クリスマス狂想曲



 
 オレはコウと『外』で待ち合わせをしていた。
そう、外だ。砂城じゃない。
コウは実のところ外は苦手で、最近やっと連れ出すことに成功した。
本当はまだ、外に出るのがなんとなく怖いらしいのだが、それでもオレが誘ったら、頷いてくれた。
なんでオレが外にいるのかというと、一番上の兄貴の結婚式に出席させられたからだった。
結婚式の話は前から聞いていたのだが、忙しかったのとめんどくさかったのとで出席の返事を後回しにしていたら、いきなり

『オレの結婚式に出席しなかったら敵とみなす!』

などというFAXが、すごい勢いでガーッと流されてきた。
まあ砂城のアンダーに潜ったきり、正月にも、全然家に帰らないオレも悪いのだが。
それにしたって開いた口がふさがらない。
兄貴今年でいくつだよ。嫁さん見せびらかしたいのかもしれないけどさ。

 そんで、年休余分に取れって言うから何だと思ったら、結婚式の後すぐクリスマスだから、クリスマスまでは家にいろときた。
どーも、母親の差し金らしい。
砂城なんて危ない所に行ったまま、なかなか帰ってこない末息子を出来るだけ手元に置きたい気持ちは解るけど、外国じゃあるまいし、この年でクリスマスを家族と一緒に、なーんてあんまりしたくない。
だからコウを呼んだ。
日本ならクリスマスは、やっぱり恋人と一緒に、だぜ。
それにパートナーなんだもん、家族に紹介しとくのも悪くない。
だけど、さすがにカミングアウトをする勇気はまだ無いので、オレのパートナーで大切な人だって事だけ言う事にした。

カミングアウトは、そうだな。
兄貴に子供が生まれて、母さん達がすっかり孫にフォーリンラーブしちゃって、他の事がどうでもよくなった頃にしよう。
うん、それがいい。
孫に夢中で、オレの事なんかアウトオブ眼中になった頃がナイスだよな。
コウはそんな風にうるさい家族の存在が少しうらやましいみたいだが、オレに言わせれば、二十歳過ぎた子供の事は、もう少し放っておいて欲しいと思う。

いいじゃんか、少しくらい家に帰らなくたって。
多すぎる愛も鬱陶しいもんだ。



 あっ、コウだ。
喫茶店のウインドウ越しに外を見る。
年末の人混みに紛れて姿はまだ見えないけれど、コウが来た事はすぐに解った。
だいたい人が同じ方向を振り返りはじめると、その視線の先にコウがいるのだ。
なにせコウはすっごい美人だからな。誰だって振り返る。
そして予想違わず、まもなく人混みの中から、すらりと高いコウの体が抜け出してきたのだった。

「コウ!」
店に入ってきたコウに、オレは大きく手を振る。
コウはすぐに気付き、微かに笑ってちらりと手を振り返した。
「場所、すぐに解った?」
「ああ。だけどすごい人だな」
コートを脱ぎながら椅子に座るコウの顔に、少しだけ不安そうな影がよぎる。
うーん。ここは抱きしめて安心させてやりたい所だけど、街中でそれは出来ないよな。
代わりにオレは出来るだけ陽気な声を出す事にした。

「あっ、コウ。これ新しいスーツじゃん。よく似合ってるよ」
褒められてコウの頬が少しだけ緩む。
よーし、成功、成功。
「いつ買ったんだよ。クリスマスだからおしゃれ? 生地もいいし…」
スーツの袖辺りを触りながら、オレはちょっとだけ眉を寄せる。

…なんかこれ、すごくいいスーツじゃないか?

めちゃめちゃ高そう。
ブランド品だろうか。しかも新品だ。
コウは時々妙に高い服を着ている事があるけど、それはみんな古いもので、あるものをそのまんま着てるって感じだ。
でもこれはどう見ても最近買ったんだよな。
だけど…。そんな高い服をコウが買うだろうか?

