incident11−3
「どうして図書館に行くわけ? コウ」
白鳥は首を捻りながら、それでも早足の黒羽に離されまいと、足を速めた。
「コウの両親の実験に関してなら、普通の図書館より市の研究所の方が、資料は色々置いてあるんじゃないの?」
「その通りだが、研究目的以外の一般の閲覧は不可だ」
「そうなのか」
「それに専門的な研究資料など、僕たちが見ても解らないと思う」
「うっ…それはそうかも」
オフ日に、恋人と一緒に街を歩く。
シチュエーションだけはいい感じなんだよな、などとくだらない事を思いつつ、白鳥は質問した。
「コウにも解らないんだ」
「解らない」
黒羽は振り向くことなく答える。
「僕は結局、両親とは違う道に進んだから。それでもジャンクと使役品に関して、常に興味はあった。身近だったという事もあるし、僕は子供の頃の自分と今の自分を、どこかでつなぎ止めておきたいんだ」
「つなぎ止めるって、どういう事?」
黒羽は立ち止まり、すっと後ろを向いた。
見つめられて、白鳥はドキリとする。
「香澄は、今の自分と昔の自分が、まっすぐそのままつながっていると思っているか?」
「え? えーと…。それってどういう事を聞かれているわけ?」
「解らないか」
白鳥が頷くと、黒羽はすうっと笑った。
それは優しい微笑だったが、同時にひどく虚ろな印象も感じさせた。
「……それは、幸せな証拠だ」
「あ…うん、まあ。そうだね。そうなのかも」
白鳥は少し考えて素直に頷いた。
これが皮肉ではないことが解ったからだ。
確かに不幸だったことなんて無い。日々の不満はいつでもあるけど、それは日常の範疇だ。
「僕が、解らないなりに少しでも、ジャンクや使役品に関わっていたいと思うのは、それ以外にはもう、過去との繋がりのほとんどが消えてしまっているからなんだ」
「消えて?」
「ああ。実家はもう無い。血縁もいない。荷物のほとんどは施設に入る前に処分されてしまった。両親の研究資料は市が引き上げていった。母親も父親もアルバムの類が嫌いで、写真はほとんど無い。そして、記憶はところどころ切れている」
「記憶が?」
「そうだ。医者は両親の死を目の前で見たショックではないかと、そう言った。そうなのかどうかは解らないが、確かにかなり長い間、両親の記憶に伴って、死んだ瞬間がフラッシュバックしていた事がある。
医者が言うには、脳が自らに負担がかからないように、フラッシュバックしそうな、家族に関する過去の記憶の一部を、思い出しにくくしているのだろうと、そう言った」
黒羽は目を瞑って息を吸う。
「だから、思い出せることが少ない。特に両親が死んだ前後辺りは、ぶっつりと何もかもが途切れている。つながっていないんだ、僕は。
その後は香澄も少しは知っている通りだ。僕は冬馬によって造り直された。彼に都合のいいように曲げられ、剪定され、形を変えられた。僕は彼の人形だった。
だから常に僕は、僕自身というものが曖昧なんだ。僕に過去はあったのか。ものが無いうえに、記憶さえ曖昧なら、そんなものは幻だったと言われても、反論が出来ない。
だからきっと、僕はいつでも関わっていたいんだ。一貫して僕の身近にあったもの、両親の人生の一部でもあった、ジャンクと使役品に」
「それでずっと……堂本センセの所に、行ったりしているわけ?」
黒羽は黙って頷いた。
「コウ……」
思わず強く、白鳥は黒羽の腕を握る。
黒羽の目が驚いたように見開かれた。
「オレはさ、確かにコウが成人した後しか知らないけど。でもオレはきっちり覚えてるよ。オレのつながった記憶の中に、ちゃんとコウがいる。一番鮮やかに、一目惚れしちゃうくらい印象的に、オレの中にいる」
「…香澄」
白鳥の瞳は、まっすぐに黒羽の姿を映す。
