正義の味方incident11
華やかな仮面
砂城西地区のあちこちに、華やかなポスターが貼り付けられはじめた。
人々は顔をほころばせて、興味深そうに眺めていく。
ポスターの数が増えるに従って、街の雰囲気はそこはかとなく浮かれたものになっていった。
ポスターには、こんな文字が書かれていた。
『第二十回 KISHIMA記念映画祭』
KISHIMA(喜島)とは20年ほど前に没くなった、映画界の大御所監督の名前である。
遺言により、彼の資産を元にKISHIMA映画賞を創設。
賞をとった映画が大ヒットした為、KISHIMA記念映画賞は日本アカデミーと並んで有名な、そして価値のある賞になった。
KISHIMAは資産家でたいそう顔が広かったため、KISHIMA記念映画祭には毎年、目を瞠るばかりの華やかなゲストが海外からも多く訪れる。
華やかさと話題性という面で言えば、どの映画賞より人々の耳目を集めた。
その映画賞を決める祭が、今年は二十年記念で、砂城で開催されることになったのだ。
砂城という都市が創られて以来の、初めての大きなイベント。
閉鎖都市の名前を持つ砂城だが、今回ばかりはマスコミも含め、閉鎖都市をのぞくという物珍しさも手伝って、外から多くの一般観光客が訪れるだろうと予想された。
「きっと、忙しくなるんだろうなあ」
砂城西署捜査一係強行特殊班の白鳥香澄は、なんとなく嬉しそうに呟いた。
「なんだよう、忙しくなるのが嬉しいのか?」
同僚の高田があきれたように白鳥の顔を見た。
「いやあ、だって。そりゃー大変だろうとは思うけど。でも、やりがいありそうじゃないですか。街の治安を守る正義の味方は、小さな事からこつこつと。解ってはいるけど、でもたまには派手な活躍場面も欲しいって感じ?」
「華やかなのはオレ達じゃなくて、やって来る連中だろ?」
高田はあきれたように苦笑いした。
「ジャンク課の奴ら、メチャクチャ忙しそうだぜ。そうだよなあ、少しの犠牲者も出せないしな」
「外の人達はジャンクのことを、お伽話みたいに思っていたりするんでしょう?」
同僚の篠原が、多少ていねいに白鳥に質問する。
同僚とは言っているが、実際白鳥は上司にあたる。たとえ年下であっても、本来は全員から敬語で話しかけられる立場だ。
しかし特殊班の雰囲気と、まったくこだわらない白鳥自身の性格からか、仕事以外ではざっくばらんに会話が続けられる事が多かった。
「ええっと…」
白鳥は篠原の質問に顎を掻く。
「おとぎ話っつーより。ジャンクなんて知らない…と言った方がいいかも」
「えええ!?」
会話を聞いていた全員が驚いたように声をあげた。
「ジャンクを知らない?」
「知らないってどういう事だ?」
「嘘つかないでくださいよ」
「知らないって、それじゃジャンクへの対策が取れないじゃないか」
「外にはジャンクなんていないんだから、対策は考えなくていいんだよ」
最後は白鳥の言葉である。
一瞬、沈黙が刑事部屋を支配する。
白鳥は少々気まずそうに、辺りを見回した。
う〜ん。この辺りも外と砂城って、しっかり隔たりがあるよなあって思う。
自分だって外にいた頃はジャンクなんて知らなかった。
知らないもののことは、考えることさえしない。
だから砂城に降りてきても、なかなかジャンクの存在を意識することは出来なかった。
いることは知識として知っていたとしても、実感が湧かないのだ。
まあオレは直で襲われちゃったから、肌で存在を認識してしまったわけだけど。
でも外の人間の感覚は、白鳥にはよく解った。
そして同時に砂城の人間のとまどいもよく解った。
