何が起こったのか、白鳥には一瞬解らなかった。
いきなり視界が暗くなり、なま暖かい風が頬を撫でる。
そして次には衝撃が来た。
黒い湿気った泥の地面に体がぶつかり、そのまま転がる。
「わあっ、銃、銃」
衝撃で手から離れてしまったニューナンブを捜して、白鳥の手が地面をまさぐった。
 
「え…?」
銃の代わりに白鳥の手に触った物は、何かぬるりとしたものだった。
あわてて手を引っ込める。
薄闇に、目がだんだん慣れてきた。
上にぽかりと白く切り取られた穴が見える。
「落ちた…、にしても、なんだ? ここは…」
手に残る湿気った感触は、何か不吉なものを白鳥に感じさせた。
「地下室? っていうか、ただの地下洞みたいだよなあ。隠し地下洞…」
そこまで呟いて、白鳥の額に冷たい汗がにじみ出た。
「ちょっとまて。ちょっと待てよ。この家の中に隠れるところは、押し入れか、バスルームか、天井か…」
 
誰もこんな地下室があるなんて知らなかった。
こんなところは、誰も考えに入れていなかった。
まさか…、もしかして…。
 
白鳥は薄暗がりの中、ゆるやかに影が浮かんでくるのを呆然と見つめていた。
それは、成人男性なんかより、ずっと大きなものだった。
虫というにしても、もっとずっとグロテスクなものだった。
 
ジャンク…。
白鳥の背中に汗が伝う。
魂のない、生きていない、『もの』。
リビングデッド。
生きているものだけを食い散らかす虫。
噂の中にしかいないはずだった悪夢の化け物。
 
次の瞬間、白鳥の瞳にナイフのような切っ先を持つ触覚が映った。
そしてそれは、白鳥の体めがけて吸い込まれるように飛んできた…。
 
 
 
黒羽は自分が思っているより、ずっと動揺していた。
しかし体は、彼の心の中などどうでもいいかのように、冷静に動いた。
穴の脇に膝をつき、穴から直線上の位置に顔を置かないようにして、中を覗く。
下は暗く、湿気った空気の流れが、微かに腐ったような臭いを運んできた。
 
「なんで、こんな所に穴が?」
独り言のような言葉に、上川が応える。
「なるほど。妙に用意がいいと思った。地下室なのね? 黒羽さん」
黒羽は頷き、下を覗いたまま口を開いた。
「不法サルベージか?」
「間違いない。勝手に穴を掘って使役品を掘り出し、不法に売り飛ばしているんだ。だったら彼等は自業自得と言ってもいい。何も対策を講じないまま穴を掘るなんて。ジャンクを上に放つのと同じだよ。重罪だ」
「子供は殺される理由はないだろう?」
黒羽の言葉に、怒りに頬を染めていた上川は、はっとしたように口をつぐんだ。
 
「しかし、この可能性は考えなかった。住宅街に縦穴なんて」
「この辺の地層は安定しているから住宅街にしたんだものね。そんな所にわざわざ穴を掘るなんて、普通のシロウトじゃできない。誰か専門家の助けがあったか…」
「それとも、もっと悪い事を考えるなら、縦穴が掘れるくらい、ここの地層が薄くなっているのか…」
その時上川は、ふと黒羽の声が微かに震えていることに気がついた。
表情はまったく変わっていなかったが、なんとなくいつもの冷静な雰囲気がない。
切羽詰まったような、緊張した空気。
 
驚いた。もしかしてこの人、動揺しているの?
上川は目を見開いた。
黒羽は上川を振り返って言った。
「とにかくここにジャンクがいる。上にそう伝えてきてくれ。応援が欲しい」
上川は少しためらった後、解った、と言って部屋を出ていった。
 
 
黒羽は下を覗く。
暗い淵が自分を見返す。
降りられないだろうか?
いや、彼等が不法サルベージをしていたならば、降りられるはずだ。
 
その時、下から悲鳴が響いた。
白鳥の声。
「!」
黒羽はとっさに注意することも忘れて、穴に顔を近づけた。
「白鳥! 白鳥さん。そこにいるのか?」
声は穴の中に反響し、くぐもったエコーに変える。
「白鳥さん! 白鳥香澄」
返事は、帰ってこない。
 
黒羽の中に痛いような不安が沸き上がってきた。
かすかな吐き気が喉をかすめる。
 
ジャンクに殺される。
それを目の前で見ながら、僕は何もできない…。
 
黒羽は頭を振って胸の中の理不尽な不安をふるい落とした。
左手のソウドオフショットガンを見おろす。
左で撃って、右で守る。
僕はもう、何もできなかった子供じゃない。
 