「今オレが握ってる手は暖かい。コウはここにいる。オレの隣にいる。大丈夫。二十歳の時のコウと、二十七歳のコウの存在は、オレがきっちり保証する」
「香澄…」
「ああもう、ここが街中でなかったならな」
白鳥は悔しそうに声をあげた。
そしたら今すぐキスして抱きしめて、オレの腕の中にコウはいるだろって言ってあげられるのに。
黒羽も同じ事を考えたらしい。
黙って白鳥の手の上に、自分の手のひらを重ねた。
「香澄の手だ」
「そうだよ」
「あの時も握って走った」
「うん」
黒羽は愛おしそうにその手をもう一度撫で、それから微かに囁いた。
「香澄…君が好きだ」
「オレも好きだよ」
キスは、出来なかった。
だが同じくらいの熱さが、指の先から流れ込んできた。
絶対にこの手を離さない。
あの時もそう思った。
結局手は離れてしまったけれど、再び出逢えた。
だから離れたと思っていたけど。でもきっと、あれからずっと手はつながっていたんだ。
「香澄は…あれはなんだと思う?」
「あ…あれって?」
「体温の無い男」
こんな風に触れても、体温が感じられない人間。
存在感のない人間。
「死体、かな」
「香澄は鋭いな」
「あのさあ…」
「簡単な言葉で、本質を突く」
「それは、オレに知識が欠けてるからじゃないの? そんなに偉いものじゃないと思うけど。だいたいオレ自身には、どこがどう鋭いのか解らないし」
黒羽はくすりと笑った。
「それに最初からずっと、オレが言ったことに対して、きっちり答えを出しているのはコウの方じゃんか。いくら言ってることが本質を突いてたって、気付かず見逃しちゃうんじゃ役に立たない」
「そうだな」
「ほらみろ。コウだってそう思うだろ」
「だから僕たちは、コンビを組んでちょうどいいのかもしれない」
「……あ。ああ、そ、そうかな?」
コンビとしてちょうどいい。その言葉は嬉しいかも。
「じゃあ、コウは『体温の無い男』をなんだと思っているわけ? オレの死体って言葉から、コウが出す答えは?」
黒羽は少し考えてから、口を開いた。
「専門的には、さっきも言ったように、僕にはまったく解らない。だがあれは死体だ。体温が無く、呼吸もしていない。とても生きているとは思えない。
けれど動く。思考し、言葉を話す。必要なことなのかは解らないが、食事もする。やろうとおもえばセックスも出来る」
「ええええ? ちょっと、コウ。それホント? 特に最後の辺り」
黒羽はほんの少し躊躇ったが、それでも答えた。
「冬馬が…そうだった」
冬馬の名前と、それが意味する状況に、一瞬黙ってしまった白鳥だったが、すぐに気をとりなおして疑問をぶつけた。
「そんな何でもできる死体があるかよ。それって変じゃん?」
「変なんだよ。だから崩れるんだ。あの魔法は、どうやら長続きはしないんだ」
「え…? そうなの?」
「香澄、図書館に行こう。そこで見せたいものがある。
図書館には確かに専門的な資料は置いていない。そのかわり自由に閲覧可能だ。そして置いてあるものは素人に解りやすいように書かれたものだ」
「詳しいけどワケ分かんないものより、簡単だけど理解できる資料の方が価値があるって事だな」
「僕たちにとってはね」
砂城中央図書館の一角には、インターネットコーナーがあった。
休日には盛況のコーナーだが、平日の今は空いていた。
「大人でも子供でも自由に使える。インターネットカフェよりいいところは、まわり中に紙の資料も豊富だということだ」
黒羽は隅のほうのパソコンを選んで、その前に座った。砂城の図書館に来たのは初めてらしい白鳥は、珍しそうに辺りを見回してしまう。
「大丈夫だよ、香澄。ブロックがかかっているから、アダルトサイトはここからは見られない」
「……なっ!!」
