incident11−2


最初は何かの勘違いだと思ったらしい。
解剖が終わった遺体は、見た目を綺麗に整えられて、遺族に引き渡される。
しかし中には、身元不明で引き取り手がない遺体も存在し、そういった遺体は通常、行旅死亡人として市の方で埋火葬される。
だが珍しい病巣や死因、特徴がある遺体だった場合、研究材料として臓器や細胞が取り出され、これからの資料として保存される事もあった。
その遺体は、そういったものの一つだったらしい。
だが、臓器を採取保存する前に、何故か遺体が無くなってしまったというのだ。

最初は、引き取り手が現れて遺体を持ち帰ったのかと思ったという。
そうでなければ連絡ミスがあって、臓器を採取する前に火葬にまわされてしまったのか。
どちらにしろ、まったく怪現象などではなく、何かの連絡ミス、そうでなければ不注意によって引き起こされた、困ったこととして扱われた。
あちこち不自然な部分はもちろんあったのだが、身元不明の遺体だったということが、調査を甘くした。
それ一件だったら、管理防犯に関しての厳重注意が職員になされ、それでお終いになっていたことだろう。
しかしそれは、しばらくして再び起きた。
今度は遺体そのものではなく、取り出された臓器の標本だったという。
しかも無くなったのは中身だけ。外側の容器はそのまま残されていた。

この辺りから、話が妖しくなってくる。
容器ごと無くなったのなら、間違えて廃棄してしまったとか、窃盗の疑いも視野に入れるところだが、無くなったのは中身の臓器だけなのだ。
しかも、容器を開けた形跡がない。
もっとも、開けた形跡が完全にないかどうか、きっちり調べたかどうかは怪しいので、この辺りの怪談めいた部分は、話の尾ひれかもしれなかった。

「それが最近のことだそうで。職員にも疑いがかかってね。でも学生じゃあるまいし、標本にイタズラはしないでしょう? じゃあ何か目的があっての、廃棄及び窃盗なのか、というわけで、一時は騒ぎになったらしいんです」
「それで、結局どうなったんですか?」
最初はコウが熱心に聞くならと、適当に相づちを打っていた白鳥だったが、だんだん面白くなってきたらしい。身体が前に乗り出している。
「結局、未解決です」
「ええっ、そうなの? そこで探偵が現れて謎解きをするんじゃないの?」
「白鳥さん、ミステリの読みすぎ。だいたい謎が解かれたら、噂になんかなってないんですよ」
「ああ、まあそうか」
「友人も色々調べられたらしくて、不満を漏らしてました。でも結局解らないんです。容器の蓋がどうとか、というれ言は置いといて、中身を捨てるくらいなら、そこに勤めている人間なら誰にでも出来そうですし。でもそんなものを捨てる理由が思いつかない」
「誰にも動機がないと」

「無いんです。じゃあ誰かが外から来てイタズラしていったのか。でもそれも確かめきれない。一応防犯設備は整えてあったらしいですが、死体しかないようなところに忍び込む人間もそうそういないので、厳重に、というわけではなかったようです」
「本気で忍び込もうと思ったら、忍び込めたわけだ」
堂本はもっともらしく頷く。
「でもさ、死体しかないって言うけど、監察医務施設って薬とかもあるんでしょ? 毒薬とか劇薬とか。そういうものを盗みたい人はいるんじゃないの?」
「いるかもしれませんが、白鳥さん。今回無くなったのは薬じゃなくて標本なんです」
「…あ、そっか。じゃあその臓器自体が何かの薬、もしくは特別なものだった…なーんてことは…無いよね?」
適当な推理を言ってはみたが、だんだん声が小さくなっていく。
堂本は咳払いして答えた。
「まあ、その辺りは詳しく聞いてないですけど。でも標本にするくらいですから、そこそこ何か特徴のあった臓器だったんでしょう。でもねえ。黒魔術じゃあるまいし、薬とかはないんじゃないかな」
「そうですよねえ…」
白鳥は、うーんと唸った。
「特別なものだったとしても、中身だけって変じゃありませんか?」
「それもそうっすよねえ…」