「ちょっとよく見せてよ、スーツ」
不思議そうな顔をして、黒羽は上着を脱いで白鳥に手渡した。
いや、脱がなくても、とは思ったが、手にとってしげしげと眺める。
やっぱり高そう。手縫いじゃないか? これ。
そこまで思った時、ちらりとスーツのタグが見えた。

うげっ!

その瞬間オレは仰天した。

ちょっと待ったーーーっ。
これランバンのスーツじゃないかーっ!
ななな、なんで? 超一流ブランドだぜ。
ししし、しかも、これはオレのカンなんだが、すごーく、とってもオーダーメイドくさい。

待て待て待て。
頭パニックに陥りそうになったオレは、おそるおそるコウに尋ねた。
「あ、あのさ…コウ。これどこで買ったの?」
コウはオレの冷や汗になんぞ全然気付かず、さらりと答えた。
「海里が、安くていいスーツがあるからなんなら注文するかって…」



あああ、やっぱり…。
オレは心の中で頭を抱えた。
それで解った。全部解った。
これは、このスーツは間違いなく例の社長からだ。
香坂葵。あの冬馬グループと並ぶ、日本有数の大企業『千代田物産』のオーナー。
すっげーたくさん会社を持ってて、普通ならオレ達とは住む世界が違う大金持ちな男だ。
オレ達とは妙な縁があって知り合ったんだが、この社長が自分だってめちゃくちゃ綺麗なくせに、何だか知らんけど、コウを着飾らせたいらしいのだ。
それで時々服を送ってよこす。
でも、ここがあの社長の手管なんだけど、ただ服をやるって言ったって、コウが受け取るはずもない。
そこで、あの手この手を使って、コウに買わせるのだ。
ただでものを受け取る事には警戒するコウも、金を払うとなれば、安心して手を出す。

「コウ、そんで、安いって、それいくらだったの?」
「うん、何でも社員割引がきくから、7000円でいいという話だった」
笑ってコウが答える。
ぐうーっ。その笑顔はひどく魅力的ですが…。
でもそのスーツは、絶対70万円だと思います。
何だか胸の辺りが苦しくなって来ちゃったぜ。
今までの最高額。差額はあの社長の奢りか?
なんも解ってないコウに、よくもまあ、だ。
今ごろしてやったりと、密かにほくそ笑んでいる事だろう。

社長め。オレには絶対送ってこない所が憎たらしい。
いや、別に服が欲しい訳じゃない。
ズルして人から何かを手にいれようなんて思った事はない。
70万のスーツだろうと欲しけりゃ金を貯めて自分で買う。
あの社長は、こういうものの価値をオレがすぐ見抜く事を、十分承知しているのだ。
価値が解ったら、とーぜん70万のものを7000円で買わせるようなベタな作戦はきかないし、くれるって言ったって、オレだって貰わない。
それが最初から解っているから、香坂葵はオレには服はよこさないのだ。



代わりに彼は、オレにはとんでもない事をしてくれた。
思い出すとまたまた頭が痛くなる。
あの社長と来たら、なんと兄貴の結婚式に、祝電とビックリするほど見事な花をよこしたのだ。

千代田物産の、しかも社長から、なんで祝電と花が?
あったりまえだが、家族中大パニックだった。
そんな人との繋がりが誰にあるかなんて判っていないわけだから、当然香坂葵に結婚式の招待状がいっている筈もない。
なのにいきなり祝電だ。
パニクるなって方が無理ってもんだ。
花嫁の家族はものすごーく感心したらしいが、兄貴の顔は青かった。
後で胸ぐらを掴まれた事は言うまでもない。

知り合いなら知り合いだとなんで言わなかったんだ、と怒鳴られるわ、招待状も送らずに、なんて失礼な事をしてしまったんだと泣かれるわ。もう散々だった。
でもさー。母さんも兄貴もさ。
思うんだけど、正気なら、こんな庶民のささやかな結婚式に、世界的大企業のトップなんか呼べるか?
絶対呼べないって。
第一呼んでどんな席を用意するって言うんだよ。
一体どうすればいいんだ、と取り乱す母親に、オレが後で電話をかけておくから、と言ってなんとかその場は納めた。