砂城では当たり前のものとしてジャンクを意識している。
そう、戦場の中の街に似ている。
外の人間が戦争を幻のように感じているなんて、思ったことすらないのだ。
常にあるのが当たり前で、忘れるなんて考えられない。
外から来た人間の意識は、彼らには解らないだろう。
「あー…えー…。ジャンク課の奴ら、大変だな」
「人事みたいに言うなよ。酔っぱらいとか浮かれた若造とかが、縦穴に入り込もうとするのを止めるのは地域課に、生活安全課、危なくなりそうならオレ達の役目だぞ」
「ジャンクがいるから危ないって言っても、解ってくれないって事だよな」
「警察官総出で、開催地近くの縦穴は塞ぐって言ってたぞ」
はあ〜とため息が部屋に流れた。
外の人間の代表というわけではないが、白鳥はなんとなく申し訳ない気分になってしまった。
「それにしても、どうして砂城で開催することになったんだ?」
「喜島周正は、砂城出身だという話だ」
今まで黙っていた黒羽が、フッと口をはさんだ。
皆の視線が自然に黒羽に集まる。
「えっ? そうなの、コウ」
白鳥の言葉に、高田が驚いたような視線を向ける。黒羽は淡々と話を続けた。
「警備用の資料書類と、映画祭のパンフレットが来た。そこに書いてあった。香澄の所にも来たはずだけど?」
眼鏡越しにジロリと見られる。
上司の白鳥が目を通していないのは何故か、という意味合いの視線だ。
怖ぇ〜…。
白鳥は首をすくめた。
思わず黒羽が机の上に置いたパンフレットをぱらぱらめくってしまう。
「だから二十周年記念にここで映画祭をやるわけ? だけどさ、20年前に没くなったんだよね。じゃあ別に砂城で生まれた訳じゃないじゃん。それでも砂城出身って言うの?」
砂城市が出来たのは三十年ほど前のことだ。砂城生まれの第1世代でも、せいぜいが黒羽程度の年齢だった。
「砂城で一発あてて、その金を元に映画を作ったんだよ。それがヒットして世界のキシマになったから、砂城出身」
「ああ、そーいうこと」
映画好きらしい佐々木の言葉に、白鳥はふんふんと頷いた。
黒羽がまだ睨んでいるが、それは見ないことにする。
「でも、一発あてて出ていって以来、砂城には来てないらしいけどな」
嫌味たらしく高田が鼻を鳴らした。
「だからあれさ。砂城出身だからとか言うのは、まあ言い訳の一つ。
確かに砂城は基本的には閉じてて欲しい。しかし完全に独立独歩の閉鎖都市になりきってしまったら困る。その辺の兼ね合いで、時々はこんな風に外に向かって開こうと。そういう行政の都合もあるんだぜ、きっと」
「どちらにしても下っ端公務員は、来た仕事をこなしていくだけだけどな」
その言葉で、一気にこの話題に関して、お開きの気分がただよった。
呑気なのは今のうちだけ。忙しくなる前に、手持ちの雑用は全部すませてしまうべきだろう。
しかしそこでまた、白鳥が大きな声をあげた。
「あ、ゲストに篁 翔子がいる」
嬉しそうな声に、再び黒羽がジロリと睨む。
「香澄、見るのはそういうところばかりなのか」
「だって、ゲストに誰が来るかって大事じゃん。コウは外の芸能界にとことんうといだろ。誰が大物で、重要人物か知ってた方がいいんじゃないの?」
「大物も一般市民も、保護という一点において、みな重要人物だ。選別はしない」
「コウはそうかもしれないけど。でもテロリストは違うよ。まず有名な人とか大物とかを狙う。だからいざ事が起こった時に、誰が一番狙われやすいか知っておくのは大切なことじゃないの?」
「なるほど」
白鳥の言葉に、黒羽は素直に頷いた。
「確かにそれはそうだ。香澄は詳しいのか?」