穴に顔を近づけた黒羽の瞳に、把手のようなものが目に入った。
よく見ると、それは梯子のように下に続いている。
体重をあずけるには少々心細いが、それでも降りるために作られたものらしく、使用した跡がついている。
しかし、その跡は少し古いようだった。
「現役の梯子じゃないらしいな」
黒羽はそう呟いたが、ためらうことなくそれに手を伸ばした。
 
本当なら2階からの応援を待つべきなのだ。
それが正しい選択だった。
だが、黒羽は梯子に体をあずけた。
もう一度暗闇に耳を澄ます。
かすかに何かを引きずるような湿気った音が聞こえる。
背中にぞくりと泡が湧いた。
 
僕は少しばかり冷静さを失っている…。
でも、行かなくてはならない。
僕は、今度は、今度こそは…。
 
そして黒羽は、下の暗闇へと降りていった。

 

 

うなりをあげて目の前に飛んでくる触覚を、白鳥は転がりながら何とか交わした。
地面についた手に、冷たくて硬いものが触る。
ラッキー。落とした銃じゃん。
白鳥は素早くそれを掴んで構えたが、ジャンクの動きは早かった。
もう一度大きく体をひねって地面に倒れ伏す。
布が裂けるような音がした。
まずい、動きが早すぎるって。
暗い上に、ただでさえ、このニューナンブという銃は命中精度が低い。
その上弾は5発きり。
白鳥は全力で逃げることにした。
 
って、逃げられんのかなぁ? オレ。
とにかくできるだけ遠くまで転がり、立ち上がって走る。
1,2度後ろで触覚が地面に突き刺さる鈍い音がしたが、かまわず白鳥は走り続けた。
 
 
まもなく攻撃は、ぴたりとやんだ。
白鳥は振り返り、薄闇に目を凝らす。
「に、に、逃げられたの、かな?」
荒い息を吐きながら、白鳥は妙に力が抜けていくのを感じていた。
気がつくとシャツがびりびりに破れている。
腹を触ると、なま暖かくて嫌な感触が手を濡らした。
 
鈍い痛みが、ゆっくりと広がる。
白鳥は息を吐きながら、その場に腰を落とした。
「畜生、なんかまずくないか?」
心臓が早く打ちはじめる。
どの程度の傷なのか、よく確かめられないことが白鳥を不安にさせた。
「別に、今すぐヤバイって感じでも無さそうだけど…」
 
なさけねぇ…。
何がばしっと決めてやるだ。
化け物をやっつけるどころか、オレがばしっとやられてんじゃないか。
 
遠くから声が聞こえた。
自分を呼んでいる。
黒羽の声だった。
白鳥は薄く笑う。
 
呼んでやんの。でかい声。
ああ、白鳥さんだって。香澄って呼ばなきゃ、返事なんてしねえぞ。
だけど…、驚いた。心配そうな声出しちゃって。
 
まだ力は抜けているものの、黒羽の声は白鳥の中に火を注ぎ込んだ。
「大丈夫、とはいかないけれど、まだ生きてる。生きてる限り、正式パートナーへの参加権は失ってないって事だよな」
たいして面白くもない冗談だったが、白鳥は笑って上体を起こした。
一度ホルスターに納めた銃を抜き出して、暗闇に構える。
「外の人には、外の人のプライドってもんがあるんだよねー」
 
さっきから湿気った暗闇の奥で蠢くものがいる。
方向からしてさっきのジャンクではないようだが、新手かもしれない。
 
「でてこいよ。出てこないと、撃っちゃうぞ」
ジャンクが相手なら返事をするはずもないが、声に引かれてまっすぐこちらへ来るかもしれなかった。
見えた瞬間に、撃つ。
いくらニューナンブの命中精度が低いといっても、まっすぐ構えたこの形なら外さない。
だが、次の瞬間、白鳥の目に映ったのは意外なものだった。

 
 
「人間?」
叫んだときには遅かった。
撃鉄を起こし、シングルアクションの形にしたリボルバーの引き金は軽い。
あっと思うまもなく、彼の放った銃弾は男の体を貫いていた。
 
「うわっ、やばい」
白鳥は腹をかばうことも忘れて立ち上がり、男のほうへと駆けよった。
「ごめん、ですむならいいけど…。大丈夫ですか? もしもし?」
男は髭だらけの顔を向けて、虚ろな瞳で白鳥を見返した。
「り…、亮子か?」
「え? あんた、撃たれたんだよ。って、オレが撃ったんじゃん。大丈夫なのか? おい」
白鳥は男の腕をつかむ。
その瞬間驚くほど冷たい感触が白鳥の手に伝わってきた。
 