後で電話をもちろんしたのだが(取り次ぎの姉ちゃんが忍び笑いをしていたのは気のせいか?)あの社長は、しれっとこう言った。
『なんで祝電なんか送ったんですか?』
『だって君の結婚式には、招待されそうもないじゃない。だからさ』

ああ、畜生。
そうですよ。そうですとも。
確かにオレの結婚式はないさ。日本じゃ男同士の結婚は許可されてないからな。
その道の先輩は、よーくご存じってわけだ。

だけど時と場所を考えてくれ。
いや、よーく考えたんだろうな。
んでもって一番効果的なものを、もっとも効果的な瞬間を狙って送ったに違いない。
ああいうのって、あの人の好意なのか、それとも嫌がらせなのか、時々疑いたくなる。

『ところでさ、白鳥くんウチに就職する気はない?』
黙っているのをいい事に、社長は勝手に話題を変えた。
冗談のように何回か云われた言葉だ。
君はラッキーボーイだからな。というのがお誘いの理由だけど、どこまで本気でどこまでが冗談なのか、オレにはさっぱり解らない。
もっとも絶対、オレのついでにコウを獲得しようとする下心があるのは確かだ。
『また、からかっているんですか? オレは正義の味方になりたくって警官をやっているんです。そちらが地球防衛企業を新たに作るとか、地球防衛課でも作るっていうんなら、その時は考えてみますけど』
どーせ向こうはこっちの反応を楽しんでいるんだから、オレだって返しちゃうぞ。
最近ちょっとは強くなったんだ。
ちょっとだけどなっ。

だがオレのせいいっぱいの虚勢は、社長にさらりと受け流された。
『ああ、それ面白そうだね。そうだな、前向きに検討してみるよ。その時はよろしく。約束したからね』
そう言って電話は切れた。
まったくもう、いいかげんオレ達庶民を振り回すのはやめて貰いたいもんだ。
だけど、地球防衛課…。
少しだけゾクっとする。
なんとなーく、あの人の場合、本気で作ってしまいそうで怖いんだけど…。



そんな事があったもんで、コウのスーツが篁海里から流れてきたものだって聞いた瞬間、オレには解った。
海里の野郎は、あんな風来坊の格好をしているくせに、上流社会の方々とじっくり懇意なのだ。そして、家とか血とか、自分のツテとかが大嫌いなくせに、コウにちょっかいを出すとなれば、その辺の手段は問わない卑怯者だ。
またかよ。
また何かたくらんでいたりする訳なんだろうか?
それとも単なる楽しみなのか?
どっちにしても振り回される事間違いない。

「香澄? この服に何か問題でもあるのか?」
黙ってしまったオレを、コウが不審そうに見下ろす。
オレは慌てて首を振った。
「ぜっ、全然」
「問題があるなら、返した方がいいだろうか?」
「あっ! いや、それはよしといた方が…。っていうか、大丈夫だって」
言いながら上着をコウに返す。
ここで値段なんかバラしたら、コウはすぐにでもスーツを突っ返すに違いない。そんでもって二度と香坂関係の流れからはものを買わないように警戒する。
そんな事になったら、海里の野郎はともかく、あの社長からオレがどんな報復を受ける事か…。
結婚式の大騒動を考えると、あまり想像したくない。

「だけど…。もしかして似合わないか?」
「似合ってる。似合ってるよ、すっごく」
それはマジだって。
通りすがる人、みんな目を瞠ってウインドウを覗いて行くじゃないか。
くっそー、香坂葵の気分はちょっとだけ解る。
だって、こんなに綺麗でスタイルもいい。どんな服だって似合う。
いい服ならなおさら似合う。
でもコウ自身はあまり服には興味なくて、その辺にあるものを着たり買ったりしてるんだよな。だからたまにはいい服を着せて、どんな風に綺麗になるのか、見てみたい気分になる。
んでもって、他のヤツらに自慢するんだ。
あの社長はコウがすげえお気にいりみたいだから、そういう気分なんだよな、絶対。
(まさか写真撮って、自分の会社のカタログに使用してたりしないよな?)