「そりゃーもう。誰にも負けないってわけじゃないけど、それなりには詳しいぜ」
仕事では先輩に当たる黒羽が、自分に教えを請うことなど滅多にない。
白鳥は嬉しくなった。
「じゃあレクチャーしてくれ。メモをとる」
黒羽が適当な白紙を捜して机に視線を落とす。
その隙に高田が目を丸くして、白鳥にそっと話しかけてきた。
「お前いつから、黒羽のことを名前で呼び捨てにしてるんだ?」
「えっ? ええと、最近…かな。でも、交番爆破事件に関わった時にはもう呼んでたけど?」
思わずドギマギしてしまう。
いや慌てるなって。別にオレとコウの関係がバレている訳じゃない。
「どうして? 名前で呼ぶのってヘン?」
「いやあ、別に相棒なんだから名前で呼び合ったっていいけど。黒羽のことを名前で呼ぶ奴なんていなかったから驚いただけ。でも…」
「な…なに?」
高田はニヤッと笑った。
「いや、意外としっくりきてるなって思って。そうか〜。ちゃんと相棒になってるんだ。へええ」
「意外と、とかちゃんと、とかいちいちカンに障る言葉選ぶね、高田さん」
「おお、怒らせようとしてるんじゃないぜ。ただ、よくやってるなって思って。ここまで黒羽に付き合えた奴はいないし、ましてや理屈でやり込める奴は初めてだ」
「やり込めたんじゃないよ。事実じゃん」
「ああ、単なる事実だ。高田さん」
黒羽が再びくるりと身体を向けて、高田を見上げた。
真正面から視線があったせいか、高田は一瞬たじろぎ、それから顔を赤くした。
「あ…ええっと」
「僕と香澄が何か?」
またまたメガネの奥からジロリと睨む。高田は一発で退散していった。
その後ろ姿を見ながら、白鳥は笑った。
口では色々言い返したが、ちゃんと相棒になっている、という言葉が嬉しかったのだ。ほんの少し前は分不相応だと言われていたのに、6ヶ月が過ぎた辺りから、自分でもだんだん自信が出てきたのが解る。
まあな…。ベッドでもコウをちゃんとイカせちゃったりもするもんな。そーいう意味でも男としての自信が…。
などと妖しいことを考えた瞬間、目の前の真面目な白面と目が合った。
「香澄?」
「えーと、ごめん。どの辺から話したらいい?」
たちまちうろたえてしまうところが、まだまだ修行不足の感だが、いま赤面しても、誰も追求はしないだろう。
だってコウ、綺麗だもんな。
何年も同僚だった高田さんだってあの調子だし、ホントに正面から目を覗き込んでくるんだもん。ドキッとしちゃうよ。
今回はたくさんの美男美女が砂城に来るわけだけど、その人達がコウを見たらどんな顔をするだろう。
それはかなり興味があるし、ちょっぴり楽しみでもある。
きっとコウを知ってる砂城市民なら、一度くらいは思うよな。上からやって来る容姿を売り物にしている連中と、コウを並べて見てみたいって。
だってきっと、誰にも負けないぜ。
コウはもちろん外では全然有名じゃないけど、でも負けないどころか、どこの誰よりも綺麗なんじゃないかと思う。
顔だけじゃなくて、背も高いしスタイルもいいもんな。
その上なんて言うのか、コウは目立つ。
断言しちゃうけど、どれだけ綺麗な女優や男優がいても、コウが現れたら、視線は絶対そっちに引き寄せられるだろう。
他人の耳目を集めるのは、コウの生まれつきの才能だ。
役者とか芸能人だったら、誰もが切望している才能だと思うぜ。
にもかかわらず、それが一介の警察官、しかも演じたりパフォーマンスしたりするのが苦手な人間に備わっているのだから、世の中は理不尽に出来ている。
「それで? 事が起こった場合は誰が狙われやすいと香澄は思う?」