な、なんだこいつ。まるで死人みたいじゃないか。
 
生きている死体。
白鳥の頭の中に、黒羽と組んだ初日の出来事が鮮やかに甦ってきた。
確かに生きていたと思ったのに、次に見たときは死んでいた男。
検死官はその男を、三日前に死んだと言った。
あの男は、オレが最初に見たときも、もう死んでいたのだろうか?
リビングデッド…。
その言葉の響きに、改めて白鳥は寒気を感じた。
 
「亮子…?」
男は白鳥のほうをもう向いていなかった。
虚ろな目は、何かを捜して宙をさまよう。
「あんた、誰だ? 亮子って、あんたの何?」
「つ、つ。妻だ」
回らない口から、男はかすれた声を絞り出した。
「妻だ…。い、家にいては、いけない…」
「あんた、もしかして! この家の主人か?」
男は、ああ、ともうう、ともつかない音を口から漏らした。
「だったら、奥さんは…」
白鳥は言い淀む。
男はもぐもぐと不明瞭に聞き返した。
「だ、ダメか? 死んだ…のか?」
白鳥の沈黙に、男は悲鳴とも嗚咽ともつかない声をあげる。
そしていきなり白鳥を突き飛ばした。
 
力の抜けていた白鳥は簡単に地面に転がった。
再び腹に暖かいものが溢れる。
「何…!」
白鳥は歯を食いしばって起きあがろうとしたが、男の後ろにせまってくるものに気が付いて、大きく目を見開いた。
 
巨大な、グロテスクな、虫。

ジャンク!
 
白鳥の銃が火を噴いた。
ほとんど反射で体は動いた。
その場で全弾ジャンクの胴体にぶち込む。
銃弾を受け、ジャンクの体は震えるようにしてそり上がり、ぐらりと傾いた。
しかし、それはほんの一瞬だった。
ジャンクは男を押しのけて吹き飛ばし、そのまままっすぐに白鳥のほうへと進んできた。
ずるずると、嫌な音をたてながら。
 
ジャンクは生きたものしか襲わない。
やっぱりあの男、死人なのか!?
白鳥は銃を構えたまま、もう弾が出てこないそれの引き金を、無意識のうちに何度も引き続けた。
頭が痺れたように、何も考えられなくなる。
 
腐ったような臭い。
最初に手に感じたぬるりとした感触。
目の前に悪夢のように迫ってくるジャンクの口。
舌の上に苦い唾が湧いた。
 
動けない。
いや、今すぐ立ってここから逃げろ! 早く!
震える足に力を入れようとした、その時だった。

 

 

轟音が、暗闇に鳴り響いた。
「くろ…、黒羽さん!」

左手にショットガンを構えて、黒羽が立っていた。
氷のような、無表情のまま。

もう一発、続けてもう一発、彼の左手は火を噴いた。
ジャンクが金属が軋むような音をたてて大きくのけぞる。
その隙を逃さず、黒羽は白鳥に駆けより、体をひっつかんでその場から飛び退った。
飛び退りながらも、彼のショットガンはジャンクに向かって弾丸を吐き出し続けた。
 
ちょっと! 
このタイミングで登場する?
黒羽さん、かっこよすぎ。
白鳥は黒羽の腕の中で、腹の痛みに歯を食いしばった。
まったくもう、オレの出番無いじゃん。
 
黒羽の放つ弾丸を全身に浴びて、ジャンクは震えながら湿気った黒い土の上に倒れ落ちた。
地面の上で、ジャンクの体表は、ぶくぶくと泡立ち、あちこちが変形し、崩れ始める。
やがてそれは、バラパラの肉塊へと変化し、そしてすべての動きが止まった。
 
 
 
黒羽は、ゆっくりと左手を下ろし、膝を落として息を吐いた。
そして次の瞬間、いきなり白鳥を抱きしめた。
「…っ、ちょっ、ちょっと? 黒羽さん?」
白鳥は黒羽の腕の中で目を白黒させた。
「いや、その、抱きしめるのはいいんだけど、これは何つーか、とってもいい感じだけどさ、だけどちょっと、なんか黒羽さん、変じゃない?」
黒羽は白鳥を抱きしめたまま、何度もため息をついた。
「良かった…。生きてた」
「ど、どうしちゃったのさ。震えてんの? もしかして」
「怖かった。死んだらどうしようかと思っていた。今度は、間に合った…」
今度? 今度って?
白鳥が首をひねっていると、黒羽はやっと抱擁を解いて白鳥の顔をまっすぐに見つめた。
クールブラックの瞳。
綺麗で冷たいその顔は、声の感じとは裏腹に、やはり無表情のままだった。
 
