| 正義の味方 incident5 日常の微熱 
 半年間生きていること。それが僕のパートナーの条件です。
 
 「えっ? 今の話、マジですか?」
 砂城西署捜査一係強行特殊班。
 名前はいかめしいが、今はなんとなくのんびりした雰囲気のただよう部屋の中に、突然大きな声が響き渡った。
 「まじですよ。白鳥香澄(しらとりかすみ)くん」
 にやにや、という感じの笑いを顔いっぱいに広げて、斜め向かいのデスクに座った同僚刑事の高田は言った。
 「じゃあ、ええと、黒羽さんの言ったことも、本当にマジだったんだ」
 自分の名前を呼ばれて、黒羽は、白鳥の隣のデスクから一瞬顔を上げたが、すぐにまた自分の机に視線を落とした。
 白鳥は、ちらりとそれを見て話を続ける。
 「うーむ。それで砂城に来るって言ったときに親が泣いたのかぁ?」
 唸りながら、腕を組む。
 
 そこへ主任の桜庭がなにやら白い紙を振り回しながら入ってきた。
 「何の話してんの? みんな、ちょっと、お昼にお弁当頼む人は、注文票にきちんと書いてよね。昨日だって頼んでもいない人が勝手にお弁当持って行っちゃって、足りなかったんだから」
 どうやら足りなかったのは桜庭の分だったらしく、少々機嫌が悪い。
 へいへい、とか、ほいほい、とか妙な返事をしながら、何人かが立ち上がった。
 白鳥は、まだ腕を組んだままだ。
 「どうしたの? 白鳥くん。突っ立って」
 「はあ、桜庭さん。さっき高田さんから殉職率の話を聞いたんですよ」
 「殉職率って…、そんな縁起の悪い」
 「だって、オレ知らなかったんですもん。ここ20年間で砂城の外から来た警官の殉職率って、7割なんですって?」
 「ありゃ…。えーと…」
 「更に、その殉職者の9割が、最初の半年から、一年の間に亡くなっているって」
 「げげげ」
 高田が、椅子の上で反っくりかえって笑った。
 「ちょっとー、高田くん、なに教えてんのよー」
 桜庭は少し困った顔をして高田を睨んだ。
 「だって、知らないって言うんだもん。オレは覚悟の上でここへ来たのかと思ってましたよー。だから、みんなここへ来たくないんでしょうが。外から来たヤツなんて、それこそ何年ぶりって感じだよなあ、なあ?」
 同意を求めるように、高田はぐるりと辺りを見回した。
 黒羽は相変わらず、ちらりともデスクから顔を上げない。
 桜庭は肩をすくめた。
 「だから、いきなり2階級特進なの? オレ、つい最近まで巡査だったもん。それが警部補。げっ、オレって、もしかして、外から見たら、もう死んでる人間? まだ生きてるのに? ひどいなー」
 こんな話をしているにもかかわらず、白鳥の声は元気でハイテンションだった。
 陽気な笑いが部屋に満ちる。
 「ホントは、外からここに人を入れたいわけ。上の意向としては。だって、公務員だもんなあ。いくら閉鎖都市だと言っても、完全に独立したら、まずいんだろ? ところが、殉職率があんまり高いんで、志願制にした。死にに行けって命令できないもんねえ。そんで特典として、昇進をつけた。
 今死んだら白鳥くん、なんと警視だよ。警視。更に2階級特進。一生かかってもそこまでは行けねえや。それが今すぐあなたのものに」
 「行きたくないです」
 白鳥はぶうたれる。
 
 「香澄は僕が守りますよ」
 今まで黙っていた黒羽が、急に言葉を挟んだ。
 手には、さっきまでデスクの上でいじくりまわしていた、黒い自動拳銃が握られている。(もちろん銃からマガジンは抜かれている)
 無表情だが、とびきり上等の綺麗な顔に見上げられて、白鳥はドキリとした。
   なんか、もう、めちゃくちゃオレってば、この顔に弱い。
白鳥は自分の頬に血が上っていくのを感じていた。
 何度かキスしたせいか、つい視線が唇に行っちゃうのも止められない。
 まっすぐ見つめて、オレだけを映してる瞳。
 こんな風に見られたら、オレ、なんでもしちゃう。
 そうは思ったが、彼の言っている内容は気にくわなかった。
 多大な努力と苦労の末、やっと自分の事を香澄と呼ばせることに成功したことは嬉しい。
 今だって彼が香澄と呼ぶのを聞いていると、口元が緩んできてしまいそうだった。
 だけど!
 「黒羽さんが守るって、なんだよ。オレだって自分の身くらい自分で守れます」
女じゃねえんだから。守られて嬉しいかってーの。
 「でも、殉職率7割だぞー」
 高田が混ぜっ返した。
 「でも、3割は生きてんでしょうが。オレは3割に入りますから」
 「その3割のうち、1割くらいは死ぬ前に警察やめてるのよねー」
 桜庭まで水を差す。
 「うっ…。だ、だけど2割は生きてるんですよねっ。いいじゃん。結構。それだけあれば充分。オレだって射撃は上手いし、第一オレは運がいい」
 そう強がりながら、白鳥はちらりと壁に掛かったカレンダーを見た。
 