芸能人をさしおいて、誰よりも注目を集めてしまう黒羽の姿を勝手に想像しながら、白鳥はパンフレットをめくった。
「オレが思ったことでいいの?」
「いい。監督とかが偉いのはパンフレットを見れば解る。むしろ知っておきたいのは、狙ったら派手な効果が得られそうな人物だ。地位が上かどうかは関係ない。話題性があるとか、いま注目だとか、そういう情報が知りたい。それに香澄の直感はよく当たる。香澄の意見が知りたい」
「ん…まあそうだね」
パンフレットをめくりながら、白鳥は一人の女優に注目した。
「それじゃやっぱり、さっき言った篁 翔子かな。映画は二本しか出てないし、テレビドラマ出演は断わってるって、令嬢女優なんだけど、今回のナンバーワン注目株」
「なぜ?」
「喜島周正の孫だから。そのうえ篁一族だからなあ」
「篁一族? それも有名なのか」
「えーっと、この女優がでてくるまでオレも知らなかったんだけど。マスコミが騒いだんだよね。あの篁から芸能人って」
「あの…とつくと言うことは、何かいわく付きか」
「いわくというよりも、すっげえ上流階級らしいよ。そういうのって、皇室以外にもあるんだなって感じ。普通は芸能人なんて下賤なってクチらしいんだけど、まあ喜島の孫だから、それもありかもね」
「苗字が違うが」
「うん。えーと、喜島周正の一人娘が篁家に嫁いで、それで生まれた孫娘だから。そういう訳で、めったに見られない深窓の姫のお出まし。二十年記念の映画祭に監督の孫娘がゲスト。若くてすっげえ美人。なっ、これだけ揃ったら話題性抜群だろ?」
白鳥は他にも何人か話題性のある人物の名前をあげ、ワイドショーの類いから仕入れたような噂話を混ぜてレクチャーした。
黒羽は熱心にメモをとりながら、チラチラと白鳥の顔を見つめた。
その瞳の光が妙に強いことに白鳥は戸惑う。
なんだろ?
職務に熱心なのはいつものことだけど、オレが女を褒めてるのが気にくわないとか?
まさか、いやそれはないよなあ。
心の中で首を傾げていると、黒羽がいきなり爆弾発言をした。
「解った。非常に参考になった。他にも注意すべき人物を思いついたら追加するから教えてくれ。メモは香澄が指示しやすいように要点をまとめておく」
「…へ? 指示って?」
黒羽は恐ろしく真面目な顔で、じっと白鳥を見つめ、それから淡々と答えた。
「白鳥警部補、今度の映画祭では、特殊班の指揮は、あなたがとるんです」
………………えっ!?
ポカンと、口が開く。
オレは間違いなく目をまん丸にしていたと思う。
とっさに何も考えられなくなったオレを一瞥すると、コウはさっさと視線を逸らし、パンフレットや警備の書類と見比べながらメモのまとめに取りかかった。
…え? オレ?
オレが指揮って、それマジな話なのか。
いや、コウがこの場で冗談を言うはず無いので、決定事項なのだろう。
そりゃーオレは確かにタナボタとはいえ、ここでは一番階級が高い。
そのうちにオレが現場の指揮をとらされるのは解っていたつもり…だった。
たしかにコウと組んで、十ヶ月を超えた。
しかし自分としては、やっと砂城に慣れて、どうにか正式にコウのパートナーとして認めてもらったばかり、という思いの方が、まだ強い。
そこにいきなり、今度はリーダーになれって?
特殊班のみんなは納得しているのか?
いや、たとえ納得がいかなくたって、階級が上のオレが指揮をとるのは当たり前の事なのだ。
外から来たという特殊な事情がなかったら、最初から階級に応じた責任を負わされていただろう。
解ってる。
わかっているけど…。
でも、オレが? 特殊班を指揮?
えええーっ!?