「というわけで、未解決のまま今に至るわけですけど、そのうち施設内で怪談が広まっちゃったわけです。大事件というわけでもなく、微妙に不可解な事件ですから、噂話にはピッタリ。
普段は霊だの死後の世界だの、そんな話はほとんど出ないんですけど。
気分だけはつじつま合わせをしたい、という感情がどこかにあるのかもしれませんね」
「どんな話が?」
「そりゃもう定番で。霊の未練とか、死者からのメッセージとか、何かの祟りとか…」

「噂話は最近も流れているとしても、その事件は、今から一年近く前の事ではありませんか?」
黙って聞いていた黒羽が、フッと口をはさんだ。
堂本は思い出そうと考え込む。
「そうだったかなあ…。ああ、そうだったかも。ちょうどあれですよ、白鳥さんが来たばっかりの頃ですよ」
「えっ、ホント?」
「銀行襲撃事件があったでしょ。だから覚えてます」


「でも臓器はその犯人のものじゃない」


白鳥はギョッとして黒羽を見上げた。
言っていることが具体的すぎる。
何か思いあたることでもあるのだろうか。
だが黒羽はそれ以上は語らず、ただ眼を細めて中空を見つめた。

「どうも、ありがとうございました。興味深い話が聞けました」
「あ、お帰りですか?」
突然の言葉にも、堂本は慣れた風に頷いた。
「えっ、コウ、帰るの?」
「似たような話があったら、また教えてください」
黒羽は堂本にそう言って、頭を下げた。

 

 

本当に自分が聞きたいとこだけ聞いて帰るんだな、と白鳥は思いながら、黒羽の背中を追いかけた。
何か考え事をしている時の、黒羽の足は速い。
白鳥は舌打ちしながら、小走りになった。
「なあ、コウ。どうしたんだ? 何か思いあたることでもあるの?」
黒羽は振り向きもせずにただ答えた。

「香澄、銀行強盗の9人目を覚えているか?」
「えっ? 9人目って。あっ、ああ! あれか。ええと、オレ達が追っかけた奴だよね。縦穴で、その…コウが銃を突きつけた男だろう?」
そこで白鳥は口をつぐむ。
黒羽が銃をこめかみに突きつけた時、男は確かに生きていた。いや、生きているように見えた。
だが次に鑑識が来た時、男は死んでいた。しかもかなり前に死んだように、その死体は見えた。
「ええと……」
「香澄、地下室で香澄が撃った男のことは覚えているか?」
「ああ」

こっちも忘れられない。
地下室で初めてジャンクに襲われた時のことだから。
白鳥はジャンクと間違えて男を撃ってしまったのだ。
しかし男はどこかが変だった。
体温がおそろしく低く、まるで死体のようだった。
いや、彼は死体だと、自分はその時そう思った筈だ。
体温の無い男。死んだ身体。リビングデッド。
あの時は、何もかも初めての経験で、事態もあまりにも異常だったから、感覚が麻痺していた様な気がする。
更に疲労と怪我のための失血で、意識がなんとなくぼんやりしていたのは間違いない。
でも覚えている。
目の前で黒羽が男を撃ち、男は溶け崩れて消えた。
まるでジャンクのように……。

「多分、消えた臓器は、あの時の9人目の男だ」
「…コウ」
「香澄の言うとおりだ。臓器自体が最初から特別なものだったんだ」

黒羽は何故か足元を睨みつけ、それから白鳥のほうを振り返った。
彼の瞳の中には、奇妙な光が宿っていた。


「臓器は取り出されたんじゃない。ただ溶けて消えたんだ」

 

 

海里は、砂城中央図書館に来ていた。
色々考えた結果、何か調べ物をするにはここが一番だと思ったからだ。
「パソコンもあるしな」
最初は松本の事務所にあるパソコンを使わせてもらうつもりだった。
しかし