 半年。いや、あと5ヶ月。
 最初に生きていろと言われた時は、何を言ってやがると思ったが、こんな話を聞くと、妙に半年が長いように思える。
 「パートナーなんだから、僕が香澄を守るのは当然でしょう?」
 黒羽は白鳥の強がりを聞いているのかいないのか、マイペースに話を続けた。
 「何か、問題が?」
 白鳥はまた顔を赤くした。
 「無いですよっ」
 「では、僕が守ります」
 さらりと言って、黒羽はまた手元の銃に目を落とした。
 うう…。白鳥は心の中で密かに唸る。
 射撃の成績が良くなければ、砂城への移動を志願することも出来ない。
 白鳥の射撃の成績は抜群だった。
 だって、ここへ来たくて頑張ったんだもんな、オレ。
 口の中でぶつぶつ言う。
 そういう事、黒羽さんは知らないんだもんなあ。
 いや、別に知って欲しいことでもないけど。
 でも、どんなに努力をしても、射撃に関して黒羽 高にはけっしてかなわない。
 これから先も、絶対に追いつくことは無いだろう。
 それは諦めではない。単純な事実だった。
 
 
 「…香澄。なにか僕は気に障ることを言いましたか?」
 はっと、気がつくと、また黒羽が顔を上げてこっちを見ていた。
 え?
 うわ。なに? そのセリフ。
 黒羽さん、オレを気にしてたわけ?
 全開でにやけてしまいそうになる顔を、白鳥はありったけの意志の力で引き締めた。
 「言ってない、言ってないって。気にしないでいいよ」
 黒羽は、慌てて手を振る白鳥をじっと見つめて言った。
 「香澄の射撃は綺麗すぎる」
 「へ?」
 「サイトを使用して照準を合わせているでしょう。標的はエリアで捕捉した方がいい」
 「…へ?」
 天才の言うことは聞くなぁ、参考にならねえぞぉ、と高田が間のびした声で言った。
 
 「これ」 高田の言葉は完全に無視して、黒羽は持っていた銃を白鳥にさしだした。
 「これを使ってみませんか?」
 「ベレッタM92?」
 「9ミリ弾です。装弾数15発。両手撃ちでしょう? 香澄」
 白鳥は黙って、うんうんと頷く。
 黒羽は椅子から立ち上がり、白鳥の手を取ってその銃を握らせた。
 白くて長い指が白鳥の手の上をすべる。
 「うん。思った通り手が大きい。ベレッタを正確に扱える。人差し指も長い。この銃はグリップが太いし大きいけど、この手なら大丈夫」
 黒羽の指が確かめるように白鳥の手をまさぐる。
 
 うわぁ…。 白鳥はその感触に震えた。
 なんか、ぞくぞくする。
 やだなぁ、もう。なんだかなあ、手を握られたくらいで。
 
 白鳥は上目遣いに黒羽の顔をのぞき見た。 でもなんか、色っぽいんだよね。黒羽さんって。銃を手にしている時のほうがさ。
 なんでだろ。
 黒羽は丁寧に白鳥の指を開き、グリップを両手で握らせて、その上に自分の手を重ねた。
 「うん、ぴったりだ」
 うん、黒羽さんの手も、オレにぴったり。
 白鳥はすっかり上機嫌になっていた。
 「オートマチックを扱ったことは?」
 「あっ、あるよっ。ぜっ、ぜんぜん大丈夫」
 急に問われて白鳥は慌てる。
 「では、それを使ってください」
 ああっ! 使ったことはあるけど、慣れてないとか言っときゃよかった。
 そうすれば、マンツーマン指導ありじゃんか。
 そう思ったときには、もう黒羽の手は彼から離れていた。
 
 
   しかし、まあ…。
 手に残された黒いつや消しの銃を見つめて思う。
 黒羽さんが、これを選んでくれたんだよな。
 さっきから何をずっとやっているのかと思っていたけど、これの調節をしていたのか。
 オレに渡すために…。
 なんだか、嬉しかった。
 『香澄は僕が守りますよ』
 それは別に、彼が女の子にするみたいに、オレを守ってくれるって意味じゃない。
 自分が信頼しているものを、選んで調節して、オレに渡してくれる。
 そういう意味も、あるのだ。
 
 
 あの子には、護ってくれる人がいないし、護るべき人もいない。
 
 桜庭さんに言われた言葉が甦る。オレが、そんな存在になれるのかな?
 この間は護って貰っちゃって。今度はオレが黒羽さんを護る時が来る。
 そういう存在だって、少しは思ってくれ始めているって事だろうか?
 
 
   『半年間、生きててください。それが僕のパートナーの条件です』
 そう黒羽は言った。
 最初は馬鹿にされているのかと思った。
 でも、そのうちに違うと解った。
 彼は人を馬鹿にしたり、からかったりするほど器用じゃない。
 本当に、そう思っているのだ。
 きちんと自分のパートナーになれと、そう言ったんだ。
 砂城でパートナーって存在が、どれだけ大切なものか、オレにもだんだん解りつつある。
 黒羽さんに、信頼されるような男になるんだ。
 生きて、彼を護ること。
 本当は最初から、黒羽さんは、オレにそう言っていたんだ。
 そうだろう?
 オレは、そう思いたい。
 だからその課題を、なんとしたってオレはクリアしてみせる。
 こう見えてもオレは努力家なんだから。
 白鳥は、もう椅子に座ってしまった黒羽の背中を見ながら思った。
そしてその課題は、オレ一人でやらなくてもいいんだよな。
 だって、オレ達パートナーだもん。
 これを渡してくれたのが、その印だよな。
 確かにまだ条件には達していないけれど、でもそう思ってていいよな。
 オレを護って、オレに護られる。
 オレがあんたにとってそういう存在になれるって。
 あんたはそう期待しているんだって。
 そう思ってて、いいよな。
 
 
 
 先のことは解らない。 だけど大丈夫。
 今日は生きてる。
 明日も、生きてみせる。
 そうやって日を重ねて、あんたの隣に、ずっと立つんだ。
 ずっと2人で、立つんだ。
 
 手の中の銃は重い。
 でもそれはきっと、約束の重さだった。
 一日を生きていくための、大切な重さだった。
 白鳥はもう一度、強くそれを握りしめた。
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