篁 海里は街中に貼られたポスターを見て、チッと舌打ちをした。
彼の視線の先には『篁 翔子』の名前と、他のゲストより大きめの顔写真があった。
写真の白い貌は、つるりと無表情な篁一族独特の特徴を備えていたが、同時に儚げで、思わず守ってやりたくなるような可憐さを備えている。
しかし海里はその美貌に、まったく心を動かされた様子はなかった。
むしろ不愉快だと言わんばかりに、首を振る。
そう実際、海里は不愉快だった。
どこかつるりとした印象の美貌。
これとよく似た特徴を、海里の顔も備えていた。
当たり前だ。自分も篁一族なのだから。男と女の違いがあるし兄妹ではないから、あからさまに似ているわけではない。
それでも見る人が見ればすぐに解る、血のつながり。
「なんで来るんだ、この女」
グチってみるが、もちろん映画祭だから来るのだ。
事情はよく知っている。
「だけど、オレのいる場所へ狙った様にやってくるって、どうだよ」
海里の家出に、篁一族は知らん顔をしていた。
しかし間違いなく砂城にいることはバレているだろう。
なにせまったく嘘いつわりない戸籍で、砂城に市民登録をしたのだ。海里の動きを追うことなど簡単だった
ただ、場所を知ってはいても、一族がどれだけ自分に関心を持っているのかは解らない。
海里は自らがつく松葉杖に目を落とした。
爆破事件に巻きこまれてから四ヶ月。杖をつきながらだが、やっと普通に街を歩けるくらい快復してきた。
早く杖無しで歩きたい。
医者からは、もしかしたら一生足を、少し引きずる形になるかもしれないとは言われた。
しかし別にスポーツ選手を目ざしているわけではない。
人並みに歩けて走れるならば、本望といっていい。
一時は足を失くすところだったのだから…。
その事を思い返すたびに、ひとつの顔が海里の脳裏に浮かんだ。
白くて綺麗な顔。黒羽 高。
彼のことを思うと、鼓動が早くなり、同時に胸のどこかがチクリと痛む。
彼が好きだと思う。
きっと一目惚れだった。
黒羽 高は男だったから、自分が彼に恋をしていると気付くのに時間がかかったが、気付いてしまったらごまかすことは出来ない。
カッコイイ男に男が惚れる。
そういう感じだったらよかったのに…。
自然、ため息が出る。
「でも違うんだよな。オレ、黒羽さんと…」
想像した瞬間に、死ぬほど恥ずかしくなった。
こんな往来で、オレは何を考えているんだろう。
畜生、女の子とのエロ妄想なら、ちっとも恥ずかしくなんか無い。ナンボでも展開させられるのに。
あの人とどうにかなりたいなんて…。
海里は頭に浮かんだ映像を吹っ切るように、ブルブルと頭を振った。
そう、どこかにまだためらいのようなものもあるが、それでも間違いなく自分は黒羽 高に、そんな風に恋をしている。
相手は男で、オレの命の恩人なのに、オレは彼を思い出して欲情している。
その事がひどくイヤらしく、不遜な感じがした。
でも、しょうがない、と思う。
人生において、初めての本気の恋なのだ。これを誤魔化したりしたらオレの心はねじくれてしまう。
今まで自分の心にたくさんの嘘をついてきた。
それが苦しくて、嫌で。なのに、嘘をつかなくてはならないことがある。
生きていくために仕方のない嘘。
だからせめて本気の恋に対してだけは、自分の心に嘘をつきたくない。
相手が男だから、オレはまだどこかで戸惑っているけど。でも……。
別に告白とかして、向こうを困らせるつもりはないんだ。
ただ本気だって事。
オレ自身が、この恋は本気だと、そう自覚しているだけ。
それならいいよな。
海里はポスターから視線を外して、大きなため息をついた。
オレが砂城にいることは一族にはバレバレだろう。
でも、今の自分の状態まではどうだろう。事件に巻きこまれて足を失くしかけたって。
警察がわざわざ口止めしてきたくらいだから、知らないかもしれないよな、と思う。
海里は自分が一族でどの程度の存在なのか、まったく解らなかった。