そういえば、男が女に服をプレゼントするのは、それを脱がせるためだって聞いた事がある。
コウは女じゃないけど、香坂葵はゲイなんだから、もしかしたらそう言う意味もあるのかなあ、なんて事も思った。
ううん。その服はオレのプレゼントじゃないけど、でもそこだけは、オレも同感だ。
綺麗な服をプレゼントして、しかる後に脱がす♪
楽しみながら、ベッドの上で、ゆっくりと…。
あっ。これは綺麗な服じゃなくても、そう思うか。
あまり関係がなかった。

それにしてもオーダーメイド(多分)
つまり社長はコウのサイズを知ってるって事だよな。
なんで知っているんだろう…?
それに関しては、あまり追求しない方が幸せのような気がしてきた。

 

 

「だめだ。つまらない」
書類の束を乱暴に投げ出して葵は不機嫌に言う。
「いい加減にしろよ。もう時間がないんだから」
「そっちこそいい加減もう少しましなプランを持って来れないのか。こんなありふれた計画で俺が納得すると思ってるのか」
思ってねえよ。
確かに、ろくなプランがないことは、柳だって承知していた。
だが所詮たかが遊びじゃないか。
それほど熱心にやることか?
「言っとくがな、今回のクリスマスパーティには千代田物産の将来がかかってるんだぞ」
「大げさだな。どうせ来るのはおまえの客だろうが」

ちょっといやみを言ってやる。葵も既に四十。さすがに以前ほど声がかかることはないけど、逆に何人かの馴染みとは、付き合いが深くなったと言っても良い。
そろそろいい年なんだし、娼婦のまねごとなんかやめて本業に専念すればいいのに、と焼き餅半分でオレは思うが、葵のこれはもう病気だってわかってるから、あまりくどいことは言わない。
「悪かったな。でもわかってんなら話が早い。いいか、客にはお偉方も多勢呼んであるし、まだ声は掛けてないが多分杉原も来ると思う」
柳は苦虫をかみつぶしたような顔になる。
「呼ぶな。あんなヤツ」
それを無視して葵は続けた。
「だからみっともないことはできない。いいか。誰もがあっと驚くような計画じゃなきゃだめなんだよ」
 勝手に言ってろ、と思いつつも、どうしたもんかと考えを巡らせる柳だった。

 

 


「よっ」
軽い声がして、喫茶店のドアがからんと開く。
そして中に登場したのは、問題の篁 海里だった。
つんつんした頭に、首からさげたカメラ。なんか不良のカメラマンて雰囲気だ。
これでも最近カメラマンとしては売れてきているはずなのに、いつまでたっても不良の小僧みたいに見える。(オレより年上のくせに)
「ああ、偶然だなあ、黒羽さん。こんな所にいるなんて」
海里は陽気にそう言うと、さっさとテーブルに近寄ってきた。
何が偶然だか。
オレは思いきり海里のヤロウを睨む。
この広い東京で偶然会えるかよ。
しかもコウは、滅多に地上に出てこないレアな男なんだぞ。

海里はオレの事は完璧に無視して、コウの隣に腰を下ろした。
おろすなコラッ!

「あれっ、そのスーツ似合ってるじゃないか。やっぱりオレの見立ては悪くないよな。うん。いいだろ、それ」
「ああ、うん。ありがとう…」
なんとなく歯切れ悪くコウが礼を言う。
少しばかりスーツに疑問を持ったのかもしれない。
「でも珍しいよな。黒羽さんが上に出てくるなんて。今日は何か用事でもあったのか?」
「オレと待ち合わせしたんだよっ!」
ついに切れてオレがでかい声を出す。
したら海里のヤロウ、目を丸くしてこっちを見やがった。
「ああ、白鳥さんこんにちは。あんたもいたのか」
わざわざ『さん』づけだ。ケンカを売るつもりが見え見えだぜ。
「目の前にいただろ、さっきから」
「ごめんごめん、気付かなかった。だって黒羽さんと一緒なんだもんな。つい黒羽さんにしか目が行かなくなっちゃうよ。うん。誰だってそうだと思うけど」
ワイルドな見た目と違って嫌味な男め。やっぱりあの社長の仲間だ。
だが、プチなんかには負けるつもりはないね。
「へーえ。そんなに注意力無くて、よく報道カメラマンでござい、なんて言ってられるよなぁ」