だけど、なんか雰囲気が違う。
「えーと…」
「僕の、両親は僕が15の時に死んだ。僕の目の前で、ジャンクに喰い殺されて」
「黒羽さん…」
「僕は子供で、銃もなくて、何も…できなかった。早く大人になりたかった。大人になって、誰かの役に…。誰かのために、僕は今度は…」
黒羽は口を噛み、目を瞑って横を向いた。
 
白鳥は黒羽のその顔をしばらく見つめていた。
この顔…。
彼が座り込んでしまったため、少し低い位置にあるその顔に触る。
この顔、見た事がある。
昔。あの時。13の時に…。
 
「黒羽さん…」
そっと背中を抱く。
彼は横を向いたまま、微かに震えていた。
なんで、オレが助けられたはずなのに、あんたが助けられたような顔をしているのさ?
何でそんなに、心細そうな顔をしてるんだ?
誰かに棄てられそうになってるような感じだよ。
 
白鳥は横を向いた黒羽の顔を、手でこちらに向かせた。
綺麗な顔。
背中なんかじゃなくて、まっすぐその顔を見る。
白鳥はそっと黒羽のメガネを指先ではずした。
黒羽の目が開く。
「なんかさあ、メガネ取ると、無防備な感じ」
白鳥は顔を落として、その唇に触れた。
唇は、乾いた味がした。
 
なんかオレ、何やってんだろうな。
黒羽の背中に手を回す。
しょーもないな、オレ。
泥だらけでさ、オレが助けられたんじゃん。
だけど、オレが抱いてやらないと、なんだかこの人のほうが倒れそうな気がする。
強いけど、弱い。
オレより強くて、オレより優秀で。
でも…、オレは知ってた気がする。
 
何でそんな顔をしているのさ。
オレはその顔が忘れられなかったよ。
ながいあいだ。今でも…。
 
 
 
「いてててて」
白鳥は顔を歪めた。
そのまま尻餅をつく。
うわ、やっべえ。また腹の傷、開いちゃった?
「! これ、白鳥さん。まさか、やられたのか?」
黒羽は目を見開いた。
白鳥は返事をしない。
黒羽は眉をひそめて顔を覗き込んだ。
「…白鳥さん?」
白鳥は腹を押さえながらにやりと笑う。
「だから、香澄って呼んでよ。前から提案してるじゃない。そうしたら、返事をする」
黒羽は下を向いて、再びため息をついた。
「香澄」
「なに?」
語尾には、ハートマークがついている。
「見せてください」
いきなり黒羽は白鳥をひっくり返し、シャツの前を開いた。
そして傷を見るなり、何も言わずにシャツの一部を破り裂くと、それで腹をきつく縛った。
「いて、いててて。大丈夫だって。ホント。大丈夫、だよね?」
「そんなに酷くはない。だけど、そのまま動かないように」
白鳥は抗議をしようと思ったが、ふと思い出して真顔になった。
 
「動かないように!」
「動かない。動かないって。たださ、あの、じゃあ黒羽さんがちょっと向こうを見てきてくれない?」
「なんです?」
ちぇっ、もう冷静な顔してやがる。
さっきまでなんだか泣きそうな感じだったのにさ。
「あのさ、そっちに多分人が倒れている。ジャンクに跳ね飛ばされたから、生きてたらだけど。ああ、そうか。あいつ、跳ね飛ばされなくても死んでいるのか」
「誰です?」
「たぶん、この家の主人だよ。奥さんの名前、呼んでたよ。だけどあいつ、もう死んでる。なんでだろう? 死んでるのに喋るんだ」
黒羽は白鳥の頭をゆっくりと地面に置いて、立ち上がった。
そして暗闇の中に首をまわした。
 
 
 
「り、亮子…」
「亮子じゃない。警察だ。あなたはここの家の主人か?」
男は地面に転がったまま、鈍く頷いた。
「不法サルベージをしていましたね?」
男はまた頷いた。
「亮子は? 啓太は…?」
黒羽は目を細めて男を見つめた。
「2人とも死んだ。…あんたのせいだ」
男は転がったまま横を向いて、ああ、と息をもらす。
「わた…、私のせいだ。私が、わた…し、が」
「いつからサルベージをやっている? そして、あんたは何者だ?」
 
男は腕を上げて顔を覆うような仕草をしたが、腕はぎしぎしと軋み、顔まで上がることはなかった。
男の体は硬直しはじめていた。
ああ、と男はため息をもらす。
「ああ、ダメか…。わたしは…もうだめなのか? 変だなあ。このまま、うまくいくはずだったのに」
「誰に手引きされた?」
黒羽は鋭い目で彼を見おろした。
「うまく、いくはずだった。私は、病気だったんだ。そんなに永くなかった。そうしたら、あの男が来て言ったんだ…」
 
病気にならない体が、欲しくはないか?
 