篁は血族意識が異常なほど強い。しかも自分は
「本家の男子だからな…」
ぼっそりと呟く。
なんて嫌な言葉。自由を束縛する単語。
本家の男子。
好きで本家に生まれたわけではないし、この現代で、まだ本家の男子が特別扱いされる篁の旧弊は、海里に吐き気をもよおさせた。
もっとも、男子は他にもいる。
本家の男子は重要ではあるが、篁は替えもたくさん造っておくのが常だ。
だからお目こぼしで、海里は放っておかれているのかもしれなかった。
しかしどちらにしろ、せっかくの映画祭なのにカメラを構えて取材に行くことはできそうになかった。
「いい写真が撮れたら、週刊誌とかに持ち込もうかと思ってたのによ。採用されたら少しは金になるだろうし」
ぶつぶつと呟く。
篁 翔子が来るのでは、カメラ構えて最前列に飛び出して行くわけにはいかない。
ここにいることを知られているとしても、直接顔を合わせたくないのだ。
翔子は同じ篁でも分家筋にあたる。
正月の集まりで二、三度顔を見かけたことがある。確か挨拶もされたはずだ。
といっても、翔子は4つ年下でもうすぐ19歳。
今はいい女になっているかもしれないが、子供の頃の4つ違いは大きい。自分が女と遊ぶ事に夢中になっていた17〜8の時、翔子は13かそこら。
女としては、眼中にも入っていなかった。
だから話したかどうかも覚えていない。
でも向こうは自分を知っているだろうな、と思う。
篁で、本家一族の顔を知らない人間はいない。髪を染めたくらいではダメだ。
「映画祭でオレにも美味しいことはないかと思ったのにな…畜生」
まあいいや、と海里は思い直した。
映画祭に皆の目が向けられている間、他のことは手薄になるはずだ。
砂城での保護者である松本からは睨まれるだろうが、海里は自分が巻きこまれた「爆破事件」について調べていた。
といっても、探偵でもないただのシロートで、ツテも知り合いもない若造が出来るのは、せいぜいが新聞記事を集めたり、ネットで検索したりする程度の情報収集だ。
しかしそんな事すら、辺りを警戒しながら密かに行わなくてはならなかった。
いや、もしかしてそれほど神経を使わなくてもいいのかもしれない。
だが同時に、心のどこかで警報が点滅していた。
治安を守る公務員である警察が、取引を申し出たのだ。
取り引きは簡単だった。
自分が事件の被害者だとは誰にも漏らさないこと。
海里はきっちり約束を守っていた。
このケガは事件とは関係ない。ジャンクにやられたのだ。
そうしておかないと、莫大な治療費が海里に請求されることになっていた。
海里は足と引き替えに口を閉じた。
単純に捜査の都合上、マスコミ等に色々流されたくなかっただけかもしれない。
しかしならば、その旨説明して、しばらくの間の黙秘を要請してもよかった筈だ。
なのにいきなり最初から、取り引きを持ちかけられた。
そこには何か、秘密があるはずだった。
秘密がどんなものかは知らないが、とりあえず注意するに越したことはない。
どんな些細なことでも、何か調べているなんて知られたくなかった。
オレごときを警察がいちいち監視しているとも思えないが、それでも警察の目が映画祭に向けられている内に調べ物をする方が気が楽だ。
警察…。
もう一度、黒羽 高の姿が脳裏に浮かぶ。
警察は嫌いだけど。
「でも黒羽さんも警察官なんだよな」
映画祭の警備に出てくるかもしれない。
それに思いあたって、ドキリとする。もう一度海里はため息をついた。
「調べ物をするか、それとも黒羽さんを見に行くか」
それが問題だ。
どこかで聞いたようなセリフを口にしながら、海里はポスターの前を離れた。
東京都23区には監察医制度が存在する。
23区内で人が死亡した場合、医師の観察下における病死を除いたすべての死体は、東京都監察医務院に運ばれる。
このうち犯罪性があるとみなされた死体のみ、大学の法医学教室に運ばれ、検察官の指揮下で法医学の専門医によって司法解剖が行われる。
