、まあ、オレ今日はまだ部外者だからなぁ。
ぼりぼりと頭をかく。
どうしていいのか解らない。
自分にあてがわれているはずの独身寮の場所は、もう知っていた。
帰ってもいいんだろうけど…。
それでも、挨拶のひとつでも、そう思って署内をあてもなく歩き始めた時だった。
廊下の奥の部屋から声が聞こえることに気がついた。
黒羽さんの声じゃん。
ぼそぼそと、内容はよく聞き取れないが、確かに黒羽の声だった。
帰る前に、もう一度あの綺麗な顔を見られるなんて、ラッキーだ。
話が一段落したら、頃合いを見て中に入り、挨拶して帰ろう。
そんなことを思い、なんとなくうきうきしながら、白鳥は部屋の前まで歩いていった。
「僕があのお客様と、コンビを組むんですか?」
突然大きな声が白鳥の耳を貫いた。
どうやら和やかに談笑しているわけではないようだ。
思わず白鳥は耳をそばだてる。
黒羽と話をしているのは、桜庭だった。
「そうだよ。最初に言おうと思っていたのに、つい忘れちゃってね。だから君に迎えに行ってもらったの。まあ、明日でもいいかなーとも思ったけど…」
「大声を出して、失礼しました。しかし、なんで僕なんです」
「黒羽くん、パートナーいないじゃない」
黒羽は一瞬言葉に詰まる。
「ここがパートナー制をとっていることは、もちろん解ってるよね。今まであなただから大目に見られていたの。でもいつまでも、という訳にはいかない。その為の補充要員なんだよ、あの白鳥くんは」
げっ。
ドアの外で白鳥は息を呑んだ。
オレの話?
「今まで通り、臨時にあなたとか、他の誰かがパートナーじゃだめなんですか? 桜庭さん」
「だめだよ。だって私主任になっちゃったんだもん。臨時に他の誰かなんて、そうそういないし。それに、白鳥くんはねぇ。今日見てて解ったでしょう? ちょっとばかり難物だよ」
「お客様に、そんなに早くいなくなられては困る、と言うことですか?」
「うん、黒羽くんが、一番適任かなあって」
「お守りですか」
「あー…、いやー、そこまでは言ってないよ。だけど」
「だけど、お客様は、お客様でしょう? 所詮は外から来た人間だ」
それを耳にした瞬間、白鳥はドアノブを思いきり引いていた。
話を中断された2人は、部屋の中で驚いたようにこちらを見つめる。
無言で白鳥は、つかつかと黒羽に近づくと、いきなりその胸ぐらをつかんだ。
「白鳥くん!」
桜庭の制止を無視して、白鳥は怒鳴った。
「おまえ! なんだよそれ。お客様って、何? どういう意味だよ、それは」
黒羽は口を結んだまま、何も言わなかった。
「なんか知らんけど、オレの事バカにしてるだろ。オレだって警察官だぞ。同僚じゃん。お客様なんて呼ぶなよ」
「…今日のあなたは、まだここの人間じゃない」
「あっ、そう。だけど、明日になってもあんたはオレの事そう思うつもりはないんだろ? お客様って、そういう意味だろ? 答えろよ」
白鳥の手は、怒りで握りしめられ、真っ白になっていた。
「オレはさ、あんたにお礼を言おうと思っていたんだ。今日銀行に飛び込んだのは、確かにオレの間違った独断だった。だけど、フォローしてくれたんだろ? オレ、ドジっちゃったし。だけど、それは同じ警察官としてフォローしてくれたわけじゃないんだ。オレをお客様として警護したんだ。違うか?」
黒羽の顔からは、表情らしい物が綺麗に拭い去られていた。
やがて小さく口を開いて答える。
「その通りです。警部補どの」
その言葉を言い終わらないうちに、白鳥の鋭い一発がとんできた。
風を切って、拳が黒羽の顔に綺麗にヒットする。
黒羽はまったくよけずにそれを受け止めた。
「バカにすんな、畜生! その敬語もやめろ!」
桜庭さん! 振り返って白鳥は叫んだ。
桜庭はほんの少し体を硬くする。
「桜庭さんが怒らなかったのは、何故です? それも、オレをお客さんだと思っていたからですか? だから、怒らなかったんですか?」
えーと…。桜庭は口ごもると、ばつが悪そうに肩をすくめた。
「あなたが、死ぬと思っていたからだ」
答えは桜庭ではなく、黒羽の口から帰ってきた。