『おっちゃん、ネットさせて』
『エロサイト見るなら、終わった後は履歴を消していってね。後で梨々花ちゃんが使うとき、色々うるさいから』
『オレがネットするって言ったら、即座にエロかよ!』
『年頃の男の子が、他にどんなサイトを見るつもり?』
『し…調べもの…いや、なんでもねえ。いいや別に』
『え〜っ、僕は女の子に興味ないから、後ろから覗いたりしないのに』

松本が何故か名残惜しそうに何か言うのを振り切って、海里は事務所から出てきた。
別に覗かれるからやめたのではない。
確かに例のことを調べているとバレたら、おっちゃんはいい顔はしないだろう。
深入りしすぎると、どこかヤバイとおっちゃんも感じているらしい。
だがオレが心配したのは、個人のパソコンからどこかに接続して調べものをした場合、場所が特定されてしまわないかという事だった。
もちろん通常だったら、個人まで特定はされないだろう。
だが警察が関わっている。
おおっぴらではないにしても、国家権力が絡んでくれば、個人情報なんてスケスケだ。
おっちゃんの事務所のパソコンで、危ない綱渡りはしたくなかった。

そうすると、あとは不特定多数の人が利用するパソコンだ。
インターネットカフェやまんが喫茶。それと図書館などの公共施設。
もちろん公共施設はタダなので、海里は迷うことなく図書館を選択した。
「ここだと新聞の縮刷版もあるしな」
と呟いてみたが、何からどう調べたらいいのか、まだはっきりと形になっていなかった。

最初はもちろん例の事件から調べた。
『連続爆破事件』
これは犠牲者が多かったせいか、たくさんの記事になっていた。
新聞では「爆破犯人」週刊誌などではもう少しセンセーショナルに「爆弾魔ボンバー」などとあだ名されていた。
もっとも記事は犯人が送検された瞬間から、嘘のように少なくなっていく。
結局、死んで捕まったという辺りで興味を削がれたのだろうが、警察が自分に対して行ったことを考えると、何らかの裏取引が行われたのではないか?
などという疑惑も生じた。
そうはいっても、自分には追跡しようもない裏取引の有無を、ぐだぐだ考えていても仕方ない。
とりあえず雑然と、集められるだけでも情報を詰め込もうと海里は思った。

少ない情報量だけで推理なんかすると、とんでもない方向にいっちゃったりするからな。
関連記事を、ネットや新聞の縮刷版、週刊誌のバックナンバーを積みあげて、機械的に調べて回る。



犠牲死亡者の名前を見た瞬間、海里は申し訳ない気分に襲われた。
自分は本当に運がよかったのだと思う。
ほんの少しビデオレンタル店を出るのが遅かったら。
盾になってくれたネオン看板が無かったら。
黒羽さんがあの場にいなかったら。
ぞっとする。
何もかもがほんの少しずれていたら、間違いなくこの中に自分の名前も並んでいたことだろう。

もちろん決して口には出来ないけれど、自分も被害者の一人だ。
申し訳なく思うというのも、どこか変かもしれない。
しかし、これらの記事に、自分は一切書かれていない。
書かれていないどころか、自分はいないことになっている。
生き残ったことではなく、ここに書かれていないことが、海里の気持ちを重くしていた。
自分は嘘をついたのだ。
関係ないという顔をして、代わりに足を受け取ったのだ。
自分で選んだ取り引きだし、もし過去に戻れて再び選べと言われたら、その時もやはり、足を選択するだろう。
だからせめて、この事件に触れていたい。
完全に関係ないという顔をして、知らんぷりをしていたくない。

少しでも事件に触れている記事や情報に当たったら、とりあえず片っ端から持参のフロッピーにコピーしておくことにする。
これをネットにつながない状態で調べるなら、別におっちゃんのところのパソコンでも大丈夫だろう。
文字記録は付箋をはさんで、後でコピーしよう。
図書館のコピー機も金が必要なはずなので、財布の中身が少々心配だが、昼飯を一回抜けば、まあイケるだろう。