しかしその他の犯罪性は認められなかった遺体も、一度は監察医務院に運ばれ、そこで検案および行政解剖、専門家による死因の解明が行われていた。
砂城市は、東京都ではあるが23区ではない。
こうした監察医制度のない地域では通常、変死体の検死は警察医及び一般の医師が行う。
だが彼らは基本的には臨床医であり、死体のプロフェッショナルではない。
犯罪の痕跡を見落とすことも多いといわれている。
しかしもちろん砂城市は特別だった。
砂城市の変死体の約4割は、ジャンクか銃のどちらかによる死亡だ。
この二つの死亡原因は、もちろん他の地域では殆どありえない。
よってここには最初から、砂城専門の施設が作られた。
『砂城市監察医務施設』
通常の監察医制度からは少々外れた形で設立はしたが、一応ここは東京都監察医務院の分室だった。
日常的に死体に接する場所では、思ったより怪談の類いは語られない。
もちろん死者に対する敬意は忘れないが、仕事である以上、死体は「モノ」として扱われる。
肉体を開き、臓器をとりだし、刻み、分析し、死に至った経緯を調べる。
この時護られるべきものは、死体という魂が失われた器ではなく、人間の尊厳だ。
つまり、最後はどのようにして死んだのか。
それがきっちりと解って初めて、人間の人生の全てが終わったと言えるだろう。
人間は、けっして路傍にうち捨てられたまま朽ち果ててはいけない。
人は死というものに、けじめをつけたがる種族だった。
死に対してのけじめは、通常の世間では「葬式」という形で行われる。
ここで人々が思いをはせるのは、霊や死後の世界である。
しかしここでは、それは違う形で存在した。
死体を扱っているにもかかわらず、彼らが主に注目するのは、死に至る寸前までの生の部分だった。
だからそこで語られた話は、最初は怪談ではなく、何かの連絡ミス、もしくは不注意によって引き起こされた、単なる困ったことだった。
「死体が消えたんだそうですよ」
科学捜査研究所の技官、堂本航平はコーヒーを啜りながらのんびりと言った。
ここしばらくの間、砂城を騒がせるような大きな事件はなかった。
もちろん細かい事件は常に存在し、科捜研も仕事に追われていたが、それでもある程度ゆっくり休息が取れるくらいの仕事状況だった。
そういう時を見計らって、前から時々、黒羽 高は科捜研に足を運んでいた。
ワーカホリックの傾向がある黒羽の場合、遊びに来る、という表現がしっくり来ないが、仕事で来ているわけではないので、やはりこれは遊びに来ていると言えるのだろう。
などと心の中でくどい突っ込みを入れているのは、今回は黒羽に同行して遊びに来た白鳥香澄だ。
「白鳥さん、今度班の指揮をとるんですって?」
堂本がくるりと振り向き、今さっきしていた話はなんなんだ、と言いたくなるくらい唐突に話をふってきた。
「なんで知ってんの? 先生」
「白鳥さん、リーダーになるなら、その子供っぽい口調はやめた方がいいですよ。まるで教室で質問する中学生みたいだ」
「仕事の時は、ちゃんとやってますよ。ご心配なく。…っていうか、堂本センセ、その話コウから聞いたんだろう」
堂本はコーヒーを啜って質問には答えなかったが、態度は明らかだった。
「なんかセンセとコウって仲いいよね」
なんとなーく探りを入れてしまう白鳥だ。
彼と黒羽が寝ているとは思っていないが、やはり恋する男はどんな形でも、多少は嫉妬深くなってしまうものらしい。
堂本はクッキーをつまんでうーんと言った。
「そうですね、話はあいますね」
「そうなの? コウとセンセってどんな話してんのさ」
白鳥はびっくりする。
コウが話? するって? オレとだってあまり長文は喋らないのに。
「どんなって、世間話ですよねえ、黒羽さん」
黒羽は黙っている。
「世間話って…、どんな?」
ますます信じられない。コウが誰かと世間話!