隣でコウがはらはらしているのが解った。
だけど口出すなよ、コウ。
これはオレと海里のタイマン勝負なんだから。

「報道カメラマンやめて、黒羽さんを撮ろうかな。そんで写真集出すんだ。きっと売れるぜ」
「公務員は、バイトは出来ない」
真面目にコウが答える。
だから答えなくてもいいってば。
「じゃ、オレだけが見るプライベートな写真集はどうだ? それならかまわないだろ」
「だめっ!」
海里がこれも不良みたいに睨む。
「オレはあんたには聞いてねえの。黒羽さんに聞いてるの」
「お前、いきなりやって来て、ここに座って、いったい何の用だよ。用あるんだろ?」
さっさと済ませて帰れ! 
そうは思ったが、海里が簡単に帰りそうもない事は入ってきた瞬間から解っていた。



「そうそう、用事ね。確かにあるんだよ、黒羽さん」
海里はさっさとオレから視線を外して、コウを振り返った。
「やっぱり用事があるんじゃないか。偶然だなんてよく言うぜ」
オレの皮肉に、海里は振り向きもしない。
「クリスマスにさ、パーティーやるんだよ。ちょっと趣向を凝らしてさぁ。黒羽さん、参加しないか? きっと面白いぜ」
「パーティー?」
「ああ。大丈夫。うん。人がごちゃごちゃ来るの、黒羽さん好きじゃないって事くらい知ってるからな。せーだいなヤツじゃないよ。ささやかなもんさ」
そう言いながら海里はにっこりと笑って、コウの顔に見入る。
オレは海里を睨みつけた。

知ってんだ、オレ。
こいつがすごい面食いなんだって事。
ホモは嫌いだとかなんとか言ってるくせに、ホントは綺麗ならなんだって良いんだ。
あの社長とか、コウとか。
綺麗なら男だって女だっていいんだろ?
(オレだって、そんな感じがしないでもないけど。でもオレはこいつみたいにホモは嫌いだとか、ごまかしみたいな事は言ってないからな)

でも、コウはオレのもんだもんね。
心の中でちょっとだけ優越感に浸っちゃったりする。
お前が見とれてるその顔とか、体とか、触りたいだろー。
触ったら、すっごくいいぞ。
でも触れるのはオレだけ。
オレはお前の知らないコウのあーいうとことか、こーいうとことか、いーっぱい知ってるんだもんね。

「クリスマスは香澄との約束がある」
コウの言葉にうんうん、とオレは頷く。
そうだともさ。
何たって日本じゃクリスマスと言ったら恋人と一緒に、だよ。
だからお前はお呼びじゃないの。
早く帰れ。
「香澄との約束のほうが、先だから」

がくっ。

ちょっと待ったりしてくれる?
その言い方だと海里との約束が先にあったら、オレの方は断るみたいじゃんか。
恋人との約束って、そういうもんじゃないだろう?



その辺の細かいニュアンスを、海里のヤロウもかぎつけたらしい。
ニヤリと笑って少しだけこっちを見る。
「白鳥さんとの約束って、それもパーティー?」
「ああ、うん…」
曖昧に頷いて、コウもこちらを見る。
ああ、オレ詳しい事ぜんぜん言ってなかった。
「オレの家族との、家族パーティーだよ。ささやかさで言うなら、お前のとこよりも、もっとささやかなもんさ」
「家族パーティー…」
口の中で呟くようにコウが復唱する。
海里は肩をすくめた。
「あっそ。それじゃあー、仕方ないなあー。先約だもんな。先約だからだよな。うん」
やたらと先約を強調しやがって。悪かったなあー。
「じゃ、今はオレ帰るわ。でも黒羽さん、また電話かけるからさ。その時詳しい事を教えるよ。だって、先約がダメになる可能性もあるもんな。うん。世の中何が起こるか解らないし。黒羽さん、クリスマスまでは上にいるんだよな? じゃあまたな」
海里はもう一度にやっと笑うと、来た時と同じように軽ーく帰っていった。