「欲しかった…。私は欲しかった。だけど、こんな、体…じゃない」
男は、たぶん泣いていた。
しかし硬直しかけた冷たい体に、暖かい涙が流れ出てくることはなかった。
「うそつき。嘘つきめ。大丈夫だって、言ったんだ。自分がそうだから、大丈夫だって…」
「とうま…りょういち?」
黒羽の言葉に、男は激しく体をけいれんさせた。
「ジャンク。私の体はジャンクと同じだ。死んでいる夢しか…、見ない。虚ろな生しか、私には…ない。それも、もう終わりだ。もう、だめなんだろう? もう私の体は…おわりだ。亮子も、啓太も、先に行ってしまった…」
男は夢見るような顔になった。

「暗い…。怖い…。このままゆっくり落ちていくより…、あんたのその銃で、壊してくれ…」
黒羽は黙ってゆっくりと左手を上げた。

 
「黒羽、さん?」
動くなと言われたはずの白鳥が、いつの間にか後ろに来ていた。
「ジャンクだ」
黒羽が静かに言う。
「壊して…、くれ…」
男の体がけいれんし、ゆるやかに息を吐いた。
 
左手から、轟音が鳴り響いた。

 

 

  「あの人さ…」
白鳥は寝転がって、頭を黒羽の膝に乗せながら、彼の顔を見上げた。
「やっぱり、死んでたんだ」
黒羽は黙って白鳥の髪をなでる。
その手を白鳥が握った。
「ジャンクみたいに、溶けて…崩れた」
「動かないように」
静かな黒羽の声。
「撃たなくても、黒羽さんには全然不都合はなかったのにね。でも、死なせてあげたんでしょう? 人間の、意識のうちに」
やさしいね…。
白鳥はそう言って笑った。
 
遠くから声が聞こえる。
2人は声のするほうに顔を向けた。
 
「そこにいるのか? おおい、やられてんじゃねえだろうなあ?」
高田の声だった。
「ここだ。香澄が怪我をしている」
おおっ。黒羽の言葉に白鳥は膝の上でにやけた。
もしかして、努力が実った?
 
「わりい。遅くなって。オレ達二階から来たんだよ」
高田が大股で近づいてくる姿が見えた。
後ろに残りの3人もついてくる。
「二階?」
「ああ。二階の、子供部屋の裏にさあ、もう一つ小さな部屋があって、奴らそこから出入りしていたらしいな」
なるほど、と黒羽は頷いた。
「二階に、妙な違和感を感じた。おかしいと思った。家の大きさのわりには、部屋が小さい気がしたんだ」
「隠し部屋ってわけ。こりゃあ主犯をさっさと見つけて、吐かせないとなあ。大がかりすぎる。絶対裏がいるって」
黒羽は高田を見上げてぽつりと言った。
「この家の主人なら、僕たちの目の前でジャンクに喰われた」
白鳥は膝の上で目を見開いた。
「ええ? 本当か? それは」
「あのジャンクを見ただろう? 壊れる前は人間の3倍はあった」
高田は口を押さえた。
「一口ってわけ? うわあ」
「香澄の撃った5発くらいじゃ、全然きかなかった」
本当は4発なんだけど…。心の中で白鳥はつぶやいたが、口には出さなかった。
そうかー、と高田は言って白鳥を見おろした。
「怪我してるのか? おまえも災難だなあ。最初からあんなでかいのに当たるなんて」
 
白鳥は微かに笑って黒羽の顔を見上げた。
災難だったのかな?
確かに怪物をやっつける正義の味方、ってなふうには、ばしっとはいかなかったけど、だけど、ちょっとだけいい気分ではあるんだ。
あんな顔も見ちゃったし、香澄って呼んでもらえてるし。
どさくさに紛れて、キスもしちゃったもんな…。

 
白鳥は目を瞑った。
なんか思ったより疲れている。
腹は痛いけれど、誰もいなかったらこのままもう少し寝ていたい気分だった。
黒羽さんの膝の上だもんな。まあ、寝心地がいいとは言えないけど。
彼の手は、まだ髪に触れていた。
暖かかった。
 
遠くで微かに救急車の音がした。

END

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