堂本は眼を細めて再びうーんと唸ると、顎を掻いた。
「えーと。最近の使役品関係の研究における科捜研の役割についてとか、新しい対ジャンク用ブレットの研究中間報告とか、ディープに生じる時間不連続面と縦穴出現の際に観測される第二次波形との相関関係についての研究小論文の…」
「ち、ちょっとストップ。それ、世間話なんですか?」
「そういう話を僕がしてですね、黒羽さんが頷く。そんな感じです」
白鳥は思いっきり前にのめってしまった。
ちょっと待て。コウは頷くだけかよ!
それで話が合うって言いきる堂本センセがよく解らない。
結局、堂本センセみたいな少々変わった人間しか、コウとのつきあいは続けられないのかもしれないけどさ。
(そうするとオレも変なヤツって事になっちゃうけど、まあそれは置いといて)
でも、ちょっとホッとしたのは確かだ。
嫉妬が醜いのは解っているけど、それでもオレ以上にコウと親しく話す奴がいるって状態は、あまり面白くない。
「じゃあなんですか? コウはここに菓子を持参して、ひたすら堂本センセの話を聞くだけ?」
「いやあ、時々は喋りますよ、ねえ?」
黒羽はやっと口を開いた。
「香澄は警部補で僕の上司だ。香澄が指揮をとるのが本来の形なのだから、やっと秩序が戻ったと言える」
「とまあこんな感じで、時々は喋るわけですよ」
堂本はご満悦だったが、白鳥はもう一度机に突っ伏しそうになった。
会話噛み合ってねえじゃん。
それとも間の空白に、何か別の会話が隠されていたのか?
「死体が消えたというのは、どういった話なんですか?」
唐突に黒羽が話を戻した。
「ああ、そうそう、その話をしようと思ってたんですよ」
思っていたにしては、最初に話をいきなり曲げたのも堂本本人だ。
どうやらこの先生は、頭に浮かんだことを、そのまま整理もせずに次々と話していく傾向があるらしい。
で、そのバラバラな話の欠片から、コウが自分が聞きたいところだけ拾っていく訳か。
なるほど、それなら話が合うと言えないこともないだろう。
堂本センセが好きなことを喋って、その中からコウが自分の好きなところだけセレクトする。
そういう状態が会話って言えるなら、だけど。
「監察医務施設に友人が勤めているんですけど、そこでね、死体が消えたって噂が流れてて。黒羽さん確か、そのテの話集めていたでしょう?」
「え? コウにそんな趣味が?」
白鳥は椅子に座ったまま黒羽を見上げたが、壁に寄りかかって立つ黒羽は、彼のほうを見なかった。
どうやら答えるつもりはないらしい。
「その話は、なんらかの根拠が多少でもある話なんですか? それとも昔から伝わる噂話ですか?」
質問は堂本のみに向けられる。
「最近の話。それにね、怪談って訳でもなさそうなんだよね」
「大抵の怪談は、事実だと言って語られるものです」
「ま、そうなんだけどさ。…ホラホラ白鳥さん、ちゃんと黒羽さん喋っているでしょう?」
堂本が再び、いきなり白鳥に話を振った。
嬉しそうな声に、白鳥は苦笑する。
いやだから、それは聞いていれば解るから、話を戻した方がいいんじゃないの先生?
黒羽は辛抱強く話の続きを待っていた。
堂本の話の内容は、まとめるとこんな感じのものだった。
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