白鳥が振り返ると、殴られたことなどまったく意に介していないかのように、平然とした表情の黒羽がそこにいた。
感情の見えない静かな声で彼は続ける。
「敬語をやめて欲しいと思うのでしたら、きっちり僕のパートナーになってください。条件は、半年間生きていること。難しくはない。今日は死ななかった。明日も死なないでいればいい。それを半年間続ければいいだけです」
「何、それ、それもバカにしてるの…」
「バカにしてるんじゃない。最低条件だと言っているんだ。今日だってあなたは死にかけた。3回だ。
最初に飛び込んだとき。銃を突きつけられたとき。そして僕の邪魔をしたとき。
これは真面目な話なんだ」
黒羽の静かな迫力におされて、白鳥は一瞬言葉を失う。
その隙をのがさず、素早く桜庭が口を挟んだ。
「ええとね、とにかく、そういうわけだから。白鳥くんと黒羽くんは、パートナーになってもらいます。明日っからね。よろしくね。それと、ええとー、白鳥くん?」
「はい?」
虚をつかれた白鳥は、思わず呆けた返事を返した。
「あのね、だいぶ遅くなっちゃったんだけど、仕事一段落ついたから。この後、予定ある?」
「別に、無いですが…」
急に変えられた話題に、白鳥はついていけずに眉をひそめた。
「ああ、そう。じゃあ、申し訳ないんだけど、署内で君の歓迎会をやろうと思うのよ。どこかの店がとれなくて、ゴメンね。そういうのは、後日きちんと、と言うことで。一応軽く顔合わせのつもりで、この後会議室で、どう?」
「はあ…」
じゃあ、30分位したら、来てね。例のものも、持っているなら忘れずに。そんな事を妙に陽気に言うと、桜庭はさっさと部屋を出ていってしまった。
ドアがばたんと鳴る。
白鳥は呆然と閉まったドアを見つめた。
上手いこと逃げられた、らしい。
振り返ると、憎らしいくらい平然とした顔の黒羽が、こちらを見ていた。
白鳥の怒りはもう一度燃え上がる。
「黒羽さん、いい?」
「なんですか?」
メガネを指の先で持ち上げる。
冷ややかな空気をまとった、綺麗な動作だった。
思わず見とれそうになる自分が情けない。
「あんたが何を考えてたって、オレの事、お客様だと思ってたって、それでもあの時計が」
部屋の隅にかかっている時計をまっすぐ指さす。
「あの時計が12時を過ぎたら、オレはあんたのパートナーだからな。もう、あんたが嫌だって言ったって、そう決まっちゃったんなら、そうなんだ。いいか、覚えとけよ」
何が覚えとけなんだか、よく解らない。
啖呵の切り方がめちゃくちゃだ。
黒羽は何も答えない。
白鳥は怒りにまかせてドアを叩きつけるように閉めると、廊下に飛び出した。
あのスカした顔を見ていると、もう一度手が出てしまいそうだった。
畜生!
悔しい、と思う。
否定できない。それがくやしい。
自分は守ってもらったのだ。
確かに、あの時、お客様のように、オレは守ってもらってたんだ。
何がツーショットだ。
黒羽 高がオレを引き寄せたのは、単純にオレを守るためだったんだ。
知ってる。そんなこと解ってる。
黒羽 高は、オレの事なんか知らない。
オレが彼の近くに、どんなに来たかったかという事なんて、あいつは知らない。
「ああ、もう!」
憎たらしいことに、勝手ににじみ出てきた涙を、白鳥はぐいと拭った。
「ああ、もう、悔しい。あの野郎、オレの右ストレートを食らって体ぐらつかせもしないんだぞ、畜生」
もうちょっとあいつの顔が下にあったらな。
そしたらもっと腰の入ったパンチ食らわせてやれたのに。
そこまで考えて、白鳥はいきなり顔をにやつかせた。
「見てろよ、あいつ、絶対泣かす」
何かを思いついたらしい白鳥は、歓迎会があるはずの会議室に向かって走り始めた。
夜はアンダーにも平等に来る。
もっともアンダーは地下にあったのだが。
それでも人工の空は暗くなって星が瞬いた。
人間は、無駄なものが見たいのだ、と思う。地上ではこれほどの星は見えないことだろう。
もっとも黒羽が知っている地上はスカイの事で、彼はこの砂城から数えるほどしか出たことはなかった。
しかも、いつも連れが一緒だった。