多少低俗傾向がある週刊誌には、爆弾犯人の生い立ちやエピソードが、興味半分に書きたてられていた。
犯人は兄弟二人。
記事には、彼らの家庭環境は少年期から崩壊していたとか、児童虐待とか、そんな単語がずらずらと並んでいた。
悲惨だが、ありふれている犯罪者の過去。
こんな事を暴き立てて何の役に立つのだろうと、いつも海里は思っていた。
しかし今回は、少なくとも彼らの名前くらいは解る、という意味において役には立った。

そうやって次々と事件に関しての記事を追いかけていったが、やがてどれも似たり寄ったりだということに気がついてきた。
事件の背景が解ってきたのは収穫だったが、でもそれ以上の、たとえば事件に関わった人間だけがピンとくるような『何か』はない。
「まあそりゃそうか。大事な事が発表されないように、オレの口も塞いだんだろうしな」
考えてみたら推理小説を読んでも、犯人をまともに当てたことはない。
その程度の才能で、ピンと来るも何もないもんだ。
海里はふうっとため息をついた。
「ま、家に帰ってちゃんと記事を読み返してみたら、何か発見があるかもしれないから、とりあえず続けるか」

その時、ふっとまったく違う方向の光が、海里の脳裏に射してきた。
これらの記事に、ピンと来ないのは何故だろう。
それは、あの時自分が男に感じた『違和感』が感じられないからだ。
あの違和感に関しては自分は軽く説明したはずだが、警察は何も言わなかった。
しかもそれは、わざと黙っていたという訳ではなく、事件と関係ない事だから聞き流した、そんな感じに思えた。
そうなんだろうか。
あの違和感は関係ないのか。
警察が封じたかった情報がなんなのかは解らないが、あれだけ自分には印象的だった事が、どうでもいいなんてあるだろうか。
もしかしたらその辺りが、事件に食い込める『隙』なのかもしれない。

もちろん単なる勘だった。
しかし正攻法でどうにもならないなら、バカバカしい勘に従ったっていいじゃないか、と思う。

『違和感』
それは入り口でぶつかった男、つまり犯人の弟の方の身体が、異常に冷たかったことだ。
海里は寝不足でふらつき、男の身体に寄りかかる形になってしまった。
その時触れた皮膚の冷たさ。
死人を触ったことはまだ無いが、あんな感じなんじゃないだろうかと思わせる、ぞっとするような冷たさ。
「目も…なんだか死人みたいだったよな」
頭の中に一つの単語が浮かぶ。

『ゾンビ』

それは化け物の名前だ。しかし、元は人間だった化け物だ。
オレはあの時、ヤツはヤバイ薬でもキメてたんじゃないかと思った。
そうでもなければ何かの病気とか…。
薬でキレた奴が変なことをしたり、病気で自暴自棄になってプッツンしてしまう。
その状況は、自分にも想像しやすい。
しかし薬のことも病気のことも、もちろんどの新聞にも週刊誌にも、ニュースサイトにも書いていない。
あんなに変だったのに、どこもそれを追求していないというのは、何だかおかしくはないだろうか。
もっとも自分がそう考えるのは、あの男の身体に直接触れているからだ。
あの冷たさ、異様な雰囲気を知らなかったら、マスコミが書きたてたことに、オレは素直に納得していただろう。



「ゾンビか…。ちょっと調べてみるか」
海里は再び検索を開始する。
ゾンビのキーワードには、たちまち大量のサイトが引っかかってきた。
映画、フィギュア、ゲーム…。
ありとあらゆる娯楽メディアに、ゾンビは出演中らしい。
「ダメだ。もっと絞り込まなきゃ。じゃあそうだな、最初に考えた通り、ゾンビみたいになってしまう薬とか…」