白鳥の顔が真っ赤になる。
「だっ、誰がそんな事を、いつ気にしたよ!」
「図書館では静粛に」
黒羽はしれっとそう言うと、何やら検索をはじめた。
「コウ、こことかよく利用するの?」
「ん? よくと言うほどではないが、まあたまに」
「コウもパソコン持ってたろ? 自分のとここ、どう違うのさ」
「プロバイダが違うな」
?マークを飛ばす白鳥に、黒羽は言った。
「完全にプライベートで、匿名の人間として振る舞いたかったら、不特定多数の人間が使うパソコンの方が都合がいいんだ」
白鳥は目を見開く。
「つまりその…。完全に秘密って事?」
「ああ。誰も知らない。香澄が初めてだ」
黒羽が開いて見せたのは、一つの掲示板サイトだった。
「ここに僕は、一つスレッドを立てた。一年前だ。香澄が来る、ほんの少し前だな」
「コウ、そういえば幽霊話みたいなものを集めてるって、堂本センセが言ってたよね」
「幽霊話じゃない。集めているのは『生き返って来る死体』の話だ」
「生き返って……?」
「世界中に、生き返って来る死体の話が点在する。たぶん人の中にある、根本的で共通の恐怖なのだろう。名前は様々だ。ゾンビ、ノスフェラトゥ、リビングデッド。みな身体は死んでいるが、動き、むさぼり食い、声を出す。元は人間だった化け物だ」
白鳥は黒羽の脇から、ディスプレイを覗き込み、掲示板の書き込みを読んでいった。
「……なんか、気持ち悪い話ばかりだね」
「僕も、会ったことがある」
「えっ!? 帰って来る死体に?」
「何を言っている。香澄だって、体温の無い男に会っただろう?」
「あ…え。あ、そうか。なんかこの掲示板の話とつながってなかったよ。だってここの話って、みんなお化けの話みたいだしさあ」
「香澄が見たのは、お化けではなかったか?」
「うーん、最初の男は暗がりでちょっと見ただけだから論外だな。二番目のおっさんも正直言って、よく解らなかった。だってあの状況だし。ジャンクの方がずーっと印象的だったしさ」
「じゃあ…」
黒羽が静かに訊う。
「三番目は?」
「冬馬涼一…」
思い出しただけで、白鳥の背中に冷たいものが走った。
屋上で出会った時、彼にはまったく気配がなかった。
くるりと振り向いた瞬間、それは人になったが、白鳥はどことなく違和感を感じ、そして怖いと思った。
理由はよく解らないが、ひどく怖いと、そう思ったのだ。
ブッ切れた黒羽と対峙した時も怖いと思ったが、そういう怖さとは違う。
どちらかというと、生理的嫌悪感に近い。
じわり、と気持ち悪くなるような、違和感と恐怖。
確かにあれは、お化けだったのかもしれなかった。
「あれは…うん。確かに変だった。見た目は別に普通の人間だったのに」
「香澄は鋭いから、初めて会う人間でも、違和感を感じたのだろう」
「どういう事?」
「異変に気付くのは大抵、その人をよく知っている友人たちなんだ。一見でどこか変だと、そう思うことはないらしい」
「そうなんだ」
「外見は変わらないからな。人間は基本的に視覚情報でものを判断する。ましてや死体とはいえ本人には間違いない。そっくりな他人を見分けるのとはワケが違う」
そういえば、セックスしても…気付かなかったんだよな。
白鳥は思い、次の瞬間、それに思い至った自分が恥ずかしくなった。
別にいいじゃんか。なんでそんな事をわざわざ思うんだよ。
やっぱりその、絶対嫉妬してるんだよな、冬馬涼一に。
まだどこかで、コウが冬馬の所に行ってしまいそうな気がしてるんだ。
白鳥は自分の手を見つめる。
香澄が好きだと、さっき言われたばかりなのに。
恥ずかしいぞ、オレ。
オレがこんな調子じゃ、コウは冬馬関係の話が出来なくなる。
冬馬を追いつめるって決意したオレに、コウは一緒にやろうって言ってくれたんだ。