 

 

 ヤツが帰ったあとも、オレはちょっとだけ憮然としていた。
先約を強調しやがって。
何かたくらんでやがるだろう。
あいつは悪いヤツじゃないし、オレだって嫌いな訳じゃないが、コウに関する限り、オレはびた一センチだって譲る気なんか無い。
これだけは、そのうち勝負つけてでも、きっちり解らしてやるつもりだ。
「家族パーティーだったのか…」
なんとなくぼけっと呟いているコウが、ちょっぴり憎らしかった。
オレは少し拗ねる

「そうさ。へん。そんなもんだよ。面白くもないパーティーだ。どーせ先約だから、オレんとこへ来るんだろ? コウ」
「か、香澄?」
コウが目を丸くしてこちらを見た。
「海里のパーティー、趣向を凝らしてあるんだって。先約だとか何だとか、気にするなよ。面白い方へ行けば?」
「香澄。何か怒っているのか?」
あー、とりあえず怒っている事だけは解るんだよな、コウも。
「そ、怒ってんだよ、オレは。オレとの約束って、コウにとっては、先か後かの価値しかないって、コウが言ったからさ」
「香澄、僕はその…」
黒羽はクールビューティーと言われた、あまり表情のでない整った顔に、せいいっぱい困った色を浮かべて見せた。
そしていきなり顔を近づけてきた。

あっ。うわっ。やばっ。やりすぎた。

そう思った時には、もう唇をふさがれていた。
コウが最近覚えたテだ。
何か都合が悪くなってくると、とりあえずこういう事してオレのご機嫌をとろうとするのだ。
またそれにあっさり乗っちゃうオレも悪いのだが。
だけど今はヤバイよ。今はまずいって。
ここ喫茶店の中じゃんか。
しかも大通りに面したでっかいウインドウの脇!
店の中の奴らも、通りを過ぎていく連中も、みんなこっち見てるじゃん!

コウが仕事以外では、そういうTPOを使い分けるって事ができない男だって忘れてた。
コウにとっては周りなんてどうでもいいかもしれないけどね。
オレは色々気にするんだよっ。

ぎゃーっ。



コウだって普段はこんな事しない。
いくらコウだって、こんなに人がいる中で堂々とキスするなんて(男同士だしさっ)いちおう常識が邪魔するはずなのだ。
まあオレがちょっといじめちゃったのは確かなんだけど、でもきっと、外にいるからなんだ。
外国にいる気分みたいになってるんだろ?
見知らぬ場所。見知らぬ土地。
周りの誰もが自分とかけ離れた存在に見える。
いつもしない事も、あっさり出来ちゃうような、そんな雰囲気。
コウは外は怖いと言った。
思ってみれば、パートナーになって初日にそう言った。
不安なのかもしれない。そうも思う。


何が不安なんだろ。ずっと不安なのか?
大丈夫だよ。
オレがいるじゃん。いつだって、オレがいるよ。
あんたのいる所に、ずっといるって、オレは13の時に、そう決めたんだ…。


…って、ひたっている場合かーーーっ。

「ちょっ、ちょっと、コウ」
オレは真っ赤になって、コウの体を押しのける。
ぐえええーっ。やっぱりオレ達注目の的!
喫茶店の中にいる連中が、カウンターの向こうにいる従業員まで、全員こっちの様子を窺ってるよーっ。
どうする、オレ!?
見知らぬ人にまで、この際カミングアウトか?
そんな事してたまるか、ばかっ!