『ゾンビ、薬』『ゾンビ、麻薬』更に『ゾンビ 病気』で検索をかけてみるが、どうも芳しくない。
「ゾンビって単語がいけないのかもしれねいよな。えーと、…じゃあ」
冷たい身体。体温のない男。生き返る死体。リビングデッド。
海里は思いつく限りの単語をぶち込んで検索をかけてみた。

やがて海里の目に、ふっと一つのサイトが飛び込んできた。
掲示板がメインの、噂話のサイトらしい。
クリックするとスレッド形式の掲示板になっており、そこには膨大な数の噂話らしきタイトルが並んでいた。
そこにあったタイトルの一つに、海里の視線は吸い寄せられた。

『親友が生き返ってきました。でもどこかが違う』

ゾンビ系列の噂話なら他にもたくさんあったが、海里が気になったのは『どこかが違う』という言葉だった。
そう、自分が感じた違和感も、『どこかが違う』だ。
映画やゲームのゾンビのように、腐っていたり崩れていたり、完全に見た目が違うとかそういうものではない。
まさしく『違和感』だ。
電車で隣の席に座っている奴が、ずっと眠っていると思い込んでいた間に、感じていた奇妙な違和感。
自分に寄りかかって寝ている存在が死体だと解れば、ギョッとして飛び退る事もしようが、どうも変だが寝ているのだろうと思っているうちは、それの重みを肩に感じ続けている。
そんな、なんとも気色の悪い状態。

海里はそのタイトルをクリックしてみた。
書き込みは思ったより多かった。
書き込みがしばらく止まると、スレッドを立てたらしい人間が、時々書き込みをして、また新たな情報を募っていく。
そんな感じで、だらだらと続いているようだった。

最初の辺りの書き込みは、定番臭い、もしくはどこかのゲームか怪奇系サイトから拾ってきたような話が並んでいた。
しかし新しくなって行くにつれて、そういう類は消えていく。
スレッドを立てた人間が、上手く軌道修正しているのだ。
海里は書き込みの中に「砂城」という単語を見つけて、ぎくりとした。
スレッド内検索をしてみると、砂城の単語は思ったより頻繁に使用されている。
そして単語が使われている話は、かなり似たような流れの話が多いことにも気がついた。


『知り合い程度の人が、いつの間にか姿が見えなくなったと言われる。
死んだと聞かされて、そうかと思っていたのだが、ある日街で見かけた。
話しかけようと一旦は近くまで寄ったが、何だかどことなく様子が変で、躊躇っているうちに見失ってしまった。
それきり姿を見ていない。
自分は、死んだ人間を見てしまったのだろうか。』

『しばらく会ってなかった友人に久しぶりに会う。
行方不明になっていたという噂も聞いたが、ちゃんと本人に会えた。
しかし、懐かしく思って色々話しかけたのだが、どうもおかしい。
記憶の中の友人の姿と、微妙にズレを感じるのだ。
皮膚と肉の間に、膜が張っているような、なんとも居心地の悪い違和感。
気持ち悪くなって途中で引き上げてきたが、それきり彼の消息は消えた。
自分が会った彼は、誰だったのだろう。』

『病気で余命僅かの病人が、ふっと病院から消えた。
まさか自殺をするために出ていったのかと心配し、みんなで探し回ったが、結局見つからなかった。
しかし一ヶ月後、一人が青い顔をして告白した。
いなくなって一週間くらい後、仕事からの帰り道に彼と会ったのだと。
うす暗い路地に、彼は立っていた。
驚いて駆けよると彼はうっすらと笑って、自分の病気は治ったのだと言った。
確かに歩くことも大変そうだった彼が、しっかり立って話している。
しかし、にもかかわらず、彼は死んでいるように見えた。
なぜかと聞かれても困る。ただ、隣にいるのに、気配が薄いというか、どこか自分と違う場所に立っているような気がしたのだ。
だんだん薄気味悪くなり始めたとき、それじゃあ、と彼が言って、路地の暗がりの方に歩いていく。
あわてて後を追ったが、彼の姿はかき消すように消えていた。
道は狭くまっすぐで、こんな短い間に姿を隠せるようなものもない。
夢を見たのかとバカにされたくなくて、今まで言いだせなかった。
自分は幻を見たのだろうか。』