オレ達の手はつながっている。
あの時からずっと。
だから今は、オレ自身の懸念は少し棚に上げておいて、情報だけを取り込もう。
「あれは、人間の擬い物だと僕は思う」
「擬い物?」
「香澄は、人間そっくりの人形があったら、それは生きていると思うか?」
「人形は人形だろ? 生きてないよ」
黒羽は頷いた。
「僕もそう思う。むかし冬馬は言った。壊されない限り形を維持するなら、それは永遠の生だと。そうだ、彼は見た目が整っていればいいのだと、そう言っていたからな。
けれど違う。人形は人形だ。擬い物にすぎない。
なぜ吸血鬼は血を吸う? どうしてゾンビは人を喰う? 死体なのに、それは必要なことなのか。たぶん、決定的に欠けたものがあるから、補おうとして、必死に取り込むんだ。しかしけっして補えないから、際限なくいくらでも求め、むさぼり食う」
「冬馬涼一は人形になろうとしたのか?」
少しの沈黙の後、黒羽は言った。
「僕は、違うと思う」
「でも今、コウが言ったじゃん。見た目が人間に見えればいいって。ヤツはそういう存在を目ざしていたんじゃないのか?」
「近いけど、たぶん違うんだ。彼がなろうとしていたものは、専門的には解らないけれど、人形に近い生き物だと思う」
「そんなものがあるのか」
「理屈ではあるだろう。たとえば人間は炭素で出来ている生命体だが、珪素で出来ている生き物がいると仮定して話を進める小説がある。
冬馬は多分、そんな風に自身の体の組織自体を、別の次元から来たものに置き換えようとしたんだろうと、僕は思っている。
それは地球生物学的には生きていないかもしれないが、少なくとも人形ではない」
黒羽は歯を食いしばった。
「想像にすぎない。本当にそんな事が出来るのか、僕には解らない。
しかし両親には出来た。もしくは出来るだろうと冬馬は思った。
冬馬にも研究の専門的なことは解らなかったのは間違いない。だが、冬馬には人を見抜く目はあった。
誰がどんなことが出来るのか、誰をどう使えば一番効率がいいか。人の得意分野も弱点も的確に見抜いて利用する。
あれも言ってみれば天賦の才だろう。
だから多分、両親には出来たんだ。人間の体を他のものに置き換えていく、そんな作業が」
「コウ、何が言いたいの?」
「だったら…」
黒羽はパソコンのディスプレイに表示された、噂話のスレッドを見つめる。
「だったらどうして、人形がこんなにたくさんいる?」
目を瞑って、それから今度は香澄を見上げる。
底の見えない、深い淵のような瞳。
「なぜ、出来そこないの人形が、こんなにたくさんいる? 冬馬はいったい、何をやっているんだ」
冬馬はいったい何をやっているのか。
ホテルレオニスで冬馬涼一と出会ったときも、コウは同じ疑問を口にした。
今のように静かにではなく、何らかの激情と共に、コウは冬馬に言葉をぶつけた。
『おまえは、何をしている?』
もちろん冬馬は答えなかったが、あの時からもうコウは知っていたんだ。
少なくとも、死体の出来そこないを、冬馬が作っていることを。
冬馬の望みは死なない存在になる事だとコウは言った。
今の彼の身体が死なない身体なのだったら、どうして他の人形を造り続ける必要があるだろう。
「この噂は、6年ほど前からポツポツ現れ始めた。冬馬が消えてから、一年ほど後の話だ。もちろん最初はよく解らなかった。だが僕は、冬馬の身体の変化を知っていたから、類似点にはすぐ気付いた。
やがて確信した。あの死体は冬馬が作っているんだと。目的は解らない。冬馬があの死体達に何をさせたいのかも解らない。でも冬馬がやっている」
黒羽は思考を整理するように、ゆっくり話し続けた。