オレは椅子を蹴って立ち上がる。
「いや、その。あっ、そう。罰ゲームはこんなもんで、もういいだろっ?」
役者にはなれそうもない。声ひっくり返ってるよ、オレ。
「罰ゲー…?」
首を捻っているコウの腕をひっつかみ、ムリヤリ立たせてレジまで引きずる。
「まったく先輩達も無茶だよなあーっ。喫茶店の中で、キスしてこいって。罰ゲームだから仕方ないけどーっ。あはははははは」

寒い。絶対寒いぞ、オレ。
泣き笑いのまま、叩きつけるように金を払い、喫茶店を飛び出る。
そしてコウの腕を掴んだまま、オレは超スピードでその場を離れた。

 

 

 人のいないとこ、人のいないとこ。
そんな所あるわけないか。年末の東京で。
それでもさっきよりは人影のまばらな公園のベンチにたどり着き、やっとオレは息を吐いた。
だあー…。みっともねえーっ。
何やってんだか、オレって。

「罰ゲーム…?」
コウはまだ首を捻っている。
いいんだよ。もうそこからは離れてくれ。
「コウさあ…」
言いながらベンチにどさりと腰を下ろす。
ううん、風がちょっと冷たいが、走ってきた体には、このくらい冷たい方が気持ちいい。
「ああいう事、街中でやるなよー」
「え? ああいう事って?」
「キスだよ、キス」
「あっ。ああ…」
一瞬反応が遅れたが、自分が何をやったかは即座に理解したらしかった。
いきなり白い顔に朱を散らす。

ううん…。こういう顔が見られるようになったのって、すごく嬉しいんだよなぁ…。

「その、ごめん。確かに僕が悪い。人前で…」
ああああ。何かどんどん真っ赤になっていくんですけど。
うわー…。ちょっとまずいかも、オレ。
「さっきは人前だって事、頭に浮かばなくて…。つい、いつもみたいに」
そりゃーもう、二人っきりだったら、一も二もなく、オレ乗っちゃいますよ。あんな事されたら。
実は今だって、思いっきり乗っちゃいたい気分なんだから。
ちょっとだけ下の方が、ヤバイ感じになりかけてるしなっ。

「ごめん。香澄があんな事言うから」
「それは悪かったよ。だけどコウが最初に怒るような事言ったんだぜ」
「うん…」
コウは下を向いた。
とりあえず反省はしているらしい。
でもオレが何で拗ねたのか、ちゃんと解って反省しているかどうかは疑わしい。
まあオレの怒った理由も、せこいっちゃせこいから(男の嫉妬だしな。ふう…)この際お互い様としよう。

「家族パーティーが、嬉しかったんだ」
下を向いたまま、いきなりコウが思いもかけない事を呟いた。
「え?」
「僕を、家族の中に、入れてもらえるのか?」
コウはまっすぐオレの方を向く。

綺麗な顔。綺麗な瞳。
すごく苦しそうな時だって、何故か視線だけは、まっすぐに向けてくる。

「家族のパーティーに、僕を入れてもらえるなら、どんな所よりも、僕は行きたい。香澄」

ああ、そうか。
オレはほんの少し目を細める。
コウは家族を早いうちに亡くした。
遠い親戚すらも、コウの前には現れなかったらしい。
だから、コウにとって、家族は憧れてやまない、遠い夢なんだ。
オレが鬱陶しいと思い、つまらないと思っている全部が、コウにとっては光り輝くものなのかもしれなかった。



オレが家族になるよ。
そんな風には言えなかった。
オレはコウと家族のようには出来ない。コウが望んでいるような、そんな家族にはなれない。
だってコウが欲しいのは、子供の思い描く家族だもの。
お父さんとお母さんがいて、自分はそこでただ一人全てを許される子供でいる。
そんな家族なんだろう?
オレはダメだ。オレは家族のようには、コウを愛せない。
だって、だってオレは。

オレは立ち上がって、辺りを見回した。
人影も少ないし、いてもかなり遠い。ベンチのこの辺りは、ちょうど植え込みも重なっているし…。
オレは座っているコウを上から抱きしめた。
コウは少し吃驚したみたいだけど、黙って目を閉じ、頭を寄せてきた。
吐く息が甘く、暖かく、オレの胸の辺りで感じられる。