スレッドのタイトル通り、全て「帰ってくる友人」の話だ。
ざっと読んだ限りでは、ありふれた怪奇体験のように思える。
だが共通点があった。
誰もこれを「幽霊譚」だと思っていないことだ。
幽霊に出会ったのではない。実体のあるその人に会ったのだ。
だが、実体はあるが、そこには違和感がつきまとう。
何だか解らないが、接触する(近くに行く)ことによって解る違和感だ。
それも多分、近しい人間が判別できる程度の違和感なのだ。
そしてもう一つ、話の終わり方が、どこかぼんやりと、はっきりとしないものばかりという事もあげられるだろう。
もちろん怖い噂話など、みんなそんなものだとは思うが、たくさん列挙されれば、一つくらいは
『実は彼は死んでいたそうです』とか
『その後、死体が発見されたそうです』
系のオチが付いてもいいような気がする。

しかしどの話も、最後は消息不明で終わっている。
これはその手のオチが付いた話に対して、スレッド主が確認をとっている事にも関係しているかもしれない。
死体が発見されたらしい、の様な文章がつくと、死体は本当に見つかったのか、のような質問がつくのだ。
最終的に、ほとんどの書き込み者は、それは確認されていない、という所に行きつく。
つまりこれらの話は全て、死んだと思っていた親しい友人がふらりと帰ってきて、その後また消えてしまう、という話なのだ。
怪談としては、ありがちではあるが、どこかスッキリしない、読んでいても面白くない類いのお話にはいるだろう。

これらは、砂城及び砂城周辺で多く話されている。
砂城独特の怪談なのだろうか。
しかし海里は肌で知っていた。
違和感は確かにあるのだと。
あれはなんだったのだろう。
彼らが出会った『友人』は何者だったのだろう。
なぜ帰ってきて、そしてもう一度消えてしまうのだろう。
とりとめもなく考えているうちに、怪談の海に放り込まれて、一人漂っているような、そんな寒気を海里は感じた。
「ほ…他に何か、ピンと来るような記事はあるかな…」
寒気を振り払おうと、思わず独り言を言った瞬間だった。

一つの言葉が耳に突き刺さるように聞こえてきた。


「体温の無い男に、会っただろう?」


囁くような小さな声だったが、思わず飛び上がりそうになった。
一瞬自分に言われているのかと思ったのだ。
隠れて調べものをしているところを、マズイ誰かに見つけられたのかと、やはり自分には見張りが付いているのかと、そう思った。

しかしどうやらそれは、海里の早とちりのようだった。
それは自分に向けられた言葉ではなく、誰かの話し声だった。
場所が図書館なので、注意して小声で囁き合っている。
二人の男が会話していることまでは解ったが、何を言っているのかまでは解らない。
体温の無い男は、気にしていた単語だから、そこだけ耳に飛び込んできたのだろう。
一体なんの話を誰がしているんだ?
海里はパソコンの影から恐る恐る顔を出す。
次の瞬間、再び海里の瞳は見開かれた。
今度は悦びのまじった衝撃が身体を走る。

黒羽さん。黒羽さんだ。
どうして? こんなところに。
鼓動が驚くほど早くなり、頬に血が昇る。

彼は、やっぱり綺麗だった。
いつ出会っても、どんな格好をしていても、たとえ後ろ姿がチラリと見えただけでも、自分は彼を見落とすことはないだろう。
どうしよう。こんな所で出会うなんて。
話しかけてみるべきか?
いやでも、なんて言葉をかければいいのだろう。
まったく女の子をナンパするんだったら、定型文句があるからいい。
友達だったら、よう、でかまわない。
でも、好きになった男に声をかけるのは、どうすればいいんだろうか。