「僕はその噂を、冬馬の足跡だと思ってきた。だから犬が匂いを嗅ぐように、足跡をなぞって追いかけてきた。でも今、改めて思うんだ。
冬馬は何をやっている? なぜ、人形を作る? ずっと追う事ばかりを考えて、動機に目を向けたことなど無かった。
でも香澄、足跡があるということは、そこを歩く理由がある筈なんだ」
理由…。
白鳥は小さく呟いた。
「オレがもしも、独りぼっちで人間じゃない存在だとしたら、仲間が欲しくなると思うな。でもその…冬馬はそういう感じのヤツじゃない?」
黒羽は頷く。
「そう、確かに冬馬はそういう類いの男ではないな。仲間という観念自体がないだろう。ヤツはたった一人神になることを望む男だ。彼の世界に存在するのは、手駒と眷属だけだ」
「冬馬が望んでいるのは、ずっと生き続けることなんだろ」
「ああ」
「だったら眷属たちも、その恩恵にあずかりたいよね」
「そうだな」
黒羽は何かを考えるように、眼を細めた。
もちろん冬馬は、彼の眷属達に永遠の命を約束しているはずだ。
だから実験をくりかえしているのだと、そうも思える。
しかし…。
「香澄の言いたいことは解る。あの出来そこない達は、冬馬以外の人間にも、不老不死を施そうとしての実験のなれの果て。それが一番納得できる理屈だ。
しかし、どことなくまだピースが合わないような気がする。なんとなく収まりが悪い形があるような気がするんだ。
もちろん…僕の単なる皮膚感覚だから、アテにはならない」
「ねえ…」
「なんだ? 香澄」
「掲示板の書き込みを見ていると、死んだと思われていた人間が、また現れてから再び消えるまでのスパンが、かなり短いよね」
「それは僕も気付いていた。一週間から、そうだな、長くて一ヶ月ほどだろうか」
白鳥は、うーんと唸り、ぼそっと呟いた。
「それはさあ、まあ失敗の例なのかもしれないけど。でも、そんな調子だとしたら、冬馬以外にも、成功しているヤツっているのかな?」
黒羽の心臓が、一泊跳ね上がった。
何かが引っかかった気がする。
しかしそれは掴もうとすると、するりと抜けていってしまった。
「あとさ、コウ。コウは人間の体を何か別のものに置き換えるとか言ってたけど。置き換えるって事は、対象がいる筈だよな。人と、何を置き換えるの? それは解っているの?」
「置き換えるというのは、単なる僕の比喩だが」
「そりゃ、専門的には違うかもしれないけど。でも近い表現ではあるんだろ? それにもう解った気はするな。この世界で異次元の存在といったら、一つしかないじゃん」
黒羽は頷いた。
「そうだな」
ジャンク
その言葉は発音されないまま、静かに二人の胸の中に落ちていった。
篁 海里は、パソコンの影から、呆然と二人の姿を見つめていた。
たくさんの情報が頭の中をぐるぐるして、収拾がつかない。
彼らは、なんの話をしているのだろう。
体温の無い男は人間の擬い物?
しかも誰かがそれを、わざと作っているって?
いったいそれは何の話だ。
彼らの声は低く小さかったので、耳をすませてもあまりよくは聞こえなかった。
切れ切れの形でなんとか拾ったが、多分会話の7割も聞こえていたら、上等だという感じだろう。
しかし7割聞こえても、そのうちの半分も理解できない。
「それってほとんど解らないって事じゃねえか」
自分自身に毒づきながら、それでも海里はたった今仕入れた話を頭の中で整理した。
解ったことは三つ。
自分が見ていた掲示板の管理者は、黒羽さんだったということ。
『とうま』とかいう男が、ビデオ店ですれ違った『ゾンビ』を作っていた犯人かもしれないということ。
そして、他にもゾンビはたくさんいるということ。
たった三つだが、自分にはこれだけでも、充分ショッキングな情報だった。
だって、結局オレが見たのは人間じゃなかったって事だろう?