コウ…。コウ、ごめんよ。
オレは家族にはなれない。
家族のようにはあんたを愛せない。
だって、あんたを欲しいと思い、抱きたいと思う。
あんたがもしも他の誰かのものに、ほんの少しでもなったら、オレは死ぬほど嫉妬するだろう。
あんたの全部をオレのものにして、オレはあんたを護ってずっと暮らしていきたい。
こんなの、コウが思い描く家族じゃないよな。
だからなれないんだよ、コウ。
オレは優しく、出来る限り優しく、コウの髪をなでた。
コウは気持ちよさそうに、オレの胸の中でため息をついた。

どっちか、女の子だったら、良かったのかもしれないな。
結婚してさ、子供が出来たら、そうしたら家族じゃん。
だけど、オレはそれを望んでいない。
あきらめとか、妥協とかじゃない。
オレ達こうして出逢ったんだから、今の形が、きっと一番良い形なんだ。
オレは本気でそう思ってる。
お前はいつだってすごく楽天的だって、兄貴に言われたけどさ。
でも、そう思わないか? コウ。
だってオレはとっても幸せなんだ。
だから、だからさ…。

「オレの家族、めちゃめちゃ煩いぜ」
「ああ…」
「なんか、根ほり葉ほり聞かれて閉口するかも」
「うん、きっとそれも楽しい」
コウはハッとしたように上を向いた。
「そうだ。だったらプレゼントを買おう。クリスマスプレゼントだ。香澄の所は、たくさん家族がいるんだったな。そんなたくさんの人に、プレゼントを渡せるなんて…」
見上げたコウの顔はすごく嬉しそうで、オレも思わず笑ってしまった。



その時いきなり2人の背中に声がかけられた。
「おまえらなあ。そーいう事は、もっと影でやれ。影で」
げっ。注意してたと思ったのに、いつの間にか誰かに近くに来られてたのか?
しかもこの声、聞き覚えが…。
振り向くそこには、上等のコートに身を包んだ背の高い男が立っていた。
「や、柳さん…」

 

 

「珍しいな、2人そろってこっちに出てるなんて」
「お、オレがいる事は知ってるでしょ?」
「ああ、そうか。坊や、結婚式だったな、確か兄貴の」
「その節は、どーも…」
「睨むなよ。あれは俺の企画した事じゃないぞ。俺の企画はこれから…。ちっ。まあいいや。おまえら、昼飯まだならつきあえ」
柳は妙に不機嫌そうに首を振った。
商売柄あまり不機嫌な顔は見せない筈なのに。
白鳥はちょっと首を捻った。
まあもっともオレは最初から怒ってる柳さんとか、不機嫌な柳さんとか、山のように見ちゃっているからな。
オレは小僧だし、おっさんから見れば、心安い相手なのかもしれない。

黒羽はすらりと立ち上がり、硬い表情で柳に挨拶をした。
「柳さん、お久しぶりです」
「ああ。挨拶はいいよ。それよりお前ら向こうの道からだと丸見えだったぞ」
「げっ」
「植え込みが隠しているのは、こっち側だけ。反対からは素通しだ。結構見られてたぞ」
「げげげ」

オレもコウの事言えないじゃん。
知り合いが偶然通る、なーんて事もないとは思うけど。
いやいや、短い時間に海里と柳さんに会ったんだ。その可能性もないとは言えない。
(まあ海里は、絶対狙ってきたんだろうとは思うけど)
オレはちょっぴり冷や汗をかいた。
はっ。だけど、しかし。

「柳さん。ここに来たのって、偶然?」
「ああ? なんで? 偶然に決まってるだろう。俺は昼を食べに来たんだ」
「会社の食堂とかでは食べないの?」
「ああ、まあ、食わない事はないけど。でも今日は、美味いものを食いたくなったんだよ。それも、出来るなら高いヤツをな」
「オレ達、金無いですよ」
柳は2人に付いてくるように、軽くあごを動かした。
「付き合えと言ったからには奢るさ。俺はなー、今ちょっとくさくさしているんだ。ここにいたのが運の尽きだったと思って、黙って奢られろ」
白鳥と黒羽は顔を見合わせ、それから柳の背中を追いかけた。


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