瞬時に、今まで調べていたことを全部放り出し、感じていた寒気も綺麗に吹っ飛んだ海里だったが、次の瞬間気がついた。
というより、気付かなかったのが馬鹿かもしれない。
なぜなら会話していたのは黒羽だったのだから。
つまり、会話ということは相手がいるということだ。
もちろん隣には、もう一人、男がピッタリとくっついていた。
それに気付いた途端、海里の胸の中に黒い靄が湧き起こった。

隣にいる男を、自分は知っていた。
話したことはないし、苗字も知らない。
けれど名前は知っている。
かすみ。女みたいな名前の奴だ。
そして多分、黒羽さんの同僚だ。
黒羽さんの一番近くにいる男。

そして更に、そいつがただの同僚じゃないことも知っていた。
一度、見た事があるのだ。
そいつと黒羽さんとのキスシーンを。
遠目だったが間違いない。今だって二人はひどく親しそうに、ほとんどくっつかんばかりに身体を寄せて、何かを話していた。
むかつく。ひどく嫌な感情が、きりきりと胸の中に広がった。
相手が女だったら、こんな風には思わないのに、と思う。
女だったら最初から勝負はついている。
オレはあっさり、とはいかないかもしれないけど、でもあきらめて、出来るだけこの感情を、穏やかにおさめる方法を考えたと思う。
でも相手は自分と同じ男だった。



男が男を好きになる。しかも欲望を持って。
今までそういう嗜好に一種嫌悪感さえ抱いてきた海里は、初めて自分の中に湧き起こった感情に振り回されていた。
こんなん絶対おかしいって。
でも、おかしいと言いきってしまうと、多分ゲイである黒羽さんも否定してしまうことになる。
どうして黒羽さん、男がOKなんだよ。酷いじゃないか。
見当違いの怒りが、黒羽にも向けられる。

しかし、一通りの感情が爆発すると、海里はだんだん落ち着いてきた。
少し冷静になれ。ここで嫉妬してても仕方がない。
だいたい男がOKって事は、オレが入る隙間も、アリって事なんだ。
それはなんて言うか、考え方によってはラッキー、なんじゃないだろうか。
そりゃ、いまだに男とどうにかなる自分が想像できないけど。
でも、最初に女と寝た時だって、その瞬間までイマイチよく解ってなかった。
だからもう、そういう事はとりあえずいい。
たとえ今相手がいるとしたって、人間一生心変わりしない、なんてこと滅多にないしな。
状況によっては、黒羽さんとオレがどうにかなる事態だって、ありえるかもしれない。
聞いた話だけど、エッチだけだったら、意外と早くできちゃう可能性もある。
ゲイは、恋愛とは別に、他のヤツとセックスだけする事も多いらしいからな。
もちろん『本気』のオレは、身体だけじゃ嫌だけど。
でも、まあ、アプローチは色々出来るって事だ。
後はオレが、腹さえ括ればいい。

一人でもんもんと考えていた時は、彼とのセックスは、欲望だけはあるが、想像するのも恥ずかしく、黒羽さんに申し訳ないような気分がしていた。
だが今は違った。
なぜなら目の前の男は、黒羽さんとセックスしているのだから。
もちろん確かめたわけではないが、自分が見たキスは、身体の関係がある者同士のキスだった。
間違いない。オレは女との経験なら豊富なのだ。
ヤツがしているならオレだって、というほど下種な感情は抱いてないけど。
しかしその事は、海里の中にあった『壁』のようなものを低くしていた。
ライバルが既にエッチ済だっていうのに、自分の方だけカマトトぶってられるかよ、というヤツだ。

とりあえず様子を探っておこう。
大体こんな所に来て、何の話をしているのだろう。

図書館に来た目的をすっかり忘れて、海里は二人の話に耳を澄ませた。


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