直感は正しかったわけだ。
しかし、ゾンビみたいになる薬どころか、ゾンビそのものだったなんて。
そんな事、現実にあるんだろうか。
もしかして、かつがれているんじゃないだろうか。
あの二人は何かの映画とか小説のことを話していたのではないのだろうか。
一瞬そう思いかけたが、もちろんそうでないことは解っていた。
すれ違った男の、ぞっとするような違和感。
あれはフィクションではない。
そして掲示板に寄せられた、たくさんの噂話。
あれだって自分と似たような経験をした人達の書き込みなのだろう。
だから違う。黒羽さんと連れの男は、映画や小説の話をしていた訳ではない。
けれど、なんだろう?
今のって、捜査なのか? 仕事?
警察はあの事件で、オレに取り引きを持ちかけた。
何か裏があるんじゃないかと思っていたけど。
今聞いたのが裏なのか?
しかし海里は、頭の中で首を横に振った。
いや、あの時警察は、体温の無い男に関しては、まったく興味も示さなかった。
だから今のは違う。
二人の雰囲気も、仕事という感じがしなかった。
こんな風に個人的に掲示板で情報を集めるというのも、警察のやり方ではないような気がする。
じゃあ、プライベートなのか。
プライベートで何か調べているのか。
こっそりと図書館なんかで。 オレと同じように?
海里はハッとして、肌身離さず身につけていた黒羽の名刺を取りだした。
いつでも連絡をくれって…黒羽さんは言ったけど。
もしかして、そういうことなんだろうか?
オレは、黒羽さんが個人的に追いかけている何かに、近いところにいるんだろうか?
気がつくと、あの二人はインターネットコーナーから立ち去ろうとしているところだった。
慌てて海里は立ちあがったが、腕が机の上に積んでおいた雑誌の束にぶつかってしまった。
ばさばさと大きな音をたてて、雑誌は床に散乱する。
「うわっ、やべっ」
音で振り向かれたら、と思ったが、二人は特に気にする様子もなく、図書館の出口に向かって歩き去っていった。
見つからなかったことに海里はホッとしたが、同時に自分がいかに部外者か思い知らされた気がした。
チラリとも、こちらを見ない…。
海里は唇を噛む。
当たり前だ。オレがどれだけ黒羽さんを思っていたとしても、一回だってそんな風に彼に接触したことはないのだから。
二人の会話をすぐ後ろで聞いて、自分も参加したような気になっていたが、もちろんそれは錯覚なのだ。
あれだけ近くにいても、自分がやったのは単なる盗み聞きだった。
黒羽さんは自分がいたことなんて知らない。
悔しくて、悲しい。
しかし今、彼らの後を追いかけていっても、どうにもならないだろう。
海里はのろのろと床に散乱した雑誌を拾い集め、再び机の上に積んでいった。
「もう行っちゃったしな。それに、この雑誌も、コピーしないと」
そこまで考えて、ふと、コピーして帰る前に、もう一つ調べなくてはならない事に思いあたった。
さっき聞いたばかりの新情報だ。
とうまりょういち。
彼が誰なのか。
あの二人は知っていたようだが、自分には解らない。
もしも本当にそいつがゾンビを作っているなら、ぜひ知っておく必要があった。
名前の漢字が解らないが、とうまという音は珍しい。
漢字を当てはめて検索し、その中から砂城に関係ありそうなものだけ拾っていけば、範囲を絞ることは出来るだろう。
それに、そこまで考える必要はないかもしれなかった。
砂城に一番関わりが深い「とうま」は、「冬馬グループ」だからだ。
それくらいの知識は、自分にもあった。
冬馬りょういちは、冬馬グループの血縁かもしれない。
海里は再びパソコンに向かい、検索画面を開いた。
しかしまもなく海里は、冬馬の名前で意外な記事を見つけた。
ヒットしたのは芸能ニュース。
更に、見覚えのある名前が、そこにはあった。
篁 翔子
海里は目を見開く。
翔子? 翔子がいったい冬馬とどういう関わりがあるんだ?
思いがけない形で身内の名前を見つけたことに驚いた海里だったが、すぐに口元に苦々しい嗤いを浮かべた。
そこにあったのは未確認のスクープ記事だった。
『篁 翔子、冬馬グループの御曹司、冬馬祐二と婚約!
正式発表は、第二十回 KISHIMA記念映画祭にて予定!?』
記事はたったの二行。
最近の芸能リポーターの図々しさを思ったら、信じられないほど控えめな情報だった。
しかし海里は、そうか、と思う。
また篁は、自らの血を売ったのだ。
有名人や実力者と婚姻関係を結んで、自らの勢力を広げる。同時に高貴な血筋を売りつけることによって、相手の価値を高める。
もちろん価値といっても、形骸化した名前にすぎないが、それでも喜ぶ人間はたくさんいる。
特に成り上がったような男たちは、役にも立たない篁という名前を、喜んで押し頂いた。
いつものことだ。篁一族の、いつものやり方だった。
冬馬グループは使役品産業によって、20年以上トップを走り続けてきた企業だった。使役品産業にかぎるなら、他の追随をまったく許さない。
金に物を言わせて政界にも基盤を広げているようだが、更にここで血筋権威も欲しくなったと、そういうことなのだろう。
もっとも冬馬も、ある程度は古い家柄の筈だった。
だとしたらこれは、相互協力の類いなのかもしれなかった。
財力は今ひとつだが、地縁血縁の交流が恐ろしく広い篁と、昇竜の勢いの冬馬が手を組めば、巨大な力になるのは間違いないだろう。
海里は舌打ちをした。
篁の血の切り売りをバカバカしいと思っているくせに、家柄だの血筋だの、そういうことばかりを自分はよく知っている。
どれだけ嫌でも、身体のどこかに篁流の考え方が、しみついているのかもしれなかった。
「それで、この冬馬祐二とか言うヤツは、冬馬りょういちと関係があるのかよ」
関係があるような気はした。
何人もの人間をゾンビに変えてしまえる人間なんて、一般人じゃない。
かなりヤクザな存在だ。
それで砂城に関わりがある冬馬なら、冬馬グループの一族である可能性は非常に高かった。
「けど、りょういちって名前は、冬馬より普通っぽいからな。探せるかな?」
しかしそれは杞憂に終わった。
りょういちと打って変換される漢字の数は、思ったより少なかった。
もちろん変わった漢字を使っていたらお手上げだが、その心配は調べ終わった後に考えることにする。
片端から名前を突っ込んで検索をかけてみた。
自分が探している男ではない同姓同名の名前があるだろうが、冬馬グループと関係なさそうなヤツは排除すればいい。
ほどなく、ぽつんとその名前は見つかった。
『(株)B&B Chemical Laboratories 』
俗称 B.C.L. またはB&B化学。
CMなどで聞き覚えがある名前だった。
冬馬グループの子会社だ。
もっとも名前に聞き覚えはあっても、何をやっている会社なのかはよく解らない。
サイトの概要を読むと、どうやら使役品関係の研究所らしかった。
それの創立者の欄に、冬馬涼一の名前が記されていた。
これだ。間違いない。
軽い興奮が身体を走る。
やっと尻尾を捕まえた。
尻尾の、ホンの端っこかもしれないけど、それでも、何をどう調べていけばいいのかすら解らなかった自分には、貴重な手がかりだ。
使役品研究開発会社の創立メンバーか。
役職とかには就いているんだろうか?
だが不思議なことに、冬馬涼一の名前は、本当にそこにしか書かれていなかった。
冬馬系列の会社関係サイトを全て回ってみたが、どこにも彼の名前は書かれていない。
なんだろう。冬馬涼一ってヤツは思ったより下っ端なんだろうか。
「でも子会社とはいえ、一応会社の創立メンバーだしなぁ。そんな下っ端なワケは……もしかしてあれか? 一族だから役職だけはもらったけど、後は適当に遊んでるクチか?」
適当に遊んで、ゾンビを造っている?
海里は首を捻った。
どうにも状況がよく解らなかった。
更にB&Bのサイトを見てみると、創立メンバーの欄に冬馬涼一の名前はあるが、代表取締役社長は冬馬祐二になっていた。
「冬馬涼一って…本当にいるのか?」
こんな風に、ネットの名前をただ睨みつけていても、何も解らない。
「せめて本人を実際に見ることが出来たらな」
といっても、会社に行って冬馬涼一さんいますか? と呼び出すわけにもいくまい。
アポイントメントを取れたとしても、どう切り込めばいいのか解らない。
いっそのことあれか、取材だとか嘘をつくか。
偽の名刺とか作ってさ。
探偵ドラマのような展開をしばらく頭に思い浮かべた海里だったが、やがて一つの抜け道に思い至った。
それは、自分にしかできない抜け道だった。
翔子。
冬馬祐二と婚約をするなら、あの一族のトップとつながるという事だ。
冬馬涼一が何者か、翔子に聞けば解るのではないだろうか。
だがそれは海里にとって、もっともやりたくない方法だった。
嫌だ…。
家出して、全てを捨ててきたつもりなのに、篁のツテを頼るなんて、どんな形でもしたくない。
この感情が、単なる自分のプライドの問題にすぎないことは解っていた。
みっともないオレ。一人じゃ立つことすら出来ないオレ。
オレのプライドなんて小さい。
足のために、一度は捨てた。
なのにまた何度でも、こうして引っかかる。
ちっぽけな矜持を守る事が、そんなにも大切なのか。
頼るんじゃなくて、逆に利用してやるとか、そういう風には考えられないのか。
そう、一人前に生活でもしているのなら、逆に篁を利用してやる気分にもなれるだろう。
だが、まだダメだった。
まだオレは、誰かに養われているようなものだ。
篁という庇護から、精神的には逃れられていないのだ。
子供のプライド。
それが解って、海里は悔しかった。
でも今すぐ、そこから抜け出すことも出来なかった。
「映画祭…」
海里は呟く。
翔子が来る。そして派手に婚約発表をぶちあげるのだろう。
未来の企業トップの婚約発表なら、冬馬の一族が集まるのではないだろうか。
それを片端から写真に撮る。
その中に冬馬涼一がいるかもしれない。
一度はあきらめた映画祭への突撃を、もう一度海里は検討しはじめていた。
翔子に見つかっても、もうかまわない。
その時どう動くかは、翔子の出方次第だった。
いくら自分が篁本家の男子とはいえ、こんな風来坊な男に、婚約発表の席で直接コンタクトを取ってくることはあるまい。
だからその間に、さっさと写真を撮ってトンずらしてしまえばいい。
運がよければ見つからない可能性だってある。
「なにせ人がいっぱい来るんだろうからな」
おっちゃんのツテで、取材腕章とか手に入らないだろうか。
雑誌に使えそうな写真も撮っておけば、おっちゃんだって助かるはずだ。
腹は決まった。あとは準備するだけだった。
そして、海里はもう一つの決意も実行することにした。
黒羽さんに連絡を取る。
自分がしようと思っていることがどう動くのか、まったく解らない。
だが、それをほんの少しでも彼に伝えておきたかった。
それに…もうこれ以上黙って後ろから見ているだけの存在になるのは嫌だった。
どんな形でも関わらなければ、振り向いてすらもらえない。
いつでも連絡をくれと、彼は言ったのだ。
遠慮する必要など無いのだ。
あの男と一緒だとしてもかまうものか。
海里はもう一度名刺を取りだして、その名前をじっと見つめた。
映画祭まで、あと一週間。
街を被う華やかな仮面の下で、様々な思惑が動き始めていた。
END
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